第26話 太古の龍ネリウム・オリア
しばらくの間、レブはフィレノの街を適当に歩いた。マミコの怒りが収まるのを待つ為だ。
街には既に夜が訪れている。
フィレノの人々が寝静まる頃だ。流石にもういいだろうとレブは自分の部屋に戻ることにした。
ティコは、まだ帰ってきていなかった。
自分がマミコに吹っ飛ばされた時、自室の天井を覆うテント生地がはがれている。雨が降ったら部屋が水びたしになってしまうだろう。
元に戻そうと、レブは机の上にのった。そこから大穴の開いた天井を伝って、屋根に上がる。
夜の風が心地よい。屋根をふさぐ前に、レブは隣の屋根の上にあぐらをかいて座り、吹く風を楽しむことにした。
魔族は、誰にも邪魔されない、一人の時間を好む。
風が彼の髪に絡まって遊ぶが、そのままにしておく。
南の空に目をやった。
城壁に遮られ、視線はそこで止まるが、空はどこまでも続く。
その向こうには魔界門があり、その門を潜ると、レブがいつか帰る場所、魔界があるのだ。
こんな夜は、なんとなく、すぐに寝るのが勿体無い気がした。
レブはティコの主君であるから、彼女を待たずに寝てもいいのだが、待っていようと決めた。
逆の立場であれば、ティコはレブが返るまで絶対に寝ることはない。ならばレブも同じことをしてもいいだろう。
気づけば、風が強くなっている。
その中に強烈な魔力と気配が混ざっていることにレブは気づく。
南から、何かが来ている。
「こりゃあ、うちの魔王軍の誰かだろうな」
方角からいって、それしかない。
それは、夜の高いところを飛んでいるようだ。
速度は相当なもので、レブが肌で感じる魔力が、どんどん高まっていく。
それにつれて、レブは段々と楽しくなってくる。
たぶんウィルがいたら鼻血を出して卒倒するレベルの強い魔力だ。
「おいおいおいおい。こりゃ、すごい奴が来そうだな」
そして一瞬で相手に気づく。この感覚を知っている。
レブは無意識に立ち上がると、しっかりと足を踏みしめ、待ち構えた。
空気が切り裂かれる音が、連続してレブの耳に届く。
数秒の間をあけて、南から突風がフィレノの街を吹きすさぶ。
気配の主が急降下したことによって生まれた風だ。
その気配はフィレノの城壁のまだ外にいる。
だがレブには、その気配が、暗闇に一つだけ灯る松明のように、はっきりとわかる。
それは巨大な生物だ。
神話の時代から生きるもの。
「お母さん」とレブは呟いた。
白銀に輝く太古の龍、『鉄壁の城』ネリウム・オリアが、フィレノに現れた。
空中で停止していたネリウムが、翼を激しくはためかせて飛ぶ。
街の城壁の直上を通り過ぎるとき、尻尾が城壁に当たったらしく、轟音とともに、壁の一部が破砕される。
四散する瓦礫は、街に落下すれば被害は甚大となるだろう。
考える間もなく、レブはヴェガス(風の砲弾)を次々と撃ち出した。
それらは瓦礫を砕き、撃ち落とす。
それでも小さいものまでは、手が回らない。
一つ、馬車ほどある石の塊が、レブに向かって飛んでくる。この大きさだと岩石と変わらない。
「来い! ディウスク!」
手近な闇に手を突っ込んで魔槍を手にした。槍の石突き近くを両手で握ったレブは水平に振り回す。
「これ以上、俺の家を壊されてたまるか!」
自分を目がけて飛来する巨大な瓦礫を、魔槍ディウスクで叩き割った。
屋根の上にいるレブをよそに、飛行するネリウムは街の中心部にたどり着いている。
夜とはいえ、激しい風と瓦礫の落下で、街では外に様子を見に出てくる人も現れる。
「なんだあれは!」「りゅ、龍だ! 龍が襲ってきた!」
まだ空中にいるネリウムは、混乱している人々を無視して、口から火炎を吐いた。
その勢いは激しく、炎は街の城壁にまで達する。太古の龍はその場で体をぐるりと回転させる。吐き出す炎が、それに合わせて円を描く。
フィレノ上空に、街を囲むほど巨大な、火炎の輪が出来上がる。
その炎は強烈な勢いにも関わらず、燃え尽きることがない。いつまで経っても消える様子を見せない。
街は、もう太陽が昇り始めたのかと錯覚をしそうな、明け方の明るさになっている。
発光源は炎であるから、気温も数度上がる。
「登場の仕方が激しいな」
レブは、感心しつつ、悔しくもある。
魔族は派手好きであるが、自分以外にやられると、素直に認められないものである。
ネリウムは、首をあちらこちらと巡らせている。
炎に照らされ、白銀の龍は鱗を赤々ときらめかせている。
龍は、目視と気配でレブを探しているようだ。
レブは、一瞬だけ魔力を高めた。ネリウムの目には、間欠泉が吹き上がったように見えた筈だ。
地べたで騒ぎ、逃げ惑う街の人々を完全に無視し、はばたくネリウムは、ゆっくりとレブの所へとやってくる。
二人の距離が数マートルほどにとなったところで、龍は自分の息子の顔をじっと見る。
――レブ。
母が精神感応を使い、レブの脳内に直接語りかけてくる。
「ちょっとレブさん、五月蝿いわよ。何時だと思ってんの!? って、龍!? ええ!?」
文句を言いに、外に出てきたマミコが驚いた声を上げている。
五月蝿いのはお互いさまだろ、とレブは言いたいところだが、彼女に気を取られると、ネリウムから意識がずれるので言えない。
相手は親とはいえ、この状況で集中が削がれると、レブの命が無いかもしれない。
――街の外に行こうぜ。ここじゃ、目立ちすぎる。
――いいでしょう
あっさりと応じ、長い首を元来た方へと向けた太古の龍だったが、振り返ってレブを見る。
――まさか、逃げないでしょうね。
――俺が逃げるわけねえだろ。くそばばあ。
言った瞬間、ネリウムの長い尾がレブの体に巻きつき、そのまま龍は街の外へ飛ぶ。
風圧に顔を歪めながらレブは思った。
――これは俺、死んだかもしれねえな。
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街の外まで連れ去られたレブは、城壁を越えたあたりで、空中に放り捨てられた。
レブは落下しつつも体勢を整え、地面に着地する。
その勢いで彼の足元には、放射状にひびが入る。それは幾つもの黒い稲妻のようだ。
レブから少し距離をおいて、太古の龍ネリウム・オリアは大地におりてきた。
レブを警戒してのことではない。そうしないと彼女の視界にレブが入らないのだ。
たとえ相手が自分の子供であろうと、ネリウムは前足と後ろ足を胴体の下に入れるという、龍特有の儀礼的な座り方をする。
それを見て、レブはネリウムが来た理由がわかった。
「レブ。話があります。座りなさい」
夜の街の外である。人の気配がないので、音声で会話することにしたらしい。
つまり、先ほどはレブの正体がバレぬよう、気遣ってくれたということだ。
そういう親の気遣いがくすぐったくも鬱陶しいのは、魔族も人も変わらぬところである。
そして、母は巨大だ。立っているレブと、龍である母の顔が対して変わらぬ大きさである。レブは母の鼻先でも、力むことなく立っている。
「いや。俺はこのままでいいよ。話なんて俺の方にはねえし」
「好きになさい。それはそうと単刀直入に言いますよ。いいですか、レブ。ラーゴン様の下につきなさい」
「それか。八番目のマーさんとかフェザンに、俺を配下にしたいなら、ラーゴンが直接来いって言ったんだけどな。聞いてないか?」
「一軍の大将が、わざわざお前の為に動くわけないでしょう」
「それはそっちの問題だろ。俺の問題は、恐れてもない奴の下にはつけないってことなんだよ。俺より強いってんなら俺に勝てって話だろ」
「ナーク様に付くわけでもなく、ラーゴン様の下に付くわけでもないなら、お前は一体、どうしたいというの」
「ラーゴンが俺のとこ来て、下についてくれって頼むなら考えないでもねえよ」
そこまで言ったレブの胸のどこかに引っかかっていた何かが、すとんと落ちた。
「ああ。そういうことか。お母さんは、ラーゴンに頼まれて、奴の下に付いたんだな」
でなければ、ネリウム・オリアが魔王の息子の下につくとは考えにくい。
「ええ。シャルク様が亡くなる前から、ラーゴン様には、自分を魔王として盛り立ててくれと頼まれていました」
「ナークに決まるより先にか?」
ネリウムは長い首を縦に振って頷いた。
「そうです」
「それで息子もラーゴンの配下につけようって考えなんだな」
「レブ、今のままでは誰もが納得する結果は生まれませんよ。ラーゴン様、ナーク様、リゲータ様の誰かが勝ち、他は敗北します。殺さずに追放、ということもあるかもしれません。ですが、その配下には多くの犠牲が出るでしょう。それでいいのですか。お前がラーゴン派に入れば、戦わずしてことを収めることも可能となるでしょう」
今の魔王軍は三つに分散している。単純計算で、各軍は元に比べて戦力が三分の一になっているということだ。
それぞれが覇権を巡って争えば、どの派閥も弱体化することは避けられない。
「無駄な争いは避けるってことだな。お母さんらしい。だけどよ」
レブは、母と正面から向き合った。
「誰一人として、大局を見てねえよ。三代目はナークだってシャルク様の遺言だろ。それにラーゴンとリゲータは異を唱えた。これはシャルク様の遺志を裏切ってることにならねえか」
「ならば、なぜお前はナーク派につかないの」
「それなんだよなあ」
レブはそっぽを向いた。頭の後ろに両手を当てて、そこらをぶらぶらと歩く。まるで昼過ぎに散歩でもしているかのような風情である。
「俺にとって魔王ってのはシャルク様だけなんだよ。三人の息子っても、俺は直接シャルク様から誰につけって頼まれてもねえしな」
「お前は拗ねているのですか?」
「そこまでガキじゃねえよ。けどな、少なくとも、俺は魔族だ。母親によ、こっちにつけと言われて、はいはいって言うこと聞くわけにゃいかねえな。俺は、俺の内側から生まれてくるものに誠実でありたいんだよ」
「では、仕方ありませんね」
ネリウムは、ため息をついた。
それは、夜のように深いため息だった。
「レブ。死になさい」
なんとなくそういう結論になることはわかっていた。だからレブの反応は素早い。
ネリウムが、至近距離からレブに向け、子牛ほどもある火球を口から高速で吐く。
レブはヴェトリブナ(風の台)を踏みしめ、高く飛んでそれを避けた。
空中で闇に手を入れ、魔槍ディウスクを掴む。
一瞬、龍の火球で、辺りは昼間のように明るくなる。
その時には、レブは走ってネリウム・オリアから大きく距離を取っていた。
何の為か?
逃げる為ではない。
戦う為だ。
母である龍は大きく、体力や魔力的にはレブよりもあるだろうが、だからと言って逃げ出すほどではない。
まさか親と戦う日が来るとは思ってもみなかった。たぶん、ネリウムも子供と戦うことになるとは今日まで思っていなかっただろう。
「お母さんは強いからさ! 俺は手加減できねえぞ! 殺しちまったら、ごめんな!」
ヴェガス(風の砲弾)を次々と太古の龍に撃ち込む。
できればネリウムが空を飛ぶ前に決着をつけたい。龍の血を飲んで育ったレブは龍の力を幾つか持つが、空を飛ぶ能力は持っていない。
弾丸は高速で、ネリウムの横腹に二発、三発と命中する。
効いているのかいないのか、母の表情からはわからない。
龍が長い尾を使って、レブをなぎ払おうとするのを、魔槍ディウスクで正面から受けた。勢いに逆らわず、飛ばされておく。
垂直に跳躍して避けると予測していたのか、ネリウムは今までレブが立っていた場所の上の辺りに噛みついた。そのまま飛んでいたら食われていたというわけだ。
これでレブはネリウムの攻撃に対して、避けるか受け流すかと二つの選択肢を手に入れたことになる。
それがネリウムにもわかっているから、読み合いになる。あとは深く読みきった方が勝つ。
「この親不孝者が!」
ネリウムに向かって走るレブを目がけ、火球が飛んで来る。
それをすんででかわしながら、レブはなおも走る。レブの髪の先を火の粉がちりちりと焼く。
「あちち!」
火の耐性があるから熱くはないが、ついレブはそう口走ってしまう。
走りながら飛び上がった。勢い良く宙を滑空したレブは、母の頭上まで一気に間合いを詰める。拳を固く握りしめ、太古の龍の角と角の間、すなわち脳天を殴りつけた。
鈍く激しい音がする。
「あたた」今度は本当に痛い。「ばばあ、石頭にもほどがあるぞ!」
「母親をばばあ呼ばわりとは、そんな育て方をしていませんよ!」
再度、龍の口から火球が放たれる。空中のレブは避けようがないので、ヴェガスを射出する。
二人の魔力がぶつかり合えばどうなるかレブには予想できる。
彼は素早く、右目だけ閉じた。
火球と風の砲弾は爆発し、火球との時よりもさらに激しい光が辺りを照らす。
「くっ」視界を奪われたネリウムが顔を振る。
レブは視界が白くなっている左目を閉じ、代わりに閉じていた右目を開けた。
はっきり見える。走り、魔槍ディウスクを振り先端に遠心力をつけ、自分も飛び上がる。空中で一回転して、遠心力を槍に乗せ、威力を増幅する。
手加減はできない。倒しそこなえば、太古の龍はラスト・ヴィニーテ(最後に来るもの)により、今よりもさらに強くなってしまう。
渾身の力で、レブは槍の石突の側で龍の首を殴りつけた。
一拍の間がある。
獰、と太古の竜は倒れた辺りが揺れ、轟音が響き渡った。
レブには、一撃必倒の威力だった確信がある。ラスト・ヴィニーテ(最後に来るもの)はない。
自分でやったことではあるが、母が倒れる様を目の当たりにしてレブは慌ててしまう。母のそんな姿は、今まで見たことがない。
「お母さん! 大丈夫か!?」
レブは、母の顔の傍に駆け寄った。
「やったのはお前でしょうに」
目は閉じているが、ネリウムはまだ生きている。レブの攻撃によって、すぐには起き上がれないだけのようだ。母の声を聞いて、レブは胸を撫でおろした。
「そうなんだけどよ」
――良かった。
素直に口にできない言葉だ。
だが、時に彼の母は強烈である。
「私の負けですね。さあ。殺しなさい」
「馬鹿言うんじゃねえよ。俺に親殺しさせる気か」
さっきまで殺し合いをしていたのだが、もう二人とも殺気が消えている。
「お前をラーゴン様のところに連れ帰るつもりだったのですが、それもかなわないようです。なら、死んで責任を取るしかないでしょう」
「何言ってやがんだ。お母さんには長生きしてもらわねえとよ。どうせ俺のが先に死ぬんだからよ」
人型魔族の寿命は、百歳を超えることは滅多にない。ひるがえって、竜は数千年を優に生きる存在だ。
「レブ……」
自分を見る龍の瞳を少しの間、見つめ返したレブは、そっぽを向いた。何でもない風を装って言う。
「そんで、もう一回生まれることがあるならよ、俺はもう一回、お母さんの子供になりてえもんだ」
ネリウム・オリアは目を見開いた。
照れくさいが、彼の心情を理解してもらうには、言わなければならないことだ。
「なあ、わかってくれよ。俺はもう一回生まれても、従う魔王はシャルク様だけだ。さらにもう一回あるなら、その時には他の誰かを考えてやってもいいけどな」
「本当に、どうしてそんな風に育ったのかしら。好きにするがいいわ」
それは突き放すのではなく、レブの背中を押す為の言葉だった。
だからレブは笑う。
「お母さんの教育だろ。そして俺は、今の俺を気に入ってんだ」




