《ルナシェルコール》の夢
いつもどおりの朝日、空は青く、天は遠く澄み切っていた。日差しを遮る指先を、日差しが真っ赤に透かしていた。葉月が、焦った様子で僕を引っ張る。――何度目だったか、何周目だっただろうか。葉月の柔らかな、しかし甘いながらも澄んだ声が此方へ向かって弾丸飛行していた。
「一喜憂さん、早く早くっ! 遅刻しちゃいますよ?」
耳への直撃、普通ならば聞くだけでも幸せになれる台詞――だったのだろうと僕は思っていた。
いつもの――と、いう程に見慣れた訳でも無いが――8の字交差のリボン、葉月は良く似合っているそれで鬢から枝垂れる黒髪を飾っていた。赤と青の原色、まるで血管を連想される配色だと僕は思った。むしろ、彼女の乳白色に近い肌色も相まってバーパーポールを思い出してしまった。
そういえば、バーパーポールは元々、諸説は有る様だけれど血管や外科医といった医療方面からの配色だったと僕は記憶している。何故だろう、彼女の配色は似合っているものの普通ではなかった。
葉月の、雪の様に白い肌とサファイア色の瞳。そして、さらりと舞い上がる漆の様に濃い黒の長髪。それを際立たせているスパイスに過ぎない赤青の由来が、僕にはどうしようもなく気になってしまった。
「なあ、葉月?」
彼女の細い手首が、僕の腕をすっぽ抜ける。
「ん……っと、どうしましたか? 一喜憂さん?」
頬を赤く染めた葉月が、慣性のままに傾くも身体を捻って振り向く。髪が舞い、花弁が踊っていた。
「ああ……って、おい何だ――コレは!!!?」
ソメイヨシノだった。薄桃色の美しい花びら、背後の巨木は雲の様に桜色の花をこんもりと開かせていた。そして、その背後の田んぼには田植え直後を思わせる新緑色の苗が並び、それは視界の奥に行く程に青々と茂り、やがて紅葉色をした山脈のふもとで、眩いばかりの金色に実り稲穂を揺らしていた。風が吹くと、それらが一斉に靡いてさわさわ騒ぎ始めていた。さらに、山脈の中でも青く見えていた筈の廃鉱山、一際遠くにあったが季節感に溢れていたその山肌では、雪こそないものの、わさわさと茂っていた広葉樹林が揃いも揃って真冬の如く禿げ上がっていた。
見るからに異常だ。僕は、手の中の桃色を信じられないままに見詰める。
「なんです? どうみても“ただの汚れ雪”じゃあ、ないですか――?」
「…………!!?」
理解できない、現実の相違、現実感が喪失していた。そもそも、現実なんてものが無かった。日付は8月、暦は真夏の筈だった。日差しは眩しく、そこには青く澄み切った空が聳えていた。しかし、そこに日常なんて無かった。
雪といわれたソメイヨシノ、その花弁が手の中に、そして認識し難い七色の景色が目の前に存在していた。――僕は戦慄する。
「あっ、葉月ちゃん! おはよう!!」
「初めまして、七ヶ崎久遠さん!」
「あはは~、天津風だってばー七ヶ崎葉月ちゃん。いい加減に覚えてよ~!」
「な――なんだよ、これ――……!?」
狂っている。
景色も、会話も、話している少女達の言葉も、時期も季節も、何もかもが食い違っている。僕が狂ったのか、彼女達が狂ったのか、世界が狂ってしまったのか――違う、総てが狂ってしまった。
須く総てが、僕を中心にして狂っている。
「久遠さん、ポニーテール可愛いですね!」
「ありがとう! 前回不評だったから解いてみたんだけど、似合う?」
「そうでしょうかね? 前々回のツインテール程では無いと思います」
「あー、あの三つ編みは失敗かな~って思うの。恥ずかしかったな~って」
「そうですね、前回のツインテールも似合わなかったです。本当に、今更ですけど」
頭を掻いた――記憶と同じロングヘアーの幼馴染――天津風久遠は、葉月に対してさも恥ずかしそうに照れ笑いをしていた。対する葉月も、口元を押さえて御淑やかに笑っている。ミュート出来たら、どれほど日常的な光景に見えるのだろうか。ガールズトーク、話の華は狂い咲く。
「さよなら、そしてまた逢えたねぇいひひひひひっ。ねえ――七ヶ崎一喜憂クン? 今が何周目なのか、貴方は知っているのかしら。うふふふふふっ、くすくすっ……?」
身の毛がよだつ、肌がぞっと凍える。狂気を孕んだ、宿敵の声が耳元で囁く。多分、七ヶ崎乃々葉だ。
「分かるぅ? 分っからないわよねえいーっひっひっひ! あはははは、ふふふっ」
魔女の様に、狡猾さを曝け出して笑う七ヶ崎乃々葉。彼女は――彼女なら、知っているのだろうか。僕は、意を決して、尋ねようとする。しかし、
「――“5,906回目”よ?」
「はあ!!?」
「貴方は、5903回も最後に死ねなかったの!! 滑稽よね、最高よねえうふふふふっ! 馬っ鹿馬鹿しいわ、何よこの景色何よこの世界何よ貴方ばっかり無事なのよ何よ何よきゃははははははは!! くすす、あははっ、あはははははははははっ!!」
可笑しい話では、無いと言えば無かった。彼女の言葉、それは狂気的ではある。しかし、俄かには信じ難いその数字にも、考証の余地は残っていた。残念ながら、その根拠を僕は知っている。いや、知って居たんだと言うべきかも知れない。
◆◇◆◇◆
『――正確には前のループ、私にとっての5週めの話です』
四十九院乃々葉の声だ。僕は、いつかのループを幻視していた。
『場所は学校のプール脇を抜ける廊下、時間帯はおおよそ今頃。七ヶ崎くんを引き止めたのは2回目と4回目、1回目は私が声を掛けずにいたら後に感電死した状態で発見されました』
――何も言えない、否定できない法則が眠っていた。この、突然の転校生の経験則には。
『七ヶ崎くん、信じて……くれますか?』
渡り廊下、ブラックアウトする景色。脳裏に響く、狂気的な声が笑った。
『――さよなら、そしてまた何処かで……!!』
次の瞬間には、青空と聳える校門が僕の目に飛び込んできた。
『七ヶ崎……くん?』
幻視した彼女は、差異が無い程に七ヶ崎を名乗る乃々葉に似ていた。どうみても、そのものにしか見えなかった。ただ、声色と態度だけが違う――まったくの、同一人物に思えていた。そう、確かめる当時までは。再び、困った顔の四十九院乃々葉は瞳を細めて僕に答えた。
『私は今、6周目ですけれども? ちなみに七ヶ崎くんと出逢ったうち、七ヶ崎くんは1周目に感電死で即死、2周目には銃火による消滅、5周目には焼死体で横たわるのを私は見取っています。それと……いい加減に離してください、痴漢として訴えますよ?』
《トライアングル・ループ》、後に知るその事実を確かめるべく、名前も知らないままにその現象について探りを入れた僕へと、彼女は次々に経験を語った。そう、忠実に、まるでシナリオ通りに進む劇――その、登場人物の様に、彼女の言葉は正確な物だ。
『――何故かは分かりません、何が起きているかは尚更分からないのですけれども……バタフライエフェクト、それが鍵だと私は考えています。七ヶ崎くんもこの繰り返しを感じられているなら、助けて欲しいと、力を貸して欲しいと思うのです。明日に進む為にです、お願いします』
◆◇◆◇◆
「バタフライエフェクト、ランダム……且つ偶発的な、蝶の羽ばたき――それが、運命すらも、支配すると言うのか……!?」
「そうよそうよぉ貴方は連続数千回も死ねなかったのよ最後にうふふふ、生き返るも、記憶はチャラよ全部チャラちゃんちゃら可笑しいわふふふっ! どう、目覚めてみた、その気分はいかがかしらねえ~悪夢からの寝覚めは!! あはははははっ、くすす、うふうふ、あはははははははは、きゃははははっ!!?」
「…………嘘、だろ――?」
僕は、目眩と同時に倒れた。黒く、漆黒に染まる青空。桜、少女、黒髪、亜麻色の乙女、そして――。
思考は、処理落ちしたPCの様に――止まった。
筆が鈍りました、作者です。お久しぶりです、というかそれ以前に謝らせてください。ええ、忙しかったのですが怠惰だって勿論あります。ええと、一先ずは連載の長期停止、誠に申し訳が有りませんでした。私、狐っ娘は誠心誠意謝罪を申し上げたく思います。お待たせしまして、非常に申し訳が御座いませんでした。続きは、また日が開くかもですが仕上げ様とは考えております。何せ、ここまでの作品を中断するのは惜しいです。作品の出来は兎も角。
遅延の理由は多忙や心労、その他現実逃避に明け暮れていた事、創作意欲が違う方向性を持ったり、まったく別な製作物を仕上げていた事にあります。ええ、同時進行なのが響きました、タライの方はもっと先になるかも。こちらは、完結まではやります。ええ、絶対にです。期待してて下さい。
しかし、言ってみたものの、この超展開には度肝を抜かれました。
書いてて、『うわ、やらかしたな……!?』なんて思ったのは、序盤の無構想ノープロット時代以来です。今は、これまでのを参考に書いています、やっぱりプロットは有りませんが。
とっさの思い付きではありました、しかし一番それなりに終わる展開がコレだったと考えております。まあ、まだ終わっては居ませんけど、この展開には後に引けない理由があります。それは、もう普通の日々には戻れないという破滅的状況だったり、狂気的な世界観にあります。もとより、カオスになっていく設定が此処に極まる様な、そんな仕上がりになっております。
つまり、一喜憂は、死んでも良い日々を過ごす――と、いった選択肢を早々に断ち切られてしまう事になります。葉月さんと、ついさっきにそう口にしたのに、そのすぐ後には絶望ですから、これは相当なショックだったと思いますね。違和感、そのズレがクレバスとなって希望を喰らい尽くした。まさしく、絶望。その境地、そして狂気の世界だったわけです。
何故、季節は狂ったのか? それは、お気づきでしょうか。まあ、こちらは次回かそれ以降になるとして、私の文章がまるっきり違うのもお分かりでしょうか。主に、後書きの文章が今の文体だったり大まかな自分の書き方だったりします。まあ、あれですね。時と経験を経て、私も変わってしまいました。作中の時は、8月8日のままなんだと言うのに――ね?
多分、キャラクターの個性や印象も、薄れてしまったかなって思っております。今は、どちかと言えば厭世的な文章ばかり書くので、あまり希望に溢れた表現は出来てないかなっては考えておりますよ? こうして、昔の口調に戻すだけでも精一杯だったりしますね。慣れって、時の流れって怖いなって私は考えてみたりね。
ええっと、とりあえず次回は今週中には仕上げたいなって思います! 是非、超展開に面食らいながらもご覧いただければ嬉しいなって思います。それでは次回、また明日にでも逢いましょう――? 目標は、明日なのです。
末永くよろしくお願いいたしますね。
P.S.今回、一番困ったのは久遠さんと葉月さんの書き分け。




