#10ー1
情報屋の内部はしんと静まり返っていた。
ぱちり、死神が指を鳴らした瞬間、まわりの職代にいっせいに火が灯される。蝋燭の炎が、あちらこちらに散らばっている書類や武具、彫像の残骸を不気味に浮かび上がらせた――誰もいない。
死神は足元に転がった鎌を拾いながら、「死神局へ行こう」
「し、しにがみきょく?」
「ああ……情報屋の【カラス便】は使えない。直接、出向いて事情を説明する」
「――そうはさせないよ」
突如として、凜とした声が響きわたり、二人のまわりを【亡魂】たちが取り囲んだ。その刹那、背後の扉が音を立てて閉まった。逃げ場はない。相手はざっと十二名。死神は、次々と襲いかかってくる亡魂に鎌をふるいながら、「貴様!」
と、大階段の踊り場に佇む人物に向かって声を荒らげた。
グロリアだ。
彼は口元に笑みを浮かべながら、シルクハットを脱ぎ捨てた。ふわり、と緩くカールした紅い髪が揺れる。グロリアは一輪の薔薇をもてあましながら、「おやおや、仮にも“上司”に向かってその態度はどうかと思うよ――Au1208(エー・ユー・イチ・ニー・ゼロ・ハチ)」
死神は答えずに鎌をふるった。
亡魂たちは次々に金色の塵と化していく。
「モノローグは……」
「ああ……まったくもって、馬鹿な奴だよ。我にかなうはずもないのにねえ。まあ、これだけ早い段階で我の正体に気づいたことは、褒めておいてあげたさ」
「く…………」
死神は周囲の亡魂らを一掃したあと、悔しさを滲ませながらグロリアを睨みつけた。
「見事だよ、Au1208」
グロリアは微笑を浮かべ、拍手をしながらゆっくりと階段を降りてくる。死神は恭助を背後にかばいながら、「それ以上、近づいたら容赦しない」
と、鎌を両手で構えなおした。
「やはり、君は優秀な死神だ――そう、優秀すぎるくらいにね。だけど、所詮は“ただの死神”に過ぎないんだよ」
「何が言いたい?」
グロリアは小さく鼻で笑った。
「こういうことさ」
グロリアが指を鳴らした瞬間、恭助の脳裏に“悪夢”の断片がよみがえった。否、それは悪夢よりもたちが悪い記憶だった。彼は思わず耳をふさぎ、その場に膝をついた――叫びだしたくなるのを懸命に押しこらえながら、恭助は固く目を閉じる。瞼の奥に焼きついた、記憶の一部。それは思い出したくもないトラウマだ。何もされていないのに、身体中に痛みが走った。大小、さまざまな影が恭助の前に現れては消え、現れては消えた。当時の恭助には、それらの行為を拒むことさえも出来なかった。ただ受け入れることしか出来なかった。
「う……ああ」
恭助はついに頭を抱えて床にうずくまり、動くことが出来なくなってしまった。身体の震えが止まらない。彼は、何度も何度も謝罪の言葉を口にした。まるで、何かに取り憑かれたかのように。
「何をした」
死神は訳もわからず、恭助のそばに膝をついた。
「これが我の能力さ」
「能力だと?」
グロリアはにっこりと笑みを浮かべながら、「記憶を操作し、幻覚を見せることができる能力――しかも、当事者にしか影響はでない。まわりからすれば、気が狂ったようにしか見えないだろうね。素晴らしいだろう?」
「貴様…………」
死神は怒りを滲ませた。
「こんなことをして、いったい何になるというのだ?」
「――神、だよ」
グロリアは恍惚とした表情で答えた。
「このくだらない世界を破壊して、一から世界を創造するのさ――そのためには、どうしても必要なんだよ。そこで悶絶している“彼”の魂が、ね」
「10年前の事故にも貴様が関与していたのだな」
「ご名答」
グロリアは満足げにうなずいたあと、「もっとも、君も無関係ではないんだけどね」
「何?」
「君も“当事者”なんだよ、Au1208」
訳がわからない。
死神は眉間に皴を寄せながら、まっすぐグロリアを見据えた。薔薇をもてあましながら、この状況を愉しむように笑っている男を、もはや自分の上司とは思えない。
グロリアは小さく鼻で笑ったあと、「――10年前。そこの“彼”を助けたのは、君なんだよねえ」
「馬鹿な……」
死神はそう呟くや否や、すばやく鎌を薙いだ。
はらり、はらりと粉々になった赤い花弁が床に落ちる。グロリアは相変わらず余裕の笑みを浮かべながら、「お見事――だけど、これはどうかな?」
次の瞬間、死神は鎌をかなぐり捨て、うずくまる恭助を全身でかばっていた。彼は小さく呻いたあと、勢いよく横ざまに倒れる。ばさり、恭助の目の前に白い髪が揺れた。
「しにガミ!」
ようやく悪夢から開放された恭助は、微動だにしない死神の身体を揺さぶった。彼の背中には、百を超えるであろう薔薇が突き刺さっている。苦しそうに呻く死神の姿を見て、恭助は思わずハッとした。それはグロリアが見せた幻覚の一部かも知れない。しかし、10年前に彼を救ってくれた青年の姿と、死神の姿が重なって見えたことは確かだった。
「はて、どこかで見た光景だねえ」
グロリアはわざとらしく首をかしげた。
「ああ、忘れもしないさ……10年前もこんな感じだったよ。Au1208──いや、守城 英一と呼ぶべきかも知れないね」
その言葉に恭助は目を見開いた。
「それって、まさか……」
グロリアはにっこりと笑みを浮かべながら、「その“まさか”だよ。まったくもって、不思議な縁もあったものだ。10年前に君を助け、生まれ変わることなく“死神になった彼”が、またしても君を助けたんだから……いやはや、これは傑作だね」
「ほんとなの?」
恭助の言葉に死神は答えない。
彼は息をするだけで精いっぱいという体だった。
「まあ、こいつに覚えていろというほうが酷だろうね。なにしろ、人間だった頃の記憶は“抹消”されてしまっているんだから」
「そんなことって……」
恭助は愕然とするしかなかった。
グロリアが一歩、一歩、ゆっくりと近づいてくるたび、恐怖がこみ上げる。恭助はそれを懸命にこらえながら、死神の背中に刺さった薔薇を、震える指先でそっと抜いた。一本、また一本。死神は苦痛に顔を歪めながら、「逃げろ、恭助…………」
それが彼の精いっぱいの言葉だった。




