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しにガミ  作者: 夢邑 ひつじ
第 8 章「サヨナラ」
35/48

♯8-1



 翌日、太陽の光が十分に満ちるのを待ってから、恭助と死神は旧館をあとにした。

「どこへ向かっているのだ」

 恭助の背後で、死神は少し疲れたような声を出した。

「もうちょっと先だよ」

 少しばかり急な斜面にある階段をのぼりながら、恭助はふり返らずに言った。まわりは背の高い木々に囲まれており、あちらこちらで小鳥のさえずりが聞こえる。そこはある日、彼らがすでに訪れたことのある場所だ。高台の城址じょうし公園である。

 階段をのぼりきると、そこにはふたてに分かれた小道があった。恭助は選んだのは左の道だ。落ち葉の散らかった木々の合間を進み、誰も遊んでいない遊具の脇を通り過ぎる。森の中をしばらく歩くと、小さな、可愛らしいつるバラのアーチが姿をあらわした。

「ここだよ」

 恭助は背をかがめながら、死神を手招いた。

 アーチの向こうには、森を切り取った不思議な空間が広がっていた。中央にいくつかのベンチが置かれており、それを取り囲むようにして、色とりどりの花が植えられている。手入れが行き届いているのであろう、冬を感じさせないほど鮮やかな色彩だ。絵本の一コマを思わせる小さな庭園である。

 死神はそこに足を踏み入れるなり、「あれは、お前の知り合いではないか?」

「え?」

 彼が指さした方向を見て、恭助は思わずはっとした――ちいちゃん、だ。灰色のマフラーをまいた制服姿の小林は、ベンチに腰かけ、じっとうつむいていた。その手には携帯電話が握られている。

 恭助は戸惑いながらも、彼女にそっと近づいた。

 小林は何度か通話ボタンを押すのを迷ったあげく、決意したように顔をあげ、それを片耳にあてる。長いこと相手は出ないのか、彼女はしばらく、携帯電話を持ったまま固まっていた。冷たい風がさらりと彼女の髪をでる。やがて、小林はようやく相手の名前を口にした。

「――恭ちゃん」

「え?」

 恭助は思わず首をかしげた。

 小林は携帯電話を片手に微笑みながら、「誕生日プレゼント、ありがとう」

「プレゼント?」

 恭助は不思議そうに死神をふり返ったが、彼は、何のことやらさっぱりだと言わんばかりに首をかしげた。

「あのね、恭ちゃん……昨日ね、恭ちゃんが夢に出てきたんだ。あたし、今までずっと言えなかったことがあってさ」

 小林は声を震わせた。

 彼女に恭助や死神の姿は見えていないはずだ。しかし、彼女は誰かの目をはばかるように、足もとに視線を落とした。

「恭ちゃんのこと……いつのまにか、好きになってたみたいで。ずっと言おうと思ってたけど、どうしても、言えなくてさ。あたし、からかってばっかで……そしたら、恭ちゃん突然いなくなっちゃって。馬鹿だよね、あたし」

「ちいちゃん……」

「目の前が真っ暗になっちゃって、もう、どうしたらいいかわかんなくて。どうしたら、会えるんだろうって」

 彼女は小さくため息をもらしたあと、少し躊躇ためらいがちに、「あたし、死のうとしたんだ」

「――知ってる」

 恭助は、無意識に答えていた。彼は見ていたのだ。止めようとしたのだ。彼女が切り立った崖から飛び下りようとするのを。

「でもさ、店長に言われたんだ。恭ちゃんは、そんなこと望んでないって……あたし、お葬式にも行けなかった……信じられなくて。信じたくなくてさ……ほんと、最低だよね」

「――そんなことないよ」

 小林は何かをこらえるように口をつぐんだあと、ため息をもらした。白く半透明に浮かんだ息は、音もなく風に流されていく。

 恭助はもどかしい思いを噛み殺しながら、ぽつり、ぽつりとつむがれる彼女の言葉にじっと耳をかたむけた。ここにいる、そう言ってあげたかった。目の前に存在しているのに、絶対的に届かない距離。今の自分には、肩を震わせる彼女を抱きしめてあげることもできない――恭助はじっと唇を噛みしめた。

「だけどさ、ひどいよ……いきなり、いなくなっちゃうなんて」

「――ごめん」

 小さな庭園に突如として風が吹き抜け、色とりどりの花弁をさらった。宙に舞ったそれらは、気まぐれにふわりふわりと寄り道しながら、やわらかな芝生に横たわる。まるで緑のキャンバスだ。描かれた景色の中にたたずむ彼らは、しばらくのあいだ、言葉を失った人形のように押し黙っていた。

「でもね、恭ちゃん」

 彼女は小さく微笑みながら、片手をそっと胸もとにあてた。

「恭ちゃんは、生きてるから」

「え?」

「だから、ね。あたし、大丈夫だから……信じてるから。きっと、またいつか会えるって。だから…………」

 サヨナラ。

 彼女は、ぽつりともらした。

 小林は携帯電話を耳からそっと離し、少し躊躇うようにそれを見つめたあと、ボタンを押す。携帯電話の液晶が消えた。彼女はふと息をついて、おもむろにベンチを立ち上がった。恭助の脇を通り過ぎ、ゆっくりと庭園の出入り口に向かっていく。恭助は、その後ろ姿に追いすがった――「ちいちゃん!」

 突如として吹いた猛烈な風が、彼女の足をはたと止めさせた。小林は驚いたようにふり返った――庭園をぐるりと見回したが、そこには誰の姿もない。やがて、彼女は小さく首を横にふって、ゆっくりとした足取りで歩きだした。

「ちいちゃん……」

 恭助は、彼女の後ろ姿がしだいに遠ざかっていくのを、ただ見送ることしかできなかった。



「――人間とは、不思議なものだな」

 茫然ぼうぜんと立ち尽くす恭助の横で、死神はおもむろに口をひらいた。

「他人の人生を勝手に苦しんで、それらを勝手に乗り越えていく。まったくもって、不可解な生き物だ」

「あんたも、人間だったんでしょ」

「――昔のことだ」

 死神は肩に鎌を担がせ、小さくため息をついた。

「そんなことより、お前は本当に“死神になる”のか?」

 恭助はどきりとした。一度は決断したものの、彼の心には迷いがしょうじていた。

「死神になれば、人間だった頃の記憶はすべて抹消され、“転生”の道は永久に閉ざされることになる。つまり、もう二度と人間として生まれ変わることはできない、ということだ。これを【死神局】に渡してしまったら、もう取り返しはつかない」

 彼はローブのふところに手をいれ、黄色の封筒を取りだした。

「しかし、今ならまだ間に合う。“あの世に行く”こともできるのだ。恭助。お前は、本当はどうしたいのだ?」

「ぼ、僕は……」

 恭助は戸惑いの色を浮かべた。

 彼の脳裏には、先ほどの小林の姿が思い浮かんでいた。彼女は、信じていると言った。再び、恭助に会えることを――しかし、もし彼が死神になってしまったら、それは永久に叶うことはない。恭助はこみ上げる想いを噛みしめながら、じっとうつむいた。

 遠くのほうから、正午を知らせる鐘が優しく響きわたってくる。

「――【カラス便】だ」

 死神はいち早くその存在を察した。

 恭助があたりを見回していると、やがて、一羽のカラスが姿をあらわした。木々のあいだを旋回しながら飛んできた彼は、くちばしにくわえていた封筒を落とすなり、すぐさま方向転換をした。よほど切羽せっぱ詰まっているようすだ。挨拶あいさつもなしに去っていくカラスを見送ったあと、死神は足もとの封筒に手をのばした。彼は中身にざっと目をとおすなり、「――恭助。お前は“旧館”に戻っていろ」

「何かあったの?」

「“応援要請”だ。【情報屋】に亡魂ロストが侵入した。私はヤツらを片づけてくる」

「じゃあ、僕も」

 死神は封筒をしまいながら、首を横にふった。

「ダメだ。これ以上、お前を危険な目に遭わせるわけにはいかない」

「だ、だけどさ……」

 恭助は不安げな面持ちでうつむいた。

 死神は鎌を肩に担がせながら、しばらく、考え込むようにあごに手をやった。彼らのあいだを、物言わぬ風が通り過ぎていく。やがて、やれやれと言わんばかりにため息をもらした死神は、「仕方がない。その代わり、私のそばから離れるな」――そう言って、恭助の腕をぐいとつかんだ。




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