第7話 とあるおっさんの過去習得していた技能
結菜の後輩として和夫が配属され、数日。
和夫と結菜は、意外にも……あるいは順当に、実績を積み重ねていった。
能力だけを見れば、当代のエースと歴代最高クラスの適正を叩きだしたスーパールーキーのコンビである。
当然といえば当然。
上手くいかないはずがない、とさえ言える。
尤も。
「先輩、お疲れ様でした」
「ん……おつかれ」
機構へと帰還し、魔法少女コスチュームを解除した和夫と結菜。
笑顔で挨拶する和夫に、結菜はそっけなく答えた。
「あ、先輩。私、ケーキ持ってきたんですけど食べませんか?」
「え、ケーキ?」
パッと、一瞬結菜は顔を輝かせる。
「う……い、いらない」
しかし和夫の顔を見て、苦々しげに首を横に振った。
そのまま和夫から視線を逸らし、和夫とすれ違う。
「アタシ、これから訓練入るから。出撃要請があったら教えて。それ以外の用事で邪魔しないでね」
目を合わさないままそう言って、結菜は訓練室の方へと歩いて行った。
「はい、わかりました」
結菜の視界に入っていないことは重々承知だろうに、和夫はそれでも結菜の後姿へ向けて丁寧に腰を折る。
ここ数日、毎日のように繰り返されている光景だ。
和夫が頭を上げるのに合わせて、ミルクがピョコンとその肩に着地した。
「ま、あの年頃の女の子は複雑ミル。特に、結菜は色々あるミルから……別に、和夫だけが特別嫌われてるってわけじゃないミルよ」
そう言って、肩をすくめるミルク。
「はは、お気遣いありがとうございます」
ミルクの方へと向ける和夫の顔には、いつも通りの笑顔が浮かんでいる。
「ですが、大丈夫です。ジェネレーションギャップは承知の上ですよ」
「ジェネレーションギャップっていうか……うん、まぁ、頑張るミル」
訂正しかけて……和夫の笑顔があまりにいい感じに輝いているのを見て、最終的にどうでもよくなり投げやり気味に告げるミルクであった。
◆ ◆ ◆
さて、そんなやり取りがあった日の夕刻である。
「おっさんの動きはやっぱ参考になる部分が多い……それが実戦で最適かはさておき、たぶんマニュアル通り完璧にやったらあんな感じになるんだ」
現在夏休み期間中ゆえ小学校の授業もなく、一度魔物討伐に出撃した以外はほぼ丸一日を訓練に費やした結菜。
彼女は今、とある喫茶店の一角でブツブツと呟いていた。
落ち着いた雰囲気の瀟洒な店内は、本来であれば小学生には色々な意味で少々ハードルが高いと言えるだろう。
しかし結菜は全く臆した様子もなく、当然のように大きめの椅子に腰掛けている。
実際、結菜はこの店の常連であった。
魔法少女には、その危険度からすると随分と少ない、しかし小学生の少女が得るには幾分多い程度の給与が支払われている。
喫茶店に通うくらいの経済的余裕は十分に存在するのである。
「アタシはかなり自己流入ってるし、見直すお手本にするには最適だな……」
顎に指を当て、思案する。
思うところがないわけではない……どころかありまくりではあったが、見習うべき点があれば見習うし盗める点があるなら盗む。
こと魔法少女に関わる限り、結菜はそういうスタンスを持っていた。
今日の訓練も、和夫の動きを参考に自分の戦い方を見直すのに大部分の時間を費やしている。
「おっさんも、アタシのアドバイスを素直に聞いて実力を上げてる。ぶっちゃけ、もう一線級だよね……」
和夫の前では決して口にしない賞賛を呟きながら、結菜はテーブル上のコーヒーカップを手に取ってズズッと啜った。
なお、中身はカフェオレである。
「んっ……?」
褐色の液体を口に含んで、結菜はピクリと眉を動かした。
「マスター、これ淹れ方変えました? いつもより美味しいですよ」
そして、カウンターに向けてそう声をかける。
常連である結菜は、マスターとも世間話をする程度には顔見知りだ。
「そうですか? それはありがとうございます」
マスターは腰を屈めて何か作業をしているようで、カウンターに隠れて姿が見えない。
だが、その声に結菜は小さく首をかしげた。
「なんかいつもと声違くないです? 風邪でも引きました?」
心配げに尋ねながら、再度ズズッとカフェオレを啜る。
「いえ、至って健康ですよ」
そんな言葉と共に、マスターが身体を起こした。
その、結菜の方に向けられる笑顔を見て。
「ぶっふぉ!?」
結菜は口にしていたカフェオレの大半を吹き出した。
「おっさんじゃん!?」
そこにいたのが誰あろう、山田和夫その人だったためである。
「いつの間に!? なんで!?」
考え事に没頭していたせいで、そういえば入店時にも注文時にもマスターの姿をきちんと確認してはいなかったか……と、今更ながらに気付く。
「な、なに? ストーキング? 事案? 事案なの?」
防犯ブザーのピンに指をかけながら、結菜はジリジリと和夫から距離を取る。
「いえ……」
和夫が口を開きかけたところで、カランコロンと入り口のドアに取り付けられたベルが音を鳴らした。
「ありゃ? なんかあったんスか?」
入ってきたのは、今度こそは見知ったこの店のマスターだ。
長めの茶髪を後ろでまとめた、若干チャラい雰囲気を纏う二十代中盤のお兄ちゃんである。
名を、城崎健吾という。
城崎は、場の――というか主に結菜の――異様な雰囲気に、軽く首をかしげていた。
「あの、マスター! このおっさんが……!」
「あっ、結菜ちゃんもうマスターの淹れてくれたカフェオレ飲んだッスか? 俺が言うのもアレだけど、俺のより断然美味しいっしょ?」
「……へっ?」
和夫を不審者として糾弾しようとしていた結菜は、城崎のフレンドリーな雰囲気にキョトンと目を瞬かせた。
「あの、マスター……このおっさんと知り合い、なんですか……?」
二人の顔を交互に見ながら、結菜が声を震わせる。
「そッスよー。つーか、マスターは俺の師匠みたいなもんスねー」
「はは。城崎くん、マスターは止めてください。今は君がマスターでしょうに」
「いや、俺にとってマスターはいつまでもマスターッスから」
二人のやり取りの意味がわからず、結菜は目を白黒とさせるのみであった。
「実は以前、このお店で雇われマスターをしていたことがありまして。城崎くんはちょうどその頃にバイトとして入ってきて、私が辞める時に後任のマスターとなったんです」
結菜の疑問を見て取ったらしい和夫が、そう説明する。
「だから、俺のマスターとしてのノウハウは全部マスターから学んだんスよねー」
「といっても、私がいたのなんてほんの少しの間だけですけどね」
「その少しの間に、売り上げ倍増させた伝説のマスターじゃないッスか。つか、あの時マスターがいなかったらこの店たぶん潰れてたッスよ」
「たまたま、そういう時期に私がマスターをやっていたというだけですよ」
和夫は、穏やかに笑ったまま肩をすくめるのみ。
「またまた~」
そんな和夫に向けられる城崎の視線には、純粋な尊敬が宿っているように見えた。
「んで。今日俺、外出の予定が入っちゃって。ちょうどその時マスターが通りかかったんで、しばらく代理をお願いしてたってわけッス……けど」
結菜に対してそう説明した後、城崎が和夫に向けて首をかしげる。
「マスターは、結菜ちゃんとどういうお知り合いで?」
「えぇ、お世話になっている職場の先輩……」
そこまで言って、和夫は若干逡巡した様子を見せた。
「の、娘さんですよ」
そして、そう付け加える。
魔法少女大原則第八条。
『魔法少女は、自らが魔法少女であると一般人に知られてはならない』。
それに従った嘘であることは明らかだったため、「すみません」と目で謝ってくる和夫に結菜は「いいよ」と目で返した。
何気に、既にアイコンタクトにて意思疎通が図れるようになっている二人であった。
と、カランコロンとベルの音を鳴らして新たな客が入店してきた。
「しゃっせー!」
店内の雰囲気とは随分マッチしない挨拶でそれを迎え、城崎は声のトーンを下げて和夫に頭を下げる。
「マスター、あざっした。後はもう大丈夫ッスから、マスターも座ってください」
そして、結菜の向かいの席を引いてそう促した。
(げっ……)
内心で呻きながらも、結菜はギリギリそれが表情に出ないよう自制する。
城崎の行動は善意から来るものであり、それを無碍にはすまいと思った結果だ。
結菜は、気遣いの出来る小学生であった。
尤も、「本当にすみません」と目で伝えてくる和夫に「だからいいってば!」と返す目はかなり剣呑なものになっていたが。
「失礼しますね」
若干恐縮した様子で、和夫が結菜の対面に腰掛ける。
「……………………」
「……………………」
しばしの間、割と気まずい感じの沈黙が流れた。
「どうぞッスー」
それを破ったのは、トレイを手に載せた城崎だ。
トレイの上には、コーヒーカップが一つとケーキ皿が二つ。
和夫の前にコーヒーカップを置いた後、更に城崎はケーキ皿を二人の前へと配膳した。
「あの、頼んでませんけど……?」
ショートケーキの載った皿を指し、結菜が城崎へと尋ねる。
「俺の奢りッス! ……と、言いたいところッスけど」
笑顔で親指を立てた後、城崎はその笑みをイタズラっぽいものに変えた。
「これ、マスターが持ってきてくれたやつなんス。だから、マスターと結菜ちゃんに」
「よろしければ、どうぞ」
城崎に追随して、和夫も結菜に手の平を向け促す。
「ん……じゃ、貰います」
一瞬逡巡した後、結菜はコクリと頷いた。
(そういやおっさん、ケーキ持ってきたとか言ってたっけ……)
訓練前の一幕を思い出す。
地味に気になっていた一件であった。
結菜とて女の子のご多分に漏れず、甘いものには目がないのだ。
皿の上へと目を落とすと、載っているのはシンプルな苺のショートケーキ。
滑らかなクリームで白く彩られ、添えられた苺が宝石ように輝いて見える。
「いただきます」
小さく言って、結菜はケーキへとフォークを突き入れた。
一口大に切り分けたケーキを、口に運ぶ。
微かに苺の酸味が混ざった、上品な甘みがたちまち口の中へと広がった。
そこらで売っているケーキとは明らかに一線を画する味わいだ。
「ん、美味し……」
思わず、結菜の頬が綻ぶ。
と同時、結菜はこの味に覚えがあることに思い至った。
「これ、ラ・メールのケーキだよね?」
それは、この付近ではかなり有名なケーキ店の名前だ。
結菜もかつて一度だけ食べたことがあり、その感動さえ伴う味をよく覚えている。
「流石先輩、よくご存知で」
果たして、和夫は小さく笑って頷いた。
「わざわざ買ってきてくれたんだ? あそこ、めっちゃ並ぶっしょ?」
かつて結菜が買いに行った時には、三時間待った記憶がある。
結菜が、結局一度しか手を出していない主な理由がそれだ。
「いえ。私、実は以前そのお店でパティシエをしていたことがありまして」
「?」
言っている意味がわからず、結菜は首をかしげる。
「それ、私が作ったんです」
「ごほっ!?」
しかし、付け加えられた言葉に思わず咽せた。
(お、おっさんの手作りケーキ……)
途端、目の前のケーキが妙に禍々しいオーラを放っているように見えてくる。
しかし、舌の上にまだ先程の感動が残っているのも事実だった。
(…………産まれてきたケーキに罪はない)
結局そう割り切って、結菜は再びケーキへとフォークを刺し入れる。
「ふ、ふーん……そうなんだ……」
尤も、そう付け加えた言葉はかなり震え気味であったが。
「てかおっさん、前はここのマスターやってたんじゃなかったの……?」
「パティシエは、その次に就いた職ですね」
「そうなんだ……おっさん、何を目指してたわけ……?」
「さて……それを探していたのかもしれませんね」
「自分探しはせめて十代のうちに済ませなよ……いくつまで探してたのさ……」
何やら遠い目で格好良さげな事を言う和夫に、結菜が半笑いとなった。
「はは、おっしゃる通りで」
一方の和夫は、実にいつも通りに穏やかな笑みを浮かべている。
「でも、今は魔法少女が天職かもしれないと思い始めていますよ」
「うん……せめて、あと三十年くらい早く気付けてたらよかったね……」
半笑いのまま、そうコメントする結菜。
もちろん三十年前だろうと男である以上アウトなのだが、十五の時の和夫が紅顔の美少年ということであればもしかしたらギリギリでアリだったかもしれない……などと、益体もないことを考える。
「いえ、でも私はこのタイミングで良かったと思います」
和夫が、笑みを深めた。
「そうでなければ、先輩の後輩として配属されることもなかったですから」
「ハン」
結菜は鼻で笑って応える。
「んなお世辞言ったって、指導に手心加えたりしないからね」
「それは恐ろしい」
和夫がおどけて両手を上げた。
そんな、軽口の応酬に。
結菜はふと、妙な心地よさを感じている自分に気付いた。
(……はぁ?)
そしてそれを自覚した瞬間、結菜は内心で盛大に眉をしかめる。
(アタシ、なにおっさんとなんて馴れ合ってんだか)
呆れのため息を吐きたくなるのを、どうにか堪えた。
代わりに緩みかけていた口元を「へ」の字に曲げて、席を立つ。
「アタシ、もう帰るから」
素早く財布を取り出して千円札と五百円玉をテーブルの上に置いた。
二人分の料金だ。
「ごちそうさまです、先輩」
自分が払う……などと言い出すかと予想していたが、そういうこともなく和夫はただ頭を下げるのみだった。
どうやら、結菜の先輩としての矜持を立ててくれているらしい。
こういう所、『心得て』いるなと結菜は無意味に悔しい気持ちとなった。
「帰り道、送ります」
「いらないっての。これもあるし……」
一緒に立ち上がりかけた和夫に対して、防犯ブザーを掲げて見せる。
「変態の一人や二人、男に生まれてきたことを後悔させてやるくらい余裕だっての。変身しなくても……さ」
和夫にだけ聞こえる声で言いながら顔に浮かべるのは、挑発的な笑み。
剥き出しにした犬歯が、威嚇を示す。
果たして威嚇する相手が未だ見ぬ変態なのか目の前のおっさんなのかは、結菜自身にもよくわからなかったけれど。
「そうですか……では、お気をつけて」
やはり結菜の顔を立ててか、和夫がそれ以上食い下がることはなかった。
「ん。じゃあね、おっさん」
歩き出しながら、背中越しに告げる声は決して心を許した相手に向ける色ではなく。
「……また、明日ね」
けれど幾分柔らかい響きとなっていることに自ら気付き、結菜は盛大に顔をしかめた。