第7話 100万ゴオルを150万ゴオルにする方法
白と黄色の光に包まれていた闘技場に、足音も無く夕暮れが、ゆっくりと近づいてくる。
そして、辺りにうっすらと朱を流し込む。
予選、勝ち残り戦でのレブは、生意気な人間どもを三人ほど、床に脳天から叩き落した。
手加減をしたから死んではいない筈だ。
あとは、適当に殴りつけたり、蹴飛ばしたりして、順調に本選に進むことができた。
その後の本戦でも、レブを止める者はいなかった。
残るは決勝戦のみとなっている。
闘技場は満席で、ぱっと見ても帰る者は一人としていない。それぞれが足を踏み鳴らし、声を上げ、酒を飲みつつ、決勝戦の開始を待つ。
木製の槍を持ったレブが闘技場に現れると、待ちかねたように歓声がわき、拍手が起こる。それら全てが魔族のレブの為のもので、それに包まれたレブは、今の状況が不思議でならない。
魔王軍四天王、黒騎士レブとして動く時、相手の勇者一行はいても数人だった。
黒騎士である時、レブの顔は兜の面頬で隠れているから、過去に彼が蹴散らした勇者の一団が今この観客席にいても、闘技場に立っているのがレブだとは気づくまい。
どうやって屋根の修理代を稼ぐか。レブの頭の中で、既に計算は終わっている。
レブの金を、主催者に預けているようなものだ。
主催者側から貸し出された木製の槍を持つ手はそのままに、レブは反対の手を上げ、観客にせいぜい愛想を振りまいてみせる。
こうすることで、次に出てくるサー・クレオ・エルバリオとの差を、観衆に十分知ってもらう。
サー・エルバリオは落ち着いた雰囲気で出てくるだろう。観衆に手を上げて応えることもない。それを見た人々は格の違いを悟るだろう。
やはり勝つのはサー・クレオ・エルバリオだと。
レブは、サー・エルバリオに勝ってもらうつもりでいる。
ただし、彼にレブの強さを十分に知らしめた上で。レブに勝つことに価値があると十分に理解した上でだ。
確かめるような歩調で白い鎧に身を包んだサー・エルバリオが現れると、レブの時よりも、熱烈な歓声と拍手が起きる。
――せいぜい、楽しんどけ。
レブは心の中で笑った。
太鼓が打ち鳴らされ、決勝戦が始まる。
サー・エルバリオは木製の両手剣を構えたまま、開始線から動かない、まさしく二つ名の通りのアンムーブ(不動山)だ。
レブは半身の姿勢で、槍を構え、じっくりと相手の動き出しを待つ。
お互いに近づけば、先に自分の間合いになるのは槍だ。
サー・エルバリオもそれがわかっているから、向こうからは安易に近づいてこない。
むしろ彼は後の先を狙う立場だ。元から前回の優勝者ということであれば、自分から仕掛けなくとも、人から野次を飛ばされたりしない。
サー・エルバリオのプランをレブは予想する。
まず、レブが近付いて槍が届く間合いになる。その瞬間を見定めて、サー・エルバリオは自分から間合いを更に詰め、自分が有利な間合いにするつもりだろう。
一対一だから、そうした駆け引きも可能となる。二人の間に存在する見えない壁を、少しずつ削り取っていくようなものだ。
その壁が崩れた時、どちらかの、もしくは双方の一撃が放たれることになる。
動いていないように見えるが、レブは少しずつ距離を詰めていく。お互いに気配だけで牽制しあい、相手の気力を削ろうとする。
最初に焦れたのはレブでもサー・エルバリオでもなく、観衆だった。
間合いの削り合いは、高い技量同士だから可能なことであって、観衆にしてみれば、派手な剣戟の応酬を見て、無責任に騒ぎたいだけなのだ。
観客たちが、口々に二人を囃し立てている。
七対三でレブへの不満が多い。若いのだから、積極的に攻めろということだろう。
――俺は知られてないから仕方ねえな。
だからといってレブは焦らない。人間相手の名誉だの尊敬だのは、魔族である彼には関係ないことだ。
先日、マンティコアをレブが撃退したから、近所では有名になっただろうが、その話が、フィレノの街に広まるには、あと数日は必要だろう。
じりじりと足を動かして、レブは距離をさらに詰める。サー・エルバリオは山のように動かない。
レブは左手で槍をしごいて、サー・エルバリオを突くが、風に舞う木の葉のごとき動きで相手は避けた。アンムーブ(不動山)という二つ名からは想像もつかない軽やかな動きだ。
そうなるだろうとはレブも考えている。
達人という者は、動かないときは微動だにせず、動くときは疾風のごとく動くものだ。
サー・エルバリオのかわし方は、横に避けるのではなく、前進しながらの回避であるので、隙が少ない。
エルバリオの剣がレブに振り下ろされる。
レブは慌てず、槍を回し、石突の部分で剣を止めた。
一度飛びすさったサー・エルバリオが再び前に出る。並の人間なら無駄な動きでしかないが、白騎士の動きは早い。
レブは槍の穂先で、その斬撃を止めた。
二人の距離が近づく。上手いこと立ち回った甲斐あって、サー・エルバリオに話しかけられる距離だ。
読唇をする観客がいないとも限らない。
レブは槍と腕で、口元の動きが周囲から見えないように隠した。
「なあ。サー・エルバリオ。勝ちを譲ってやろうか。140万ゴオルでいい。わかったら二度、瞬きしろ」
レブにとって武闘会での優勝自体には興味が無い。
純粋に金が欲しい。100万ゴオルは大金だが、屋根の修理代には足りない。
ならば、負けると失うものが大きい者に、勝ちをそれ以上の大金で売れば良い。
その相手がサー・エルバリオだ。
スタイベルニス公爵お抱えの騎士であり、去年の優勝者である彼が、主君が主催する武闘会で負けるなど、面目丸つぶれに違いない。
賞金に40万ゴオル足せば、確実に勝ちが買えるなら、安い買い物だろう。
ちなみに屋根の修理代より多く言ったのは、多めに金を引っ張ることができれば、その分、働かなくて良くなるからだ。
それに優勝してしまうと観客、そしてスタイベルニス公爵にレブの顔と名前を覚えられてしまう。
仕官しないかと言われるだろう。レブは魔族だし、先代魔王からの命でフィレノに来ている。人間の下につくなど、考えるのも御免だ。
だから仕官は断るとする。
すると、なぜ断るのか? という疑問が、公爵たちの頭に浮かぶのは間違いない。
貴族のお抱えの騎士というのは、立身出世を目指す男、武闘会に出るような男なら、一つの到達点である。
それを断るというのは、無駄に注目と不信感を招くだけだ。
まさか正直に、魔族だから、とは言えない。
だから、金だけ取ろうというのである。
花を咲かせず、実だけ取ろうというのである。
だが、サー・エルバリオは面白くない冗談を聞いたという渋面を見せ、首を傾げた。
「はて。そのままやれば私の勝ちであるのに、なぜ金を払う必要があるのか?」
サー・エルバリオが剣を素早く振った。レブはそれに反応して、槍の先端でエルバリオの剣先を狙って弾いた。針の穴を通すような精妙さだ。
目が良いからできることだ。武術とは、自分が思い描いた動きをする為に、数千、数万の鍛錬を繰り返す。
レブは目が良かったし、鍛錬も積んでいる。
観客たちのどよめきが、会場を揺らした。
「今、二人の武器がはぜたような?」
「バカ、サー・エルバリオの剣先と、あっちの若いのの槍がちょうどぶつかったのよ」
「そんな偶然あるのか! だとしたら、これは数年に一度の名勝負になるな!」
――そんな偶然、あるわけねえだろ
狙ってやったのだが、観客は偶然ととらえたようだ。わかっているのは、レブと目の前のエルバリオだけだ。
レブが油断できない程度に、サー・エルバリオは強い。
だが十回戦えば、九回はレブが勝つ。
どうすれば、相手に十回やれば十回負けると思わせることができるだろうか。
そこに140万ゴオルがかかっている。
あえて隙を見せて、サー・エルバリオの剣を誘った。
それに招かれるように振り下ろされた両手剣の刃先を再び狙い、レブの槍が弾く。
「四点蝶」
レブは技の名を風に囁いた。
超高速の突きで、宙に舞い飛ぶ四羽の蝶を、一度にすべて落とす高速の突き技だ。観客の目には速すぎて、一撃にしか見えていない。
エルバリオの鎧に彫られた紋章の鶴、蓮、そしてエルバリオの心臓にあたる位置、もう一度、両手剣の刃先。
その四点を正確に槍で打ち抜いた。
サー・エルバリオを倒さぬよう手加減はした。
ただ、当たったことだけは相手にわかるように打つ。倒してしまうと金の話ができなくなるし、手に入るのは100万ゴオルだけになってしまうからだ。
レブの考えは十分に伝わったようだ。
レブは負けても失うものは何もない。
100万ゴオルが、50万ゴオルになるだけだ。痛いは痛いが、武道会がなければ、1ゴオルだって手に入らなかったのだから文句は無い。
一方、サー・クレオ・エルバリオは違う。
負ければ、失うのは100万ゴオルだけではない。今まで培ってきた名誉も、公爵に仕官しての旨みも、戦での実績もすべて失ってしまうおそれがある。
一瞬、動きを止めたサー・エルバリオの決断は早かった。
レブと目を合わせると二回、瞬きした。レブは満足だが、一度断った相手にはそれなりの代償を払わせる必要がある。
再度、近づき、口元を隠しつつ、エルバリオに囁いた。
「いいだろう。勝ちを売ってやる。ただし、あれから勝利の価値ってのが上がってな。今じゃ150万ゴオルだ」
「ふざけるな。足元を見おって」
「どうする? 俺はお前を叩きのめして、100万ゴオルでもいいかって気分になってる。お前は負けたら、失うのは100万じゃ済まなそうだが?」
「この金の亡者が」
悔しげに呻いたエルバリオだったが、レブに向かって再びまばたきを二度した。
「まいどあり」
後はせいぜい、派手な太刀回りを見せて、観客を喜ばせ、エルバリオに負けてやるだけだ。
観客も納得するし、エルバリオは名誉が保たれ、レブは屋根の修理代としばらくの生活費が手に入る。
誰もが得する、素晴らしい案だった。
いったん距離を置き、レブは槍を振る。エルバリオはそれを避ける。
エルバリオも伊達に前年度優勝者なわけではない。
レブが少し芝居をすれば、それに対応するだけの力を持っていた。
レブの動きに合わせて、エルバリオは剣撃を打ち込み、レブの槍をかわす。
それが二合、三合と続き、観客は興奮して大声をあげる。
エルバリオもこうして対応できるだけの技量があるということだ。
――勝ちを期待されるというのは大変だな。
変なところでレブはエルバリオに同情した。
ここいらが頃合だ。
レブは槍で突く際に、あえて左肩に隙を作った。
そして間合いを詰める。
エルバリオの両手剣が、吸い込まれるような無駄のない動きで、レブの左肩を打った。
勢いよく傾いたレブは、槍を持った両腕を動かして、腹に打ち込む空間を作る。エルバリオにもわかったようで、そこを打った。
見る者には強打したように見えるだろうが、その実、レブに触れただけに近い。そこにエルバリオの腕前と、心の中の最後の砦をレブは見た気がした。
そのまま、レブはばったりと倒れ込む。
これで誰の眼にも、勝ちを焦った若者が仕掛け、熟練の騎士が迎え撃ったという風に見える筈だ。
「勝者! サー・クレオ・エルバリオ!」
審判が勝者を告げると、観客は総立ちになる。優勝者に向かって叫び、拍手をし、興奮した若者同士が殴り合いを始めている。
スタイベルニス公爵も満足げに拍手している。
――しめしめだぜ。
レブも満足だ。頬に当たる石の床はざらざらとしているが、金のことを思えば、瑣末なことで、気にならない。
以前も書きましたが、1ゴオル=1円です。