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しにガミ  作者: 夢邑 ひつじ
第 9 章「捨て駒」
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#9ー2



 ひとり、旧館に辿たどりついた恭助は、まっすぐに廊下の奥を目指した。埃っぽい絨毯じゅうたんを闊歩し、きしむ扉を後ろ手に閉める。彼は、そこで緊迫の糸が切られたように、深々とため息をもらした。

 何が何だかわからない――恭助はふらつく足取りで、薄暗い室内を歩いた。燭台はどれも灯されておらず、明かりといえば、窓からさしこむ月の光くらいだ。

 蒼白く浮かびあがる書斎。

 ふと思い出されるのは、喫茶店【memento moriメメント・モリ】での一部始終だった。凍りつくような寒さに支配された店内。カウンター席で静かな眠りについていた伯父。否、彼はすでに息絶えていて、ぬくもりの欠片さえも感じられなかった。

 飲みかけのコーヒー。

 毒の小瓶。



 恭助は思わず目眩めまいを起こしそうになりながら、やっとのことでソファに腰をおろす。

「伯父さん……」

 恭助は天井をあおいだ。

 さまざまな光景や、誰のものかもわからない言葉が交錯こうさくして、なんだか落ち着かない。

 残された猶予はあと3日。“死神”になるか、“あの世”へ行くか──選択肢はこの二つだけだ。迷っている時間はない。しかし、恭助はまだ決めかねていた。まわりの切迫した出来事が彼の心をにぶらせているのかも知れない。

 どうして自殺なんか、恭助はぽつりともらした。

 伯父の死が彼の胸を締めつけていた。

「僕は、何のために……」

 恭助の頬にひとすじの雫が伝った。



「──いやはや、真っ暗だね」

 ふいに声がして、恭助は慌てて涙をぬぐった。

 どこかでぱちりと指が鳴らされ、室内にあった燭台に次々と炎が灯されていく。煌々(こうこう)と照らされた書斎の中に、見覚えのあるシルエットが浮かびあがった。シルクハットに燕尾服、ステッキを手に持った人物──グロリア、だ。

 その場に姿をあらわした彼は、恭助に向かって流暢りゅうちょうなお辞儀をした。

「おや、Au1208の姿が見あたらないね──何かあったのかい?」

 グロリアは向かい側のソファに腰をおろしながら、ふと首をかしげた。

「そ、それが……」

 恭助は半ばしどろもどろになりながら、先ほどの一部始終を説明した。恭助が話しているあいだ、グロリアはあごに手をやりながら、静かに耳をかたむけていた。



「シュヴァルツが、ね」

 話を聞き終えたグロリアは、腕を組みながら深刻そうに呟いたが、すぐに笑みを浮かべながら、「まあ、心配しなくても大丈夫だよ。Au1208(彼)は、優秀な死神だからね」

「は、はあ……」

 恭助は曖昧な笑みを返したあと、じっと目を伏せた。

 気にかかることは、それだけではなかった。ゼロは【死神くずれ】ではない──シュヴァルツは、たしかにそう言っていた。そうだとしたら、恭助を危険な目に遭わせていたのは、いったい誰だというのだろう。

「まあ、お茶でも飲みたまえ」

 恭助は思わずはっとした。

 いつのまにか、目の前のテーブルに人数分のカップが置かれている。紅茶らしきものが湯気を立てているが、香りからして、死神の好きなたぐいのものではなさそうだ。

 小さくため息をもらす恭助を見て、グロリアは不思議そうに首をかしげた。

「どうかしたのかい?」

「あ、いえ……中身がトリカブトだったら、どうしようかと思って」

 その言葉を聞いたグロリアは、とたんに苦笑をもらしながら、「安心したまえ。ワレは、趣味の悪いブレンドは飲まないことにしているんだ」──そう言って、自分のカップを口に運んだ。ならって、恭助もカップを手に取る。ひとくち飲むと花の香りが鼻腔いっぱいにひろがった。何かのハーブらしい。

 恭助は心なしか落ち着いた気がした。



「ところで、君はチェスを知っているかい?」

 紅茶を半分ほど飲み干したところで、グロリアは唐突に切りだした。

「え、ええ……少しなら」

 恭助はカップを置きながら、曖昧にうなずいた。

 以前、伯父にどうしても相手をしてくれと頼まれ、チェスに興じたことがある。当時、ルールをまったく知らなかった恭助は、そこで惨敗せざるをえなかった。一時期、伯父の相手をするために熱心に勉強したものだ。

「結構」

 グロリアは満足そうにうなずいて、いったんソファを離れた。

「──では、我の相手をお願いしよう」

 彼が書斎の隅から引っぱりだしてきたのは、半透明のクリスタルで出来たチェス盤だ。駒はすでに定位置に並べられている。ほこりをかぶってはいたが、それは絵画をたしなんでいた恭助の心をときめかせるのに十分すぎるほど、魅力的な代物しろものだった。

「君からどうぞ」

「は、はあ…………」

 恭助は言われるがまま、遠慮がちに黒の歩兵ポーンに手をやった。

 時おり、傍らの紅茶をすすりながら、彼らは黙々とチェスに興じた。今、時を動かしているのは、チェス盤に置かれた小さな駒だけだ。

 しばらくのあいだ、そこには静かな時間が流れていた。

 黒の駒は、次々と白の駒に奪われていく。

「あの、こんなことしていて良いんですか?」

 恭助はたまりかねて口をひらいた。

「大変なことが起こってるんでしょ、【亡魂ロスト】とか、【死神くずれ】とか……」

「ああ、君が心配することじゃないよ」

 グロリアはにっこりと微笑んだ。

「で、でも……」

「そっちの件は、死神局うちの優秀な連中が何とかしてくれるさ。君は、次に何を進めるかだけを考えればいい」

 恭助はそれ以上、反論することもできず、じっと目の前のチェス盤を見つめた。彼に残されているのは歩兵ポーン、それから、王様キングだけだ。この状況では、盤上を逃げ回ることしか出来ない。



「チェックメイト」

 白の駒が黒の王様を取り囲んでいた。

 恭助は苦笑をもらしながら、「また負けちゃった」

「また?」

 グロリアは駒を並べ直しながら、興味深そうに首をかしげた。

「ええ、以前よく伯父さんと勝負したんです。だけど、いつも勝てなくて……」

「君は目先の戦いだけにとらわれている」

「え?」

「チェスは、相手の裏をかかなくてはね。小さな犠牲を恐れないことだ」

「は、はあ」

 恭助は曖昧にうなずきながら、目をこすった。駒の輪郭りんかくが微妙にブレている。ちょうど、寝起きに視界がはっきりしないような、そんな具合だ。しかし、二、三度まばたきをしてみても、目をこらしてみても、視界はぼやけたままだ。

 しだいに小さく耳鳴りまでしてきた。



「この世界もチェスのようなものだ。常に相手の心を読み、裏をかき、自分の意志を完璧に遂行した者だけが、勝つことを許される」

「どういう、こと……」

 突如として激しい頭痛に襲われた恭助は、たまらずソファに伏した。

「君は何も考えなくていい」

 グロリアは横たわった彼に近づき、耳もとでそっと囁いた――「ひとつ、面白いことを教えてあげよう」

ワレこそが、【死神くずれ】だよ」

 その言葉に恭助は息を飲んだ。ぼやけた視界に、深紅の髪が揺れる。グロリアは恭助の頬をでながら、にっこりと微笑んだ。




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