♯4-2
おもての通りから少し外れた路地に、人の気配はない。もう永いことシャッターのおろされた店舗が、寂しそうに軒を連ねるばかりだ。今にも消えかかっている外灯が、舗装された地面にうっすらと光を投げかけている。夜の商店街はひっそりと静まり返っていた。
「このあたりのはずだが……」
死神は、ゼロに渡されたメモを片手に首をかしげた。ゼロによれば、上層部のひとり――つまり、彼らの “上司” がこのあたりに向かっているらしい。ここで待っていれば、確実に会える。彼は番地のメモを書きながら、自信ありげに断言していた。しかし、はたして信頼していいものだろうか。死神は、彼のメモを懐にしまいながら、ため息をもらした。
その傍らで、恭助は茫然と思いをめぐらせていた。彼らの誤解をとくためには、いったい何をすればいいのだろう、と。ゼロは、協力してくれると言ったが、具体的な方法については教えてくれなかったのだ。
「あれ?」
恭助がふと視線を落とした時、彼は自分の足もとに影があることに気がついた。猫だ。見覚えのある首輪をしている。「こうしゃくさま……」恭助は思わずそう呟いて、その場にしゃがみこんだ。神宮司の飼い猫である。その猫は恭助に一瞥をくれると、さっと身を翻して駆けていった――おそらく、神宮司のところへ帰るのだろう。いや、正確には彼の用意した食事のありかに。公爵さまと名づけられた猫は、神宮司のことをひどく嫌っているようで、彼にはまったく寄りつこうとしないのだ。
「な…………なんだ、猫か」
名前を聞いたとたん、表情を強ばらせていた死神は、安堵したようにため息をもらした。
「あの子、伯父さんの猫なんだ」
「そう、なのか……」
「放浪癖があって、すぐどっか行っちゃうんだよね」
恭助はふいに小さく笑った。猫になつかれないことを嘆いている、神宮司の姿を思い出したのだ。彼は、いつも公爵さまの姿を探していた。
「あら、ひさしぶりじゃない!」
突如、どこか艶かしさを感じさせる声が、路地に響きわたった。
反射的にふり返った恭助は、その姿に思わず唖然とした――そこに立っているのは、小学生くらいの身長の女の子だ。しかし、驚かされたのはそこではない。彼女の服装である。外灯の真下に立った彼女は、推測される年齢にしては不釣り合いなほど豊満な胸もとや、ボディーラインを強調するように、ぴったりとした生地を身に纏っている。水着といっても過言ではない。長い睫毛の奥に、深みを帯びた灰色の瞳。ふっくらとした唇。波打つブロンドの髪は、かすかに胸もとにかかっている。
「何だ、“チビ” か」
死神はがっかりしたように呟いた。
「ちょっと、あなた……上司に向かって、チビはないでしょ! チビは! まったく、失礼しちゃうわ」
「上司?」
とてもそんなふうには見えない。彼女の身長は、死神の腰のあたりまでしかないのだ。まるで大人と子供の差である。彼女は、目のやり場に困っている恭助をじっと見つめながら、
「この子ね。あなたが連れ回してるっていうのは……」
「え?」
死神はやれやれと言わんばかりに、片手で顔を覆いながら、ため息をもらした。
「やはり、誤解されているようだな……」
首をかしげている彼女に、死神はことの一部始終を話した。死因不明の依頼が届けられたこと。あの世への扉がひらかなかったこと。そして、恭助の死には【死神くずれ】が関わっているという可能性を――話を聞いた彼女は、「そう、だったの……」と細い顎に指をあてながら、気の毒そうな顔をした。
「ゼロに頼んだ【カラス便】が、途中で逸れてしまったようでな。連絡が行かなかったのだ」
「そういうことだったのね。何はともあれ、事情はわかったわ」
彼女は小さくうなづいてから、ふと思い出したように恭助に向き直った。
「わたしは、モノローグ。情報処理部で “事務” を担当しているわ。よろしくね」
「は、はあ……」
恭助は、ぎこちない笑みを浮かべながら、彼女のしなやかな手を遠慮がちに握り返した。胸もとに目がいきそうになるのを、必死で堪える。そんな彼を見て、モノローグは悪戯っぽく笑った。思わず赤面する恭助の横で、「ところで……」と死神は冷静に口をひらいた。
「何だ、あれは」
彼が指さしたのは、モノローグの背後にある小さな荷台である。そこには、飴やわたがし、チョコレートにスナック菓子など、ありとあらゆる菓子類が無造作に積まれている。荷台の横にあるプレートには、ポップな字体で “だがし・かし” と書かれており、リボンやフリルで可愛らしい装飾がなされていた。
「お菓子よ」
モノローグは、誇らしげに胸を張った。
「そんなものを運び歩いてどうするのだ」
「もちろん、売るのよ」
「売る? ……誰に?」
死神は訝しげな表情をした。
「決まってるじゃない。人間よ、人間」
彼女はそう言って、ぱちりとウィンクをした。
「ある意味、これも仕事のひとつかしら。こうしてお菓子を売りながら、現世で情報を集めている、というわけ。おもに、ファッション文化についてね」
「ファッション?」
「ええ。人間の文化は多様性があって、実に興味深いわ。死神局なんて、みーんな “だっさいローブ” しか着てないじゃない? だから、ね。わたし、思いきって死神局にファッション業界をつくろうと思ってるの。そしたら、きっと華やかになるわよ」
「たしか、このローブは【死神局諸法度】で定められたはずの……」
「わたしがデザインした第一号が、これ!」
モノローグは、胸もとに挟んであったらしい紙を取り出し、彼らの前にひろげて見せた。彼女の描いたデザイン画らしい。リボンやレースがふんだんに用(もち)いられた、乙女チックなものだ。しかし、それは幼児の落書き――いや、ある意味、天才的ともいえる絵である。クレヨンで塗りつぶされたピンク色が眩しい。
「まずは、あなたに試着してもらおうと思うんだけど、どうかしら?」
「断る」
死神は即座に否定した。
恭助は、それを身につけた彼の姿を想像し、思わず噴きだしそうになるのを必死で堪えた。死神は眉をしかめながら、
「しかし、仮にも上層部のお前が、そんなことに現を抜かしていていいのか?」
「いいのよ。まじめに仕事ばっかりしてたら、とてもじゃないけどやってられないわ」
そう言って、彼女は気怠げに肩をすくめる。死神は、やれやれと言わんばかりにため息をもらしたあと、「実は、お前に頼みたいことがあるのだが……」と、少し躊躇いがちに切りだした。それを聞いたモノローグは、とたんに目を輝かせる。興味津々といったようすだ。
「こいつの手助けをしてやってほしいのだ。何でも、“生者” の誤解をときたいのだとか……」
「ゴカイ?」
彼女は腕を組みながら、小さく首をかしげた。
死神は唐突に声を落としながら、
「現世では、こいつの死は “自殺” として処理されているからな」
「ああ、そういうことね」
モノローグは小さくうなづいてから、「それなら、簡単なことよ」とにっこり微笑んだ。
「方法はいくらでもあるけど……まあ、一番確実なのは、あなたが “人間の姿になって” 一役演じてあげることね」
「ちょっと待て」
死神は慌てたように口を挟(はさ)んだ。
「何故、私なのだ」
「なぜって、あなたが協力しないと始まらないじゃないの」
彼女はきょとんとした。
死神はため息を押し殺しながら、
「まあ、協力をするのは良しとしよう――しかし、我々は“現世の出来事に直接介入すること”を禁じられている。ましてや、相手は生者だ。私にそんなことが許されるはずがない」
そう言って、彼はローブの懐から厚い文庫サイズの本を取りだすと、「これにも書かれているではないか」とそれをモノローグにさしだした。【死神局諸法度】である。彼女は、その中身を読みもせずに、「こんなもの、いっさい関係ないわ」とすぐさま死神に突き返した。呆然としている彼をよそに、モノローグは、
「大丈夫よ。わたし達が何とかしてあげるから」
恭助に向かってにっこりと微笑んだ――その時だ。突如として、彼らのそばを黒い影が横ぎったのは。瞬時に鎌をかまえる死神の前に、ひらりと白い何かが舞う。封筒だ。死神の足もとに落ちた封筒には、 “上層部 各位” と印字されている。彼はそれを拾いながら、「どうやら、お前宛の【カラス便】のようだ」と、モノローグに視線をやった。それを受け取った彼女は、面倒くさそうにため息をもらしたあと、
「あの件が片づいたのかも知れないわね」
「あの件?」
死神の問いかけには答えず、モノローグはぱちりと指を鳴らした。同時に、そこにあった荷台や菓子の類は消え失せ、彼女の姿も、しだいにフェードアウトするかのように半透明になっていく。呆気にとられている彼らを前に、
「とにかく、わたしはいったん死神局に戻るわ。……その子のこと、よろしく頼んだわよ」
そう言い残して、モノローグは完全に姿を消した。跡形もない。その場に残された彼らは、互いに顔を見合わせたあと、どちらともなくため息をもらした。
「無責任な……」
死神は、夜の闇に向かってぽつりと呟いた。




