♯5-4
「なんだか、久しぶりだねえ」
書斎のソファに背をもたせ、煙管の紫煙をくゆらせながら、ゼロはのんびりとした調子で言った。“査問会”にかけられていたというのに、本人はまるで何ごともなかったようにあっけらかんとしている。死神は向かいのソファに腰をおろすなり、小さくため息をもらした。
「大丈夫なのか?」
「ああ。どうやら、心配をかけちゃったみたいだねえ」
ゼロは相変わらずの調子だ。
死神は、目の前ですっかり寛いだようすの彼に、呆れたような視線を向ける。「これだから、お前というやつは……」
恭助は彼らのやりとりに苦笑をもらしつつ、内心ほっとしながら、死神のとなりに腰かけた。
「ところで、キミたちのほうは上手くやってるのかい?」
「ああ……しかし、問題がある」
死神は憂鬱そうな表情を浮かべた。先ほど、シュヴァルツに言われたことを思い出したのである。
「次に査問会にかけられるのは、この私かも知れない」
「なんだって?」
拍子ぬけした顔をしているゼロに、死神はことの一部始終を話した。手紙を書きたいという恭助のために、自らが人間に扮して行動したこと。それらの行為をシュヴァルツに見とがめられたこと。死神局への報告がすでになされていることを――その話を聞いたゼロは、少し考え込むようなそぶりを見せたあと、「まあ、大丈夫なんじゃないかな」
「ほら、生者との接触といっても、さ。その人間の“人生を変えてしまうような”ほど、重大なことじゃないんだろ?」
「ま、まあな……」
死神は曖昧に返事をしながら、顎に手をやった。あるいは、彼の突拍子もない行動が影響を及ぼしている可能性もある――しかし、ひとりの人間の人生を変えるほど、大きなことはしていないはずだ。彼らの人生観には、何らかの影響を与えてしまったかも知れないが。
その話を聞きながら、申し訳なさそうにうつむいていた恭助だが、やがて意を決したように口をひらいた。
「あの……」
「どうしたんだい?」
「誤解、のことなんですけど」
「ああ、そうだったね。それなら、あっしも協力を……」
恭助は慌てて首を横にふった。
「もう、いいんです」
「え?」
ゼロは不思議そうに首をかしげる。
「あの、僕のせいで……これ以上、迷惑かけたくないから……もう」
恭助はそう言って、唇を噛みしめた。
彼の頭には、先ほどの光景が思い浮かんでいた。雨に打たれる小林の、後ろ姿。声をかけても彼女は気づかない。あと少しで届くところだった。もう少しで、彼女の腕をつかめるところだった。しかし、それは出来なかった――否、とっくに届いていたのかも知れない。彼女の腕をつかめなかったのは、物理的な距離のせいではなかった。のばしたその手に、つかめるものは何もなかった。もう、自分に出来ることなど何もない。恭助は諦めかけていた。
「そんなこと誰が言った」
「え?」
恭助は思わず顔をあげた。
「協力してやると言ったのは、この私だ」
「で、でも……」
口ごもる恭助を見て、死神はため息をもらした。
「お前は、奴らの誤解をときたいのだろう? それならば、今は手紙を完成させることだ。“査問会” のことなど……」
「そのことについてなのですけれど」
突如として響きわたった声に、彼らは一瞬、その場に凍りついた。一様にして声のした方向に目をやる。暗がりになっている、本棚の隙間からひょこりと姿をあらわしたのは、シュヴァルツだ。彼は小さく笑みを浮かべながら、彼らの前に歩み寄ってくる。「おや、まだ死神局へ戻ってなかったのかい?」と、ゼロは煙管をふかしながら、苦笑をもらした。
「ええ。少々、込み入った事情がございまして……まあ、それはともかく。この度は、ご迷惑をおかけしてまことに申し訳ございませんでした」
彼は死神に向かって、深々と頭をさげた。
「どういうことだ?」
「わたくしの誤解だったということです、Au1208……今回、そちら様には【死神くずれ】が関わっていたとか。事情も知らずに、あのようなことを申し上げてしまい、まことに申し訳なく思っております。どうか、お許しを」
「あ、ああ……それで、“査問会” のほうは」
「そのことはお忘れください」
彼はにっこりと微笑んだ。
「わたくしは一度、死神局に戻りますので……この度は、まことに申し訳ございませんでした。」
シュヴァルツはやはり深々と頭をさげたあと、足早に書斎を立ち去った。
「何なのだ、いったい……」
死神は疲れたようにソファに背をもたせた。ゼロは苦笑をもらしながら、「まあ、彼はそそっかしいところがあるからねえ」そう言って、おもむろに煙を吐きだした。
「だけど、よかったじゃないか。これで全面的に協力できるってわけで」
「ああ。しかし、同時にこいつには決めてもらわねばならない。“死神になる”か、“あの世へ行く”か……」
恭助は思わずどきりとした。今まで、そんなことは意識の外にあったのだ。
「――あの世?」
ゼロは首をかしげた。
「ああ、お前は知らなかったな」
死神は思い出したように言って、ローブの懐に手をいれた。黄色の封筒を取りだし、それをテーブルの上にそっと置く。封筒のおもてには、“死神局総司令部行”と印字されており、中には二種類の書類が入っている。死神になるにあたっての“同意書”、あの世への扉を開く“権利書”だ。ゼロは封筒を手に取りながら、「なんだい、これは?」
「グロリアに渡されたのだ」
「彼に?」
「ああ……何でも、死神局は今回、トクベツな措置を取ることになったらしい。こいつに“あの世へ行く”か“死神になる”かを選択させるというものだ。猶予期間のうちにそれを送れば、すぐに手配できるそうだが……」
ゼロはしばらく封筒を見つめたあと、「そいつはちょいと残念だ」と小さく首を横にふった。
「何がだ?」
「最近、死神不足が続いているからねえ。この子が死神になってくれたら……」
「それを決めるのは、あくまでもこいつだ」
死神はそう言って恭助に視線をやった。
しばらくのあいだ、恭助はじっとうつむいていた――最初は誤解さえとければ、それでいいと思っていた。あとは成り行きでどうにでもなる。そんな安直な気持ちでいたのだ。しかし、いざ自分で決断を下さなければならない場面に直面すると、迷いが生じた。この状況は半永久的に続くものではない。いつかは決断をしなければならないのだ。自らの意思で。
「――まあ、まだ猶予はある」
死神は小さくため息をもらしたあと、おもむろにソファから立ち上がるなり、「ゼロ。しばらく、こいつのことを頼む」
「どこへ行くんだい?」
「死神局だ。今回の“依頼”について、ひとつ確認しておきたいことがある……それから、【死神くずれ】についてな」
「じゃあ、僕も……」
恭助はそう言って立ち上がろうとしたが、死神は片手でそれを制止しながら、「ダメだ。お前は情報屋に残っていろ」
「だ、だけどさ……」
恭助は納得のいかない表情を浮かべた。
「何かわかったら真っ先に教えてやる。お前は、私が戻ってくるまでに“手紙”を完成させろ。いいな?」
死神はローブの懐からレターセットを取りだし、テーブルの上に置いた。彼は床に置いてあった鎌を肩に担がせるなり、「――では、頼んだぞ。ゼロ」そう言って、ぱちりと指を鳴らした。




