♯2-3
ゼロに【カラス便】を頼んだあと、彼らは書斎をあとにした。
恭助が連れて来られたのは、喫茶店のような場所だ。扉の向こうには、おしゃれなテーブル・セットが並んでおり、あちらこちらで黒いローブを纏った者達が声高に話をしている。恭助は意外に思っていた。こういった空間で死神達が時間を共有することなど、まるで想像もつかなかったのだ。
死神はまわりの好奇に満ちた視線を気にもせず、恭助の腕を引きながら、店内を大股に闊歩した。彼が向かったのは、いちばん奥――ガラス製の“ついたて”に仕切られた席だ。
「――ご注文は?」
恭助が腰をかけるや否や、彼らの前に制服姿の男が姿をあらわした。
「お前は、コーヒーでいいな?」
「え? あ、ああ……」
ぼうっとしていた恭助は、反射的にうなずいていた。テーブルの隅には、申しわけ程度にメニューが置かれていたが、死神はそれを見もせずに男に注文した。
「あと、“例のもの” をひとつ」
注文を書き留めた男は、恭助の姿を見て一瞬ぎょっとしたような表情を浮かべたが、すぐに冷静さを取り戻し、「少々……お待ちを」と足早に立ち去った。
まもなくして、先ほどのウェイターらしき男が注文の品を持ってやってきた。ひとつは、恭助の頼んだコーヒーだ。おしゃれなカップの中で、豆の薫りがいっぱいに広がって、香ばしい。もうひとつは死神が頼んだものだが、ティー・カップの中身は、得体の知れない紫色の液体だ。独特な薫りがする――ハーブ、だろうか。
男が去ったあと、恭助はおずおずと尋ねた。
「何それ?」
「トリカブトだ」
「ど…………毒、じゃないか!」
平然と言い放った死神に、恭助は驚きを隠せなかった。
「まあ、“生者”にとってはな。ためしに、飲んでみるか?」
恭助は、慌てて首を横にふった。
死神はそんな彼を鼻で笑ったあと、カップの中身をひとくち啜り、おもむろにこう切りだした。
「猶予は、9日間だ」
「え?」
「お前が【死神】になるまでの準備期間、と言ってもいい」
「ちょ、ちょっと待って」
いつの間にか、自分が “死神になる” ことを前提として話が進んでいることに、恭助は戸惑いの色を見せた。ゼロの話によれば、それはあくまで、本人の意思にゆだねられているはずだ。
「僕はまだ、そんな……」
死神はカップを置きながら、ため息をもらした。
「こうなった以上、お前には決めてもらわねばならない。死神になるか、ならないのか」
「そんなの、急に言われても……」
恭助はうつむきながら、目の前で湯気を立てているコーヒーを見つめた。彼の頭には、伯父・神宮司の姿が浮かんでいた。以前、アルバイトを終えたあと、よく一緒にコーヒーを飲んだものだ――今ごろ、彼はどうしているのだろう。
恭助はそんなことを考えながら、ふと、ゼロから聞いた話を思い出した。
「あのさ……死神の “能力” って、どんな?」
「そんなことを聞いてどうする」
「ど、どうするって……何となく、気になったからさ」
困ったように笑いながら、恭助はカップを手に取った。温かい。まだ湯気を立てている。不思議なことに、冷めるようすはない。死神は腕を組み、何やら考え込んでいるようすだったが、「まあ、いいだろう」と顔を上げた。
「私に出来るのは――<具現化>、だ」
「何それ?」
「つまり、普通ならば “見えないものを、見えるようにする”のだ。たとえば、人間に我々の姿を見せるなど……まあ、使う機会は滅多にないが」
「そ、それ……すごいよ!」
恭助は目を輝かせた。
(もしかしたら、もう一度……伯父さんに会うことができるかも知れない)
「あ、あのさ……」
「断る」
死神は、恭助の胸の内を見透かしたように、瞬時にそれを否定した。
「まだ何も言ってないんだけど」
「どうせ、あのオジサンとかいう人間のことだろう。奴に会わせてほしいと考えている。そうではないのか?」
恭助は思わず、うつむいた。
「言ったはずだ、御手洗 恭助」
死神は、カップの中身をひとくち飲んだあと、やれやれとでも言わんばかりに肩をすくめた。
「お前はすでに死んだのだ。生者のためにしてやれることなど、何もない」
「だけどさ……」
恭助は少し納得のいかない表情を浮かべた。
「それに、だ。死神達は、基本的に生者の魂に干渉することを許されていない。それが、“掟” なのだ」
「どういうこと?」
死神は、面倒くさそうにため息をもらしたあと、ローブの懐から、文庫サイズの本を取りだした。黒い皮の表紙には、白文字で“死神局諸法度”と印字されている。思いのほか、分厚い。彼は、それを恭助にさしだしながら、
「“生と死の秩序”というページに書かれている」
恭助は、受け取った本の表紙をめくり、言われた通りの項目を探して目をとおした。そこには、次のようなことが書かれていた。
第一項 生と死の秩序
(前略)……死神は、いついかなる場合であっても、生者の魂に干渉してはならない。これは、生と死の秩序を乱す原因となりうるからである。これらの均衡を保つことは、死神としての義務であり……(中略)……ただし、業務上どうしてもその必要がある場合は、例外的にこれを認めるものとする。また、その場合はかならず、上層部からの許可をとってから行うこと……(後略)
そこに書かれている文章はあまりにも長く、また、いやに難しい言葉が使われているため、日頃から読書に慣れ親しんでいない恭助は、首をかしげるばかりだった。死神は分厚い本を受け取り、懐にしまうと、「――とにかく、我々はこの法律に縛(しば)られている。勝手な行動が許されるはずがない」そう言って、小さくため息をもらした。
「そう、なんだ……」
「そんなことよりも、だ」
死神はカップの中身を飲み干すと、まじめな顔をして口をひらいた。
「お前は【死神】になる気があるのか?」
またしても向けられた質問に、恭助は戸惑いを隠せなかった。そんなことは、完全に意識のそとにあったからだ。恭助は、少しばかり考え込んでから、「もし、“ならない”って言ったら?」と、おずおず尋ねてみた。
「お前にその気がないのならば、私は降りる。こうしていること自体が無意味だからな。あとは……」
「ちょ、ちょっと待って」
席を立とうとした死神を、恭助は慌てて引き止めた。
「さっきは、言ってたじゃないか。僕の行く末を見届ける義務がある、とか何とか」
「それは、お前が “死神になる” 場合の話だ。ゼロも言っていたとおり、今は、深刻な死神不足がつづいている。私は忙しいのだ。何の理由もなくお前に付き合ってやるほど、お人好しではない」
死神はそう言って、椅子から立ち上がった。
「そ、そんな無責任な……」
「無責任なのは“上層部”の連中だ」
「え?」
「まあ、お前には関係のない話だな」
「ちょ、ちょっと!」
恭助は立ち上がり、席から離れようとする死神のローブを引っぱった。その手は小刻みに震えていた。死神はそんな彼に冷ややかな視線を向ける。灰色の瞳には、何の感情も映し出されていない。
「ぼ、僕……なるよ。しに、ガミに」
恭助は思わず声に出していた。




