♯2-2
蝋燭に映しだされたゼロの部屋は、書斎というよりも、実験室の体をなしていた。机の上には試験管やフラスコといった類の器具が並び、それを囲むようにして、分厚い書物が積みあげられている。壁際に沿って本棚があるものの、そこには入りきらないようだ。室内は、足の踏み場がないほど散らかっていた。唯一、機能を果たしてくれそうなのは、革張りのソファ・セットだけである――奥の側に腰かけ、ゼロは、恭助たちを手招いた。ソファに挟まれるようにして、木製のテーブルが置かれている。その上にはガラス製の灰皿があり、そのすぐそばには、マッチ箱と煙管が転がっていた。
「こいつは、ゼロ。情報屋の責任者だ。いちおう、な」
死神は手短かに彼を紹介した。
「あ、あの……」
「まあ、とりあえずおかけなさいな」
ゼロに促されるようにして、恭助は死神のとなりに腰かけた。
「あなたも【死神】なんですか?」
「まあ、いちおう……ね」
ゼロは意味ありげに笑った。
「――さっそくだけど、事の経緯を聞かせてくれるかい?」
ゼロは煙管を口にくわえ、マッチ箱を手に取るとおもむろに火をつけた。
「まずは、これだ」
死神はローブの懐から封筒を取りだし、テーブルの中央に置く――彼のもとに届いた依頼だ。おもてには、恭助の氏名、年齢などをはじめとする、簡易的なプロフィールが記載されている。死神は、その一点を指さした。“死因” という項目である。ゼロはそれを見るなり、眉をしかめた。
「これは……」
彼はゆっくりと煙を吐きだしながら、
「死因が不明だなんて」
「ああ。私もオカシイとは思っていた」
死神は深刻そうな表情を浮かべ、じっと腕を組んだ。
「しかし、私には上層部の連中に確認をとっている猶予はなかった」
「というと?」
「この依頼が届けられた時、私はイギリスにいたのだ。急がねば、こいつの死に間に合わない状況だった。現世には、“時差”があるからな」
「それで、間に合ったのかい?」
「いいや」
死神は小さく首を横にふった。
「私が現場についたときには、もう事が済んだあとだった」
そういえば、と恭助は思い出していた――やはり、間に合わなかったか――初めて死神の姿を目にした時、彼がそう呟いていたことを。彼は、恭助の死の“瞬間”を見ていないのである。
「お前は車に撥ねられたそうだな?」
「え? あ、ああ……」
恭助は言葉を濁した。
「何にせよ、事故死ということだ」
「そいつは……ちょっと、妙だねえ」
ゼロは煙管をふかしながら、首をかしげた。
「問題は【扉】だ」
死神はやはり、深刻そうに切り出した。
「今までこんなことは一度もなかった。扉が開かないなど、前代未聞だ。私はいったい、どうすれば……」
「キミがここを訪ねてきた理由は、だいたいわかったよ」
彼は煙管をくわえ、ひと息に煙を吐きだしたあと、
「まあ、前代未聞なわけじゃないけどね」
「どういうことだ?」
「つい最近も、こんなことがあったのさ――ああ。“あの世”への【扉】が開かないのには、ある理由があってね」
「具体的には?」
「死神に選ばれた、ということさ」
ゼロは、嬉々として言った。
(“死神”に“選ばれた”……)
「ど、どういうことですか?」
ゼロは、目を白黒させる恭助を面白そうに見つめながら、
「実は、このところ死神不足が続いていてね……現世じゃ、死者は増える一方だってのに。だから、ね。最近、【死神局】のほうで、“勧誘”を始めたのさ。死神に向いていそうな人間を選んで、ね」
(向いていそう、な……)
恭助は、自嘲ぎみにため息をもらした。彼は学生時代、“死神”というあだ名をつけられ、さんざんからかわれていたのだ。伯父に引き取られてからは、そういう類いのことはなかったが、恭助は苦い過去を思い出し、少し複雑な気持ちになった。そんな恭助の気持ちを察してか否か、「まあ、それを決めるのは選ばれた本人しだいなんだけどねえ……」そう言って、ゼロは煙を吐きだした。
「そう、なんだ……」
恭助は、安堵のため息をもらした。
「与えられる猶予は、9日間……なあに、時間はたっぷりあるさ。ゆっくり考えるといいよ」
ゼロは、のんびりした調子で言った。
「やはり、そういうことだったか。どうりで、強制的な手段が通じなかったわけだ」
「強制的って……まさか、キミはこの子を無理やり送り出そうとしたのかい?」
「仕方あるまい。他に方法がなかったのだから」
「そんな、乱暴な……」
ゼロは苦笑をもらしたが、それ以上、彼のことを追求しようとはしなかった。
「まあ、今回のことは、死神局に報告したほうがいいかも知れないね。なんせ、状況が状況だから」
「ああ……とりあえず、【カラス便】を頼む」
死神はローブの懐から万年筆を取りだした。彼は、テーブルに置かれていた封筒を裏返し、そこに文字を書きはじめる。恭助は控えめに覗いてみたが、何が書かれているのかまでは理解できなかった。知らない単語が並んでいたからだ。
死神が黙々(もくもく)と筆を走らせているあいだ、恭助は、
「あの……カラス便って何ですか?」
「ああ、あっしらの連絡手段だよ。いわゆる、人間らの世界でいう伝書鳩のようなものかな。“現世”と死神局とを行き来して、死神同士の連絡を取り持つんだ」
「死神局って?」
「それは、あっしらの所属する組織。つまり、人間の世界でいう“会社”みたいなものさ」
「カイシャ……」
恭助は意外だと思った。あまりにも、現実的な響きだ。
「あの、魔法とか使えないんですか?」
恭助は、死神がぱちりと指を鳴らすたびに、目の前の景色が変わったり、蝋燭に炎が灯されたり、といった光景を間近で目にしてきた。魔法使いが杖ひとつで何でも操るように、死神は“指ぱっちん”ひとつで、何でも出来るのではないだろうか、と。それを聞いたゼロは、とたんに噴きだした。
「いやあ、面白いことを言うねえ」
彼はひとしきり笑ったあと、
「魔法とまではいかないけど、個々に “能力” があることは確かだよ。たとえば、彼なんかはねえ……」
「余計なことは話さなくていい」
ことを書き終えた死神は、その封筒をさしだしながら、ゼロに冷ややかな視線を向けた。
「カラス便は頼んだぞ」
「ああ、了解だよ。で、キミはこれからどうするんだい?」
「どうするも、何も……しばらくは、現世に留まるしかあるまい。私は、死神として、こいつの行く末を見届ける義務がある」
死神はため息ひとつもらしたあと、「仕事、だからな」と面倒くさそうに付け足した。