第九十三話 光の壁の塔
◇隷従の首輪【れいじゅう-の-くびわ】
魔道具/商業/奴隷商
嵌めたものを隷従させる首輪を作成する意能。
または、それにより実際に作られた首輪。
使用について、各都市で厳しく取り締まられており、
多くの場合、奴隷商にのみ許されている。
ゆえに所持しているだけで反感を買う魔道具。
支配にも、在り方が種々存在する。
服従、臣従、屈従、面従。
首輪とは、その最も原始的な形である。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画、ヨア
メアリーサリーが、死んだ。
誰にも予想できない壮絶な末路を辿って、この世からいなくなった。
そのあまりの凄惨さに、誰もが言葉を失っていた。
これが人間の死に方かと……常識を超えた気持ち悪さが胸の奥で重く横たわっている。
メアリーサリーの死によって俺の進値が上昇することはなかった。
彼女らの死因は……自殺、ということになるのか。
今、そのことを素直に喜ぶことはできない。
本当にこんな幕切れでよかったのか。
死なせず、生きて罪を償わせる道もあったんじゃないのか。
俺はギルの言うとおり、ただ見ていただけだ。その最期を記憶に刻むことしかできなかった。それでいいと言われた。
これでよかったのか? 頭がくらくらする。
「――今、難しい事を考えてるでしょ?」
「え」
そんな俺の心中を見透かしたようにユサーフィさんは口を開いた。
「君は純粋で優しいから、他人の不幸のことまで考えちゃう。今のこれは君が背負う必要のないものだよ。他人の人生に自分が幕を引く覚悟は、うん、持ち合わせて損はないけど、その末路にまで後味を悪く感じるのは、お人好しが過ぎると思うよ」
「そう……なんでしょうか」
俺は自信なく呟いた。
ユサーフィさんは、
「殺すと決めたなら、貴方を殺すしか道はなかった――そう毅然とした態度で相手の死を肯定しないといけないの。殺した後に〝やっぱり殺さなくてよかったかも〟なんて言われたら、その人の死は世界にとって無駄な代謝になってしまう。だから死を無意味にしてはいけない、死に意味を与えなければいけない。それが相手の命を奪うという行為で、背負い続けていくものだから」
誰に咎められようと、これだけは忘れたらだめだよ――そう締めくくって離れていった。
『終の黄昏』の団員を呼び止め指示を出していくその姿を見送ってから、俺はホウっと息を吐いた。
――――!
妙な感覚が体を貫いた。
ハッと視線を向けると、ギルも同じく何かを感じた様子で、弾かれたように懐をまさぐった。
俺も、閃きに近いものに導かれ、腰に吊り下げた小さい物入れ袋に手を突っ込む。
探り当てた手に握られていたのは――転移符。
ネメジスカさんが最後に残していったもの。
〝――ギル、貴方がもし明日生き残ることができたら、最後にその紙、転移符を破いてほしいの〟
〝――そうすれば、とある場所に転移……瞬間的に移動することができるわ〟
〝――全てが終わったその後に、生きていたならまた会いましょう、ヨア〟
俺たちは……条件を満たしたのか。
転移符は仄かに光を放っていた。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画、ヴァルガ・ブラビド
「ごッ……⁉」
俺の体の中に侵入した異物は、間違いなく俺の命を貫いていた。
間違うことなく破壊された心臓が機能を失い、流血が俺の中を満たしていく。
「――貴方の〝秘匿〟は破られた、ヴァルガ」
破壊されたはずの旦那の人形から声が響く。
「ヴァルガ、殺しの業を分かち合う同朋よ。〝誓約〟に基づき、報復ではなく、名誉のために貴方を殺すことを私は誇りに思う」
最後の力を振り絞ったようなか細い声は、今までの旦那の口調とは異なる、明らかに女のものだった。
旦那、これがアンタ本人の声なのか。
いつも会っているのが人形だと知って以来興味はあったが、まさか今際の際になって声を聞くことになるなんて、な。
「事前の取り決めどおり、約束は果たそう。〝誓約〟を穢さぬために、安らかに眠れ」
「ぁ、ぃ……が……ぉ、よ……」
消えゆく命の灯火を感じながら俺は声にならない礼を言う。
口と鼻からとめどなく溢れる鮮血のせいでゴボゴボと泡が弾けるだけの言葉だが、それでも旦那には伝わった気がなぜかした。
――直後、旦那の操る人形は魔法が直撃し火に巻かれ、髪が焼けていく臭いが充満していった。
「〝殺し屋〟……! 狂ってやがる……!」
周りの探索者が顔を歪めるのを鼻で嗤ってやった。何を今さらだぜ。
……ああ、満足だ。
モーサンパッションの旦那は約束を守ってくれる。あとは俺が逝くだけでいい。
人生でやるべき仕事を全て完了するってのは、こんなに清々しいもんなのか。
夢に描いた理想の人生とは程遠いが……不思議と満ち足りている。
目線だけをツェラに向ける。
あの子は大人しく、されるがままに回復魔法をかけられている。相当なケガを負ってはいるが、腐っても進値50だ。すぐさま死ぬことはないだろう。
治療の後、殺しに加担した制裁を受けるかもしれねえ。
だが、最終的には保護されるはずだ。
事実、ツェラを見る周りの目は同情的なものが多い。
きっと、悪の〝殺し屋〟に服従させられていた憐れな少女として、酌量された処分を受けるだろう。
実際それは本当だ。ツェラが付けている服従させるための首輪は俺の意能で作られたものだ。
戦いの中で壊れたのか、捕まった後に外されたのか、その首輪も今はもうない。
お前を縛るものは何もなくなった。
――ツェラ……。
ツェラは、道具だ。
そう、道具だ。
殺しの道具ではあっても、〝殺し屋〟ではない。
犯人を裁いても、凶器そのものを罰することをしないのと同じように。
〝誓約〟を全うできなかった罰は、俺だけのものだ。
〝秘匿〟とは、最も困難な〝誓約〟。
誰が殺されたのか、誰が殺したのか、一切を誰にも知られてはいけない。
だから、俺は標的が人里離れた場所に赴いた際、ツェラの能力で身元も特定できないほど焼き尽くし殺していた。目撃者も全員抹殺する。
殺された理由が知れ渡ることで名誉が汚されることもない。
恨み妬み憎しみ嫉み――あらゆる感情を切り離し、ただひたすらに相手を殺す。世界から人間一人消えたことに誰も気づかないよう静かに。
……最初から不可能だったんだ。
世界でも有数の都市で、その白昼に堂々と殺すなんてのは。
探索者もバカじゃねえ、遅かれ早かれ俺の正体は露見していた。
〝誓約〟を守れなかった〝殺し屋〟は、〝殺し屋〟から死の制裁を受ける。
つまり、依頼を請けた時点で――俺の死は確定していた。
俺が〝殺し屋〟になった本当の理由は……金のためだ。
俗なうえに最低な理由だ。金欲しさに人殺しとは。
〝殺し屋〟としてこれまで得た収入のほとんどは使わずに貯めてある。今回の仕事のほとぼりが冷めた頃合いにツェラへ渡る手筈だ。
その金でツェラは、一人で生きるのが難しい人間を保護するための施設へ入るのだ。死ぬまで衣食住の世話を見てくれるだけの十分な金は貯め終わって、施設への繋ぎや段取りはモーサンパッションの旦那が協力してくれた。
まったく、旦那には申し訳が立たねえ。〝殺し屋〟になる願いを聞き入れてくれたにも関わらず、俺は嘘の理由で欺いて、その後も力を借りまくって……。〝誓約〟うんぬん以前に、殺されて当然の事をした。
本当に申し訳ねえが……真相は抱えたまま逝かせてもらうぜ。
ああ……苦しいな。進値が高いってのも良い事ばかりじゃない。
つっても俺は30を超えることはなかった。あのまま探索者を続けていたら今より進値は上がってたんだろうが、その意義も目的も、見失っちまっていた。
結局、ツェラには進値で倍近い差を開けられたな。
惜しいぜ、お前の身にあんな事が起きなければ、今頃、お前、は……。
思考がだんだんとほつれていく。
もう、いたみもあまり感じなくなってきた。
ねつが、からだから、ねつが、ながれでていく。
つめたい。からだが。
ああ。そうか。
しぬってのは……こういう、さいごで……
「――――――」
暖かいものに包まれて、手が感覚を取り戻す。
導かれるように、薄らと瞼を開いた。
――ツェラ……?
俺の傍にはいつの間にか、治療を受けていたはずのツェラがいて、油断なく周囲をジロジロと睥睨していた。
まるで何者も俺たちへ寄せ付けないよう威圧する様に。
――まさか、俺を守ってるの、か。
ありえないと断じながら、そうじゃないかと思ってしまう。
――お前……首輪、外れてるのに、どうして……。
ツェラが俺を見た。
俺を安心させるように――もう心は壊れているはずなのに、優しい微笑を向けてくれた。
……ああ、そうか。
そんな……今さら気づくなんて。
俺自身が分かっていたはずだ。
俺は獣の蝕業の力でツェラを支配し操ってきたつもりだった。道具として使用してきたはずだった。
だが、なぜツェラは俺に従っていたのか。
本来ならありえないんだ――俺の意能は、自分より強い存在は支配できない。
進値で倍近い差をつけられた俺がツェラを支配できるわけがないのだ。
――ツェラが自分から支配を受け入れない限りは。
「あのケガでまだ動けるのか⁉」「スマン油断した!」「くそっ、これ以上は――」「ま、待て! 迂闊に手を出すな!」「どうすんだ⁉ 捕らえんのか、殺すのか⁉」「分かんねえよ!」「せめて魔法阻害の魔法を――」
ツェラの心は壊れちまった。
それでも、それでもまだ、こんな俺を心配してくれるのか、ツェラ。
ツェラ……。
――もう、いいんだよ。
また声が聞こえる。
――私のために、がんばらなくて。
ツェラの瞳が訴えかけてくる。
昨日の夜の独り言……初めて俺が〝殺し屋〟を続ける理由をツェラに語った。
仕事で得た報酬は日々の生活費以外手を付けていないと。俺の死後、ツェラが安穏と生きていける資金として貯め続けたと。
……そうか。ただの気まぐれ、愚痴を語っただけだが、この子なりに理解していたのか。
――私のかぞくは叔父さんだけ。
――だから、私も一緒にいくよ。
ツェラの目が輝きを放っていく。だというのに、そこから生気が無くなっていくのがはっきり分かった。
頭上の雲間から俺たち二人に光が差し込む。
「おい、まさか」「散れッ! 離れろッ!」「光だ! アレが来るぞ!」「バカな⁉ 魔法阻害は発動してるッ! 召喚魔法は使えない!」「違う、これは――」
「――〝眼の蝕業〟の極意……! 禁忌の力、魔眼だッ‼」
ツェラが力の抜けたように横たわる。俺と向かい合うように。
ツェラが俺を見ている。
俺もツェラを見ている。
それだけのことがなぜか、この世の中のもっとも貴い出来事のように思えた。
口からとめどなく血を吐きながら、痛みも苦しみも無いかのように心は凪いでいく。
――一人にしないで。
――一人にしないから。
――……お父さん。
ほとんど生気のなくなったツェラの目から涙が一筋零れ落ちた。
……はあ。今までの俺の苦労が水の泡じゃねえか。
誰のために俺が〝殺し屋〟稼業を始めたと思ってるんだ?
反抗期にも時機ってもんがあるだろうよ。
よりにもよって今際の際で駄々を捏ねるとは。
まったくお前は……しょうがねえ娘だぜ。
人生の最後。
天から降り注ぐ眩い光と、最愛の姪の温もりに包まれながら、
俺は心地の良い不可思議さを噛み締めた。
家族を捨てたはずの俺が、幸せも喜びも諦める末路を選んだはずの俺が、
最後に、家族に見守られながら死ぬとは。
やっぱりこれは――奇蹟って言うしか、ねえんだろうなぁ……。
◇召眼【よるが】
蝕業/極意/〝眼の蝕業〟
一度でも視界に収めたものを己に招き寄せる極意。
〝眼の蝕業〟の究極、魔眼開闢、その具現の一つ。
招き寄せるものは物体のみにあらず。
他者のケガや記憶など、事象や概念にも及ぶ。
疑似的な回復魔法のような使い方が可能。
極意の習熟に応じ、招き寄せられる
時間、規模、程度は変化する。
光の壁の塔とはつまり、魔法・意能の類ではなく、
光の壁、その一部を自らへ落したに過ぎなかった。




