第七十六話 反撃の狼煙
◇土魔法【つち-まほう】
魔法/戦闘魔法
土や鉱物を自在に操る一般属性魔法。
進値が低い最初期に習得することが多い。
一般属性魔法は、いわゆる初歩的な魔法であるが、
使用者の空想に従い自由に形を変える。
〝呪文〟とはまた異なる、魔法使いの刃である。
土と鉱物は力であり、守りでもある。
これを究め、感得した魔法使いは
ゆえに最も頼るべき者となるだろう。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、旧区画
太陽が中天に到達する頃。
旧区画。今は失われ、復興も追いついていない、かつて人々の賑わいで溢れかえっていた場所。
その広場――石畳の上に片付けられていない瓦礫が散乱したままというだけの空間――の中心に一人の男がいた。
椅子代わりの木箱を置いて無造作に腰かけ、相棒の槍を手にしながら、その目はどこを見るともなく空中に固定されていた。
彼は周囲に全神経を集中させ、前後左右いかなる方向からの干渉にも対処できるよう、油断なく備えている。
さらには、彼だけが一人佇んでいるように見えて、離れたところでは取り囲むように数十人に及ぶ気配が潜んでいた。
待ち伏せ……見るものが見れば看破は難しくない。手練れの者であれば即座に撤退し、作戦の練り直しか襲撃の放棄を検討する。待ち伏せに気づかないような雑魚であれば、そのまま罠に飛び込んで終わりなので問題はない。
ゆえに警戒すべきは、待ち伏せが脅威とならない、罠ごと喰い破ってくるような強者。
彼らが待ち受けるのはそんな相手なのだ。
息を殺しながら、高鳴る心臓の鼓動が漏れ出やしないかと、胸のあたりの衣服を掴む。
魔物との戦いとはまた違う、名状しがたい緊張感。
にわかに空が明るんだ。
「――――」
彼が頭上を睨んだ直後、
全てを押し流すような光の奔流が降り注いだ。
***
◆???
「……殺ったか?」
「あうー」
額から一筋の汗を垂らしながら、右手を懐の中に忍ばせたヴァルガは天井を仰いだ。
もっとも、今のヴァルガは意能【暗黒星の影】によって姿と声をぼかしているため、傍目には何をしているか、いや、彼が誰であるかさえも分からない。
黒い靄から伸び出た鎖の先は、能力を行使したばかりのツェラの首輪に繋がっている。彼女も偶然か、ヴァルガと同じように上を見つめていた。
彼らがいたのはギル・ラーゴットのちょうど真下――遥か下の地下水路。
ヴァルガの殺しの常套手段は、ツェラの【光の壁の塔】を奇襲同然に叩きつけ、自分諸共に焼き尽くすことだ。
【光の壁の塔】は純粋な熱攻撃であるため、照射時間中だけ熱のみを防御できる手段があればいい。
そのための魔道具……【断絶時宮】の劣化模倣版を焼き付けた巻物は、使い切りのくせに目玉が飛び出しかねないほど高値の買い物だったが、御業の聖堂にあるだけの在庫を買い占めた成果はあった。
〝殺し屋〟として開業して以来、この方法で殺せなかった標的はいなかった。
……しかし、標的を仕留めたという連絡が来ない。
ヴァルガに結果を直接確認する手段がないため、モーサンパッションが潜伏して状況を観測する手筈だ。
彼がこの都市に張り巡らせた髪は、音を振動として拾い集める。逆に振動を音に変換して伝達することも可能ゆえに、今もヴァルガに結びつけられた髪が「依頼は達成した」と朗報を伝えてくるはずだった。
「……旦那? どうした……」
思わず零れ出る弱気。
「――あぃあう!」
その時、ツェラがなぜかヴァルガから離れようと騒ぎだした。
「くっ、こんな時によ……!」
少女の見た目ではあるが、ツェラの力は強い。
大人の男といえどヴァルガが全力で鎖を引かなければ止められないほどだ。
悪態とともに鎖を引きながら……ふと視界が違和感を訴える。
「霧……?」
薄らと白い霧が現れ、それはだんだんと濃くなっていく。
――ここが気づかれたのか……⁉
ヴァルガの背筋に冷や汗が伝う。
恐れを振り払うように鎖を掴む手に力を込める。気づかれていたのだとしても、一直線にここに来れるわけじゃない。まずはツェラを連れてさっさと場所を変える。
「いい加減大人しくして、うぉわっ⁉」
ツェラに想像以上の力で鎖を引っ張られたせいで体勢を崩したヴァルガ。
――直前まで彼の胴体があった空間を剣閃が薙いだ。
「は⁉」
奇蹟。
そうとしか表現できない幸運。
「――うそでしょ⁉」
いるはずのない第三者の声。
白い霧の中から剣を握った腕が突き出ていた。
その腕を起点にして霧が凝集していき――一人の女が現れる。
「くっ、やっぱり慣れない剣じゃなくて魔法にしておけば……!」
意能【霧化】によって気取られることなく接近したのはキャリカ・ポップヴァーン。
襲撃は匙を投げたくなる不運で失敗してしまったが、体は既に次の攻撃、雷の魔法を放つ体勢に入らんとしていた。
――転移符を……。
ヴァルガは生来の臆病な性格から、万が一を考えて握り締めていた懐の転移符、それを破ろうとする。
――ッ、間に合わねえ!
キャリカの指先に迸る雷撃。
ヴァルガは転移が間に合わないと瞬時に判断し――迷いなく秘中の札を切った。
「【封印の鉢】〝解放〟‼」
***
◆自由都市グアド・レアルム、地下水路・???
――終わった。
暗闇の中、モーサンパッションは自身が張り巡らせた髪から伝わる振動で、ヴァルガが魔法を使用したことを把握した。
正確にはヴァルガの道具たるツェラの召喚魔法だが、誰が何をするかは問題ではない。
〝殺し屋〟は強さではなく、殺せるか否かだけが問われるべきだ。
〝孤独〟のヴァルガは弱くて殺せるという〝殺し屋〟でも珍しい存在である。
〝殺し屋〟として新人の域を出ない彼の依頼達成率は、驚異の十割。
それもこれも、ヴァルガによって鎖に繋がれた少女、ツェラの召喚魔法あってのものだ。
召喚魔法【光の壁の塔】は発動を見てから回避できる類の攻撃ではない。来てから対応していては遅すぎる。
最速で反応できたとしても、広大な攻撃範囲から完全に脱出することは至難の業だ。
唯一、転移なら可能性はあるが、ギル・ラーゴットはその手の魔法・意能を持たないことを知っている。
昨夜、彼に渡された特別な転移符も、使用条件は満たされていない。可能性の目はなかった。
後は最後の仕事を片付けるのみ。
――……ここで来るか。
地下水路のほとんど全ての通路に敷いた探知網が反応を返す。
――数が多い。
探れば探るほど、振動は知覚できる全ての髪……すなわち全ての方向から反応が返ってくる。
まさに迷路を外から中心に向かって急速に埋めていくような侵入者の動き。
――ギルドが重い腰を上げたか。
――でも、もう手遅れよ。
急激に増大した情報の奔流に、モーサンパッションはおおよその侵攻速度を掴むと、全ての接続を遮断した。慣れているとはいえ、これだけの反応を全部拾っていては神経を使う。
それに殺害が成功した今、情報収集の必要もなくなった。
まずはここを離脱する。侵攻速度から推測するに逃走の猶予はあるが楽観もできない。
モーサンパッションは転移符を取り出し、それを燃やそうと、
「――‼」
しかし、急にふらついたかと思うと、力を失ったかのように膝を着く。
――無理の反動が、無視できなくなってきた。
もう、寿命はあと幾許も無いだろう。
そう心の中で独り言ちる彼から少し離れた場所に――轟音を立てて何かが落下する。
「何だ……」
床に何かが突き刺さっている。
それは縦横の幅が大人一人分をゆうに収めるほどの体積の……錐とでも言えばいいのか。
根元から先端に向けて螺旋状の溝が掘られ、突き立てて回転させたならば効率よく穴を掘れるだろう。
そのことに思い至った直後、上空から雨のように矢が降り注いだ。
反射的に髪を展開するが、明確に盾を形成できるほどの時間はなく、地下水路に敷いたのと同じように網目状に放射するのが精々だった。
矢の大半は見当違いの場所を攻撃していったが、モーサンパッションの近くを通る矢は不自然に軌道を変える。まるで自分が引き寄せたかのように。
髪の網に阻まれる矢――しかし、その内の一本が転移符を射抜く。
――なるほど、最初から転移符を狙って追尾するように……。
「よっしゃ! 聞いとった狙いどおりやで!」
上空からの声。
見上げれば、声の主を含めた侵入者たちが降下してくるところだった。
「ウチらが当たりを引いたわけか。見たところ一人しかおらへんな」
「気を抜くなバビ。どこかに隠れ潜んでいる可能性もある」
「分かっとるって! ……やあやあ初めまして〝殺し屋〟さん。えらい不気味な格好やな。言うてウチらもちょいと汚れとるけど堪忍してな」
バビ・ビオラント。
ホホル・ジーマイア。
下調べの段階で名前は把握していた。『終の黄昏』、ギルが所属している探索団の幹部。
そして、
「――昨日ぶりだな、人形野郎」
ギルド本部捜査課長、パリオ・ルッシウス。
「〝双星〟と当たらなかったのは極めて残念だが……お前には借りがある。清算の良い機会だ」
獣の蝕業――既に手足は交戦時の【獣器】に変化している。
この三人と相対した時点で、モーサンパッションは戦局の手綱が相手が握りつつあることを理解した。
「ククク、そうか、探知に容易いとここを根城にしたのだが……さすがに地中にまで探知範囲は広げられないからな」
「そうそう。地面ぶち抜いて一気に地下に行くって言われて、いやそんなん無理やろ! って言うたんやけどな? 本当は服が土で汚れるから反対したんやけど、フェルムが魔法で出来るなんて言うもんやから――」
バビが無駄な話を続けている間、モーサンパッションは転移符を使用しようと機を見計らうが、
――ダメだな、隙がない。
転移符の使用にそこまで時間を要することはない。
手に取り、破るなり燃やすなりして、破壊する。
たってそれだけ――そのわずかな工程を許さぬほど三人同時の相手は至難であると判断する。
交戦の意思を決めたモーサンパッションの意識の切り替わりを感じ取り、各々の戦意が一層膨れ上がる。
「人間と戦るのは久々やからお手柔らかに頼むで」
バビが弓に矢をつがえ、
「〝殺し屋〟にそんなものを期待するな」
ホホルが腰の細剣を引き抜き、
「…………」
パリオが獣のごとく歯を剥き出しながら構える。
――さて、上はどうなっているか。
〝孤独〟ヴァルガとツェラ。
おそらく彼らも自分と同じように探索者の反転攻勢を受けているだろう。
特にヴァルガは「おい索敵は完璧じゃなかったのかよ旦那!」と声を荒げているかもしれない。
「フ――クク、残念ながら己の力だけで切り抜けるしかないな……お互いに」
「な~にブツブツ言っとるん……や‼」
躊躇いなく放たれた矢が、薄暗い地下で戦いの始まりを告げた。
◇暗黒星の影【あんこく-せい-の-かげ】
意能/行動強化系
己の全身を覆う暗黒の靄を纏う意能。
自身の姿と声音を誤魔化すことができる。
魔法や意能などの攻撃には無力であるものの、
この意能の最大の利点は、あらゆる看破する力に
高い抵抗能力を持つことである。
光すら通さぬ星。暗黒の影という矛盾。
何者も、見通すこと叶わぬと知れ。




