♯7-1
上司達と別れた死神は、恭助の腕を引いて深夜の商店街にくりだした。どこに【亡魂】が潜んでいるかも知れない――死神は肩に鎌を担がせ、絶えず周囲に目を光らせながら、人気のない通りを大股に闊歩した。
「どこに行くの?」
「――旧館だ」
死神はふり返らずに答えた。
「旧館?」
「現在の【情報屋】が完成する以前、使われていた建物だ。もう廃墟と化しているが、亡魂の侵入を防ぐための仕掛けは残っている。あそこなら安全だ」
死神はそう言って、通りの角をまがった。一定の間隔をあけて点在する外灯に照らされた、狭い路地だ。まわりの店舗にはシャッターがおろされ、どこの窓にも明かりはない。寝静まった街の片隅を彼らは足早に歩いた。何度か角をまがり、狭い路地をぬけると、ひときわ静かな住宅街にさしかかる――「あれ?」
恭助はふいに立ち止まった。外灯の下に見覚えのある姿があったのだ。神宮司の飼い猫、“公爵さま”である。ここは彼の住処、喫茶店【memento mori】からはずいぶんと離れた場所だ。恭助は気になって近づこうとしたが、「寄り道している場合ではない」――死神にぐいと腕を引かれ、岐路に引き戻されてしまった。
深夜の住宅街をしばらく行くと、古ぼけた建物が見えてきた。まわりとは明らかに雰囲気が異なり、そこだけ別世界のように浮いている。死神はその門の前で立ち止まった。こじんまりした洋館だ。背の高い錆びた門の向こうには、手入れの行き届いていない荒れた庭が広がっていた。雑草がのび放題だ。洋館の外壁にはびっしりと蔦が這っており、レンガ造りのそれは、ところどころに亀裂が見られる。二階の窓ガラスはことごとく割れており、ほとんど吹きさらしだ。
まさに廃墟というにふさわしい。
恭助は漠然と思いながら、ふと首をかしげた。彼は長いあいだこの街で暮らしてきたが、今までこんな廃墟は見たことがなかったのだ。
「こんなの、あったっけ?」
死神は錆びた門に手をかけながら、「まあ、“生者”にとってはただの空き地だからな」
「あ、ああ……」
恭助は曖昧にうなずいた。
玄関の扉を閉めるなり、ボッとかすかな音がして次々と炎が浮かびあがった。天上のシャンデリアだ。玄関ホールの正面には、二階への階段。奥には狭い廊下がつづいている。情報屋にくらべると小ぶりだが、内装はやはり西洋のアンティークで統一されていた。煌々(こうこう)と照らされた館内に、誰かの気配はない。恭助は思わす手で鼻を覆った。むせ返るほどの黴臭さだ。
死神は深紅の絨毯を闊歩し、廊下のいちばん奥にある扉を開けた。燭台の炎に映しだされたそこは、書斎のようだ。壁際に置かれた机と椅子。かたわらには本棚があるが、中身は空だ。室内の中央には、ガラス製の長テーブルをはさんで、こじんまりしたソファ・セットが置かれていた。窓はあるものの、曇っていて外の景色は見えない。総じて言えるのは、全体的に埃っぽいということだ。
死神は、疲れきったようにソファへ腰をおろした。とたんに塵や埃が舞い上がる。恭助は向かい側に腰かけるなり、おもむろに口をひらいた。
「あのさ……死神がいない時、情報屋の“資料室”に行ってみたんだけど」
「資料室?」
死神は意外そうな顔をした。
「ゼロに言われたんだ。詳しく知りたかったら、そこに行けって……【死神くずれ】のこと」
「何故、お前がそんなことを調べる必要があるのだ」
「だ、だって」
恭助は少しばかり躊躇ったあと、記憶を辿るようにぽつり、ぽつりと言葉をつむいだ。
「僕、さ。ジサツ、しようとしたことがあって。その時も、狙われてたんだって……でも、僕を助けてくれた人がいてさ。だから、助かったんだけど…………理由が知りたくて」
恭助はじっとうつむいた。
今でもありありと思い浮かぶ、雨の日の一部始終。
薄れゆく意識の中で恭助を諭そうとした、青年――彼は、“あの世”に行けたのだろうか。
「それはいつの話だ?」
「10年前……僕が、中学生だった頃の」
死神は顎に手をやりながら、「ちょうど、死神局が騒がしくなった頃だな」
恭助は小さく首をかしげた。
「私も死神局に行って、いろいろ調べてきたのだが……ヤツが失敗したのは、ただの一度だけだった」
「一度だけ?」
「ああ。それが10年前のことだ。その時、ヤツは初めて証拠を残した。死因不明の依頼、改ざんされた報告書など――そして、ヤツは一度“査問会”にかけられている」
「あ、あの時の……」
「知っているのか?」
死神は驚いたような顔をした。
「み、見ちゃったんだ。その記録」
慌てたように取り繕う恭助を見て、死神はやれやれと言わんばかりにため息をもらした。「あれは、たしか“閲覧禁止”のはずだが……」独り言のように呟いたあと、彼は小さく首を横にふった。
「まあ、見てしまったものは仕方がない。つまり、“そういうこと”だ」
死神の瞳は心なしか曇っていた。
恭助は物言わずにうつむいていたが、やがて、躊躇いがちに口をひらいた。
「ゼロのところには、もう?」
「ああ。奴に疑いがかかっている以上、無理だ。もう、あそこに戻ることは出来ない……残念ながら、な」
埃をかぶった書斎には、時を刻む針もない。蝋燭の炎だけがかすかに揺れ、そこに時が流れていることを仄めかせていた。刻一刻と過ぎていく、空白。ずいぶんと長いこと、言葉のない世界がそこに鎮座していた。彼らの姿は、わずかに翳りを帯びている。恭助は、静かに目を閉じていた。瞼(まぶた)の裏に浮かびあがるのは、気怠げに煙管をふかす、ゼロの姿だ。
「――ところで」
最初に口をひらいたのは死神だった。
「手紙はもう書けたのか?」
「あ、あの……それなんだけど」
恭助はしどろもどろになりながら、申し訳なさそうに口ごもった。死神に買いそろえてもらった一式を、ゼロの書斎に置き忘れてしまったのだ。今さら、取りになど戻れない。言葉を濁す恭助を見て、死神は小さくため息をもらした。彼はローブの懐に手をやりながら、「まあ、そんなことだろうと思っていた」
「こ、これって……」
差しだされたレターセットと万年筆を受け取りながら、恭助は首をかしげた。
「余分に買っておいたのだ。お前は、衝動的に行動する癖があるようだからな」
死神は小さく苦笑をもらした。




