♯8-1
翌日、太陽の光が十分に満ちるのを待ってから、恭助と死神は旧館をあとにした。
「どこへ向かっているのだ」
恭助の背後で、死神は少し疲れたような声を出した。
「もうちょっと先だよ」
少しばかり急な斜面にある階段をのぼりながら、恭助はふり返らずに言った。まわりは背の高い木々に囲まれており、あちらこちらで小鳥のさえずりが聞こえる。そこはある日、彼らがすでに訪れたことのある場所だ。高台の城址公園である。
階段をのぼりきると、そこにはふたてに分かれた小道があった。恭助は選んだのは左の道だ。落ち葉の散らかった木々の合間を進み、誰も遊んでいない遊具の脇を通り過ぎる。森の中をしばらく歩くと、小さな、可愛らしい蔓バラのアーチが姿をあらわした。
「ここだよ」
恭助は背をかがめながら、死神を手招いた。
アーチの向こうには、森を切り取った不思議な空間が広がっていた。中央にいくつかのベンチが置かれており、それを取り囲むようにして、色とりどりの花が植えられている。手入れが行き届いているのであろう、冬を感じさせないほど鮮やかな色彩だ。絵本の一コマを思わせる小さな庭園である。
死神はそこに足を踏み入れるなり、「あれは、お前の知り合いではないか?」
「え?」
彼が指さした方向を見て、恭助は思わずはっとした――ちいちゃん、だ。灰色のマフラーをまいた制服姿の小林は、ベンチに腰かけ、じっとうつむいていた。その手には携帯電話が握られている。
恭助は戸惑いながらも、彼女にそっと近づいた。
小林は何度か通話ボタンを押すのを迷ったあげく、決意したように顔をあげ、それを片耳にあてる。長いこと相手は出ないのか、彼女はしばらく、携帯電話を持ったまま固まっていた。冷たい風がさらりと彼女の髪を撫でる。やがて、小林はようやく相手の名前を口にした。
「――恭ちゃん」
「え?」
恭助は思わず首をかしげた。
小林は携帯電話を片手に微笑みながら、「誕生日プレゼント、ありがとう」
「プレゼント?」
恭助は不思議そうに死神をふり返ったが、彼は、何のことやらさっぱりだと言わんばかりに首をかしげた。
「あのね、恭ちゃん……昨日ね、恭ちゃんが夢に出てきたんだ。あたし、今までずっと言えなかったことがあってさ」
小林は声を震わせた。
彼女に恭助や死神の姿は見えていないはずだ。しかし、彼女は誰かの目をはばかるように、足もとに視線を落とした。
「恭ちゃんのこと……いつのまにか、好きになってたみたいで。ずっと言おうと思ってたけど、どうしても、言えなくてさ。あたし、からかってばっかで……そしたら、恭ちゃん突然いなくなっちゃって。馬鹿だよね、あたし」
「ちいちゃん……」
「目の前が真っ暗になっちゃって、もう、どうしたらいいかわかんなくて。どうしたら、会えるんだろうって」
彼女は小さくため息をもらしたあと、少し躊躇いがちに、「あたし、死のうとしたんだ」
「――知ってる」
恭助は、無意識に答えていた。彼は見ていたのだ。止めようとしたのだ。彼女が切り立った崖から飛び下りようとするのを。
「でもさ、店長に言われたんだ。恭ちゃんは、そんなこと望んでないって……あたし、お葬式にも行けなかった……信じられなくて。信じたくなくてさ……ほんと、最低だよね」
「――そんなことないよ」
小林は何かを堪えるように口をつぐんだあと、ため息をもらした。白く半透明に浮かんだ息は、音もなく風に流されていく。
恭助はもどかしい思いを噛み殺しながら、ぽつり、ぽつりと紡がれる彼女の言葉にじっと耳をかたむけた。ここにいる、そう言ってあげたかった。目の前に存在しているのに、絶対的に届かない距離。今の自分には、肩を震わせる彼女を抱きしめてあげることもできない――恭助はじっと唇を噛みしめた。
「だけどさ、ひどいよ……いきなり、いなくなっちゃうなんて」
「――ごめん」
小さな庭園に突如として風が吹き抜け、色とりどりの花弁を攫った。宙に舞ったそれらは、気まぐれにふわりふわりと寄り道しながら、やわらかな芝生に横たわる。まるで緑のキャンバスだ。描かれた景色の中に佇む彼らは、しばらくのあいだ、言葉を失った人形のように押し黙っていた。
「でもね、恭ちゃん」
彼女は小さく微笑みながら、片手をそっと胸もとにあてた。
「恭ちゃんは、生きてるから」
「え?」
「だから、ね。あたし、大丈夫だから……信じてるから。きっと、またいつか会えるって。だから…………」
サヨナラ。
彼女は、ぽつりともらした。
小林は携帯電話を耳からそっと離し、少し躊躇うようにそれを見つめたあと、ボタンを押す。携帯電話の液晶が消えた。彼女はふと息をついて、おもむろにベンチを立ち上がった。恭助の脇を通り過ぎ、ゆっくりと庭園の出入り口に向かっていく。恭助は、その後ろ姿に追い縋った――「ちいちゃん!」
突如として吹いた猛烈な風が、彼女の足をはたと止めさせた。小林は驚いたようにふり返った――庭園をぐるりと見回したが、そこには誰の姿もない。やがて、彼女は小さく首を横にふって、ゆっくりとした足取りで歩きだした。
「ちいちゃん……」
恭助は、彼女の後ろ姿がしだいに遠ざかっていくのを、ただ見送ることしかできなかった。
「――人間とは、不思議なものだな」
茫然と立ち尽くす恭助の横で、死神はおもむろに口をひらいた。
「他人の人生を勝手に苦しんで、それらを勝手に乗り越えていく。まったくもって、不可解な生き物だ」
「あんたも、人間だったんでしょ」
「――昔のことだ」
死神は肩に鎌を担がせ、小さくため息をついた。
「そんなことより、お前は本当に“死神になる”のか?」
恭助はどきりとした。一度は決断したものの、彼の心には迷いが生じていた。
「死神になれば、人間だった頃の記憶はすべて抹消され、“転生”の道は永久に閉ざされることになる。つまり、もう二度と人間として生まれ変わることはできない、ということだ。これを【死神局】に渡してしまったら、もう取り返しはつかない」
彼はローブの懐に手をいれ、黄色の封筒を取りだした。
「しかし、今ならまだ間に合う。“あの世に行く”こともできるのだ。恭助。お前は、本当はどうしたいのだ?」
「ぼ、僕は……」
恭助は戸惑いの色を浮かべた。
彼の脳裏には、先ほどの小林の姿が思い浮かんでいた。彼女は、信じていると言った。再び、恭助に会えることを――しかし、もし彼が死神になってしまったら、それは永久に叶うことはない。恭助はこみ上げる想いを噛みしめながら、じっとうつむいた。
遠くのほうから、正午を知らせる鐘が優しく響きわたってくる。
「――【カラス便】だ」
死神はいち早くその存在を察した。
恭助があたりを見回していると、やがて、一羽のカラスが姿をあらわした。木々のあいだを旋回しながら飛んできた彼は、嘴にくわえていた封筒を落とすなり、すぐさま方向転換をした。よほど切羽詰まっているようすだ。挨拶もなしに去っていくカラスを見送ったあと、死神は足もとの封筒に手をのばした。彼は中身にざっと目をとおすなり、「――恭助。お前は“旧館”に戻っていろ」
「何かあったの?」
「“応援要請”だ。【情報屋】に亡魂が侵入した。私はヤツらを片づけてくる」
「じゃあ、僕も」
死神は封筒をしまいながら、首を横にふった。
「ダメだ。これ以上、お前を危険な目に遭わせるわけにはいかない」
「だ、だけどさ……」
恭助は不安げな面持ちでうつむいた。
死神は鎌を肩に担がせながら、しばらく、考え込むように顎に手をやった。彼らのあいだを、物言わぬ風が通り過ぎていく。やがて、やれやれと言わんばかりにため息をもらした死神は、「仕方がない。その代わり、私のそばから離れるな」――そう言って、恭助の腕をぐいとつかんだ。




