第11話 義理は必ず返すべし
スタイベルニス公爵の騎士であり、武闘会優勝者でもあるサー・クレオ・エルバリオが殺されたという話は、次の日には、フィレノの市民に広まっていた。
レブは使い魔のティコに、街の人々の会話を聞いてこさせている。
「どうだった?」
レブが聞くと、彼の膝の上で丸くなった子猫のティコが答える。
「皆、エルバリオのおっちゃんが殺された事件の話で、持ちきりじゃったわい」
「真犯人、わかったりしたのか?」
「レブさまに金貨持ってきた男の子がおったわいね。あの子が犯人じゃゆうことになっとるみとうなのう。レブさまの方はどうじゃったんかいの?」
「一日家にいたけどよ、警邏の奴ら家に来なかったぞ」
あの場に残ったウィルが犯人と疑われ、捕まることは容易に想定できた。
あとはあの少年従士が、レブの存在を取調べの際に話しているか否かが重要だ。
彼が喋っていれば、レブを重要参考人もしくは容疑者として、警邏が来るだろう。
それに備え、レブはいつでも逃げられる準備をしていたのだが、今のところ来ていない。
「てえことは、ウィルの奴が、俺の名前を出してねえってことだな?」
せっかく天井が開いているので、いざとなれば、槍を使ってそこから脱出しようと考えていたのだが。
「そうなんと違うかのう。街の噂でもウィルって子の名前は出てたけどの。レブさまの名前は誰も口にしてなかったけえね」
やはりウィルは、レブのことを取り調べの際に話していないということだ。
レブとエルバリオの接点は、武闘会での決勝戦で対戦しただけだから、殺人が起きてもレブのところまで警邏の手が伸びるとは考えにくい。
あるとすれば、ウィルが自分のことを話していたときだけだ。
だが彼はレブの名を出していないようだ。それはレブとしてはありがたいことだが、どうして話していないのだろう。
仮に、ウィルがあの現場にはレブといたと言ったところで、ウィルがエルバリオを殺していないという証拠にはならない。
むしろ二人で共謀して殺したと疑われたり、技量からいって、レブが実行犯と疑われるだろう。
それでも、嵐の時に船は港を選ばぬというし、身の潔白を示す証人として、レブの名前をウィルが出してもおかしくはない。レブにはそれを非難する気もない。
逆の立場なら、どうするだろうかとレブは考えたが、無意味だった。
彼はたぶん捕まえに来た警邏をぶちのめして犯人探しをするか、もしも捕まったとしても、牢屋もぶち破って逃げるだろうからだ。
「ふーん。なんとなく、ウィルの野郎は俺のことをペラペラと喋りそうな奴だと思ってたがよ」
「他から名前が出るわけはないじゃろうから、レブさまのこと、やっぱり話してないんと違うかのう。どうするん? レブさま」
子猫がレブの顔を見上げた。なんだか楽しげな目をしている。もうレブの答えはわかっているからだ。
「まさか人間にかばわれるとはな。もちろん向こうは俺が魔族だって知らねえだろうけどよ」
「でも、義理ができたじゃろ?」
「そうなんだよ。義理がなあ。できたんだよなあ」
ウィルが喋らないことで、レブには捜査の手が及ばない。
レブとしては、少年従士にかばわれたということになる。
つまりは、義理ができたということだ。
それはレブが望む望まないに限らず、返さなければならない義理である。
魔族とは、裏切り、謀略、理不尽、暴力、それらが渦巻く世界であるが、義理は必ず返す。
そうでなければ、人間にどうこうされる前に滅亡していただろう。
あとはいつ動くかだ。
「この後、ウィルってどうなるか知ってるか?」
「うちはしっかりものじゃけえね。知っとるよ。明後日には裁判があるそうよ。ウィルが犯人じゃと誰もが思うとるけえ、ろくに弁護されずに死刑になりよるじゃろう」
「つうことは、明日中に何とかしねえとマズいわけだな」
「ほうじゃね。ウィルは北の城壁のそばの留置場におるようなの」
黒騎士の鎧は持っていかなくていいだろう。
今回は黒騎士レブではなく、レブ個人の問題だ。魔王軍は関係ない。
暴れるとして、得物の魔槍ディウスクは、闇があるところならどこからでも呼び出せる。だから出かけるにしても、手ぶらでいけば良い。
「じゃ、さっそく明日の朝に行くとするわ」
レブは、近所に買い物でも行くかのような気楽さでそう言った。
「レブさま、顔を隠さなくてもええん?」
少し考えてから、レブは言った。
「行く途中で、マスクくらい調達できるだろ」
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翌朝、レブは家を出た。
街中を歩いていると、そこここで街の人々が会話している。
内容は、クレオ・エルバリオ殺害の件だ。
一体誰に?
動機は?
というのが興味の的のようだ。
ここでも、肉屋の店先で、主人と客が会話している。
「それが従士の少年に殺されたのだとか」
「主君殺しかい。なんともまあ、世も末だね」
そんな会話を聞き流し、レブはただ目的地を目指す。
誰もレブを気に留めないし、彼の名が話題に上ることもない。
フィレノに限ったことではなく、この時代の人々は、どこに住んでいようと刺激に飢えている。自分の生活が脅かされる刺激は求めていないが、自分が安全な範囲で、無責任に好きなことを言える程度の刺激を求めている。
「あの気の弱そうな少年が?」「人は見かけによらないねえ」
などと好き勝手に感想を言い合って、お互いが共感することに意味があるのだ。
それはフィレノでの生活が、平和な証でもある。
今回、人々にもたらされた刺激は、ただの人殺しではない。高名でサーの称号を持つ、クレオ・エルバリオが殺されたのだ。しかも犯人とされているのは従士のウィル。
武闘会を見に行っていない者でも、クレオ・エルバリオの名前は知っている。
あれで顔が四角くなかったら、どこかの姫君と縁談の一つもあっただろうに、と笑い話の種にされるくらいの有名人だ。
従士が主君である騎士を殺すなど、人の世でもこれが初めてのことではないが、そうそうある話でもない。
二人の間にどんな軋轢があったにせよ、殺人にまで発展するなら、その確執は相当なものであったに違いないと人は考える。
動機は金銭か名誉の問題か、それとも痴情のもつれなのか。
人々は妄想を逞しくしている。
レブは、そんな会話に興味が湧かない。彼は魔族であるから、人間同士の殺し合いなど、どうでもよかった。
これが勇者が殺されたり、国王が殺されたりすれば、興味がわく話ではあるが。
「あの気の弱そうな少年がねえ」と、途中で見つけた小さな診療所の前の道で、老人同士が語らっている。
「本人は違うって言ってるらしいけど、じゃあ、誰が犯人だって話だからね。明日の裁判で、死刑になるだろうよ」
黙って話を聞きながら、レブは診療所の裏に回る。
軒先に干されている白衣や包帯に混じって、医者用のマスクが吊るされている。
期待通りだ。
口元が尖っていて、鳥の嘴に見えるマスクだ。この尖った中に香草などを詰めて使う。それによって、呼吸の際に病原菌を吸い込むことを防ぐのだとか。
レブは病の予防をしたいわけではなく、留置場に行くのに顔を見られたくないだけだが。
あたりに人がいないのを確かめて、レブはこれをいただくことにした。
レブがこれからしようとしているのは牢獄破りだ。
その為にどこかでマスクを買えば、その店の人間に顔を覚えられる。それは避けた方がいい。
――ウィルが死刑ね。
レブは心の中で、薬局にいた老人たちの言葉を繰り返した。
街の人々は、すでに従士の死を予感しているが、それではレブが面白くない。
ウィルとは、昨日会ったばかりである。本来なら死のうが生きようが知ったことではない。
だが、それで死なれるとレブが困る。義理が返せなくなるからだ。
捕まったウィルは自分がやっていないと言うだけで、身の潔白を示す話をしていないようだ。
「まったく。人間って奴はよ」
自分が死ぬかもしれないというのに、他人をかばって何になるというのだ。そう思いつつも、そうしたことができる男をレブは嫌いではない。
レブは魔族だから、狼藉や非道など気にならない。
が、義理を欠くようなことになれば、非道い何かに落ちぶれると思っている。
それはきっと、魔族の風上にも置けないような何かなのだ。
レブはそんなものにはなりたくなかった。
今、レブが向かっているのは、ウィルが収監されている留置場である。
フィレノ市内には監獄が無いので、一般的に懲役刑となれば、都市の外部にある監獄に行くことになる。
ウィルの場合は裁判を待つ身で、市民の感覚としては彼の有罪がほぼ確実だ。有罪ということになれば、主君殺しは死刑しかない。
人間の封建社会において、絶対に許されないのが主君殺しだ。
罰則はただ一つ、死刑。
情状酌量も執行猶予もなく、終身刑でもなく、死刑だ。
なぜなら、それはある種の謀反であるからだ。
そしてそれがウィルに宣告されるのはまず間違いない。
幼い従士は、その日のうちに縛り首か斬首か火あぶりか。何で償うかは決まっていないが、死刑囚は公開処刑になるというのは決まっている。
魔界であれば、配下に首を取られる方が悪いという理屈になるから、謀反は罪ではない。
だから、レブとしてはウィルが死刑になることが理解できない。
理解できないが、人間とはそういうものだ、という認識はある。
人間という種族は、どのように生きるべきかを考えるが、どのように生きているかを省みることは少ない種族である。
まだ刑が確定していない犯罪者が収監されるのは、フィレノをぐるりと囲む城壁、その北西の隅の一区画にある、塔のような造りの留置場だ。
レブは牢獄を破ってでも、ウィルをそこから引きずり予定である。
魔族だから、人間から奪うし、盗むし、殺すこともある。
人間の法律がどうなっているかは人間が守るべき話であって、レブにはレブの、魔族としての道理があるのだ。
フィレノの北西はレブがまだ来たことがない区域が多く、土地勘が働かない。
まだまだ街の探索が足りていないとレブは痛感した。働いて日銭を稼ぎながらの探索は効率が悪い。何か他の手段を探さなければならないかもしれない。
朝に家を出て、昼前には留置所である城壁の塔に着いた。
馬車を使えばもっと早かったのかもしれないが、できれば金を使いたくない。
街はずれだけあって、人の気配が無い。昼間だというのに、辺りが薄暗い。
レブは魔族だから人間が忌み嫌うような負の気配が漂う場所を好むのだが、ここはそれとはまた違うが、別の負の気配がある。
朝から歩いたので、街で噂されるエルバリオとウィルの話を何度も耳にする機会があった。
どうやら、眠り砂で眠らされていたエルバリオの家人たちも、その場にウィル以外の人間がいたという話にはなっていないようだ。
レブは家中の者らに気づかれずに、屋敷を出ることができたということだろう。
そうこうしている内に、ウィルが収監されている留置場が見えてくる。
辺りに人がいないのを確認してから、レブは医者の嘴マスクを被った。