第8話 嘘は吐いても約束は破らない。
魔族と言う存在は、凶暴であり、刹那的であり、陽気である。
特に一日で準優勝賞金の50万ゴオル、優勝を売って150万ゴオルの大金を稼いだ日の翌日なら尚更だ。ご機嫌ですらある。
決勝戦が終わると、勝者のクレオ・エルバリオは、倒れたレブに手を貸した。
観衆は満足し、拍手で勝者を称え、敗れたレブをも称えた。
レブは、負けはしたが全てを出し尽くした若者の笑顔を見せ、互いの健闘を称えるようにエルバリオと握手をしつつ、相手にだけ聞こえる声で言った。
「金は明日、俺んちに持って来いよ」
それが昨日のことだ。
今は昼過ぎで、そろそろ金が届く頃だろうかと考えるだけで、レブの心は浮き立つ。
ベッドの上で、壁に背をもたせかけて座り、今か今かと金を待つのは楽しい時間だ。金に関係することで三番目くらいに入る。
二番目は金を稼いだとき。
一番目は金を使うときだ。
早くマミコに修理代130万ゴオルを渡して、怒りを鎮めたい。
準優勝の賞金で、撥水加工の大きな帆布を買った。
それで天井を塞いでいるので、雨が降っても多少はしのげるだろう。こんな金も馬鹿にならない。
閉店間際だったせいか、薄い生地のものしか買えなかった。これでは大雨が降った時には、どこまでもつかわからない。
雨が降ったら外に雨宿りに行くとなれば、本末転倒というものである。
レブとしては、早いところ屋根を直したかった。
ベッドに足を投げ出した姿勢のレブの横で、ティコが毛づくろいをしている。それを見ていると、部屋のドアが遠慮がちにノックされた。
待ちかねた客が来たかと、レブはティコを抱え、勢いよくベッドから体を起こした。
「ちょっと待ってくれ。今、開ける」
いつもなら勝手に入ってもらうが、今回は特別だ。なにせ、相手は大金だ。
開いたドアの向こうにいたのは、少年と言っていい年の金髪の若者だった。前髪をおろした下の青い目に、まだ幼さがある。
「お前は……」と言って、レブは思い出す。
昨日、武闘会の控え室でエルバリオの身の回りの世話をしていた従士だ。
「クレオ・エルバリオの従士をしております、ウィルと申します。本日はエルバリオから預かってきたものがございまして」
「入んな」
レブはドアを手で支えて、中に招き入れた。いつもならそこまでしないが、今回はウィルというより、大金を丁寧に迎える形だ。
ウィルの背中の布製の背負い袋が重そうだ。ここに自分の金が入っていると思うと、レブの頬はゆるむ。
少年に一脚しかないイスをすすめ、自分はベッドの上であぐらをかいた。
ウィルは背負い袋から、皮袋を出し、両手で大事そうに丸いテーブルに置く。
皮袋はそっと置かれたにも関わらず、中から重たい音がした。金属のいい音だ。
たっぷりと詰まった音を聞いて、レブは思わずうんうんと頷いてしまう。
「ウィルと言ったな。この袋の中身は何だか知ってるか?」
「はい。金が入っているから、無くしたり盗られたりするな、とエルバリオから言われております。重さからして大金でしたので、ここへ来るまでの道中、緊張しました」
たしかに冷や汗をかきつつここまで来たのだろう。ウィルの額に金糸のように輝く前髪が、ぴったりと貼り付いている。
「そうかい。ご苦労さんだったな。じゃあ念のため、中を改めさせてもらうぜ」
そう言って、レブはさっそくとばかりに袋の口を開け、中を覗いた。一万ゴオル金貨がごっそりと入っている。
適当に掴み、数えはじめる。袋の中身がすべて金貨なら、それが百五十枚ある筈だ。レブは中身を数えては、十枚ずつ重ねていった。
金貨の塔ができていく。
レブは数を数えながら、さらに塔を作っていく。
テーブルの向こうから、ウィルが生唾を飲み込む音が聞こえる。
「こんな大金を見るのは初めてか?」
数えながら、レブはウィルに聞いた。その目は金貨に注がれたままだ。
この金が無いと、家を追い出されてしまう。
最悪の場合、マミコに襲撃される可能性もある。
あんなんじゃじゃ馬では、嫁の貰い手がないのではないか、とレブは大きなお世話の心配をする。
レブとしては暴力的な女はごめんだ。
聖職者の女と女勇者の次に遠慮したいのが暴力的な女だ。
「は、はい。初めてです」ウィルはどもりつつ、どうにか答えた。
「そうか。俺もこんな大金、洞窟でしか見たことねえよ」
「洞窟? レブ様は冒険者なのですか?」
「いや。なんでもねえ。忘れてくれ」
レブが言っているのは育ての母である太古の龍、ネリウム・オリアが洞窟に構えた巣の話だ。彼女の巣では金銀財宝が山をなしていたのを思い出す。
たまにはレブも親に顔を見せに帰りたいものだが、それはできない相談だ。今のところ魔王シャルクの命があるし、帰れば跡目争いに否応なく巻き込まれるからだ。
第一、ネリウムはラーゴンについている。
何が楽しくてあんな奴の下に、という気になる。ついつい足が遠のくというものだ。
金貨の塔は十四できた。
レブは、袋の中を見る。
金貨はもう無い。
中身は空っぽである。
魔族も人間と対して変わらない部分がある。
想定していなかった状況に出くわすと、そのままを受け入れられないのだ。
だから、レブは試しに袋を振ってみたり、袋を逆さにしてみたり、もう一度袋の中に手を突っ込んだりした。
が、やはり金貨は無い。
「おい。これはどういう冗談だ?」
レブはウィルに鋭い視線を向けた。
エルバリオと約束したのは150万ゴオルだ。目の前には十枚ずつ重ねた一万ゴオル金貨の塔が十四。
明らかに十枚足りない。
「どういうことでしょうか」
「ふざけるな。俺がお前んとこの大将と話したのは150万ゴオルだ。見てみろ。140万しかねえぞ。どういうことだ。馬鹿にしてんのか!?」
「え? いえ。私にもわかりません。金額も今はじめて聞きました」
ウィルは自分を守るように体の前で両手を振っている。
レブは目の前の少年従士を疑っている。
あえてこの場で飛んでみろとは言わないのは、金貨をどこかに隠していれば、そんなことをさせても無駄だからだ。
「てめえが金を抜いたんじゃなきゃ、誰が抜いたってんだ」
「誓って私は、盗みなど働いておりません」
「じゃあ、エルバリオが土壇場になって金が惜しくなったってのか」
魔族は嘘はつくが、約束を破ることはない。
似ているようで大きく違うところだ。
一度結んだ信頼関係を、魔族は反故にはしない。
だからレブは猛烈に怒っている。
「エルバリオが、そんな誤魔化しをするとは思えません。何かの間違いではないでしょうか……」
「お前が途中で道草でも食って、誰かに盗まれでもしたか」
「いえ、歩いてまいりましたので時間はかかりましたが、道草などしておりませんし、誰かに袋を触られた記憶もございません」
「主君のせいにしないとこは褒めてやるけどよ。お前に責任がねえなら、エルバリオに責任があるってことじゃねえか。これは信義の問題だぜ。エルバリオは今、家にいんのか」
「は、はい。今日は在宅の筈ですが」
「よっしゃ。じゃあ取り立てに行く」
レブは勢い良く立ち上がった。猛烈な怒りがレブの中で吹きすさんでいる。
「エルバリオの家に案内しろ」
そう言ってから、屋根の修理代について思い出した。少しばかりの冷静さは残っていた。まだ座っているウィルに告げる。
「一つ用事をすませて来る。それからエルバリオの家に案内してもらうからな。お前そこで待ってろ」
指を突きつけた。少年はびくっと体を縮こませる。
「いいな。勝手に帰るんじゃねえぞ」
レブは金貨百三十枚をウィルが持ってきた皮袋にかき集めた。残りを自分の財布に移す。
「ティコ、そいつがどっか行かねえように見張ってろ」
黒い子猫は、にーと鳴いた。まかしといて、という意味である。
「逃げようとしたら、頭から丸呑みにしちまえ」
ティコは、少年従士を見据えながら、くわっと小さな口を開けた。
もちろん、彼女にそんな力はないのだが、脅しとしては十分だったようだ。
ウィルは椅子ごと、ティコから離れた。
部屋を出て、レブが向かう先は大家のところである。
大家の部屋の扉を叩くと、顔を出したのはマミコだ。
「あら、レブさん。どうしたのよ」
「屋根の修理代払いに来たんだよ。大家さんいるかい?」
「え? 修理代は130万ゴオルよ。大金よ。いったいどうしたの。まさかどっかの大商店を襲ったりとかした?」
「んなわけねえだろ。あと、お前が普段、俺をどういう目で見ているのか今わかった」
「やあねえ。冗談よ。じょ・う・だ・ん。ちょっと待ってて。お父さーん。レブさんが、屋根の修理代を持って来たって」
大家に金を払い、受け取りを貰って、レブはさっさと難題を片付けた。
このせいで武闘会に出る羽目になったのだ。嫌なことはさっさと終わらせるに限る。
屋根は業者に頼んでも一週間かそこらはかかるそうだ。それまで大雨が降らなければいいが。
自分の部屋に戻ると、ティコはちゃんと仕事をしていた。
ベッドの上から従士ウィルをじっと見張っている。
ウィルの方は、ティコと目を合わせないように、膝に手を乗せてうつむくことで、時間とティコの視線をやり過ごそうとしていた。
「ティコ。ご苦労。そんでウィル。待たせたな。行くぞ。ほら早くしろ」
レブはウィルをせかした。
エルバリオのところに行けば、金が足りなかった理由がわかる筈だ。
彼が金をケチったのか、元から金が足りなかったのか、それともウィルがくすねたか。
何だってありえるが、足りない分が取り立てられればそれでいいのだ。
問題は金の不足ではない。
一度した約束を守らせることが重要なのだ。
エルバリオ邸までの道を、レブはウィルを先に歩かせて案内させることにした。