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しにガミ  作者: 夢邑 ひつじ
第 5 章「距離」
24/48

♯5-3



 恭助はひとり、激しい雨の中をけていた。死者である彼には濡れる心配などないし、また、凍るような冷たさも感じない。勢いよく、水たまりに足を踏み入れたところで、泥が跳ねることもない。しかし、彼は思い出していた。“あの日”の記憶を――それは、今からちょうど10年前。恭助が中学生だった頃の話だ。



 その日もどしゃぶりの雨だった。

 恭助は傘もささずに、ふらつく足取りで歩いていた。逃げてきたのだ。しかし、今さらそんなことをしたところで、何が変わるわけでもない。同じことの繰り返しなのだ。結局、自分の日常からは逃げ出せない。彼は茫然ぼうぜんとそう思いながら、行くあてもなく歩いた。

 並木道には、枯れ葉ひとつ見あたらない。きっと、誰かが片づけたのだろう。邪魔、だから――恭助はそんなふうに心の中で呟いて、自嘲じちょうぎみに笑った。とたんに口もとが痛む。制服こそ着ているが、雨は容赦ようしゃなく傷痕を濡らした。どうしようもない虚無感をおぼえながら、恭助はやはり、ひたすらに歩いた。帰るべき家とは逆の方向へ……。

 やがて、並木道を過ぎ、人通りの多い場所へと辿たどりつく。目の前には、大きな交差点があった。信号は青だ。しかし、恭助は向こう側に渡ろうとはしなかった。時おり、人の波に押し流されそうになるのをこらえながら、彼は待っていた。ずたずたに引き裂かれ、見えない血にまみれた心が、か細い声で恭助にささやくのだ。もう限界だ、と。もう、いっそのこと……その時、信号が赤に変わった。

 恭助は何も考えず、ひと息に飛びだした――彼の姿に気がついた運転手はブレーキをかけたが、すでに間に合う距離ではない。タイヤが耳をつんざくような悲鳴をあげた。視界のはしに迫る、車体の影。恭助が目を閉じた、次の瞬間――彼は、背中に衝撃を感じた。誰かに突き飛ばされたのである。路面に転がり込む寸前、とっさにふり返った恭助の目に映ったのは、見ず知らずの青年の姿だった。

 一瞬、時が止まったかのような静寂のあと、あたりは騒然とした。あちらこちらで、誰のものともわからない悲鳴があがった。

 恭助は骨折した腕をかばいながら、青年のほうへふらふらと近づいた。彼は仰向あおむけに倒れていた。水たまりに、ぼんやりと赤がにじみだしている。彼は、うつろなまなざしで恭助の姿を見て、安堵あんどしたように微笑んだ。その場にへなへなとひざを崩す恭助に、青年は震える手をのばしながら、「……終わり、だ」彼は苦しそうに言葉をしぼりだした。恭助は、思わずうつむいた。罪悪感に、胸がつまった。青年の手を握ってやることすら出来なかった。

「死んだら終わりだ、馬鹿……」

 青年は、ゆっくりとまぶたを閉じた。

 恭助が伯父・神宮司に引き取られる、ほんの少し前の出来事だ。彼の身代わりとなった青年・守城かみじょう 英二えいじは、その日の内に息を引き取った。



 恭助は、やっとのことで公園に辿りついた。小林がどこにいるのか、正確にはわからない。それを聞かずに飛び出してきてしまったのだ。しかし、恭助には心あたりがあった。まわりは背の高い木々に囲まれている。【情報屋】から見える場所といったら、あそこしか――恭助は、丘の頂上へとつづく木の階段を駆け足でのぼった。遠くに東屋あずまやが見えてくる。間隔をあけて、いくつか並んだベンチの向こう――そこに、制服姿の女の子がいた。小林だ。彼女は、転落防止のためにもうけられた柵の、向こう側に立っていた。その下は、がけだ。

「ちいちゃん!」

 恭助は息を切らしながら、小林の後ろ姿に声をかけた。しかし、彼女が気づくようすはない。冷たい雨に打たれながら、風が吹けば落ちてしまいそうなほど、きわどい場所に立っている。恭助は必死で彼女に追いすがった。数十メートル、数十センチ、しだいに距離は縮まっていく。あと、数センチ。恭助は、めいっぱい彼女の腕に手をのばした――その刹那せつな、彼女の身体がふらりとかたむく。誰のものともわからない傘が、風にあおられて崖に落下した。恭助は、思わず目をつむった。


(間に合わなかった……)


「どうして……」

 ふいに聞き覚えのある声が、鼓膜こまくを揺らした。それは、恭助の伯父・神宮司だった。彼は息を切らせながら、壊れかけた柵から身をのりだし、小林の上半身を後ろからしっかりと抱きとめていた。下手をすれば、彼自身も落ちてしまいそうな体勢で。「店、長……」ふりかえった小林の目には、涙がにじんでいた。抵抗するようすもなく、柵のこちら側へ引き戻された彼女は、とたんに涙をこぼしながら、「ごめんなさい、あたし……」しきりに謝罪の言葉を口にした。神宮司は、そんな彼女を近くの東屋へ連れていき、「風邪を引くぞ」と自分の上着を彼女に着せてやる。

「ご両親が心配して、電話をくれたんだ。あれから家にも帰ってなかったんだってね」

「ご、ごめんなさい……あたし」

「どうして、こんなことを?」

 小林は東屋の手すりに腰かけ、じっとうつむいた。言葉がでてこない。彼女は、今にもこみ上げそうになる嗚咽をこらえるだけで、精いっぱいだ。神宮司は小さく首を横にふり、「まあ、間に合ったからよかったけど……」と安堵あんどのため息をもらした。彼には、その理由を詮索せんさくするつもりはなかった。あれほど激しかった雨は、急に弱まりはじめている。しばらくのあいだ、そこには雨音だけが流れつづけた。東屋の屋根からぽつり、ぽつりと雨粒が芝生にれる。恭助はそのかたわらで、茫然と彼らを見つめていた。

「あたし、会いたかったんです」

 ようやく気持ちが落ち着いたのか、小林は独り言のようにぽつりともらした。

「会いたかった?」

 彼女は小さくうなづいたあと、「恭ちゃんに……」と消え入りそうな声で言った。神宮司は小さくため息をもらしたあと、そんな彼女に微笑みかけながら、

「オレもだよ」

「え?」

「出来るなら、そうしたいさ……」

 神宮司はそう言って、眼下がんかの景色に視線をやった。教会の鐘の音が、耳に心地よく響いてくる。神宮司は、「だけど、恭助は死んだんだ……」とうつむいた。彼の頭には、葬儀で目にした恭助の姿が焼きついていた。

 彼らのやりとりを聞きながら、恭助は複雑な気持ちになっていた。自分の死が、彼らをこれほど苦しめているのかと思うと、罪悪感に押しつぶされそうだった。かといって、自分には何ができるだろう。いな――何も、できなかった。もう少しで手が届きそうだったのに、彼女の腕をつかむことはできなかった。恭助は東屋の陰で、人知れずため息をもらした。


「――勝手な行動をされては困るな。御手洗 恭助」

 ふいに背後から声がした。

 恭助がふり返るとそこには、死神の姿があった。彼は鎌を肩にかつがせ、少しばかり息を切らせながら、安堵したような、呆れたような複雑な表情をした。死神は小さくため息をもらしたあと、「亡魂ロストに襲われでもしたら、どうするのだ」と眉をしかめた。

「だ、だって……」

 恭助はうつむきながら、

「助けてあげたかったんだ」

 死神は驚いたような顔をしたあと、「――笑わせるな」と冷ややかな口調で言った。彼は腕を組みながら、東屋に視線を向ける。神宮司が小林を連れて、そこを立ち去ろうとしているところだった。「あの……店長、ごめんなさい。あたし……」申し訳なさそうに言う彼女に、神宮司は微笑みながら、小さく首を横にふった。



 あれほど激しかった雨は、もうほとんど止みかけていた。彼らの後ろ姿を見送ったあと、恭助はやはり、茫然ぼうぜんと立ち尽くしていた。雲の切れ間から地上に降りそそぐかすかな光は、眼下に見える街並みをやさしく浮かびあがらせている。

 その向こうから、何かが猛烈な勢いでこちらに向かってくるのを、死神はずいぶん前から感じ取っていた――あれは、【カラス便】だ。彼はそれを確信した時、内心どきりとした。もしかしたら、シュヴァルツが言っていた“査問会”への呼び出しかも知れない。

 彼らに向かって飛んできたカラスは、例のごとく無造作むぞうさに封筒を落とすなり、くるりと方向を変えて彼方かなたへと去っていく。「何、それ?」と首をかしげる恭助をよそに、死神は足もとの封筒を拾い上げ、中身にざっと目をとおした。淡いピンク色の便箋びんせんだ。そこには、可愛らしい丸文字で “前略。ゼロの査問会は無事に終わったわ。今ごろ情報屋に戻っているはずだから、わたしの代わりに慰めに行ってあげてね。あなたのモノローグより” と書かれていた。

 死神は思わずため息をもらした。

「何かあったの?」

 恭助の問いかけには答えず、死神は無造作に封筒をしまうなり、「行くぞ」と彼の腕をつかんだ。





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