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勇者がくるまえに  作者: ジャン・黒冬
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第23話 熊に法は適用されるのか

 レブは、仰向けに倒れたまま動かないウィゾルのかたわらに立ち、魔槍まそうディウスクを頭上に構えた。


 このまま胸を刺し貫いてしまえば、ことは終わる。


 しかし。


「レブさん。駄目です!」


 ジャンナに背後から飛びつかれ、レブの体は逆エビに反る。


「うおう!」


 そのまま、押し倒された。


「な、何しやがるんだ!」


 いきなり後ろから飛びかかられるとは思っていなかったので、けられなかった。


 まだレブに抱きついたままのジャンナが言う。


「殺してはいけません」


「はあ!?」


 一瞬、何を言っているのかと驚いたレブだが、すぐに気づく。首をひねってウィルを見た。


「悪い悪い。お前の仇だもんな。お前がらなけりゃ、意味ねえよな」


 よっこいせ、と自分の腰にしがみついたジャンナをどかし、レブは立ち上がった。


「俺の槍は使い手を選ぶから貸してやれねえんだ。お前も従士だ。自分の短剣くらい持ってんだろ」


「え? いえ」ウィルは目をぱちくりとさせた。「逮捕された時に取り上げられてますから……」


「そういやそうだな。あ、そうだ。三日月刀シミター、スケルトンたちが持ってるだろ。あれ取って来いよ」


「レブさん」


 ジャンナが言うが、レブは聞いていない。


「三日月刀ってのは突くより斬る方が上手くいく武器だからよ。心臓を突くってより、首を切り落とした方がいいんじゃねえかな」


「あの、レブさん」


 ジャンナが再度言うが、レブは聞いていない。


「かっこつけて振り下ろしても、首の骨ってのは案外と硬くてな。なかなか斬れないことが多いんだ。むしろ首に刃を直接あてて、両手で押し込むっつうか、全体重を乗せる感じで行くと、一回で斬れるらしいぜ。かたきといえど、無駄に苦しませて死なせるのはらぬうらみをかうこともあるからよ」


 レブが手まねで首を落とす仕草をしてみせていると、ごうを煮やしたジャンナが、レブの耳をつまみ、大声で呼んだ。


「レブさん!」


「うおう!」


 たまらずレブは身をのけ反らせ、耳を抑える。鼓膜が破れるかと思った。


「何だよさっきから。人の耳元で大声を出すんじゃねえよ」


「レブさんこそ、さっきから何を言ってるんですか」 


「俺がこいつの仇を横取りしたから怒ってんだろ? すまねえな。そんなつもりはなかったんだ。ちょっとりきんじまったっつうか」


「殺してはいけません」


「えー。何で?」


「何でって。この男は今、自分がサー・クレバリオを殺した犯人だと自白したんですよ。それをあなたが殺してしまったら、誰がウィルさんの身の潔白けっぱくを証明するというのですか?」


「そんなことは、お前が証人になればいい話じゃねえか。スタイベルニス家の娘なんだろ? そのお前の話を誰が疑うってんだよ」


「家と私は関係ありません!」


 ジャンナの金色の髪が逆立った。


 それは短い時間のことだったが、レブはこれに似た状態を他で見たことがある。


 使い魔のティコが怒った時だ。


 ――何を怒っているのだろう?


 理由がレブには皆目かいもくわからない。


 わかるなら対処のしようもあるが、わからない時には下手に逆らうのは得策ではない。


「そうは言うけどよ。こんな奴、生かしておいても、いいことなんざ一つもねえぞ」


「レブさんやウィルさんがやることではないと言っているんです」


「でも戦争が起きたら、人間同士で殺しあったりするじゃねえか。前の国王の首をねたの、今の国王だろ?」


「そうだとしてもですよ。人を殺すということは、その人の業を背負うということになりますよね。お二人がそこまでする必要があるんですか?」


「あるよ。ウィルはあるじを殺されてるんだからよ。なあ、ウィル」


「は、はい……」


「ですが、レブさんには無いですよね」


「まあな。でもな、こいつは不眠の王ラフインの手下だろ。てえことは魔族なわけよ。勇者が魔族と出会って、毎回捕まえては逃がしてるか? そんな話は聞いたことがねえぞ。最終的に魔王を倒すって言っているけどな。それって殺すって言葉を言い換えてるだけで、目指してることは殺しなんだぜ」


「う」とジャンナは詰まった。


 彼女は勇者である。駆け出しではあるが。そこまで先のことを、彼女は考えていなかったのかもしれない。


 レブは違う。


 いつ自分が勇者に殺されるかもわからない。


 予言では、千年後に魔族は人間に滅ぼされると言う。そうした状況下で生きている。


 だから、自分を殺そうとした相手を殺すというのは、善悪の問題ではない。


 こちらがそうするつもりがなくとも、相手が自分を殺そうとしてきた時、むざむざられるつもりはない。


 ジャンナにはそれがわからないらしい。どうしてわからないのかとレブには不思議でしょうがない。


「こいつはな、俺たちを殺そうとしたんだぞ。それをこっちは殺さないでいたらどうなる? いざとなれば俺たちを殺す、って奴らが増えることになる。だからよ、相手がそういうつもりでいるなら、こっちもるぞって姿勢を見せておかねえと、むしろ無駄な争いが増えちまう。俺たちは甘くねえってとこを、ここで見せておかねえとな」


 本当は余所よその魔王の配下であるのがわかった時点で、レブとしてはウィゾルを消しておきたいというのが本音だ。


 西の海の魔族が、海を越えてやって来たということはだ。


 侵略者ということだ。


 断固だんこたる対応をしなければ、甘く見られ、それがいつか命取りになる。


 だが、それを言うと自分が魔族であることはバレてしまうので言えない。忸怩じくじたる思いである。


 そんなレブの心中を知らず。ジャンナは言う。


「私たちが殺さないだけです。彼はウィゾルといいましたか、司直の手に渡して、法の判断にゆだねます。彼の行いの報いは、そこで受けることになります」


「ふーん。こいつ魔族だぜ。それを人間の法で裁くのか?」


「ええ。法の手が及ぶ範囲であれば、相手が魔族であろうと、法が裁きます」


 ――マジメだ。この女はマジメだ。


 そう思ったレブは、悪い癖が少しばかり出てくる。構いたくなるのだ。


 これをティコにやって、いつも怒られているというのに、どうしても治らない。一種の病気なのだろうと自分でも思う。


「じゃあ聞くが。このフィレノの街に熊が入り込んで人を殺したら、どうするんだ。殺さずに捕まえて、法で裁くのか?」


「それは……」


 ジャンナは詰まったが、それも一瞬のこと。


「意思の疎通そつうができるかどうかだと思います」


 この切り返し、馬鹿というわけではないんだな、とレブは素直に思った。


 しかし、彼女はまだレブの手中である。


「魔族が意思疎通ができるというなら、何で魔王を倒そうとするんだ? 話し合いで解決したらいいじゃねえか」


 これには、流石のジャンナもすぐには答えが出て来ない。


 レブとしては、魔族と人間が、話し合いをするのか殺し合いになるのか、どちらでも構わない。


 物騒な予言が回避できるのであれば、なんであろうと構わない。


 だから、彼女がどんな考えを持っているかを知ろうというだけだ。


 人を知る為には、広く様々な考えを聞いておくべきだろう。


 傍から見ていたウィルが口を挟んでくる。


「レブ様。やめてください。今はジャンナ様と言い合いをしている場合ではないと思います」


 そんなつもりはレブになかった。レブが口を開く前に、ジャンナが言う。


「私は言い合いだと思っていません。ですから大丈夫ですよ。ウィル。これは討論です。お互いの価値観を否定するのではなく、理解する為に必要なことなのです」


 ジャンナも、冷静であるようだ。


 それでレブも高揚こうようした気分から覚める。少し調子に乗り過ぎたようだ。これがティコだったら怒られているところだ。


 レブはあまり重くならない程度に、謝ることにした。


「悪いな。俺もお前をやり込めようとしたわけじゃないんだ。ただお前がどう考えているかを知りたかっただけなんだ」


 非は非である。相手が誰かは関係ない。レブ自身がどう思うかが重要なのだ。


「わかっています。私も感情的になったところがあるかもしれません」


 この件はこれで手打ちだ。


 レブは、ウィルに尋ねた。


「ウィル、本当にいいのか。お前の手でかたきとらねえのか」


 従士が主の仇を取るのが騎士道の習いであったのは過去の話だ。


 主君、恋人、友人などの仇を討つのが善とされていたのは、前王の治世ちせいまで。


 今この国は、法の秩序が重んじられている。


 だが、法とは人にかくあれと行動を制限するものであるが、心はそれに縛られない。


 どう生きているかと、どう生きるべきかは別のことなのだ。


 法であだ討ちが禁止された後でも、仇討ちは正当な権利であるとして、実行する者も少なからずいる。


 もっとも、レブには関係が無い話だが。


 ウィルがそうしたいか、したくないかだ。


「わ、私は、法の裁きを望みます。というのも、私がこの者を殺して仇を取ったとしても、人々は罪をなすりつける為に私が殺したのだと思うかもしれません」


「ああ」レブは納得し、少しばかり少年従士を見直した。「そういう考え方もあるかもな」


 弱い子羊だと思っていたが、ちょっと弱い子羊だったようだ。


 そうと決まれば話は早い。


「よし。ふん縛っちまって、警邏けいらに突き出すぞ。ジャンナ、証人になってくれよな。俺らで捕まえたんだからよ」


「は、はい。私たちで捕まえましたよね」


 ジャンナはやけに強く『私たち』と言った。


 それが何を意味するのか、レブには何となくわかった。彼女はレブに仲間意識というものを抱いているのだ。


 だが、彼女は人間で勇者である。あえてそこは流しておくことにする。


 今回は同じ側で戦ったが、基本、魔族は勇者と敵同士なのだ。

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