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意味のある仮定

掲載日:2025/10/25

 ドアベルが、ちりん、と鳴った。

 ようやく客が来た。暇を持て余していた(しょう)は、入店した男に機嫌よく声をかけた。


「よお、いらっしゃい」


 真新しそうな白いノーカラーシャツと黒のストレートパンツ、カジュアルながらも落ち着いた色味のライトグレーがちょうどいい長袖カーディガン。

 あまり目立たない風貌の彼は〈喫茶・常盤〉の常連客・西道(さいどう)だ。


「二人掛けの席でいいよね――いてえっ」


 微笑む西道を席に案内しようとすると、つむじと後頭部の間に痛みが走った。

 翔は後ろを振り向き、「何すんだよ」と文句を言う。


「何すんだよ、じゃないわよ。『いらっしゃいませ』でしょ」


 やや釣り上がった目で翔を睨んだエプロン姿の女性――(あや)が文句を返す。

 しかしすぐに西道のほうを向くと、申し訳ありません、とやけに綺麗な声で言って頭を下げた。


「私のほうからよく言い聞かせておきますので」

「いえ、平気ですよ」


 初対面の綾に緊張しているのだろうか。綾を見つめる西道の受け答えは少しぎこちない。


(……ま、勝気でもそこそこ綺麗に整えてるもんな)


 『店員モード』の綾にちらりと目を向けながら思う。


 弟でもない翔に拳骨を食らわすような女性だが、綾の外見は決して悪くない。顔立ちが整っているというわけではなく、むしろ意志の強そうな目以外そこまで印象的ではないのに、全体として美しく見えるのだ。

 それはうなじの辺りで綺麗に纏めたお団子ヘアのおかげかもしれないし、自然体の笑顔のおかげかもしれない。もしかしたら、所作の端々が意外と上品だからかもしれない。――とにかく、西道や他の客には好印象を与えるだろう。


 まったく、厄介な奴が入ったもんだ。翔は内心文句を言い、西道を二人掛けテーブルに案内する。

 すぐあとに注文を取りがてら水とおしぼりを届け、厨房近くの待機場所に戻ると、綾から声をかけられた。


「ちょっと、さっきの態度は何? お客さんに失礼でしょ」

「あの人は常連だからいいんだよ。全然怒ってなかっただろ」

「そういう問題じゃないの!」


 印象的な目で翔を睨んだ綾が言い放つ。


「大体、あんたがこんないいお店で働けてるのは二十歳にもなってふらふら遊び歩いてるあんたを見かねた店長(三上さん)が拾ってくれたからじゃない。それなのにお客さんに対して『いらっしゃいませ』も言えないなんて――」

「あーもう、分かったって」


 長くなりそうな気配を感じ、翔は渋々了承した。


「常連相手でもちゃんと挨拶すりゃあいいんだろ? 次からはそうする」

「本当でしょうね」


 疑うような眼差しを向けた綾だったが、ひとまず信用すると決めたらしい。「まったく……」と言いながら、空きテーブルの片付けに向かった。


(「まったく」は俺の台詞だっての)


 いつまでも姉貴面されるんじゃたまったもんじゃねえ。喉まで出かかった言葉の代わりに息を吐き出す。


 綾の指摘に誤りはない。一般的なカフェチェーンでは間違いなく面接落ちするだろう翔がこの店――〈喫茶・常盤〉で働けているのは、店主である三上が翔の両親と親しいからだ。

 ただ、正論を突き付けられて反省できるほど翔は素直ではない。それに、綾がいつまで経っても昔のような態度で接してくるのも気に入らない。


(もう二十歳だってのに)


 綾が大学進学を機にこの町を離れたのは約九年前。そのとき翔はまだ小学生だったから、「年の離れた弟」のように扱われるのは仕方ないと思っていた。

 だが、いざ成人しても綾の態度は変わらず、寧ろ昔以上に子ども扱いされるようになっていて。翔にとっては不服以外の何物でもなかった。


 これだから歳が離れてるのは嫌なんだ。

 内心文句を言った翔は出来上がった料理とホットコーヒーを受け取り、西道のテーブルに向かう。


「お待たせいたしました。ホットサンドセットです」


 離れた場所にいる綾にも聞こえるよう少し大きめの声で言い、ホットサンドとホットコーヒーを給仕する。 

 そうして、非礼を詫びるふりをしながら小声で西道に話しかけた。


「さっきは悪いね。(あの人)口うるさくて」

「はは」


 西道は綾にちらりと目を向け、尋ねる。


久野瀬(くのせ)さんだっけ。最近こっちに帰ってきたんだよね?」

「ん」


 頷いた翔が補足する。


「営業の仕事は性に合ってたのにクソ上司に嫌気が差して辞めた、みたいなこと言ってたな。『自分には甘いのに部下には厳しいタイプで報連相もろくにできなかった』らしい」

「うわあ……」


 西道は眉を顰めた。

 会社での様々なハラスメントが問題になっているこのご時世、今時そんな「クソ上司」のテンプレートのような人間がいるのか――。学生の翔でさえそう思わずにいられない。

 だが、その「まさか」を超えてくるのがこの世界(現実)だ。だからこそ綾は嫌気が差し、一度実家に戻ってアルバイトをしながら次の仕事を探すことに決めたらしい。


「ま、状況が状況だけに辞めるのはいいんだけどさ。帰ってくるなら次の勤め先探してからにすりゃあいいのにな。おかげでこっちはシフトが被る度に小言言われてうんざりだよ」


 はあ、と翔はため息を吐く。

 席数がやや多めとはいえ〈喫茶・常盤〉は個人経営の店だ。日中は三上と店員一人で十分であり、臨時アルバイトとして勤めている綾とシフトが被ることはそれほど多くない。ただ、客が増える金曜の夜や休日は二人で入ることも多く、そういうときは今日のようにあれこれ口を挟まれるのだ。


「なのに、三上さんやうちの親は綾のことやたら褒めててさ。『せっかくこっちに帰ってきたんだしこの機会に結婚相手を探したら』ってよく言ってるけど、あの感じじゃ無理そうじゃねえ?」


 カウンター内でおしぼりの補充をしている綾を盗み見ながら言う。

 確かに綾は美しく見えるだろうし、姉御肌なところを好意的に捉える男も少なからずいるだろう。二十七歳という年齢だって現状それほどハンデにならないかもしれない。

 それでも、久野瀬綾という女の結婚相手はそう簡単に見つからないだろう――。

 そう思っていたのに。


「そうかな」

「え?」


 西道の言葉に思わず素の声が出る。――『そうかな』って何だ。

 面食らった翔に対し、西道は「久野瀬さんと話したのは今日が初めてだから違うかもしれないんだけど」と前置きを入れて説明し始めた。

 西道の話によると、近くの洋菓子店でケーキを食べているとき、二人組の来店客が目に入ったらしい。そのうちの一人が綾によく似ていて、連れは綾と同年代くらいの男だったそうだ。


「多分カップルだろうなと思ったんだ。傍目にも仲良さそうだったから」

「…………」

「二人が目に入ったのは偶然だったけど、綺麗な女性(ひと)だったし、正直すごく羨ましくて……。ぼんやりしてるふりをしてしばらく様子を窺ってたんだ。それで顔を覚えてたんだよ」

「……ただの友達でしょ。綾って結構距離近いほうだし、久しぶりにこっち帰ってきたからケーキ食べがてら近況報告してたんじゃないの」


 翔がそっけなく言う。


「そうかもしれないね」


 と、西道は簡単に意見を変えた。


「僕は久野瀬さんのこと全然知らないし、幼馴染の直馴(なおなれ)くんがそう言うならきっと僕の早合点だ」


 頷いた西道はコーヒーを一口飲み、ホットサンドに手を伸ばす。

 一方、翔はカウンター内にいる綾に視線を戻した。


(……そりゃ昔から面倒見よかったし、料理も得意だけどさあ……)


 だからと言って綾が同年代の男と付き合っているという根拠にはならない。そもそも、綾は甘いものに目がないのだ。


 西道が言う通り、西道の早合点に違いない。そう結論付けていると、西道が不意に尋ねた。


直馴(なおなれ)くんはさ、久野瀬さんと付き合いたいと思ったことないの?」

「はあ?」


 意味が分からない質問に思わず大声を上げそうになる。――なんでそんな話になるんだ?


「バカ、あるわけないだろ」

「なんで?」

「なんでって……数歳くらいならともかく、七歳も離れてるんだぜ。俺まだ二十歳なのに綾みたいな年上を選ぶなんてありえねえだろ?」


 翔は声を潜め、答える。


 年齢の捉え方は人それぞれであり、育った地域や家庭環境・時代によっても異なる。そのため一律に説明することはできないが、あくまで傾向としては「現代の日本人男性は同年代もしくは年下の女性を選ぶ可能性が高い」と翔は感じている。

 そして、それは翔や翔の友人も同じだ。交際相手に選ぶのは同年代や数歳年下で、年上を選ぶのはごく僅か。その「ごく僅か」が選ぶ相手でさえせいぜい数歳上なのだから、翔が七つ年上の綾を選ぶ道理はない。

 もしも綾と交際したとしたら「翔は年上好きだって」とからかわれるのがオチだ。


 だから、綾と付き合いたいと思う理由がない――。やや早口で伝えると、西道は少し考える素振りを見せたあと、さらに尋ねた。


「歳の差がネックってこと?」

「……まあ、そういう言い方はできなくもない」

「よし。――じゃあさ、もしも久野瀬さんが直馴くんと同い年だったら。もしくは少し年下だったら、久野瀬さんと付き合いたいと思う?」

「は? なんだよそれ」


 その仮定に意味があるとは到底思えない。

 ただ、西道は翔が答えるのをじっと待っている。


「……それは綾次第なんじゃねえの。いくら歳が近かったってガキ扱いされるんじゃやってらんねえし」

「ふーん」


 翔の答えを聞いた西道は相槌を打ち、なるほどね、と呟いた。


「何が『なるほど』なんだよ」

「いや。――歳の差を考慮しないなら久野瀬さんのことが好きなんだなあと思って」

「はあ!? バカ、そんなわけ――」


 翔は続く言葉を言おうとしたが、言えなかった。カウンターにいる綾から低い声で名前を呼ばれたのだ。

 「やばい」と思ったが、時既に遅し。綾は印象的な目に冷たさを滲ませて翔を見つめている。 


 この席からカウンターまで西道の声が届くとは思えないし、話の内容は聞かれていないだろう。それでも、かなり厄介なことになったのは間違いない。


(……あーあ)


 九年前からずっと考えないようにしてたのに――もう手遅れかもしれないのに、なんで今さらこんなことになっちまったんだ。


 翔は深々とため息を吐き、カウンターに向かう。

 満足げな表情でホットサンドを食べている常連客に、恨みがましい視線を向けて。


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