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「な……」
ルイスは戸惑っていた。
しかし、それは自然な反応だろう。
先ほどまで何も無かった所に、一瞬で少女が、それも血だらけの状態で倒れている。そんな非現実的な現象を目の前にして平静を保っていられるものなどいないと断言できる。
「っうぅ……」
「っ! ちょ、君大丈夫!?」
あまりに突然のことに頭の整理がついていなかったが、血まみれの少女の小さな呻き声に我に返り、近寄る。
「これは、酷いな……」
ルイスの言う通り、少女は思わず目を逸らしたくなるような傷を負っていた。彼女の着ていた衣服には何かに刺されたように切り刻まれており、事故ではなく人的に傷つけられた怪我だとすぐわかった。
放っておけば確実に死に至るほどの重症だと、医学の知識など持っていないルイスでも想像できる。
薄暗い森の中だが、近くによれば未だ太腿の傷口から血が流れ出ていることも確認できた。
「と、とりあえず止血を……」
持ち合わせの知識を動員させ、持っていた手拭を鞄から取り出し、彼女の患部へと触れようとする、その時だった。
「!? うわっ!?」
思わず目を瞑り、顔を背けてしまうほどの眩い閃光が、少女の身体から発せられる。
その閃光のあまりの強烈さに、あたりが再び黒に染まってからもしばらく目を開けることはかなわなかった。
「う……ん…? え!?」
これで何度目の驚愕の声だろうか。しかし、それは仕方がないことなのかもしれない。こうも連続で、常識ではありえない現象を目の当たりにしているのだから。
なんだ、これは。なんで。どうして。
その感情の対象は、もちろん未だ意識を失っている少女。正確には、その身体。
そこにはつい先ほどまで、もしかしたら死に至らせるかもしれない大きな傷があった。そう、あったのだ。ルイスがあまりにも強い閃光に目を閉じる、それまでは。
正確には、全ての傷が塞がっているわけではない。擦り傷程度なら、全て綺麗に治っている。けれど、例の太腿の傷は血が止まりはしているが、半ば治りかけ、と言ったところか。それでも先ほどに比べれば遥かにましになっているのだが。だがそれでも確実に少女の顔色は血色良くなっている。
そのあまりにありえない現実に、声を忘れる他なかった。目の前で一瞬にして、傷が塞がったのだ。人に話せば笑われてしまうのがオチだし、ルイス自身も笑ってからかうだろう。ただ、そのような非現実的なものを実際目の当たりにすると、ぽかん、と間抜けな表情を崩すことが出来ないのだとルイスは知らしめられていた。
そんなルイスを我に返らせたのは、耳に入ってきた少女の苦痛な喘ぎだった。傷は塞がった、と言ってもやはり痛みは残っているのだろう。痛みに耐えるように眉間にしわを寄せ、小さな手は地面の土を握りしめていた。
「と、とりあえず家に運ばないと」
いつまでもこの場に留まっておく訳にもいかない。このままでは少女にこびりついた血の匂いに誘われた獣たちに襲われるだけだ。
とりあえずは家まで運ぼう、そう思いたち少女をおぶり、駆けていく。
(軽いな……)
そんなことを思いながら。
Φ
ルイスの住む村は人口30人にも満たない小さな農村だ。年齢層は高齢者が圧倒的であり、ルイスと同年代の人間はアイシャしかいない。というのも、働き盛りの20代や30代は都市へと進出していくため、過疎化が深刻な状況にある。ルイス自身、いずれは都市へと出てそこで暮らそうと思っているが、それは若者からすればもはや当たり前の感覚となっている。
その小さな集落から少し離れた一軒家――というほど立派なものではないが――がルイスの住まいだ。木造1階建てで部屋は大小合わせて3つ。
その内の寝室へと少女を寝かせる。わざわざ自分の寝室に運んだのには特段理由はなく、ただベッドがその部屋にしかなかったから、という何でもない理由だ。
「これで良し、と」
濡れた布で顔や腕、脚と言った肌が見える部分にこびりついた血や泥を綺麗にふき取る。さすがに着ているものを脱がすことはやめておいた。女性にだらしなく遊び人であるルイスだが、あくまで相手の同意の下での行為であって、無理矢理、というのは彼のポリシーに反する。あくまで紳士的に、だ。
「この子、やっぱりジャバヌ人……だよな」
クルタイ人よりも小柄な体系。絵図で見たことのある一枚布の着物。そして何より、深い夜空を思わす漆黒の長い髪。本で読んだ、ウルティア大陸東方の国ジャバヌに住む民の特徴がすべて当てはまる。
戦乱の時代ならともかく、現在では4大国を自由――とは言っても国の発行する通行書が必要なのだが――に行き来でき、また住み着くこともできるのだからジャバヌ人がクルタイにいたとしても不思議ではないのだが。
しかし、街中で見かけるのとはわけが違う。森の奥で、しかも何もなかったはずの場所から突然現れたのだから、少女についての謎は解けずにいる。
突然現れて、さらに大怪我もなぜかほとんど治っていて。通常では考えられない出来事に困惑するも、それも全て少女が目覚めないとなってはどうにもできない。
「……や」
「ん?」
起きたのかな、と少女を見るがどうやら寝言だったらしい。
しかし、悪い夢でも見ているのか、その表情は苦しそうだ。
「や、だ……。助け、て…」
「……」
ルイスは少女の頬に手を添え、優しく呟く。
「大丈夫、ここは安全だから。だから、安心して」
その声が届いたのかどうかは分からない。が、見る見るうちに少女は表情を柔らかくした。
「とりあえず薬をもらいに婆さんを呼んで……あぁでもどう説明すれば」
ありのままを話したところで到底信じるとは思えない。困ったな、と頭を掻く。とりあえずは適当にごまかそう、と決めた。
「あとは……と」
チラッと少女の着物を見る。何かで切り刻まれた後や血や泥の汚れが目立つ。着替えが必要だな、と思い立つが家には男物しかないし明らかにサイズも合わないだろう。
「アイを呼ぶか……」
説明面倒だなぁ、と1つ溜息をもらす。と同時に自分ひとりじゃ色々手に負えないだろうと想像する。少女が目を覚ました後、異性の自分よりも同姓のアイシャの方が何かと都合も良いだろうと結論付ける。
アイシャの家はルイスの家からそれほど離れていない。すぐ戻れるだろう、と少女を寝かせたまま部屋を出る。
その際、少女の顔色をうかがう。時折苦しそうに喘ぐが、発見したときに比べれば十分穏やかだ。
「結構、可愛いな……」
そんなつぶやきを残し、家を出る。