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名も無き墨染物語  作者: 和水
序章
1/4

焦げていた。

 木々が、花々が、大気が、屋敷が、人々が。ありとあらゆるものがその身を焼かれ、朽ちてゆく。

 暗闇で、これでもかとばかりその色彩を主張する紅。

 上空から見たらそれは、さながら綺麗な模様のようにも、凛と咲き誇る一輪の華のようにも見えることだろう。

 しかし実際は、地獄。あたり一面が文字通り地獄の劫火に包まれ、周囲一帯を焼殺していく。

 周りは木と人が焼けた異臭が漂っていた。吐き気を催すほどの人肉の焼けた臭いは、炎の勢いと共にいっそう立ち込めてゆく。

 途切れることのない破壊音と人々の絶叫、懇願、悲鳴。 

 飛び散る血、肉片、はたまた肉塊。

 思わず目を背け、耳をふさぎ、座り込みたくもなるその光景のなかで。


独り翔ける少女


顔は汗と涙と血で、ぐっしょりと濡れており、悲痛の表情を浮かべている。腰までかかる髪や身に付けている衣服には血飛沫を受け真っ赤に染まっている。

 助けて、助けて。周囲から聞こえるその嘆願を聞きとりながら、少女はぎゅっと眼を閉じ、走り翔け続けた。その間にも男も女も、子供も老人も、皆蹂躙されていく。ちらと横目で見ると、こちらに手を伸ばす者もいた。顔までは見えなかったが、見なくて正解だったのだろう。今その顔を見てしまえば一生脳裏にまとわりつく。

(ごめん、なさいっ)

 見捨てた、助けられたかもしれないのに、自分のことで精一杯で。でも、実際出来たのはただ一心不乱に走り続けることだけ。

 助けて。その言葉を自分も発して、助けを請いたかった。けれど、誰も助けてくれない。否、助けてくれる人は、今まで助けてくれた人は、もういない。

 皆、殺されてしまった。

 人が多く集まるこの日に、少女にとってとても大切な日に。

 突如襲った恐怖、始まった殺戮、殲滅、虐殺、地獄。

 客人が、家族が、友人が、突然の襲撃に誰彼構わず殺されていくその様を、少女はただ、震え、恐れ、呆然と眺めることしかできなかった。

 当然襲撃の対象に少女も例外なく及び、殺意の刃が少女めがけて振り下ろされる。

 襲い掛かってくる力に、少女は抗う術などあるはずもなく、ただ数刻後に襲うだろう痛みを恐れ、体を硬くし、目を固く閉ざすほかなかった。  

 そんな少女は、生かされたのだ。

 1人の人間の命と引き換えに。

 少女はその者の言葉、願いを受け入れるしかなかった。

 そうしなければ、助けてくれたこの人の命が無駄になる。

 そんなことはできなかった。無駄にしないために、自分は生きなくてはならない。

 少女は、逃走を決意した。

 屋敷は無駄に広かった。

 それ故逃げることも容易ではない。

 それと同時に、多くの命が失われる現場も目の当たりにした。

(ごめんなさいっ……ごめん、なさいっ)

 助けたい人ばかりだった。なのに助けることができなかった。

 力のない自分を何度も不甲斐無く思い、助けない自分を呪わしく思った。

 今まで培ってきたものは、なんだったのか。

 今まで受けた教育は、仁心を学ぶためではなかったのか?

 今まで受けた訓練は、あらゆるものに打ち克つためではなかったのか? 

 今まで受け継がれてきたこの力は、多くの人を救うためではなかったのか?

 それが、なんだ今のこの状況は。誰一人とて救えやしない。

 今考えられることはたった一つ、我が身の安全、自身の生存。

 子供が泣こうが、女が叫ぼうが、見向きもせず、出口を目指す。

(あと……少し…)

 地獄のような光景を飛ぶが如く翔けたおかげか、はたまた死への恐怖、生への執着。

 何が原因かは分からない。が、少女は予想以上の速さで出口にたどり着いた。 

 外に出さえすれば、何とか逃げ切れるだろう。その出口が、少女には天門にも見えた。

“よかっ……た…”

 安心したのだろう、出口を見た途端、少女は無意識に速度を落としていた。

 ほんの少し、されどそのほんの少しの減速が、心に生まれた安堵感が、僅かな隙を造った。

「っ!? ぐっ……」

 突然足を襲った激痛に、勢いよく前のめりに倒れる。

 その痛みに、口からは苦渋を表す言葉が、眼からは涙が溢れた。

 痛みがするほうへ眼を向けると、ふくらはぎに何かで突き刺されたかのような傷が生じ、そこから血が多量に流れ出ていた。

 何とか立とうと踏ん張るが足に力が入らない。

「いや……いや……」

 何とかここから逃げなくては。

 その一心で、泥まみれになりながら、腕の力だけで体を進める。

 しかし攻撃は無慈悲に行われた。

「がっ、ぁあ゛っ!?」

 ふくらはぎに続き、今度は腕への攻撃。同じように槍で突かれたような穴が開いている。

 それでもなお少女は、必死にもがいた。ほとんど動かない腕、脚を、持てる力全てをかけて動かそうとする。

「や……だ。わた、し…まだ……」

 まだ死ねない、死んではいけない。

 呪文のようにその言葉を繰り返す。

 生きなくてはならない。助けてくれた人の為。 

 けれど、現実は残酷だった。

 動かしているはずの体はほとんど動いておらず、必死に這いつくばって進んだと思っても実際には1メートルも進んでおらず、簡単に体を押さえつけられた。

「たく……。手間取らせやがって」

「まさか本気で逃げられるとでも思ったのかね?」

「さぁ? ま、やっと掴まえたわけだが……どうするよ?」

 押さえつけているのは男3人。少女は聞こえてくる声でそう判断した。

「どうするって……決まっている。殺せって命令だろうが。この屋敷にいる奴全員」

「いや、それは分かっているさ。だがこいつ、上玉じゃねぇか」

 髪を掴み、少女の顔を他の男に見せる。

「このまま殺すにはもったいないと思わないか?」

 その言葉を理解しなかったのは少女1人だけだった。

 残りの男は察したようで、下卑た笑みを見せる。

(な……に……?)

 もはや少女は諦めていた。ここから生き残れる可能性は限りなく0に近い。

(ごめん…約束……まもれ……なかった…)

 自然と涙が溢れた。自ら愛し、また愛してくれた人との約束。

 それを果たすことが出来そうもないことに悲しみを覚えた。

「最近女を抱けてないしな、ちょっとばかり楽しませてもらおうや」

「っ!?」

 そこまで言われれば、さすがに少女だって気付く。

 この男達は、自分に屈辱と心の傷を残し、その後に殺すつもりなのだ、と。

「やめ…て…。お願い……だから……」

 死ぬことに恐怖はあった。それでも、女として辱めを受けて死ぬくらいなら、いっそひとおもいに首でも掻っ切ればいい。

 抵抗しようとするが、どうやっても男の拘束を解くことが出来ない。単純な力比べなら線も細い少女が、この屈強な男を3人相手にして叶うはずもない。しかも手負いの上、ほとんど力が入らず押さえつける男の手を外そうとしても、ただ手を添える格好となってしまう。

「まぁそう言うな。お前だって最後ぐらい楽しんで逝きたいだろう?」

「や、やだ…お願い……やめて……お願いだから……」

 男は少女の言葉に耳もくれず、少女の着物の帯を解こうと手を伸ばした。

(いや……誰か……)

 助けを呼んでも、誰も来てはくれない。自分が先ほどまで見捨ててきたばかりではないか。助けを呼ぶ声も、救いを求める目も。そのすべてを目ぬふりをし、それなのに自分がその立場となり、助けを求めるとはあさましいと思う。それは分かっていた。しかし少女は叫ばずにはいられなかった。

「誰かぁ!」


 少女の意識は、そこで闇へと落ちた

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