第15話 先客万来
「レブさまじゃん。何やってんの?」
いつのまにか、レブとダフネのそばに、少年が一人立っている。
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少年の体の向きは、何故かレブたちとは明後日の方向だ。
顔だけひねって、レブたちを見ている。
白いシャツに白い半ズボン、高級そうな革のサンダル。いいとこのおぼっちゃん風に切り揃えられた黒い髪。少女のように細い面差し。だが目の光は暗く。彼がまとう空気は鋭利な刃物のようで、それがレブの頬を撫でた。
血が出たかとレブは指で自分の頬をなぞってみたが、血はついていない。レブは笑ってから、少年に目を戻した。
「お前、すげえ殺気だすんだな」
そういって、ダフネに絡めとられていた腕を動かして、彼女から離れた。
ハーピーは名残り惜しそうにしているが、レブとしては、ある種、助かったという気持ちもないではない。流石にリゲータから魔杯をもらうというのは無い。
次に問題となるのは、目の前の少年が、魔王の息子たちの誰の配下であるかだ。
だいたいの予想がレブにはついているが。
レブが何か言う前に、少年が先に口を開いた。相変わらず、体は明後日の方向を向き、首をひねってレブを見ている。
「なんでレブさまは、ラーゴンさまの配下につかないの?」
予想どおりだった。この少年は、ラーゴンの手下だ。
レブは少年に対して、先に名を名乗れとは言わなかった。どうせ魔族だ、するべきことは決まっている。
「あいつがその器じゃねえからよ。お前、しょうもない奴の下につきたいか?」
「誰も最初から魔王に生まれたりしないでしょ。後から魔王だと認められることもあるんじゃないの?」
「じゃあ、そうなったら呼びに来いよ。俺も同じこと思ったら、ラーゴンの下についてもいいぜ」
「今じゃないと駄目なんだ。だって、ナークさまが魔王の玉座についてるんだから!」
「じゃあ、俺のところに来なきゃいいじゃねえか。誘いに来てくれって、俺は頼んでねえだろ。八番目のマーに俺は言ったんだがな。お前は聞いてねえのか? 話があるなら、ラーゴンが直接来いってな。お前いつからラーゴンになったんだ」
「ラーゴンさまは動かないよ。他にもやることが山ほどあるんだ」
「奇遇だな。俺も同じで忙しいんだ。お使いご苦労。帰っていいぞ」
「何言ってんのさ。そんな阿呆鳥にくっつかれてデレデレしてるのがそんなに忙しい? そんなわけないよね」
「はあ? あんたみたいなガキに、阿呆鳥とか言われたくないんですけど。あちし」
ダフネが、獲物を見つけた猛禽類の目つきになる。
「お前ら、面倒だからケンカならよそでやれ。つか、ダフネ、とりあえずお前帰れ」
「えー」とハーピーのダフネは不満げな声をあげた。
「えー。じゃねえよ。お前の話、考えといてやるからよ」
これは嘘だ。レブは、誰の配下になるつもりもない。
「レブさま、ほんとに考えてくださいよ。あちしら、待ってますからね」
そう言って、ダフネは、若い女の姿からハーピーの姿に戻ると、空へと舞い上がった。
「あいつ、馬鹿だね」
少年が、飛び去る鳥女を見上げて、ぽつりと言った。
「そうだな」レブも同感だった。「こんな明るい時間に、人間の街で元の姿になるなんてな」
どうなるかという想像力がダフネには無いらしい。
「まあ。いいや。俺も帰るわ。じゃあな」
何気なく言った風を装ったのだが、少年に呼び止められた。
相変わらず、レブのいる方とはまったく違う方向に体を向け、顔だけレブに向けている。
「待ってよ。八番目のマーさんやった癖に、ただで済むと思わないでよ」
「首、そんなにひねってて、痛くならねえのか。えーと」
初対面だから何と呼べばいいのか、レブにはわからない。
「僕はフェザン」少年は名乗った。
空に浮かんだ雲が、太陽の前をゆっくりと通りすぎる。
再び太陽が顔を出した時には、フェザンの影が濃くなる。人の形をしていた影は、一度弾んだように見え、その後、犬に似た形に変わる。
レブはその名前を聞いた覚えがなかった。
だが、種族はわかる。
「フェザン。お前。コロコッタだな」
コロコッタは、狼のようで獅子のようでアナグマのような怪物の名だ。
大きな口の中には歯ではなく、一つながりになった骨があり、それであらゆるものを噛み砕く。
「よくわかったね。僕のことなんか知らなかった癖に」
「癖にって言うなよ。聞いたことくらいはある。何か見るときは体はそっぽ向いて、顔だけひねって見るって聞いたことがあるからよ」
「これは癖なんだよ」
「それで? 八番目のマーの仕返しにでも来たのか?」
「僕がじゃないよ。頼まれて使いで来たんだよ。八番目のマーさんにみんな結構義理があるからね。レブさまにやられたって聞いて、そのままになんてできないよ。レブさまがラーゴンさまにつくなら、仲間になるから我慢したかもしれないけどね。仲間じゃないなら、やっちゃってもかまわないよね。なんなら、僕が噛み砕くよ」
――面倒くせえなあ。
レブは思わずため息をついた。
「そういうのが面倒だって俺は言ってんだよ。な? 俺がお前を返り討ちにすんだろ? そうすっとまた次の奴が仕返しにくんだろ。こっちも忙しくてな。お前らが気の済むまで相手してらんねえんだわ。だから、ラーゴン本人だったら相手してやるって言ってんだろ」
「ラーゴンさまが出るまでもないよ」
少年の姿をしたフェザンがぐっと歯を食いしばってみせた。先ほど噛み砕くと言ったのは何かの比喩ではなく、実際にそうするつもりであるようだ。
「第一、上の判断なんかいちいち待ってらんないよ。ムカついたからやっつける。それが魔族ってもんでしょ」
レブはそれに大いに同意する。
「それはそうだな。それで? 誰の使いなんだ?」
「クラさん」少年は言った。
「クラさんて、クラットソンか?」
「そうだよ」苛立ったような口ぶりで、フェザンが言った。
――クラーケンのクラットソンか。けっこう大物じゃねえか。
クラーケンは、巨大なイカの姿をした海の魔族だ。四天王には及ばないながらも、シャルクから魔杯を授かっている為、先代の魔王軍の序列では、かなり上位だった。
「で、どこにいるんだ」レブは周囲を見回した。「あいつ、基本的に人化しても海から出られねえだろ」
「だから、レブさまが海まで行ってよ。クラさんが、西の海で待ってるってさ」
レブは呆れてフェザンを見たが、少年の姿の魔族は当たり前のような顔をしている。
「おい。フェザン。お前の顔の横についてんの、それ、耳じゃねえのか?」
「え? 耳だよ。何言ってんの?」
「じゃあ、何で俺が今さっき言ったこと、聞いてねえんだよ。俺は忙しいっつったろ。それが何で西の海まで行かなきゃならねえんだ」
フィレノから街道を西に数キロ行くと、そこからは海である。
そんなところに行く気はレブにない。
「でも、クラさん、レブさまをぶっ潰す為に待ってるんだよ?」
「それはお前らの都合だろ? 俺のじゃねえ」
レブは、まだ魔槍ディウスクを呼んでいない。元からフェザンのことを相手にしていない。
フェザンの方は殺気だっているが、バカではないようだ。
八番目のマーの仇は取りたいが、彼は自分がレブに勝てるとは思っていない。
だからこうして使いのようなことをしに来たついでに、チクチクと嫌味を言って、精神的に嫌がらせをしているのだ。レブにもそれがわかっている。
レブはなんとなく戦う為の気構えにならない。もとから魔族というのは気まぐれというのもある。
レブの心の内を、フェザンはわかっていない。レブもわかって欲しいとは思っていないからいいのだが。
「レブさま。早く来ないと魔王軍に居場所なくなっちゃうよ。だからクラさんにやっつけられて、ラーゴン派に入りなよ」
「心配してくれるのか。随分と親切じゃねえかよ。だが、ナークは着々と組織の土台固めしてるんだろ。そんな時にお前ら俺のとこに来てる暇あんのか? 余裕かましてると、足元すくわれるぞ。だいたい、なんでこの街にお前みたいのが来てんだよ。ナークと人間とで、両面作戦できるほどの軍事力、ラーゴン派にあんのか?」
「やだなあ。時代は変わりつつあるんだよ。レブさま。知ってる? 西の海の先に眠らない王が統べる島があるの」
「不眠の王ラフインだったな? 名前だけは知ってるわ。そいつも魔族だよな」
世界は広い。魔族といっても、レブ達とは別の系統の魔族だ。
「そうだよ。さすがは魔王軍の四天王レブさまだね」
「元だよ。元四天王だ」レブは訂正した。
「ラーゴンさまは、このたび、その不眠の王と同盟を結ぶんだ。それで僕を使者として抜擢してくださった。僕のようなものにそんな大任を与えてくださるなんて凄いことだよ。今はその帰りなんだ。そしたら海でクラさんに会ってさ、フィレノを通るなら、レブさまに西の海に来いって言うよう頼まれたんだ」
レブは無言で少年のフェザンに近づくと、彼の両肩を掴み、じっと顔を見た。
クラットソンのことより大事なことがある。もとからクラットソンはお呼びではないが。
「何さ」フェザンは戸惑いの表情を浮かべた。
「ラーゴンは別の魔王と同盟結ぶのか? お前らは魔王軍を割って出たんだぞ。一つの軍団が三つに分かれて、ただでさえ組織が弱体化してるとこに、外の奴ら入れたら、いいように食い荒らされるだけだぞ」
フェザンは年若いようだから、組織運営や組織防衛という概念がないのはしょうがいないとしても、ラーゴンまでそうだとすると、レブには悪い未来しか思いつかない。
不眠の王ラフインの勢力がどの程度が知らないが、ラーゴン派が飲み込まれるようなことがあれば、魔族と言うのは強欲だから、そのままナークやリゲータたちも飲み込まれないともかぎらない。
となれば、跡目がどうのと言っている場合ではなくなるのだ。
わかっていないフェザンは口を尖らせた。
「そんなこと、やってみなけりゃわからないだろ。きっとラーゴンさまには深いお考えがあるんだよ」
「上ばっかり見て、足元がおろそかになってんじゃねえか?」
「いいんだよ。ラーゴンさまは覇道の先だけ見ていれば」
「先見てるような奴が、今まで接点の無かった奴と同盟なんぞ組もうとするか。ラーゴンの野郎が見てるのは魔王の玉座だけだろうが」
レブは腹を立てた。
ラーゴンも愚かだが、下の奴らも愚かだ。
いったいネリウムは何を思ってラーゴンについたのか。こうした愚策を止める立場の筈ではないか。
人間の戦争では物量がものを言うが、魔族の場合は必ずしもそうではない。魔力の強いものが百万の軍勢に匹敵することもある。
ラーゴンが強ければ、わざわざ海の向こうの魔族に同盟を結ぶ必要など全く無い。
それがフェザンにはわかっていない。
ラーゴン派には、こんな輩しかいないのかと、ラーゴンに対してレブは怒りつつも、少しばかり憐憫の情が浮かぶ。
だからといって配下になる気はない。
――お母さんは、そういうところでラーゴンについたんかな。
レブは育ての親であるネリウムのことを思い出していた。
だが、すべての責任はラーゴンにある。フェザンが甘いのはフェザンの責任だが、組織の甘さは統率するラーゴンの責任だ。
「だいたい、お前、俺のところにのこのこ来やがって、俺がクラさん殺る行きがけの駄賃で、お前も殺っちまおうと思ったらどうするんだ。俺に勝つつもりでいたのか」
「そんなのやってみないとわからないだろ」
「あほか」
そう言ってレブが手を上げると、フェザンがびくっと体を動かしたので、叩かない。威嚇だけで十分だ。
「そういう一か八かはな、ラーゴンの為になるって確信した時だけにしとけ。だいたい、俺に負けたら、使者としての仕事が中途半端になるだろうが」
フェザンが小さく口を開き、驚いている。
――言われないとわからないとはな。
とレブは真面目に相手をするのに疲れを感じる。
「ラーゴンのとこに戻って、まずはお使い終わらせろ」
指で、フェザンのわき腹をくすぐった。ティコにもやっているから手慣れたものだ。
「お前も魔王軍の一員だろ。しっかりしろよな」
「うふふ。うん」くすぐったそうにフェザンが体をよじる。
そこへ若い女性の声がかかる。
「レブ様じゃないですか」
今日は呼んでもいないのに、次から次へと誰かがやってくる日だ。




