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しにガミ  作者: 夢邑 ひつじ
第 7 章「死神」
32/48

♯7-2



 恭助は万年筆を片手にじっと便箋びんせんを見つめた。白紙だ。それは長いこと机に置かれたままになっていた。伝えたいことは山ほどあった。しかし、いざ文字にしようとなると、言葉が出てこない。恭助はしばらく思い悩んだあげく、ゆっくりと万年筆を置いた。「あのさ……」ソファごしに背後をふり返る。

「書けたのか?」

 死神はふり返らずに言った。

「ま、まだなんだけど……」

「残された猶予ゆうよは、あと5日だ。お前には決めてもらわねばならない。“あの世へ行く”のか“死神になる”のかを……時間がないのだ。悩んでいる暇はない」

 死神の口調は淡々としたものだ。しかし、わずかながらに焦りがにじんでいた。死神は窓の向こうに視線をやりながら、小さくため息をもらした。もうじき夜が明ける。曇りガラスにさえぎられてはいるが、それだけはたしかだった。

 恭助は少し躊躇ったのち、「死神ってさ、人間だったの?」

「――誰から聞いた」

 死神はやはりふり返らずに言った。

「いや、そうじゃないんだけど……資料室で見たんだ。あの、転生名簿だっけ? そこに書いてあったんだ。あんたの、整理番号」

「その書類は“閲覧禁止”のはずだが……」

 死神は独り言のように呟いたあと、肩をすくめた。彼は相変わらず、見えもしない窓の向こうを見つめながら、「そうだ。この仕事をする以前は、人間だった」

「どうして、死神に?」

 恭助は身を乗り出しながら、興味深そうに尋ねた。背中ほどまである白髪が、わずかに揺れる。死神は少しばかり口を閉ざしたあと、小さく首を横にふった。彼は何か物寂しげな表情でうつむきながら、「理由などない」――そう言って、小さくため息をもらした。

「しかし、これだけは覚えている。私には、“選択肢がなかった”」

「どういうこと?」

 恭助は首をかしげた。

「ある時、私の前に【死神】があらわれた。誰なのかはもう覚えていない。しかし、そいつは私にこう言ったのだ。これは運命だ……とな」

「ウンメイ?」

「お前は死神になるしかない。そう言われた」

「どうして……」

 死神は小さく首を横にふった。

「そんなことは知るよしもない。私は、ただ茫然とするうちに【死神局】へ連れていかれた。よほど、手が足りなかったのだろう」

「そんなの、無理やりじゃないか」

 恭助は納得のいかない面持ちで、死神の後ろ姿を見つめた。彼はやはり、窓の向こうに目をやっていた。曇っていて、何も見えやしない。しかし、彼はそこに何かの姿を投影しているようだった。

「どんな人生だった?」

 恭助がふと発した言葉に、死神は一瞬たじろいだ。彼はしばらくのあいだ口をつぐんだあと、「――今となっては、わからない」

「わからない?」

「“人間だった頃の記憶はすべて抹消される”のだ。死神になると同時に、な」

 恭助は思わず絶句した。

 今まで聞いたことがなかった事実だ。

「じ、じゃあさ……何も覚えてないの」

「ああ。気がついた時には、何もかも思い出せなくなっていた――当然、だ。私にはもう、そんな記憶など“存在しない”のだから」

 死神はそう言って自嘲ぎみに笑った。

 彼はやはり、窓の向こうに視線をやっていた。

 そこから見えるものは何もない。ただ、夜明け前のどっぷりとした闇が鎮座していることを、おぼろげに感じさせてくれるだけだ。死神は、聞こえないように小さくため息をもらした。

 恭助は何とも言えない寂しさをもてあましながら、死神の後ろ姿を見つめていたが、やがてあきらめたようにソファに座り直した。目の前には、白紙の便箋が並んでいる。彼の思いを綴るのには十分な枚数だ。恭助はゆっくりと息を吐きだしたあと、おもむろに万年筆を手にとった。



 曇り窓の向こうから、かすかに淡い光が差しこんでいる。朝、だ。ようやく手紙を書き終えた恭助は、内容を読み返して満足げに微笑んだ――「これをポストに投函すればいいのだな?」二枚の封筒を受け取った死神は、確認するように言った。

 恭助は小さくうなずいたあと、「本当は花束も送りたいんだけど……」

「花束?」

「ちいちゃん、もうすぐ誕生日だから」

 恭助はうつむきながら、少しばかり頬を赤らめた。しかし、彼はすぐさま首を横にふって、「でも、いいんだ……手紙さえ、届けてくれたら」

 死神は小さく首をかしげたあと、封筒を懐にしまいながら、「――では、私は“こと”を済ませてくるとしよう」そう言って、恭助に背を向けた。

 死神が埃っぽい書斎を闊歩かっぽし、扉の向こうへと姿を消すのを見送ったあと、恭助は小さくため息をもらした。彼の手には、もうひとつの封筒があった。神宮司や小林にてたものではない。恭助はしばらくそれを見つめたあと、衣服のポケットにそっとしまいこんだ。




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