♯3-4
行きついたのは、夕暮れ時の商店街。
恭助の目の前には、フラワー・ショップ【Angels garden(エンジェルズ・ガーデン)】の看板が見える。以前、店頭に飾る花を選びによく、伯父とふたりで訪れていた場所である。大きな花屋だ。店の奥には温室もあり、扱われている花の種類も豊富である。店頭は、深みを帯びた赤いバラや純白のかすみ草、この季節にふさわしいポインセチアなどに彩られていた。
恭助は、その店先で立ち止まり、人知れずため息をもらした。あたりには、ちらほらと人通りはあったが、そこに佇む彼をの姿は気にとめる者はいない。ただただ、通り過ぎていくだけだ。
「あの……」
ふいに声をかけられて、恭助はぎょっとした。おそるおそるふり返ってみると、そこには見知らぬ男性が立っていた。恭助と同年代くらいだろうか。中肉中背の彼は、ニット帽に毛糸のマフラーを巻き、この時期にふさわしい格好をしていた。大人びた顔立ちをした男は、恭助に向かってにっこりと微笑んだ。
「綺麗ですね」
「あ、ああ……そう、ですね」
恭助は反射的に返事をかえしながら、店頭に並んだ花を眺めた。そこに飾られた花たちは、生き生きとした輝きを放っている――綺麗、だ。恭助は、ぼんやりとそう思った。
「こんなに綺麗なものは、今まで見たことがありません」
男の言葉を聞きながら、恭助はふと首をかしげた。この男には、どうして自分の姿が見えるのだろう、と。もしかしたら、死神の言っていた “あの世への扉を見つけられなかった魂” なのかも知れない。だとしたら、大変だ。彼が【亡魂】に狙われる前に、死神に知らせなくては。
「僕、ちょっと行ってきますから」
「どこに?」
「死神の、ところ、へ……」
ふり向いた恭助は、男を見て思わず固まった――彼はもはや、人間の姿をしていなかったのだ。歪につなぎあわされた骨格、それは、かろうじて骸骨(がいこつ)の体をなしていた。眼孔の奥で、不気味に光るふたつの目。それらは、しっかりと恭助の姿を捉えている。骸骨は、ぱっくりと大口を開けて、勢いよく恭助の首筋に噛みつこうとする。反射的にそれを避けた恭助は、バランスを崩し、その場に倒れこんでしまった。逃げなければ――しかし、足が竦んで動かない。あまりのことに声も出なかった。骸骨男は、にっこりと歪な笑いを浮かべながら、恭助の肩を激しくつかむ。彼は、思わず瞼を閉じた。
(もう、ダメだ……)
次の瞬間、恭助の頭上で勢いよく風が鳴った。ガラスの割れるような音。やわらかい破片が、ぱらぱらと恭助の身体に降りかかる。彼が目をあけた時、そこにもう骸骨の姿はなかった。あたりには、金色の砂ぼこりが舞っている。
「まったく、世話の焼ける奴だ」
ふいに聞き覚えのある声がした。恭助がよろよろと上半身を起こすと、そこには黒いローブを身に纏った男――白髪の死神が、鎌を片手に呆れたような視線を投げかけていた。彼は、やれやれと言わんばかりにため息をもらす。
「だから、あれほど言ったのだ。情報屋の外は危険だ、と。それなのに、お前という奴は……」
死神がそう言うや否や、恭助は泣き出しそうな顔をした。
「だ、だって」
恭助はうつむいたまま、何も弁解することが出来なかった。「ごめん……」少なからず、勝手に飛びだしてしまったことを申し訳なく思っていた。「まあ、いい」と死神は鎌を担ぐなり、「ここは危険だ」と恭助の腕をつかんだ。
フラワー・ショップ【Angels garden】の店内には、色とりどりの生花やアレンジメント、プリザード・フラワーなどが並んでいる。あたり一面、花に囲まれたメルヘンチックな空間で、鎌を握りしめ、周囲を絶えず警戒する死神。恭助は、そんな彼の背後に守られながら、おずおずと口をひらいた。
「何なの、いったい……」
「亡魂だ」
死神は相変わらず、淡々とした口調で答えた。
「あ、あれが?」
「言ったはずだ。お前は狙われている、と」
彼はようやく鎌をおろした。
恭助は、思わず震えだしそうになる肩を抱えた。否、彼は震えていた。その場にうずくまり、恐怖に浸食されそうになる心をどうにか、落ち着かせようとした。亡魂――あの、眼孔の奥にある不気味な光や、歪な微笑みが、未だに脳裏にこびりついていた。
「まあ、あの程度なら、私ひとりでも何とかなるが……この調子では先が思いやられるな」
死神は肩に鎌を担がせながら、ため息をもらす。「ぼ、僕は……大丈夫、だから」恭助はそう言って、よろめきながら、ゆっくりと立ち上がった。ショーケースの向こうでは、籠いっぱいの花が鮮やかに笑っている。いったい何という名前の花だろう。彼は、ネーム・プレートを確認しようとして、ふと疑問に思った。
「あのさ、死神って名前とかないの?」
「ない」
死神は淡々と答えた。
「それってさ……不便じゃない?」
「何故だ」
「な、なぜって」
恭助は困ったように苦笑をもらした。
「じゃあ、なんでゼロは……」
「あいつはもともと “上層部” の死神だ。わけあって左遷されたらしいが、詳しいことは聞かされていない――つまり、名前を持てるのは “上層部の連中だけ” ということだ」
名前がない。
それでは、死神達は互いのことを何と呼び合うのだろう。あなた、お前、などの抽象的な言葉で? ――と、頭を悩ませている恭助の横で、死神は「まあ、名前というほどのものではないが……」と、ふと思い出したように呟いた。
死神はローブの懐に手をいれ、名刺のような紙を取りだした。首からさげるための紐がついている。白地に黒いインクで印字されているのは、アルファベットと数字の組み合わせだ―― “Au1208” ――「なんて読むの?」と、恭助は首をかしげた。
「Au1208(エー・ユー・イチ・ニー・ゼロ・ハチ)……私に与えられた、“整理番号” だ」
「せいりばんごう?」
「仕事をする上で、個々を識別するためのものだ」
死神はそれを懐にしまいながら、
「名前などにたいした意味はない」
彼は興味なさそうに言うが、恭助は、名前がないのは寂しいことだと思っていた。生まれてまもなく両親を亡くした恭助にとって、名前は唯一、彼らが残してくれた大切な証だからだ。
「じゃ、じゃあさ……僕がつけてあげるよ!」
恭助はとっさにそう言ったが、死神はまったく乗り気ではなかった。彼はただ、面倒くさそうにため息をもらし、「私には必要ない」と、首を横にふるばかりだった。




