第12話 恐怖、恐怖、寒気
二ヶ月以上も更新が遅れてしまいました……。非常に申し訳無いです。
見えている世界が暗転する。
五十嵐に無理矢理引っ張って乗せられたこのジャプとかいう召喚獣の背中は、ブヨブヨして居心地が悪かった。
まあ、あの祥さんっていう人と一緒にジャプの舌で巻かれるよりはマシだが。
ところで、緊張しているのかまだ体が動かない。
先程の行動で何をしたのか正確には俺自身にもよく分からなかったが、今までに体験した事の無い体の動かし方をしたのだけはわかる。
何故なら、体のあちこちが痛いからだ。
しばらくすると視界の暗転が終わり、正常に戻った。
それと同時に、不快な声が上から降ってくる。
「おーい裕貴君、いい加減起きないと、怒るよ?」
――どうしても起きたくない。
確かにもう体の緊張も薄れ、頑張れば、足先くらいは動かせない事も無い。
しかし、こいつに従いたくないという気持ちが、体の動きを鈍らせてしまうのだ。
俺は五十嵐の言葉を無視し、沈黙を続けた。
「……返事は無し、ね。フフッ、それで良いんだね……。」
何か嫌な感じが、背筋を這う。
俺は焦り、体に動けと命令してみるが、未だ五十嵐に従いたくはないようで、素直に動いてくれない。
――と、
「ぐぇっ!」
俺は何とも恥ずかしい声を出して、顔面から地面に激突した。
五十嵐が、俺がまだ乗っているのを知っていて、ジャプをいきなり帰したのだ。
当然、何の関係も無い祥さんも思いきり尻餅を衝いた。
「なんだ、声出せるじゃん。」
五十嵐がフフッ、と笑う。
「クソッ……。」
それに対して俺は舌打ちし、肘、膝、顔面の痛みに堪えながら、渋々立ち上がった。
五十嵐はそれを確認すると、どこかへ歩いていく。
――ハッとした。
ここはどこだ?
人気の無さと雰囲気からどこかの裏路地だとは予想出来るが、その割にやけに広い。
ネオンの光ももうすっかり遠くに見え、立ち並ぶ建物も、既に全て機能していないように見えた。
そんな中、五十嵐は建物の一つに入っていく。
「……っておい、どこ行くんだよ!?」
俺は五十嵐の入った建物を見ると、慌てて叫んだ。
何故なら、透が入った建物にはまず扉が無く、錆び付き、床にはボロボロのグラスや箒などのガラクタが散乱していたからだ。
よく見えないが、カウンターと棚らしき物が奥にあり、以前はバーだったらしい。
こんなところに、一体何の用があると言うのだろうか。
「僕に着いてくれば分かるよ。」
振り向きも歩みを止めもせず、五十嵐が言う。
未だ納得のいかないところもあったが、俺はとりあえずこいつの言葉に従い、着いていく事にした。
今までこの様子を見ていた祥さんは、どうやら俺と同じ考えのようで、俺に習い黙って着いてくる。
少々不安な面持ちで、扉の無い入り口をくぐった。
外からは狭く見えた店内は、入ってみると更に狭く感じられた。
足下に散らばる錆びた屑が、歩く度に音を響かせる。
しかし暗いので、実際に何を踏んでいるのかは不明だ。
少し、怖くなってきた。
「……おい、マジで何の用があるんだよ。」
暗くてよく見えないが、恐らく前を歩いているであろう五十嵐に話し掛ける。
「こっちだよ。……あっ、ここに段差あるから気を付けて。」
五十嵐の声が右へと流れる。
と同時に、金属製のバケツを蹴る音が聞こえてきた。
「イタタ……。マッチでも持ってくれば良かった。」
(いや、そこは懐中電灯にしとけよ。)
五十嵐の言った事に対して、心の中で軽くツっ込む。
角を曲がり段差を踏み越え、手で探りながら真っ直ぐ進むと、伸ばした手が棚に当たった。
その衝撃で棚が揺れ、グラスが割れる音が響く。
「気を付けて裕貴君。あとちょっとだから……。」
再び右から五十嵐の声が聞こえ、俺はそちらを見た。
見えたのは、バーのカウンター。
しかし、目がいったのはその床だった。
客席側からは全く見えなかったが、そこには光りを放つ線がくっきりと正方形に入っている。
下から漏れているらしい。
「な、何、それ?」
祥さんが五十嵐に問掛ける。
その声色には、明らかにワクワクとしたものが込められていた。
「これは……うん。まあ、見てれば分かるよ。」
そう言うと、五十嵐は持っていた杖で正方形の真ん中を五回突き、顔を近付けて口を開いた。
「“旅のお供に闇をどうぞ”。」
五十嵐がそう言い、暫く待つ。
すると、その正方形の中からしゃがれた声が聞こえてきた。
「……“そして後ろに気を付けろ”。」
その声が言い終わった瞬間、ガコンッ、と何かが外れるような音が建物に響き渡り、その場が光で満ち溢れる。
そして光の出処を探して、俺は後ろを振り返った。
――絶句。
なんと後ろにあった棚がスライドし、中から赤い絨毯の敷かれたなんとも豪華な廊下が出現したのだ。
十メートル程先には、地下へと繋がっているらしい階段が見える。
バーの中を照らす光の正体は、その廊下の両脇に備えられた高価そうなランプであった。
異様な光景の中、五十嵐だけがその廊下に向かう。
「こっちだよ。」
五十嵐が廊下の先を顎でしゃくった。
俺は呆然としながら、隣の祥さんと共にこいつの後を着いて行った。
――長い。
階段を下りてからずっと真っ直ぐ進んでいるのだが、一向に突き当たらない。
それどころか、まるでホテルのように静かで、人の気配も無いのだ。
黒い木製の壁に赤い絨毯という豪華なデザインの廊下も、何と無く不気味に感じてしまう。
乾いた空気の中、俺は口を開いた。
「……ここって、入って大丈夫なのか?」
廊下はかなり広いが、絨毯が音を吸ってあまり響かない。
この廊下に入って初めて言葉を発したので、その事が妙に気になった。
「んー。まぁ、普通の人がここに入ったら、無事じゃあ済まないだろうね。」
五十嵐からはそんな返答が帰ってくる。
それを聞いた祥さんが震えたのが、絨毯から伝わってきた。
前を歩いている五十嵐が、やっと角を曲がる。
これまで何の変化もなく歩き続けていたので、違う方向へ行くという事は細やかな幸福だった。
角を曲がってすぐ、五十嵐が立ち止まる。
目の前には、縁や取っ手が金色に輝き、それらは全て金で出来ているのではないかと思われる豪華な赤い扉があった。
「祥さん、怖がらないでね。」
突然、五十嵐が注意をする。
気を付けろ、という事なのだろう。
決して逃げてはいけない。
決して離れてはいけない。
――“何もしない”事が大切。
この建物に入ってから、度々不気味さを感じる。
しかしこの部屋からは、そんな感情を全て押し流すような恐怖と、絶望と、悲しみとが滲み出ているのだ。
そんな部屋の取っ手に、五十嵐は何の戸惑いも無く手を掛けた。
部屋の中は薄暗く、香水の香りが充満している。
部屋全体にはカーテンが張り巡らされ、そのカーテンを紫色のランプが下から照らし出し、非常に幻想的だ。
特に目立っていたのは、目の前の階段である。
部屋の真ん中にあり、その階段の先にはやはりカーテンが張っていて、とても怪しかった。
俺が部屋を見回していると、階段のカーテンがモゾモゾと動く。
そして中から手が出てきて、カーテンを開いた。
「やっと来たかトール……。待ちくたびれたぞ。」
「いやあ、悪いねフォウ。ちょっとした強者がいてね。」
五十嵐がフォウと呼んだのは、美しい女性だった。
長い黒髪に扇を持ち、着ているのは紫色の袖の長い着物だ。
髪には綺麗な飾りがたくさん付いている。
フォウさんは扇を開き口を隠し、眉を潜めた。
「ほう、強者?それはもしや、お前の後ろにいるその二人か?」
突然、フォウさんの視線がこちらに向く。
その途端、身体中が痺れ、動きが止まった。
美しい人に見られたからではない。
この人の視線には、毒があるのだ。
獲物を仕留めるための、強力な麻痺毒が。
目から入ったその毒は、対象の身体中を駆け巡り、自由を奪う。
――間違い無く、この人は“戦場”に生きている。
軽く視線を合わせただけで、それほどの事を連想させられた。
更に、その視線は隣の祥さんへと流れる。
「……う、うわ、うわああぁぁぁーーっ!!」
すると、突然叫び声が響き、俺は驚いて咄嗟に横を向いた。
なんと、祥さんが扉に向かって全速力で走っている。
それを、五十嵐が背丈の高い植物を召喚して遮った。
「さっき注意した筈だよ、祥さん。」
そう言い、五十嵐は植物に怯んだ祥さんの腹を殴る。
すると祥さんは、一度だけ呻いておとなしくなった。
「……そちらの者は、弱いな。戦いの恐怖を知らず、耐えられない。」
開いていた扇を閉じ、軽蔑の眼差しを浮かべながら、フォウさんが言う。
その直後、驚いた事にフォウさんは階段を下り、俺の直ぐ目の前まで来た。
「ふむ……では、強者とはこちらの者の事か?」
――毒の眼差しが牙を向く。
体が固まった。
呼吸も止まる。
目の毒は、対象との距離が近い程強くなるらしい。
恐怖に震え、逃げ出したいのを我慢する。
時間が早い。
その瞳に吸い込まれるように、時間が過ぎていった。
いつの間にか、俺は部屋を出ていた。
隣には、祥さんを担いだ五十嵐がいる。
自分の手を見ると、冷や汗で濡れていた。
先程の事は、夢ではないらしい。
あれほど恐ろしい眼力を持った人間がこの世に存在していたとは、全く予想もしなかった。
そう言えば、と、ある事に気付く。
「五十嵐。」
「何?」
祥さんを担いだまま、五十嵐がこちらを向く。
ただ、俺はずっと前を見ていた。
向こう側にも扉がある。
「あの後……俺の目の前にあのフォウって人が来た後、何かあったか?」
「へ?裕貴君、聞いてたじゃん。」
五十嵐が首を傾げる。
「……目が……。」
仕方なく、小さな声で呟いた。
「あー……あの目ね。分かるよ、その気持ち。」
横で五十嵐が溜め息を吐く。
五十嵐にも経験があるようだ。
「それじゃあ、全部聞いてなかったんだよね。」
五十嵐の質問に、頷いて答える。
すると五十嵐は、申し訳無さそうに話し始めた。
「……あのね裕貴君、君の魂は確かに目覚めているよ。それだけは忘れないで。」
「ん?あ……あぁ。」
五十嵐の言った言葉の意味がよくわからず、五十嵐の方に目をやり曖昧な返事をする。
「僕達は異世界に行くためにここにいるんだ。そして異世界への入り口が、ここにある。でもね、タダで通してはもらえないんだ。フォウの許可が無いと、通してもらえない。」
俺は黙って話を聞く。
「……という訳で裕貴君、フォウはかなり強いけど、頑張ってね。」
「……は?」
一瞬、五十嵐が何を言ったのかわからなかった。
しかし数秒後には、状況を理解する。
要するに、異世界への入り口を通るにはフォウさんを“倒して”許可を貰わなければならないらしい。
しかし、どうしても解せない部分がある。
「……なんで、俺?」
別に、俺である必要は無い筈だ。
今気絶している祥さんを除いても、五十嵐はまだ動ける。
それなのに、何故戦闘経験の無い俺なのだろう。
「なんでって……あれだよ。君の力を正確に知りたいからだよ。」
「だからって……」
「あー、もう!」
五十嵐が頭を押さえる。
「もっと自分を信じてよ!僕、今日は疲れてるんだ。」
突然気性が荒くなった五十嵐に、俺は驚きを隠せず、勢いで“わかった”と言ってしまった。
次回からは戦闘が始まります。なので、いつもより早く更新出来ると……思います。どうか皆様、よろしくお願いします。