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しにガミ  作者: 夢邑 ひつじ
第 7 章「死神」
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♯7-4



 書斎にひとり残された恭助は、ソファに背をもたせ、小さくため息をもらした――これで彼らの“誤解”がとけるのかどうかは、わからない。あとは死神しだいだ。しかし、彼ならきっと上手くやってくれるだろう。恭助はすっかり安堵しきっていた。曇り窓の向こうからは、かすかに小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 机の上には、便箋の残りと万年筆、先ほどまでつけていたピンクの眼帯が転がっていた。右目の視力はもうほとんど回復しており、痛みも感じない。傷口もすっかりふさがっているらしかった。そんな安心感からか、しだいにまぶたが重くなっていく。恭助はゆっくりと目を閉じた。もうずいぶんと眠っていないような気がする。死者である彼には睡眠は必要ないが、眠ろうと思えば不可能ではない。恭助は重い鎖から解放されたような、心地よい眠気を感じた。

「――ああ、やはりこちらでしたか」

 ソファに身をゆだね、うつらうつらとしていた恭助は、突如とつじょとして響いた声に飛び起きた。開かれた扉の向こうには、シュヴァルツの姿があった。仕立てのよさそうなスーツに蝶ネクタイをした彼は、片手にティーセットを持っている。彼は苦笑をもらしながら、「お休み中のところ、まことに申し訳ございません」

「い、いえ……どうして、ここに?」

 わずかに恐怖をにじませる恭助に、シュヴァルツはにっこりと微笑んだ。

「少々、あなた方にお話がございましたので」

 シュヴァルツはそう言いながら、ゆっくりと書斎に足を踏み入れた。

「ところで、Au1208はどちらに?」

「し、【死神局】です」

 恭助はとっさにそう答えていた。

 神宮司や小林に手紙を届けに行っているなどとは、口が裂けても言えない。そんなことが知れたら、シュヴァルツは彼を“査問会”にかけるにちがいないからだ。

「――さようでございますか」

 納得したようすの彼に、恭助はほっと胸をでおろした。

 シュヴァルツはテーブルの上にティーセットを置くなり、丁寧にカップを並べ、湯気を立てるポットから二人分のお茶をそそいだ。その手際のよさは、どことなく、富豪のお屋敷に仕えている執事を思わせる。彼の優雅な所作を見つめながら、恭助はふと首をかしげた。

「あの……お話って?」

 シュヴァルツは恭助の向かいに腰かけ、「今後のことについて、少々」――そう言って、にっこりと微笑んだ。

 カップの中では、淡い色合いの紅茶が湯気を立てている。どうやら、トリカブトではなさそうだ。恭助は内心ほっとしながら、目の前のカップを手に取った。ひとくち飲むと、鼻腔にほのかな花の香りがひろがっていく。ハーブティー、のようだ。

 シュヴァルツはそのようすを満足げに見つめたあと、おもむろに口をひらいた。

猶予ゆうよは、あと5日です」

 恭助は思わずどきりとした。

「ご決断はお早めになさったほうがよろしいですよ」

「は、はい……」

 恭助は口ごもりながら、じっとうつむいた。シュヴァルツの言わんとしていることは十分に承知していた。“死神になる”か、“あの世へ行く”か――決断しなくてはならない。

「死神局は今、ちょっとした事件の対応に追われておりますので」

「事件?」

「ええ。諸事情により、詳しいことはお話できませんが……」

 シュヴァルツは自分のカップに口をつけたあと、小さくため息をもらした。

「現世には、以前にもまして【亡魂ロスト】が増えております。もしかしたら、近い内に彼らとの“全面戦争”が起こるかもしれません。死神局の運営は、一時的に止まることを余儀なくされるでしょう……できれば、そのような事態におちいる前に、ご決断いただけるとありがたいのです」

 恭助は、まだ湯気を立てているカップを手に持ったまま、やはりうつむいていた。シュヴァルツはそんな彼の気持ちを察してか、「まあ、無理にとは申しませんが……」そう言って、苦笑をもらした。



 書斎の扉が勢いよく開かれたのは、彼らが二杯目のお茶をたしなんでいる最中だった。

「――お帰りなさいませ、Au1208」

「シュヴァルツ……」

 死神は室内に足を踏み入れるなり、眉をしかめた。

「何をしに来た」

「おやおや、これはご挨拶ですね」

 シュヴァルツは苦笑をもらしながら、「少々お話があって参りましたが、あなた様がいらっしゃらなかったので……死神局のほうは、如何いかがでしたか?」

 死神は一瞬きょとんとした表情をしたが、すぐさま状況を察したらしく、「ああ……どうやら、問題が起きているようだな」そう言って、恭助のとなりに腰をおろした。シュヴァルツは手際よく紅茶を注ぎ、死神の手前にカップを置く。

「では、ゼロのこともご存知で?」

「ああ。だから、こいつを旧館ここまで連れて来たのだ」

「さようでございましたか」

 シュヴァルツはにっこりと微笑みながら、「それは賢明なご判断でしたね」

「話というのは?」

 死神はじっと腕を組んだ。

 紅茶が湯気を立てているが、彼は見向きもしない。

「ええ、実は……【情報屋】が一時的に閉鎖されることになりましてね」

「閉鎖?」

「はい。何でも、総司令部の方々がじきじきにいらして、彼の取り調べをなさるそうです」

「あ、ああ……」

 死神が曖昧にうなずく横で、恭助は小さく息をのんだ。

「しばらくのあいだ、現世こちら側の【カラス便】がお使いいただけなくなりますので、こうしてご連絡にあがったしだいです。二種類の書類はお持ちですね?」

 ああ、と死神はローブのふところから黄色の封筒を取りだし、テーブルの上にそっと置いた。おもてには“死神局総司令部行”の文字が印字されている。グロリアに渡された二種類の書類――あの世への扉を開くための“権利書”と、死神になるにあったっての“同意書”だ。

「結構です」

 シュヴァルツは満足げにうなずいたあと、「お決まりになりましたら、直接、死神局までお持ちください。なるべく、お早めにご決断くださいますよう」

 彼は飲み干されたカップを片づけ、お盆を片手に立ち上がった。

「では、わたくしはこれで……」

「話というのは、それだけか?」

 シュヴァルツは少し考えるように口をつぐんだあと、「――ええ、今のところは」そう言って、にっこり微笑んだ。



 シュヴァルツが書斎を去ったあと、死神はソファに背をもたせ、疲れきったようにため息をもらした。目の前には黄色の封筒が置かれている。恭助はそれを見つめながら、じっと押し黙っていた。

「――心配するな」

「え?」

「手紙なら無事に届けておいた」

 恭助は戸惑うような表情をしたあと、「あ、ありがとう」――そう言って、曖昧あいまいに微笑んだ。手放しでは喜べなかったのだ。恭助に重大な決断が突きつけられていることには変わりない。

 曇り窓の向こうには、すでに西日の気配がした。もうじき日が暮れる。あわく朱色に染まっていく書斎の中に、燭台の炎が音もなく浮かびあがった。死神は小さくため息をもらしたあと、「――どちらを選ぶのもお前の自由だ」

 それは恭助の心を見透かしたような言葉だった。

「しかし、これだけは言っておく。私は、“死神になる”ことだけはおすすめできない」

「どうして?」

死神局むこうは今、大変な状況だ。通常の業務にも滞(とどこお)りが生じている。こんなときに死神になったら、研修どころではない。何も知らされないまま、亡魂の始末にかり出されるだけだ」

「でも、手が足りないんじゃないの?」

「たしかに、上層部うえの本音は“猫の手も借りたい”ところだろうな」

 死神はあざけるように笑ったあと、小さくため息をもらした。

「しかし、状況が状況だ。これ以上、お前を危険な目にわせるわけにはいかない……“あの世”に行くべきだ」

 死神はそっと視線を床に落とした。

 窓の外はしだいにかげりを帯びていく。彼らが互いに押し黙っているあいだ、時は刻一刻と過ぎていった。燭台の炎に、ぼんやりと映しだされた書斎。重苦しい静寂は、決断の時が迫っていることをさりげなく、しかし確実にほのめかしていた。

 恭助はやがて思いきったように顔をあげ、「――僕、死神になるよ」

「正気か?」

 死神は驚いたように目を見開いた。

「力になりたいんだ。今まで、助けられてばっかりだったから……」

 死神は、やれやれと言わんばかりにため息をもらしたあと、「“死神になる”ということは、人間の記憶は永遠に失われ、二度と生まれ変わることができなくなる、ということだ」

 恭助は一瞬、躊躇ためらうように唇を閉ざしたあと、「もう、決めたんだ」――そう言って、かすかに微笑んだ。

 死神は灰色の瞳に戸惑いを浮かべながら、恭助をじっと見つめた。信じられない、とでも言いたげな表情だ。彼は考え込むように腕を組み、しばらく口を閉ざしていたが、やがて黄色の封筒に手をのばし、「では、さっそく死神局に連絡を……」

「ま、待って」

 即座に立ち上がろうとする死神を、恭助は慌てて引き止めた。

「その前に行きたい場所があるんだ」




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