第七十四話 再び集う
◇遺跡の硬貨【いせき-の-こうか】
遺物/貨幣
古代の遺跡より偶に出土する硬貨。
摩耗した、何者かの肖像が入っている。
現代では特に価値はないが、
一部の好事家がこれを蒐集している。
〝エルレンガンド〟
今はもう誰も読めない言葉で、そう刻まれている。
***
◆自由都市グアド・レアルム、キャリカ・ポップヴァーン
朝の空気が好き。
太陽が顔を出す頃、私は外に出て、新鮮な空気を肺一杯に吸い込む。
朝の外気は中から全身を刺すようにその冷たさを伝えてくるけれど、鼻から抜ける息に交じって眠気の最後の欠片が出ていくような、そんな爽やかさがたまらない。
その後はいつもの決まった道を走る。
探索者は走れなくなったら終わり――成り立ての頃は戦闘訓練のような目を引くことをやりたがる気持ちが強く、けれども、決まって最初は走り込みから始まる。
戦うことも、移動することも、何をするにも足がいる。
言い換えると、疲れ果てて足を動かせなくなってしまえば、ただのお荷物になってしまうのだ。
だから私は走る。晴れの日も、雨の日も、この日課を欠かしたことはない。
……まあ、メリジュナ教官のように、いきなり〝外域〟を魂が抜けそうになるほど走り込ませる方針はさすがに行き過ぎではないかと思う。私は途中で音を上げたけれど、あんな訓練、やりきった人はいるのだろうか?
さておき。
今日も今日とてレアルムの通りを一定の速度で走る。
走るのを欠かしたことはない――と言いながら、今日は迷いがあった。
〝殺し屋〟……今レアルムを恐怖の坩堝に叩き込んでいる元凶。
その得体の知れない存在が幅を利かせている最中、一人で外を出歩く危険……。
現に、いつもは私と同じように朝の走り込みをする人を見かけるけれど、今日は誰とも擦れ違うことがない。
結局、私はいつものように走ることを選んだ。
理由は色々あるが……もし走るのを止めてしまったら、〝殺し屋〟という存在に生活が支配されてしまっているようで、私はそれが単純に気に喰わなかった。
怒っている、と言い換えてもいい。
九等級ごときが何を偉そうにと思われるだろう。
七等級の魔物相手に苦戦しているような分際で、とも。
……それ以前に、虫ごときに逃亡した前科すら……。
とにかく、私はもう無様を晒したくはない。だから鍛錬を欠かしたくない。
幸い……と言ってはいけないけれど、新人の目付け役でもある先輩たちは、私一人にまで注意を払えるほどの余裕はないようだ。見つかったら拠点で大人しくしていろと叱りつけられたでしょうけど、今は〝殺し屋〟の対応に駆り出されてそれどころではないようだった。
というのも、私が所属している『紅蓮の戦旗』は、レアルムで活動する探索団の顔役の一人として『連絡会』という会合に名を連ねている。
そのこと自体はとても誇らしい事だけれど、それに付随してくる仕事のせいで今、上層部は忙殺されている。ギルドとの折衝、付き合いのある探索団への通達と意見調整……。
特に、さほど年は変わらないとはいえ私より若い姫様は、まだ正式に団長位を継いでいないというのに、『紅蓮の戦旗』の実質的な代表として方々を駆け回っている。
本人は「なんでもないですよ」と嘯いているが、その苦労は並々ならないはず。
「…………」
自分の探索団を設立して名を上げていくという私の夢。
でも、夢は綺麗ごとばかりじゃない。団を立ち上げたならば、先輩たちが負っている苦労を私も背負うことになる。はたして私はその苦労に耐えられるだろうか。
「……経験」
頭を振って、私は走る速度を一段上げた。
経験だ。経験が足りないから不安になる。
出来るかどうかなんて、本当はやってみなくちゃ分からないのに、目の前に伸びた道が怖いと想う。
経験に裏打ちされた自信――それが無いから私の足は鈍くなる。引き返せと恐怖する。
だから私は走る、走る。余計な事を考えないよう、この一歩が着実に理想と現実の間を埋めていくと信じて。
「はっ、はっ……」
纏った衣服が汗で重たくなってきた頃。
前方から歩いてくる二人分の人影を見つけた。
一人は肩で風を切りながら我が物顔で、そのくせ不機嫌な雰囲気を振り撒いている。
もう一人はその不機嫌な相方に熱心に語りかけながら、置いて行かれないよう必死に早歩きしているようだった。
「貴方たち……」
二人とも見知った顔だ。
グランドリオとメル君。
顔を突き合わせるのは地下水路の点検以来になる。
「こんな日にも走り込みか。ご苦労なこって」
グランドリオは私の服装からすぐに鍛錬だと見て取ったようだ。
「そういう貴方たちは?」
「グランドリオ君が寝付けないから散歩するって……」メル君が恐る恐る口を開く。「でも〝殺し屋〟がいるかもしれないから危ないよって、戻ろうよって僕は止めたんだけど……」
で、メル君もグランドリオを説得しようとして一緒についてきちゃったということですか。
「キャリカだって外をうろついてるだろうがよ。俺だけ止められる理由は無え」
「……あら、もうキャルとは呼んでくれないのかしら? グアン」
「は? 冗談じゃねえよ!」
グアンは嫌そうに顔を顰めてそっぽを向いた。
メル君は「失礼だよ!」と怒ってくれているけど、あれはグランドリオが気恥ずかしいときに昔からよくやるくせだ。
そのことが嬉しくて、口元がちょっとにやける。
「――だいたい、〝殺し屋〟が狙ってるのは俺らじゃねえ。その対策も、俺たち下っ端は話にも加われねえんだ。……ケッ、何が対策だ。どうせ『終の黄昏』に全部押し付けて終わらせる気だろうがよ。……あの野郎が出張ってるのに、俺だけ安全な場所で大人しくなんざごめんだ」
グランドリオは近場のにあった木製の長椅子にどかりと腰掛け、隠しきれない怒りを舌打ちに乗せて足を揺すっている。
「……グランドリオ君がイラついてるのは、同じ等級のヨアさんが捕縛作戦に参加するだろうからなんだ……」
「……ああ、なるほど……」
〝殺し屋〟の襲撃騒動にまつわる情報は、大手の探索団は全員、ギルドに連絡役を張り付かせていち早い入手を目論んでいます。
――そして今、最新の情報。
それは『終の黄昏』に所属する探索者、ギル・ラーゴットの過去に起きた悲劇。明らかになった〝殺し屋〟の動機。時間を指定した殺害宣言。
情報一つ一つが、眠気に耐えながら待機していた皆の目を一発で覚ますほど驚愕のものだった。
襲撃の切っ掛けとも言うべきギル・ラーゴットの事情について……意外なことに多くの人は同情的な反応でした。
もちろん、彼が騒動を持ち込んだ、と罵る人が皆無なわけではありません。
それでも……ギル・ラーゴットについて仲間殺しに加担したという見方は薄いです。
……いえ、それが本人にとって何の慰めになるかは知れません。同情を集めたとて過去の出来事が消えることもありません。それは自分で自分の感情に決着をつけるしかないのでしょう。
今考えるべきは、太陽が頂点に達したときに動くという〝殺し屋〟への反撃の手段。
わざわざ時間を指定した理由――
相手に時間を与える不利――
揺さぶりをかけた意味――
そもそも嘘かもしれないという罠――
あらゆる可能性を考慮しなければならず、捕縛作戦の立案は困難を極めるでしょう。
それは、作戦の矢面に立たなければならない『終の黄昏』の心労も同様に……。
〝――……グランドリオ君がイラついてるのは、同じ等級のヨアさんが捕縛作戦に参加するだろうからなんだ……〟
……グランドリオとヨアさん。
二人とも、出会ったのは地下水路の件が初めてですが、そのときから馬が合わないような印象でした。
険悪……というよりは、年の近さもあるせいか、良い競争相手、好敵手という表現のほうがしっくりきます。
そう言うとグランドリオは確実に怒るでしょうけれど。
「貴方も捕縛作戦――いえ、言葉を飾らずに言いましょう。〝殺し屋〟との戦いに参加したいのですか?」
グランドリオを私の問いに足を揺するのを止め、少し視線を伏せました。
話は長くなりそうだと思い、グランドリオの隣に腰を下ろす。
ミ……シィィィ ミシ ミシ ミシ……
私が長椅子に座った途端、木が盛大に軋む音が響いた。
「「…………!」」
「……いや違いますから! 私の体重じゃなくて! 鍛錬中は重りを着けてるから、そのせいですから!」
目を剥くグランドリオとメル君に対し、服の下に巻いていた砂鉄袋を全部外して見せてから座ると、椅子は静かなものだった。
ほらっ、ほらっ! だからいつまでもそんな目で見ないで!
進値が上がると肉体も強くなっていくので、鍛錬には一苦労する。
進値1の市民が走るのと同じようにしても、高進値者の肉体にとってはまるで負荷になりえない。
そうなると速さを上げるか、私のように重りを着けるぐらいしかないのだ。
「――という訳なのです。私が重いせいではありません、決して。分かりましたね? 二人とも誤解を解くように」
「う、うん、分かったよ。分かったから……」
「女の体重なんざ、どうでもいいっつーの……」
そんな一幕がありつつ。
「貴方は今何を考えているのですか、グランドリオ」
「……あのバカは――」
グランドリオは一つ一つの事実からまず述べていく。
自分でも正体が分からないものを、手を伸ばして形を探るように。
「――ヨアの野郎の事はギルドで少し調べた。〝殺し屋〟に狙われてるギルって奴とは探索団の中で小隊を組んでるらしい。俺とメルみてえにな。仲も悪くはねえんだろ」
「……それで?」
「だから、アイツは捕縛作戦に参加するだろう。地下水路のときも、初めて会っただけでしかねえ俺たち全員を助けようとするような奴だ。運良く俺たちは生き残れた。――だが今回は違う。魔物と〝殺し屋〟は違う。まぐれは通用しない。弱い奴は有無を言わさず死ぬ……」
グランドリオが言いたいのはつまり、
「――彼に、死んでほしくない……ということですか?」
「アイツがくたばろうが俺には関係ねえ」
即答に私は椅子からずり落ちそうになりました。何ですかそれは……。
「ハッ……そうだ――死のうが生きようが、俺にとって大事なのはそれじゃねえ」
グランドリオはおもむろに立ち上がりました。
その視線はもう地面ではなく前を向いていました。
「――アイツには洞肥鰐のときの借りがある。それだけだ」
何か答えを得たらしきグランドリオは、私たちが居るのを忘れたように一人で歩き始めた。
その足取りに、迷いはなく。
◇エーデルワイスの閃光【えーでるわいす-の-せんこう】
伝説の武器/剣系統/片刃剣
エーデルワイス王朝開闢以来、玉座と共に継承された至宝。
紅く、身の細い片刃の剣。
敵の血を啜り、欠けた身を補完し続けることで、
永遠の鋭さを保つ、屍山血河の剣。
錆びず、毀れず、朽ち果てぬ。
それこそがエーデルワイスの目指した窮極だった。




