プロローグ
あらすじに書いてある内容は第一話からの内容ですので、プロローグとは関連がありません。どうか御了承下さい。
――月が紅い。
紅い月は、争いの前兆と言われている。
一人、月明かりに照らされて草むらを駆ける者がいた。
その者の名はアテ。とても必死に、慌てて走っている。
行く先を見ると、小さな小屋があった。一見、灯りは点いていない様に見えるが、窓に黒い布が張ってある。
アテはその小屋に飛込んだ。
「ハーゴン!まさか裏切るとは!貴様、どういうつもりだ!」
「……“貴様”とは無愛想な。アテ、お前とは昔からの付き合いだろう。」
ハーゴンと呼ばれた者は、アテの突入にも驚かず一人でチェスを打ち続けている。
「そんな事はどうでもいい!ハーゴン、今からでも遅くはない!戻って来るのだ!」
アテが大声で怒鳴る。
「遅くはない?フフン。」 ハーゴンが鼻で笑い、チェス盤の上から白のナイトを取った。
「取られた駒は、もう元には戻らない……。お前はそんな事も知らないのか?」
「いや、お前はまだ取られていない!ハーゴン、頼む!私は、お前を殺したくはないのだ!」
「何?」
ハーゴンがアテを睨む。「俺を殺すように命令が来たナイトは、お前なのか!」
ハーゴンがそう言うと、アテは下を向いた。
「ハーゴン、私は……。」
「結構!」
ハーゴンがチェス盤を叩く。
「この国最強のナイトよ!俺は恐れない!お前を殺す事を!だが、お前は恐れている!俺を殺す事を!ククク……!」
ハーゴンは狂った様に小さく笑った。
「ハ、ハーゴン……?」
「お前は邪魔だ!」
ハーゴンが白のナイトをアテに投げつける。
「あああぁぁぁぁーーッ!!」
ナイトが当たった途端、アテは絶叫した。駒からは火花が散り、小屋の床に降り注ぐ。
そして、アテはみるみる体が縮み、最後には駒に吸収され、駒は音を起てて床に落ちた。
「……最強のナイトは、最高の魔法使いに勝てなかったか。ククク……。」
ハーゴンが小屋を出て、裏へ回る。そこには、一つの小さな井戸があった。
「お前のいないこの国は、俺と魔王様の手によって直に滅びるだろう。だが心配するな。この国が滅びゆくその様がその目に触れぬように、その耳に届かぬように、お前の魂が宿ったこの駒は、この地の奧深くへ埋めてやろう。」
ハーゴンが駒を持っている方の手を井戸の上に突き出し、掌を返す。
「永遠に眠れ、気高きナイトよ……!」
だが、駒は落ちなかった。
アテの精神は強かった。。
「ぎゃああぁぁぁーーッ!!」
ハーゴンがもがき苦しむ。
なんと、ナイトの馬に牙が生え、ハーゴンの指に噛みついたのだ。
「おのれアテ、しぶとい奴め!小さき駒になってさえも、まだ俺を苦しめるかッ!」
ハーゴンは腕を振り、駒を振り解こうとする。と、急に馬が牙を引っ込めた。
ハーゴンが腕を振っていた反動で、駒は森の彼方へ飛んでいく。
「痛っ……!しまった、逃げられたか!」
森の闇は深く、駒などという小さい物はとても探しきれそうにない。第一、あの森は夜になると怪鳥が徘徊すると噂されている。例え魔法が使えても、そんなものに会ったらひとたまりもない。
ハーゴンは舌打ちした。
「チッ……!だが、あの姿では動く事も、助けを呼ぶ事も出来まい。駒化させただけでも良しとしなければ。」
ハーゴンは後ろを向き、城へと歩き出した。
「魔王様、お喜び下さい!あの憎きアテめを、封じる事に成功しました!」
「ほう、封じたとな?」
魔王は玉座に座り、ハーゴンの話しに耳を傾けた。
「封じたとはどのようにだ?」
「はい、まずは小屋に誘き寄せ……。」
ハーゴンが誇らしげに話し始める。
途中、少しばかり誇張した部分もあったが、魔王は満足そうに聞き入っていた。
「……という経緯で、アテを封じ込めたのです!」
ハーゴンが話し終えると、魔王は上機嫌で笑った。
「なるほど。お主にしては上出来ではないか。」
「ははぁっ!有難きお言葉……。」
ハーゴンが深々とお辞儀をする。
「して、その駒はどうしたのだ?もちろん、持ってきたのだろう?」
魔王のその質問に、ハーゴンはギクリとした。
「そ、それが……。」
ハーゴンは、先程の出来事を事細かに話していった。
話している途中、魔王の表情が変化していくのが嫌でも分かる。
「……ですから、アテの行方は……。」
「この大馬鹿者めがッ!!」
魔王の一声で、壁が崩れる。
「ひぃっ!お、お許し下さい魔王様……。」
ハーゴンがビクビクと詫びた。
「我はお主に『アテの身柄を拘束せよ。』と命じたのだッ!あの井戸……“飢界”の入口に押し込めるなど、そこまで致す必要は無いッ!!」
魔王の怒轟で、火山が噴火する。
「で、ですが魔王様、アテは居なくなった訳でして……。」
「そうだ、それが何より悪いッ!」
魔王のその返答に、ハーゴンは動揺した。
「は……?アテが居なくなった事に、何か問題でも……?」
アテはフェルノン国の中では最も強く、魔王軍の闇の兵士に束になってかかられても、殺されはしなかった。魔王軍が攻め入った時、十分の四はアテが、十分の三は俺が、残りの十分の三はフェルノン国の他の兵士が倒していた。つまり、俺が寝返り、アテも封印された今、フェルノン国の十分の七の戦力を削いだと言って良い。それなのに、魔王様はアテが居なくなった事の方が問題だと言う。
「良いか、今からアテがどこにあるのか探してやる。必ず見つけて来いッ!いや、見付けるまで帰ってくるなッ!!」
「そんな、そこまではどうか……。」
だが、最早魔王はハーゴンの言葉など聞いてはいなかった。目を閉じ、国中……いや、世界中を探っている。そして、探りながらも、魔王の怒りは収まらなかった。
数分後、魔王は目を覚ました。青い顔をしている。
「ま、魔王様……?」
ハーゴンが心配そうに聞いた。
「な、何という事だ……。アテはもうこの世界にはいない。」
魔王の言葉は衝撃的だった。
現在、“世界”というものは一つではなく、無数に散らばっている。昔は一つだったらしいが、天変地異によって分裂したのだ。
各世界には他の世界と繋がる入口があり、それを利用して貿易を行っている世界もあるらしい。だが、ほとんどの世界ではその入口は隠され、更に他界の事を全く知らない世界もある。だから、色々な世界を旅して回りたいと思っても、それは目茶苦茶面倒臭いのである。
「……この世界にはもういないが、行き先はわかった。確か、あそこは他界の情報があまり行き届いていない世界だ。“社界”という世界だったな。」
「ま、まさか……行けと仰いますか……?」
ハーゴンの顔には、行きたくないとはっきり書いてあった。
「当たり前だろう。我はもう、お主に命じてしまったのだからな。」
だが、魔王はそれでもハーゴンを許さなかった。
「で、ですが、また失敗して……。」
「くどいぞッ!!」
「は、はい……。」
ハーゴンは観念して、ヘコヘコと魔王の部屋の扉へ向かった。
「む……待て。」
ふと思い出した様に、魔王がハーゴンを呼び止める。
「お主への罰がまだだったな。」
魔王が微笑し、ハーゴンは立ち尽くした。
「お主の見張りに、ガーゴイルを五体、就かせる。」
「なっ……そんな!あの様な連中と共に旅など……。」
「愚か者めが。」
魔王がハーゴンへ音も無く近付く。そして耳元に口を近付け、凍り付く様な声でこう言った。
「我から逃れられると思うなよ、この外道が。」
ハーゴンの顔がサッと青くなる。そして、まるで老化したかの様に、ゆっくりと部屋から出ていった。
「フンッ……。さて、ともかく邪魔者は消えた。最早フェルノン国の侵略は容易い筈。闇の兵士共を集めよ!フェルノンの城へ攻め込もうぞ。」
――月が紅い。
紅い月は、その暗い空から、今宵の争いを楽しんでいる。
なんかいきなり長くてすみません……。次回からはあらすじと話が噛み合う予定なので、どうか御了承下さい。