♯6-3
資料室をあとにするなり、恭助はゼロの書斎へと向かった。絵画の裏にある隠し扉をあけ、地下へとつづく階段を一段とばしに駆け下りる。通路をまっすぐに行けば、そこが彼の書斎だ。扉は無惨にも壊されたままだった。恭助はその残骸をまたいで、書斎の中に足を踏み入れた。
「あれ……?」
そこに主の姿はない。
まだ戻ってきていないのだろうか。
恭助は小さくため息をもらし、馴染みのソファに腰かけた。テーブルには、便箋や万年筆が置かれたままになっている。死神が買いそろえてくれた物だ。恭助がふと思い立って、それに手をのばそうとした。その時だ――「ご、誤解です!」どこかで慌てたような声がした。ゼロだ。恭助は、書斎の奥にある扉に目をやった。きっと、そこに彼がいるのだろう。かすかに話し声がする。恭助はそろそろと立ち上がり、忍び足で近づいた。その扉には小さな鍵穴がついており、室内のようすが申し訳ていどに窺える。いけないとは思いながらも、恭助はそこに片目を近づけた。
部屋の全貌は見えないが、誰がいるのかはすぐにわかった。顔を真っ青にしながら、うつむいているゼロ。傍らにいるもうひとりは後ろ姿だったが、恭助の知っている人物だ。シルクハットに、金の縁取りがなされた燕尾服。深紅の髪。ステッキを手にしたその男は――グロリア、だ。
「まさか、こんなことをしでかしてくれるとはね。今回ばかりは、さすがの我にもかばいきれないよ。君には、それなりの処分を覚悟してもらわなくては……」
「あっしは、何もしてないんです!」
「それが問題なんだよ、ゼロ。君の仕事ぶりには驚かされている。もちろん、悪い意味でね」
「そ、それには、ワケが……」
ゼロは何かを言いかけたが、途中で口ごもった。目の前にステッキが突きつけられたからだ。
「上層部は、君に対して厳しい処分を望んでいる」
「そ、そんな……」
「君は仮にも【情報屋】の管理責任者だ。先日、査問会にかけられたばかりだろう? 矢継ぎ早にこんな事件を起こされては、死神局としても困るんだよ。何なら、今すぐこの場で“断罪”してあげてもいいんだけれどね」
「そ、それだけは……どうか、ご容赦を」
ゼロは怯えきったようすで声を震わせた。
シルクハットの紳士は小さく鼻で笑ったあと、「まあ、それはやめておこう」とステッキを下ろした。安堵したように胸に手をあてるゼロに、彼は「よく考えておくことだね。今度、何かあったら……片目だけじゃ、すまさないから」そう言って、くるりと背を向けた。
グロリアはゆっくりとした足取りで、扉のほうへと向かってくる――まずい。恭助は慌ててそこから離れ、近くにあった本棚の暗がりに身を隠した。小部屋を出たグロリアはふと立ち止まり、首をかしげる。目と鼻の距離だ。恭助はじっと息を殺しながら、どぎまぎしていた。「まさか、ね……」グロリアは小さく首を横にふったあと、恭助のそばを通り過ぎた。気づかれたようすはない。恭助は、聞こえないようにため息をもらし、彼が書斎から姿を消すのをじっと待った。
恭助が本棚の隙間から飛びだした途端、ゼロはぎょっとしたような顔をして、「な、なんだ……キミだったのかい」と胸に手をあてた。小部屋の扉は開きっぱなしになっている。どうやら、そこはゼロの寝室のようだ。彼は慌てて扉を閉めながら、「で、何か収穫はあったかい?」と、取り繕うように笑みを浮かべた。恭助はとっさに何を言ったらよいのかわからず、「ええと……」と口ごもる。ゼロは、「まあ、とりあえずおかけなさいな」と、彼をソファへ促した。
向かい合って腰をおろすなり、恭助は「何があったんですか?」と首をかしげた。
「あ、ああ。もしかして、聞いちゃった?」
ゼロはきまり悪そうに苦笑をもらし、おもむろに煙管をくわえた。紫がかった白い煙が不規則に揺れる。彼は、ひと息に煙を吐きだしたあと、「実はね……情報屋の【カラス便】が、消えちゃったんだよ」そう言って、ため息をもらした。
「消えた?」
「ああ、それも一羽残らずね」
ゼロは疲れたように背をもたせた。
「こんなことは初めてだよ。きっと、誰かが扉を閉め忘れたんだと思うけどね。おかげで、あっしが怒られちゃったよ……」
「だ、大丈夫なんですか?」
恭助は不安げな面持ちで尋ねた。
「ああ、大丈夫だよ。情報屋のカラス便は、おもに緊急用だからねえ。一時的に使えなくても、たいした問題には」
「あの、そうじゃなくて……さっき、“処分”とか何とか言ってたから」
ゼロは一瞬、きょとんとした表情をしたあと、「あっしのことなら、心配ないさ。怒られるのはいつものことなんだ。もう慣れっこだよ」と、ひらひら片手をふった。
(とても、そんなふうには見えなかったけど……)
「資料室は、どうだったんだい?」
ゼロは唐突に話題を変えた。
「あ、あの……シュヴァルツに会いました」
「シュヴァルツ?」
ゼロは驚いたような顔をして、「そいつはちょっと、妙だねえ。彼は、死神局に戻ったはずなのに……」と怪訝そうに眉をしかめていたが、やがて小さく首を横にふり、「それで?」と話の続きをうながした。
「話を聞いたんですけど……ちょっと、気になることがあって」
「どんなことだい?」
恭助は少し躊躇(ためら)うように口ごもったあと、「もしかしたら、シュヴァルツが【死神くずれ】なんじゃないかと思って……」と曖昧な口調で言いながら、自信なさげにうつむいた。資料室での光景が脳裏に浮かぶ――別れ際、にっこりと微笑むシュヴァルツの目は笑っていなかった。恭助は彼に対して、言い知れぬ恐怖を感じていた。
「どうして、そう思うんだい?」
ゼロは不思議そうに首をかしげた。
「詳しすぎるんじゃないか、と思って……あ、あの。シュヴァルツに、理由を聞いたんです。死神くずれは、どうしてこんなことをするのかって」
「ああ、そしたら?」
「計画があるんじゃないか、って……」
「ケイカク?」
恭助は先ほど記憶を辿るようにして、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「あの、死神局のシステムを破壊して……そしたら、あの世に行けなくなるから……それで、世界中の魂を……あ、あの。あくまで推測だって言ってたんですけど……なんか、妙にリアルで」
恭助は上手く伝えられないもどかしさを感じながら、じっとうつむいた。彼の話に静かに耳を傾けていたゼロは、少し考え込むように腕を組んだあと、「まあ、それも可能性としてはありうるだろうねえ……でも」
ゼロはおもむろに煙を吐きだした。
「あっしは、シュヴァルツが死神くずれだとは思わないよ」
「ど、どうして?」
「資料室には、他に誰もいなかったんだろう? もし、彼がそうだとすれば、とっくにキミを襲っているはずだからね……まあ、彼は意味深な物言いをするから、あっしも時々びっくりさせられるんだけど」
ゼロはそう言って苦笑を浮かべた。
恭助は安堵したような、かえって不安になったような、複雑な表情で小さくため息をもらした。資料室で見てしまった書類を思い出したのだ。ゼロの査問会の記録。そこには、彼が以前、【死神くずれ】の疑いをかけられたことが記されていた。そのことがきっかけでゼロは片目を失い、情報屋に“追放”されたのだ。
恭助はそれを尋ねるべきかどうか迷っていた。
「おや、めずらしいね……カラス便だよ」
ゼロの指さした方向に目をやると、書斎の入り口――壊された扉の向こうから、封筒をくわえたカラスがあらわれた。元気がない。力なく羽ばたいているが、今にも床に倒れこんでしまいそうである。限りなく低空飛行でやってきたカラスは、彼らのもとへ辿りつくことなく、その場に力尽きた。
ゼロは慌てて立ち上がり、「こりゃあ、大変だ。手当してあげなきゃね……」と、駆け寄るなりカラスをそっと胸に抱いた。ゼロは、嘴にくわえられた封筒を取ってやりながら、
「どうやら、キミ宛のようだよ」
「僕?」
恭助は首をかしげながら、ゼロから封筒を受け取った。おもてには、思わずため息がもれるほどの達筆で宛名が書かれており、その下には親展の文字。いったい、誰からだろう――封筒を裏返してみると、そこには“Au1208”と書かれていた。死神、だ。恭助は丁寧に封をやぶり、中身の便箋を取りだした。
「…………嘘」
内容に目を通すなり、恭助は愕然(がくぜん)とした。ゼロは救急箱をテーブルに置きながら、「どうしたんだい?」と首をかしげる。しかし、恭助はそれには答えず、「ぼ、僕……ちょっと、その」と曖昧に言葉を濁して、勢いよく立ち上がった。
「ど、どこへ行くんだい?」
ゼロは慌てたように声をかけたが、恭助はもう駆けだしていた。まるで、その場から逃げるように――恭助は、書斎を飛びだした。ゼロは彼の後ろ姿を呆然と見送ることしかできなかった。ひとり残された彼は、小さくため息をもらしたあと、「まあ、仕方がないね」と呟いて、膝に乗せたカラスの手当てに取りかかった。
「いったい、誰だい……こんなひどいことをするのは」




