第6話 レブ、落ちている金を拾いに行く。
「いい天気だなあ」
レブはティコを肩に乗せ、武闘会会場への道をぶらぶらと歩いた。
石畳の道は日の光を受けて白く光っている。
今日は、スタイベルニス公爵主催の武闘会が開催される。そのせいで、街はいつにも増して活気がある。
レブたちが目指す場所は、演劇の舞台としても使われる競技場だ。
大通りの左右は、白い壁の家々が連なり、初夏の陽気を受け止めているところだ。
その建物の手前には、見物客目当ての屋台が、無数に軒を連ねている。
簡易なテント布の屋根と、木の板でしきられた店構えで、売り物は軽食、酒、民芸品などだ。
どの店にも、お祭りのような雰囲気に当てられて、財布の紐が緩くなった見物客たちが群がっている。
「レブさま。イカの干したのがある。あれ買うて」
肩に乗ったティコがレブに囁いた。
一つの屋台では、干して乾燥させたイカが、火であぶられ、香ばしい煙が立ち上っている。それがレブとティコの鼻先をくすぐるので、二人はうっとりとした。
「いい匂いだけどな。あれは駄目だ。前に食って腹痛くしただろ」
「あれはたまたまやって。今日は体調もええし、うち、いけそうな気がするんよ」
「いやいや。体調の問題じゃねえんだ。干したイカはな、お前の腹ん中で水分吸収して膨れるだ。それで腹が痛くなるわけだ。体調は関係ねえ」
「ほんなら、焼いてなければええん?」とティコが言う。
「生のイカを食うと猫は腰を抜かすって言うからな、なおさら駄目だ」
「レブ様。あっちの土産物屋に石が沢山並んどるよ」
「人間ってこういうの好きだよな」
店先に水晶、紫水晶、黒真珠、黒曜石と、魔力を持つ石が並んでいる。それらは細工され、首飾りや指輪に腕輪になっている。
魔力を持つものが使えば効果がある品々だ。魔族も人化している時には、身に着けるものもいる。
その中に珍しい物をレブは見つけた。
「雷管石じゃねえか」
「なんなんそれ?」
「砂漠に雷が落ちるだろ、砂ってのはたいてい石英が混ざっててな。雷の持つ力が石英を溶かすんだよ。で、また冷えて固まる時に回りの砂も巻き込んで固まって、石になったのがこの雷管石よ」
「へえ。そうなん」
「で、人間はそれをありがたがって、身につけるって話だ」
「雷なんて、勇者が使う魔法じゃろ? うちらには関係ないわいね」
「まあ、そうだな」
子猫の興味はすぐに食べ物に移る。
「なあなあ。焼き鳥やったら、うち食べてもええ? ねぎまのたれの匂いが甘うて、うちは、はあたまらんよ」
うっとりとした表情で、たれより甘い声をティコは出した。
「ネギなんてお前、猫に一番駄目な食いもんだぞ。あれは血が溶ける」
「そうなん? ほんなら、うちが人間の時だったら、どうなるんかいの」
使い魔であるティコは、普段は黒い子猫の姿だが、用事によっては人間の姿になる。魔族の年齢に応じて人の姿になる為、その姿は五才か六才の幼い女児である。
――てえことは、お袋は、まだ若い方なんかな。
レブの親ネリウムは太古の龍だが、人に変化する際の姿は、青みががった銀髪の妙齢の美女である。
「どうなるか試さねえ方がいいぞ。失敗すっとお前は命を失うし、俺は使い魔を失うからな」
「八番目のマーさんは、イカとかネギ食べてもええん?」
マンティコアの胴体は獅子であるから、猫科ということになるのだろうか。
そもそも猫と獅子は違うもののような気もするが、興味深いところではある。
「おもしれえな。次に八番目のマーさんが俺の前にのこのこ現れやがったら、イカとネギを口に突っ込んでやろうぜ」
二ヤーリと。
レブとティコは、悪い顔で笑いあった。
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武道会会場は、円形の競技場であり、演劇場でもある。
数千人が収容できる規模で、人口四万人の都市としては相当な規模だ。
実際、会場周辺には沢山の人が集まり、フィレノの住民がすべてここに来ているのかというほどの人出である。
特に娯楽に飢えた市民にしてみれば、それを満足させる絶好の機会である。入りきれなかった者もいるが、彼らは競技場の外で酒を飲んで大声で歌い、騒いでいる。
彼らにしてみれば、飲む理由があれば何でも良いのだ。
出場登録をしたレブは、広い控え室に通された。
室内は、百人はいようかという屈強な男たちの熱気で、天井あたりが湿気ている。
レブは木のベンチに一人分の空いたスペースを見つけ、そこに座り込んだ。
――さて、俺の100万ゴオルを邪魔しそうな奴は、と。
ゆっくりと室内を見渡す。
冬眠しそこねた熊のようにうろうろしている者がいて、息を吐く音を立てながら拳を何度も突き出している者がいる。
その辺は一目でレブの相手ではないと判断できるから気にしない。
いかつい顔つきの何人かが、レブと目が合うと威嚇するように睨み付けたり、カモを見つけたとばかりにニヤついた顔を見せる。
この手合いが強いということはないが、苛立ちは覚える。
予選は、十人ほどが同時に戦い、一人だけが本戦に出場できるという、生き残り戦だと聞いている。
レブは、彼らの顔はしっかりと覚え、予選で同じ組になったら、脳天を床に打ちつけてやろうと決めた。
その後も、レブはじっくりと出場者たちを見回した。その中に今回はたまたまなのか
、いつもこうなのか、これはという人間がいない。
――駆け出しクラスの勇者すらいねえのか。楽勝だな。
そんな中で一人だけ、一際目立つ男がいる。
白い鎧甲冑を着込んだ男だ。
顔は四角い。胸の紋章は蓮の葉の上に鶴だ。家紋を持つということは、騎士だろう。
目をつむり、精神を集中しているようで、一見、穏やかな雰囲気だが、その実、座っているだけで溢れんばかりの闘気が押さえ込まれている。
レブの記憶では、この都市で白い甲冑を着るのは街の統治者であるスタイベルニス家に仕える騎士だけだ。
そして鶴に蓮の紋章とくれば、サー(騎士)の称号を持つ、クレオ・エルバリオだ。
アンムーブ(不動山)という二つ名がついていて、戦の際には圧倒的な防御力で敵の攻撃から味方を守るという。
こんな奴まで出るのか、とレブは考えた。
その白い騎士は、少年といっても良さそうな年の金髪の従士に、身の回りの世話を焼かせている。
レブは金が欲しい。
賞金100万ゴオルを貰うのは彼の中では決定事項だ。
だが優勝するのにこんな男にまで勝ってしまうと、名前が売れてしまうだろう。それは後々のレブの生活に支障が出るかもしれない。
レブには人間の世界での名誉など不要だ。金だけ欲しい。
花を咲かせずに実だけを取る手段が必要ということになる。
――どうすっかな。
屋台で買った麦芽クッキーを、レブは手を器代わりにして黒猫に差し出している。
そこにティコが顔を突っ込み、一心不乱にカリカリと食べていた。その彼女の背中を撫でながら、レブは考え込んだ。
ふと、ティコが顔を上げた。
「レブさま。うち考えたんじゃけど、うちも武闘会に出たらどうかいの?」
ティコは使い魔だ。連絡手段であったり、レブの体では入ることができない場所への侵入は得意だが、人型になったところで戦闘力は無いに等しい。
彼女なりに屋根の修理代の工面について考えた上での提案だと思えば、レブの頬は自然と緩む。
「それはなかなかいい考えだな。俺とお前で優勝と準優勝すれば、150万ゴオルだ。屋根の修理代払って、しばらく日雇い仕事しないで済むな。だけど、さっき登録は締め切っちまったからなあ」
「そうなん? ほんなら無理じゃわいね」
「とりあえず今のお前の仕事は、そこらの奴に踏み潰されねえようにせいぜい気をつけることだな」
「りょーかーい」
控え室の外から、連続して打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえてきた。
それが続くにつれて、会場を埋め尽くした客たちの歓声や拍手が、うねりのように膨れ上がり、控え室を圧迫していく。
出番を待つ男たちは、気持ちを高ぶらせた。
誰かが「おーし。やってやるぞ」と言った。その場の誰もが同じような気持ちでいる不思議な一体感がある。
レブを例外として。
彼は魔族だし、見ているものがもっと先にある。
ただ槍を振り回して、帰りがけに100万ゴオルを貰って帰る。今日の予定はそれだけだ。
ふと白騎士を見た。目が合う。
瞳孔がやけに白かった。より正確にいうなら白金の色だ。
レブの瞳は黒だ。人間の瞳には青、緑、茶などの色があるのは知っているが、白金というのは初めて見た。
魔族でも赤や金の目を持つものはいるが、白金は、それこそお目にかかったことがない。
サー・クレオ・エルバリオは背筋を伸ばし、イスにどっしりと腰掛けている。その金属的な光沢を持つ瞳が、じっとレブを見ている。
お互いに視線を逸らさず、相手をじっくりと観察する。
戦いとは武器を交える前から始まっているものだ。それは前哨戦のようなもので、情報戦でもある。
自分が得意な間合いと相手の得意な間合いは同じなのか違うのか。
得意な武器は何か。
奥の手は持っているのか。
自分のフェイントに引っかかるだけの技能があるか、もしくは無いせいで、フェイントが無駄になることはないか。
そうした情報があるのとないのでは、勝敗の帰結に大きな違いが出る。
参加者の中では、サー・クレオ・エルバリオが一番の強敵だと、レブは再び認識した。負けるとは思っていないが。
――ぱぱっとやって、ささっと帰ろう。
それがレブの今日のテーマだった。
次回は武闘会の話です。