♯7-3
喫茶店【memento mori】には、相変わらず静かなときが流れていた。あれから一度も店を開けていないのだ。神宮司はカウンター席に腰かけ、茫然とした面持ちで煙草をふかしていた。
恭助の死から早くも4日。
店の奥に目をやると、彼の描いた油絵が朝の光を浴びてきらめいていた。額縁のなかで、天使のような人物が微笑んでいる。恭助は口には出さなかったが、いつも【死神】の存在を恐れていた――それは、彼の話から神宮司が推測したことだ。恭助は自分の過去をあまり語ろうとしなかった。題名を裏切るようなこの色彩は、きっと、彼自身が恐れを克服したかった思いの現れだ。神宮司はそう感じとっていた。
ふと目を閉じると恭助の姿が浮かぶ。
今もなお、瞼の奥にいる恭助は、神宮司にそっと語りかけてくるのだ。彼は、よみがえる記憶の欠片に思いを馳せていた。
「――はい」
ふいにノックされた扉に返事をしながら、神宮司は煙草の火を消した。もしかしたら、小林さんかも知れない――彼は足早に入り口まで歩き、ゆっくりと“取っ手”に手をかけた。
扉を開けた瞬間、神宮司は思わず呆気にとられながら、「どちら様ですか?」
目の前に立っている人物は、黒の燕尾服に蝶ネクタイという格好をしていた。両手にはまっ赤なバラの花束を抱えている。演奏会か、もしくはプロポーズにでも出かけるのだろうかと思わせる出で立ちだ。白髪を黒いリボンでひとつに束ねた彼は、躊躇(ためら)いがちに、「た、宅配の者ですが……」
「宅配?」
神宮司は思わず首をかしげた。何かを頼んだ覚えなどないし、とてもそんな風には見えなかったのだ。
「御手洗 恭助さんからです」
男はそう言って、無造作に封筒を取りだした。
「――悪い冗談はやめてください」
神宮司はとたんに眉をしかめ、男を睨んだ。趣味の悪いイタズラだと思ったのだ。
有無を言わさず扉を閉めようとする神宮司を見て、男は慌てたように、「あの、日付指定でお預かりしていたのですが……」
神宮司は目をぱちくりさせた。
「これを、恭助が?」
「ええ」
神宮司は驚きを隠せないようすで、花束と封筒を受け取った。
「では、私はこれで……」
「あ、あの!」
その場を立ち去ろうとした男を、神宮司はすかさず引き止めた――「よろしければ、コーヒーでも飲んでいかれませんか?」
喫茶店に客の姿があるのは久しぶりだ。
神宮司は男の向かいの席に腰をおろしながら、首をかしげた。燕尾服を着込んだ白髪の彼は、湯気の立ちのぼるコーヒーを見つめながら、もの憂げな表情をしている。
「ご迷惑でしたか?」
神宮司は心配そうな面持ちで尋ねた。
「い、いや……そんなことは」
男は曖昧に微笑んで、カップを手に取った。
「あの、恭助が来たのはいつ頃のことでした?」
「一週間ほど前だったと思います」
男はそう言ってコーヒーを口に運んだ。神宮司は彼がカップを置くのを待ってから、「何て言ってました?」
「神宮司さまと小林さまにこれを届けてほしい、と……誕生日だとか」
「誕生日?」
神宮司は少しばかり首をひねって、明日が小林の誕生日であることに思い至った。
「ああ、そういうこと」
彼は微笑をもらしながら、小さくうつむいた。そんな恭助が自殺を図(はか)ったなんて――今となっては変えられない事実だが、神宮司にはとても信じられなかった。
男はカップの中身を飲み干したあと、「恭助さんのことですが……」
「はい」
神宮司は驚いたように顔をあげた。
「実はあの時、現場にいたんですよ」
「現場?」
「ええ。私は配達の途中でした――その時、見たのです。“彼”の姿を……」
燕尾服の男は淡々と言葉をつづけた。
「そこには、猫がいました」
「ネコ?」
「ええ。きっと彼は、その猫を助けようとして、横断歩道に飛びだしたのです」
神宮司は目をぱちくりさせ、男の顔を見つめた。白髪の男は、何となく気まずそうに視線を落としながら、「この度は、御愁傷様でした」そう言って、戸惑いがちに頭をさげた。




