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勇者がくるまえに  作者: ジャン・黒冬
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第1話 レブのところに八番目のマーさんがくる

 ある晩、レブの部屋を魔獣まじゅうマンティコアが訪れた。


 この獅子に似た怪物は、名を八番目のマーという。


 人型魔族のレブは、人間の商業都市フィレノに、人として暮らしている。


 すでに夕飯はすませていた。


 あとは寝るまでの時間、さてどうしようかという時間帯だった。


 本来、マンティコアというのは、体は巨大な赤い獅子で、背中には大きな黒い蝙蝠こうもりの羽があり、尻尾の先にはさそりの毒針を持つ怪物だ。


 それが今は人に変化している。レブの前に立つマンティコアは、ウエーブのかかった赤い髪の白人で、礼服まで着込んでいる。


 レブは生まれて十数年。背はまだ伸びるだろうが、今の体格は中肉中背というところ。

 

 そのレブよりも、人化した八番目のマーの方が、頭一つ大きい。


 ドアを挟んでの挨拶あいさつもそこそこに、マンティコアは口を開いた。


「レブちゃん。腹を割って話をしようじゃないの」


「立ち話もなんだ。入んなよ」レブは部屋の中をあごで示す。


 レブには、なんとなく話の内容の想像がつく。黒い髪の襟足えりあしあたりに手をやりながら、マンティコアを招きいれた。


 レブが都市フィレノで間借りしている部屋は、集合住宅の二階にある。


 単身者用の一人部屋だ。ベッドの他には、丸いテーブルと椅子が一脚ずつ、狭い部屋に押し込むように置いてある。どうにかそれで人が来た時にも、もてなせるようになっている。


 昨今、フィレノの街は人口が増えている為、過密気味だ。新しく建てられる居住用の住まいは、たいていこの一室借りが基本になっている。


 レブが椅子をすすめる前に、マンティコアはベッドにうつ伏せに寝転んだ。人の姿になっても、楽な姿勢というのは本来の姿に左右されるもののようだ。


 レブは元から人型で、若い男の姿である。彼からすれば想像でしかない話だが。


 このマンティコアがレブのところに来た理由は想像がつく。


 話をする前に、使い魔のティコは外に出すことにした。


 ティコは黒い子猫だ。


 大人のような口の利き方をするが、まだまだ幼い。


 一つ間違えるとレブはマンティコアとやり合う羽目になる。それに巻き込みたくなかった。


 丸まって、のん気に毛づくろいしている黒猫の背中にレブは声をかける。


「ティコ。外で遊んでこい。マミコんとこ行っててもいいぞ」


 フィレノで家畜以外で動物を飼うというのは、貴族や豪商などに限られている。


 レブが部屋を借りている大家もペットの扱いに困ったようだ。基本的に、ペットを飼うという習慣も、飼う為の知識も無いのだ。


 部屋を汚さないという条件で、ティコを飼う事に許可が出た。


 その大家の娘がマミコである。これがじゃじゃ馬娘なのだが、ティコのことを可愛がってくれている。


 ティコが甘い声を出した。


「レブさま。ほんなら、抱っこして」


「何でだよ。自分の足で歩けよ」


「ええじゃないの。お外まで抱っこしてくれたら、そこからはうち、自分の足で歩くけえ」


 駄目ではないが、レブは元とはいえ、魔王軍の四天王だった男だ。それが使い魔に甘いところを見られるのは、多少差しさわりがある。


 だが、使い魔の機嫌を損ねると、情報収集してくれなくなることもありえる。そのあたりは加減が難しい。


 レブは動く前にマンティコアを見た。魔族も気づかいはある。人食いという名がついた怪物は、そっぽを向いているところだ。


 レブがそっと抱きかかえると、子猫がレブの耳にささやいた。抱っこをせがんだのは、内緒話をする為だったようだ。


「レブさま。あのおっちゃんとケンカするん?」


 流石、レブの使い魔だ。マンティコアといえば、魔王軍でも中堅クラスの力を持つ。それをおっちゃん呼ばわりとは、子猫にして既に大物の片鱗をうかがわせている。


「どうかな」とレブは囁き返した。「向こうの話次第だろ」


「ケンカになって、レブさまが負けるとは思わんけどな。後々のこと考えると、面倒くさいことになりそうじゃけえ。ここはこらえた方がええと、うちは思うよ」


「まあそうかもな」


 フィレノには四万人が住んでいる。それなりの規模の都市ということで、夜とはいえ、街中で暴れれば、人の目につくだろう。


「だけど、後先考えてこらえたらよ。それはもう魔族じゃねえだろ」


 魔族の中でも、特に魔王直属である魔族は、面子というものを重要視する。


 一度でも周囲から安く見られれば、低く見られるから、見栄を張ることもある。


 その見栄の中には勝てないような強い相手でも、筋が通らないと思えば戦いを挑むことも含まれる。


 もちろんレブとしては、マンティコアに負けるつもりはない。


「そこが難しいところじゃね」ティコもその辺りは心得ている。


 大家の娘マミコは、年頃のせいか潔癖けっぺきで、日ごろダラダラしているレブにはきつく当たるが、ティコには小魚を与えたり、遊びに付き合ったりしているようで、お互いになついているといっていいだろう。


 精神の成熟度が同じくらいなのだろうとレブは思うが、言えばマミコだけでなく、ティコにも何をされるかわからない。だからあえて口にすることはない。


 扉まで抱きかかえて運んだティコを、レブはそっと地面に下ろした。


「ほら、行って来い。マミコの前で、うっかりしゃべったりすんなよ」


 ティコはレブに振り返り、にーと鳴いた。わかってる、という意味だ。


 扉を閉めて、ベッドに向き直る。


 そこでは相変わらず、赤い髪の美男子がうつ伏せで寝転び、レブを見ている。


 話はこれからだというのに、既に部屋の中は緊張感が充満している。


 マンティコアから目を離さないまま、レブは木の椅子を引き寄せた。


 ここまで二人は無言である。


 床とこすれた椅子が、悲鳴のような音を立てるのに構わず、レブは座る。


 二人の間には、木の丸いテーブルがある。話し合いには、テーブルについたという姿勢が必要だ。


 それまで黙っていたマンティコア、八番目のマーが、静かに口を開いた。


「なあ。レブちゃんよう」


 レブは魔王シャルクの軍団では四天王の地位にあった。魔王軍の中でも有数の実力者ということだ。


 だから子供を呼ぶような呼ばれ方をするのは、本来なら有り得ないことだが、客として訪れているマンティコアとは、まんざら知らない間柄ではない。


 レブも親しい相手なら、ちゃんづけで呼ぶこともある。


 つまり、八番目のマーがそんな呼び方をしたということは、まだお互いに友好な関係であるという意味合いが、言葉の裏にある。


 レブが物心ついた時には、八番目のマーはすでに魔王軍の中でその地位を確立していた。長幼ちょうようの序というものがある。


 格としてはレブが上だが、積み重ねた時間は八番目のマーの方が上だ。レブがよちよち歩きの頃には、八番目のマーさんから飴玉を貰った記憶もある。


 もちろん、戦えばどちらが強いかと問われれば、レブは俺の方が強いと答える。八番目のマーも、同じように自分の方が強いと言う筈だ。


 魔族と言うのはそういうものだ。


 レブは相手が何の話をしに来たかわかっているから、左腕を木のテーブルに乗せて、一応は聞いているという姿勢を作る。


 答えは決まっているのだが、最低限の礼儀だ。


 それに気づいているのかいないのか、マンティコアは赤い口を開いて、続けた。


「いい加減に腹ぁ決めてくれや。それでラーゴン様の下につけよ。なあ。悪いようにはしねえから」


 悪いようにしないと言って、悪いようにしなかった奴はいない。そのことをレブは知っている。


 八番目のマーさんの口から出たラーゴンというのは、魔王シャルクの二番目の息子のことである。


 シャルクが亡くなり、遺言により三男ナークが魔王の跡目を継いだが、これに異を唱え、反旗をひるがえしたのが、ラーゴンである。


 長男のフマノは何年も前に亡くなっている。


 父が死んだ以上、次は自分が継ぐのが筋だというのがラーゴンの言い分だ。彼は幾つかある魔王城の一つを、支持する一団とともに占拠し、魔王を名乗っている。


 レブとしては、ラーゴンでもナークでも、どちらが魔王になろうがどうでもいい。


 勝手にやっていろ、というのが本音である。


 だから、こうして引き抜きの為の使者が来るのが鬱陶うっとうしくて仕方ないのだ。


「悪いようにはしないねえ」


 レブはちらりと横目でマンティコアを見た。


「八番目のマーさんがそういうなら、そうなのかもな」


 レブはとぼけて、マンティコアに話を合わせた。


 魔族は同じ名前が多い。その場合は、名前がついた順番とともに名を呼ばれることに

なる。


 目の前にいるマンティコアは、マーと名がついた八番目のマンティコアだ。


 マーというのはマンティコアの中では人気のある名前らしく、レブは八百ニ番目のマーと話をしたことがある。


 八番目というのは、それだけ早く生まれたということになる。


 つまり、それだけ長く生きているということでもある。


 長命というのは、それだけで力だ。


 蓄積された知恵と経験と、時間の重みに耐える力。それらが武力、腕力、そして魔力に如実にょじつに現れる。


 その八番目のマーが直接、レブを訪ねて来ている。


「そうよ。レブちゃんだって、こんなとこで生活しててもな」


 八番目のマーが、部屋の中を見回した。


 彼がどう思ったかは想像するしかないが、簡素な家具があるだけ。あとは食器が幾つか。派手好き見栄っ張りが多い魔族にしては、つつましやかな生活だ。


 部屋の片隅の大きな木箱には、漆黒しっこくの鎧兜が納まっている。これは、黒騎士レブとして動くときの正装であるが、ここしばらくは着る機会がない。


 この部屋で生活をしているというよりは、誰かに見られた時、人間的な生活をしているように見せかける、その為だけにあるような雰囲気だ。


 レブにとっては、この部屋は眠る為の場所だ。


 雨が降った時に困らない為の場所でしかない。


 フィレノで生活し、人間を見よ。


 先代魔王のシャルクから、レブはそのようにめいを受けている。


 その為の橋頭堡きょうとうほ、前線基地としての居場所がこの部屋だ。


 レブとしても、いつまでもいる場所と言う感覚はない。


 テーブルの上にあるコーヒーカップが、かろうじて生活感を演出している。


 そのコーヒーに手をつけることもなく、マンティコアはレブに語りかける。


「なんの為の魔族よ。って話だろうが。これじゃ、おめえ、あんまりだろ。こんな修道士みてえな生活してたらよ。むなしくなる一方じゃねえか。そうだろ?」


 禁欲的な生活ということを言いたいらしい。


 魔族にしてみれば、宗教関係で例えられるのは、それだけで種族によっては決闘の理由になる。


 だがレブは違う。その程度のことは気にしない。ただ、口の端を上げ、声も出さずに笑うだけだった。


「そうか。八番目のマーさんには、俺が坊主にでも見えるってか」


 マンティコアは、レブが先代の魔王の命でこの都市に暮らしていることを知らないし、レブもそれを言う義理は無い。


 魔王軍の誰にも言っていない。


 育ての母親である太古の龍、ネリウム・オリアにすらレブは話していない。


 かろうじて知っているのは使い魔のティコだけだ。


「俺にもな、考えてることがあるんだよ」とレブは、マンティコアに言った。


 特にそれが何かを尋ねることもなく、八番目のマーは言いつのる。


「なあ。仮にも先代魔王シャルク様の四天王だったお前がよ、こうしてここにいるってことは、ナーク様が魔王継いだのに不満があるからだ。違うか?」


 それで来たのか、とレブはうんざりした。


 魔族と言うのはどんな種族であれ、一筋縄ではいかない連中が多い。それこそ、下につけと言われて素直に従わない者も珍しくない。


 レブもそうだと思われているわけだ。一応、魔王の三男ナークが正当な後継者だ。だがレブはそれに不満がある、と八番目のマーは考えているのだ。


 それはあながち間違いではないからレブは否定しない。


 ただし、ラーゴンを跡継ぎとして認めるかと言うと、レブはそれも否定する。彼も、魔王の器ではない。


 だからこうしてマンティコアが来ているのが鬱陶しいし、この状況が笑えてしまう。白でなければ黒だという二元論ではないのだ。この世の中はもっと複雑だ。混沌である。


 それが魔族である八番目のマーにはわかっていない。


 レブもそれをどうこう言う気はない。だから、なんとも言えない答えを返す。


「俺は、四天王っても末席だったけどな」


「何言ってんだよ。百万を超える魔王軍の四天王だぞ。末席とか関係ねえよ。龍の血を飲んで育ったんだろうが」


 レブは本当のところ、実の親を知らない。育ての親は太古の龍、ネリウム・オリアだ。


 哺乳類ほにゅうるいではない龍は、子を乳の代わりに血で育てる。


 龍に育てられたレブは、百人力の腕と風を自在に操る手を持っている。


「なあ。ラーゴン様の魔杯まはい、受けとけって」マンティコアは言った。


 魔界は実力社会だ。自分より下の者に魔族は絶対になびかない。


 それゆえ、魔王が死ぬと、一旦主従関係は解消され、新たな魔王との主従関係が結ばれる。


 魔王から魔杯を授けられるのは、直属の配下の証である。これがあれば、魔王と直に会うことができる。


 末端の魔族にしてみれば、垂涎すいぜん待遇たいぐうだ。


「魔杯たってな」レブは言った。「正統な後継者は、遺言で三男のナークだろ」


 レブは魔王シャルクから魔杯を授かっているが、その子であるラーゴンやナークからはまだ魔杯を受けていない。


 これはレブがいまだに誰の配下ではないということを意味する。


 彼自身は、まだシャルク配下のつもりでいるのだ。


 でなければ、シャルクが亡くなった後も、人間たちの都市フィレノで人として生活していない。


 言いがかりや屁理屈であろうと、ラーゴンから魔杯を受けない理由があれば、レブはそれで良かった。今のところ、誰からも魔杯をもらう気はないのだ。


 八番目のマーさんは、それに納得しない。


「レブちゃん。それこそ、次男を飛ばして三男が跡目を継ぐってのは、おかしな話じゃねえか」


「どうかな」


 レブは首を傾げてみせた。


「魔族ってのは実力主義だろ。力が足りなきゃ実子だって跡を継げねえこともあるだろう。そうでなきゃ、人間どもからどうやって魔界を守るってんだ?」


「そうかもしれねえけどよ。魔王ってのはなろうと思ってなるもんだろ。ラーゴン様はそのつもりで長いこと準備してた。そしたら跡目はナーク様だなんて、おかしいだろ」


 レブは正直、シャルクからの命でフィレノに来ていて良かったと思った。まだ魔界にいたら、こんな面倒事の渦中かちゅうにいただろう。


 レブは決めた。


 ――今日のところは、返事はしないでおくしかねえな。

 ――それで八番目のマーさんには、お引取りいただくとしよう。


「わかった。一晩、考えさせてくれ」とレブは言う。


 それに八番目のマーは、不服であるようだ。


「おいおい。考えるほどのことじゃねえだろ。俺も手ぶらじゃ帰れねえよ。今ここで決めてくれ」


 レブの胸の中で生まれた苛立いらだちが、小さな気泡となり、幾つか浮かび上がってくる。


「あのな。八番目のマーさん。そういうことなら、俺はこの話、断るぜ。この場で断りの返事を叩き返したら、あんたの顔が立たないと思うから、時間をくれと言ってんだ」


「どっちにしろ、断るつもりなんじゃねえか」


「そらそうだろ。俺がラーゴンについてどうなるってんだよ」


「ラーゴン様を盛り立てて、魔王として君臨していただくのよ。お前が来れば、ナーク派とだって互角以上の勢力になる」


「あのな。俺らは魔族よ。だから裏切りもあるし、あっちついたりこっちついたりする奴もいるだろ。基本的に信用して隙を見せたら、後ろからパックリいかれることもあるよな」


「そらおめえ、魔族だからあるだろうよ」と八番目のマーさんはうなずいた。


「例えば、俺が裏切ったと先代のシャルク様に誤解されたとしてよ。俺は、疑われるなら、それは自分が悪いと思えたわけよ」


「あの方は立派だったもんな」


 八番目のマーさんは、何かを懐かしむような目つきだ。


「だけどラーゴンに疑われたらよ、俺はそうは思えねえ。野郎の首取ってやろうって気になるわけよ。その程度の奴を魔王と思えねえだろ」


「そりゃなんだ。ラーゴン様にそこまでの格がねえとでも言いたいのか?」


 それには既に答えたようなものだ。なので、レブは何も言わなかった。


 マンティコアは、それまで寝転がっていたが、上体を起こした。戦闘に入る前の威嚇いかく行為に近い。


「レブちゃん。好きな方、選べや。素直にラーゴン様の下につくか、俺に痛めつけられてからラーゴン様の下につくかよ」


 交渉は決裂した。


 レブは動じない。だが後でティコに小うるさいことを言われるのだろうと思うと、暗澹あんたんたる気持ちだ。


 八つ当たりの相手が必要だ。


 目の前の赤い獅子に矛先を向ける。


 こいつが来なければ、こうはならなかったのだから、ある意味、レブとしては正当な権利の行使だ。


「八番目のマーさんよ。一つ聞いてもいいか?」


 徐々に本来の姿に戻りつつあるのだろう。八番目のマーの口から見える歯が、獅子の牙に戻っている。


「なんだ」


「アンタの背中の羽、俺は蝙蝠こうもりだって聞いてたんだが、どうやらからすだったみてえだな」


「あん?」


 意味を理解したマンティコアが、威嚇するような声を上げた。発散していた怒気が、さらに激しく放出される。


 にらまれてはいるが、レブは落ち着いたものだ。むしろ笑うくらいの余裕がある。


「図星さされると怒るもんだよな。おい。八番目のマー。てめえ。いい年こいた大人が、使い鴉みてえなマネして恥ずかしくねえのか。こっちは先代シャルク様の四天王だ。少しばかり年が上なくらいで頭ごなしに話されたら、こっちはいい迷惑だぜ」


「小僧。殺してやろうか?」


 体はまだ人にふんしたままだが、マンティコアの目は、ざらついた獅子の目に戻っている。


「できるかどうか、試してみろよ。くそじじい」


「もう取り消さなくていいぞ。どうせ殺すからよ」


 人の形をした八番目のマーの体から、獰猛どうもうな風が吹きすさぶ。それはレブの部屋の家具を揺らすほどの勢いだ。


 レブの前髪も揺れたが、彼はまばたき一つしない。ただ、本来の姿に戻ったマンティコアを見ている。


 体長三メートル。赤い獅子の体、黒い羽、そして蠍の毒針を持ったマンティコアが、ベッドの上にいる。大きすぎて、顔と二本の前足が床にはみ出ている。


 お互いの顔が近い。レブと拳一つ分しか離れていない。


「レブちゃん。表に出ろ。そんで後悔しつつ死ねや。ラーゴン様には、行ったがレブは死んでましたって言うことにするわ」


 一つ咆哮ほうこうしたマンティコアは、真上に飛んだ。


 そこには天井があるのだが、ものともせず、ぶち破って外に出ていく。


 破壊の轟音。


 元は天井だった瓦礫がれきが、部屋の外に降り注ぐ。


 白い粉塵ふんじんが部屋の中を舞う。


 レブは手で粉塵を払いながら顔を上げた。


 天井はもうない。


 代わりに綺麗な星空が見える。


 そこに向かって、レブは大声で怒鳴った。


「おいおいおいおいおいおい! ドアから出てけよ、田舎もんが! 誰が直す思ってんだ!」


 怒りながら、レブは闇に手を伸ばす。魔槍まそうディウスク。


 レブの武器である黒い槍は、闇にたゆたい、あるじの呼び声を待っている。


 闇とは本来、一つのものだ。人間が見ている闇とは、幾つもの闇のふちなのだ。


 繋がっているということは、それがどこであろうとレブが闇に手を入れれば、その先に魔槍ディウスクはいる。深淵しんえんにて待つ魔槍の黒い柄が、レブの手に納まっている。


 レブは跳躍し、今開いたばかりの、天井の穴から外へと出た。


 雲がまだらに貼りついた夜空に、半円の月が斜めに浮かんでいる。銀色の月光は夜を溶かし、街を蒼く染めている。


 夜のフィレノ。


 連なる家々の屋根が、一筋の道になり、レブの足場を作っている。


 その先に目を向けると、八番目のマーが待ち構えている。屋根に足を乗せているが、背中に翼がある種族は飛ぶことができる。


 マンティコアは、体を一瞬低くすると、


 ごう


 と飛びかかってきた。


 それを、レブは槍で受ける。かまわず突進してくるマンティコアの勢いは凄まじく、レブはそのまま屋根を数マートル〈1マートル=1メートル〉ほど後退させられた。


 一人と一匹が止まった瞬間、マンティコアの尻尾が鉤形かぎがたになり、レブの頭上から落ちてくる。


 さそりの毒を持つ尻尾だ。レブはそれも槍で弾いてかわす。その勢いで槍を振り回すと、赤い獅子は後方に飛びすさってかわした。


 レブは槍を背中に回して、間合いを隠す。


 家の窓からこぼれる灯りが、屋根の上のレブとマンティコアを黄色く照らし、空に影を映している。


 この時代、夜が暗いのは当たり前で、それは闇と同義だ。人々は闇を追い払う為に知恵を絞る。


 この街の明かりは、どの家も、通りの街灯も、街から供給される魔力によってまかなわれている。人々はそれを無償で使うことができ、浮いた光熱費は消費に回ることになる。


 フィレノの経済が他の都市よりも回っている一要素だ。


 銀色に光る街灯と月明かりが、レブたちを夜から浮かび上がらせている。


 足元でざわざわと声がする。


 レブたちが立てる音が近隣住民を呼び寄せてしまったらしい。


「なんだあれは?」


 誰かがレブと向かい合うマンティコアを指差している。


「あれ? レブさん? レブさんじゃない?」


 聞きなれた声がする。見なくてもわかる。大家の娘のマミコだ。


 にー、とティコの鳴き声も聞こえた。何やってんの? という軽い非難だろう。


 ――こうなっちまったのは、俺が魔族だから仕方ねえだろ、ティコ。


 レブは心の中で言い訳をする。


 マンティコアが前足でレブを切り裂こうとするので、槍を真横に突き出し、その下にレブはもぐった。


 戦いの最中さいちゅうは動き続けられるだけ動いた方がいい。止まると相手が狙いを定めやすいし、いざ動き出す時も一瞬の遅れが出る。


 どうせ死ねば動かなくなるのだから、生きているうちは動き回った方が良い。


 槍の下に潜りつつ、左足から右足へと体重を移す。その反動でレブは槍を回転させ、マンティコアを下から魔槍ので殴りつける。


 どう


 と吠えたマンティコアは距離をおく。


 槍と言うものは達人が使うと、見かけ以上に間合いが伸びるものだ。


 逃がすレブではない。追い打ちをかけるように、穂先で赤い獅子の肩を突いた。肉に突き刺さる手応えがある。


 だが、古代から生きるマンティコアという種族は、痛みにも傷にも強い。


 下がることでマンティコアは槍を力ずくで体から抜いた。黒い翼で強く羽ばたき、空に舞い上がると、レブ目掛けて急降下してくる。


 三角形を描くように、レブを三度襲う。レブはどれも槍で防ぎつつ、槍から右手を離し、手を龍の鉤爪の形にする。


 手のひらに風を集め、砲弾を練り上げる。ひねりを加えると、さらに圧縮され威力が増す。


「ヴェガス(風の砲弾)!」


 レブの掌から、巻貝のような形状の空気の砲弾が飛び出し、宙を疾走し、マンティコアを撃つ。


 さらにレブは槍で地面を突いた反動で、マンティコアに飛び蹴りを食らわした。


 魔族は、手加減というものとは正反対に位置する。


 全身のバネを使い、レブは八番目のマーの眉間を、ありったけの力で蹴る。


 ごろごろと回転しながら、マンティコアは屋根の上を跳ねた。


 すぐさま八番目のマーは起き上がり、レブへと駆け戻り、右の前足、左の前足、そして回転し、黒い翼でレブを打擲ちょうちゃくしようとする。


 それらを避けたレブの足を払わんと、今度は獅子の尾が左から来る。


 レブは必要最小限だけ飛んで避けたが、そこにマンティコアが顔から飛び込んで来る。


 ぶつかられて、今度はレブが屋根の上を転がった。


 立ち上がるレブに、マンティコアが咆哮とともに襲い掛かってくる。


 左右には避けようにも足場が狭い。飛ぶとまた体当たりが来る。


 一瞬でレブは判断し、闇に魔槍ディウスクを戻す。


 突進するマンティコアの動きに合わせて、相手の足元にレブは頭から滑り込む。


 体をひねりながら、レブは闇に手を伸ばしディウスクを呼ぶ。


 今では仰向けの姿勢になっている。


 ちょうどマンティコアの真下からディウスクが現れる。


 それは垂直に、獅子の腹めがけて、槍を突き上げた格好になる。


 槍が赤い獅子の胴を貫いた。


 マンティコアが崩れ落ちる前に、下敷きになりたくないレブは素早く避けた。


 代わりに下敷きになった屋根瓦が、獅子の重みで悲鳴を上げる。


「おお! やったぞ」


 野次馬たちが歓声を上げているが、レブはマンティコアが生きていることを、手応えからわかっている。死ぬのはもっと先だということもわかっている。


 なぜなら、レブがそうなるように急所を外したからだ。


 追い詰められた悪あがきの一撃をくらわないように、レブは赤い獅子の前足も尻尾も届かない位置に立つ。そしてひそめた声で、マンティコアに話しかけた。


 地面にいる街の人間たちには聞こえないくらいの声で。


「八番目のマーさん。急所は外したから動けるよな。勘違いすんなよ。外れたんじゃねえ。外してやったんだ。飛んで帰る元気くらいあんだろ。今帰るなら、追い討ちはしねえよ」


 元から殺すつもりはなかった。戦うつもりもなかったのだが。


「帰ったらラーゴンに伝えろ。俺を手下にしたきゃ、てめえが直接来いってよ」


 よろよろと起き上がりつつ、八番目のマーの目はレブをとらえている。


「レブちゃん。後悔することになるぞ」


「あんたは、今してるだろ」


 マンティコアがそれに答えようとしなかったのは、意地だろう。


「恩に感じてねえから、礼は言わねえぞ」


「そういうのいいからよ。人が集まってきちまったから、さっさと魔界に帰れ」


 八番目のマーが背中の黒い翼を震わせると、その大きな体が宙に浮いた。そのまま真上にあがっていく。レブが見上げると、マンティコアの体で月が隠れている。


 マンティコアは、レブを一瞥いちべつすると、はるか南、人間界と魔界をつなぐ魔界門へと飛び去った。


 魔槍ディウスクを肩で真一文字にに担いだレブが、何気なく地上に目をやると、集まっていた群集たちの視線が、彼に集中している。


 皆一様に無言だった。


 都市にもよるが、商業都市フィレノは、魔族からの防衛の為に、城壁で守られた街であるから、そうそう目の前で怪物と戦う男を見ることはない。


「凄い! あの男、魔物に勝ったぞ!」


 誰かがそう言うと、そこから一気に皆が騒ぎ始めた。まるで餌を持ち帰った親鳥にさえずる雛鳥の群れだ。


「見たか、あの槍さばき!」


「まさかレブさんがあんなに強いとは!」


「どうしてあんなに強い人が、ここにいるんだろうな」


「あの若さだ。仕官先を探してるんだろうよ」


「いやあ、いいものを見た!」


 やんややんやと街の人々が拍手と喝采かっさいをレブに送る。


 相手は人間だが、こうなるとレブも悪い気はしない。


 調子に乗ったレブは、屋根から地上へと飛び降りて、群集に手を振って答えた。


「やあやあ。どうもどうも」


 その後、皆に囲まれ、酒をおごられ、レブと街の人々は朝まで酒を飲んで歌ってと、楽しく過ごした。

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