第七十三話 告白
◇彼方の叡智【かなた-の-えいち】
魔法/補助魔法
わずかな間、魔法行使の集中力を引き上げる補助魔法。
〝像の蝕業〟を持つ者だけが習得する。
この魔法により集中力が向上するのは、
遥か彼方に存在する超越的知識、その一片に
微かながら接触しうるからだという。
初代天文台長プライゼンはこの魔法により蒙を啓かれた。
禁忌へと挑む飽くなき好奇心、その萌芽であった。
***
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・治療室、パリオ・ルッシウス
目を覚まして真っ先に耳に飛び込んできたのは罵声だった。
「このド阿呆がッ! 治療しようがないほどの大バカだよアンタはッ!」
声の主はローリー婆さんだ。
「……起きて真っ先に見るのが婆の顔か」
「じゃあもっかい寝させてやるよ! 今度はあの世で若い女に出迎えてもらいな!」
頭部を拳骨で叩かれながら思い出す。
――結局、俺は〝殺し屋〟に負けたのか。
ヒュリメラルダの仇を討つための手掛かりも得られず、おめおめと生き延びてしまった。
「まあそのへんにしておやり、ローリー。パリオ坊にはさっさと体を治してもらう必要があるからね」
ここでようやくローリー婆さん以外の人影がいるのに気づく。
……といっても見るまでもない。俺のことを坊主呼ばわりするのは一人だけだ。
「ギルド長……」
「なかなか見た目に似合わない事をしたそうじゃないか。いや、いつもの性格が仮面で、本当はその奥に熱い気持ちを滾らせていたのかな?」
揶揄うように見下ろしてくるその人は、世界中全ての探索者組合を束ねるギルド長その人だった。
この人が直々に来たということは、俺に処分を下しに来たのだろう――
「――なんてことを考えていると思うが、まず、君の机に置いてあったこれは……」ギルド長は懐から取り出した辞表を一瞬で灰に変えた。「私は見ていないし、存在も知らない、ということになった。それと、君が暴走してギル・ラーゴットを拉致した件だが、公的には無かったことになっている。彼は治療室から〝殺し屋〟に誘拐され、目立たない場所で犯行に及ぶつもりが、後を追いかけていたヨアが未然に防いだ……という筋書きができている」
「……な、ぜ」
「情をかけているわけではない。その方がギルドに都合が良いからだ」
その理由は読めたが、俺は無言で続きを促した。
「今は〝殺し屋〟対策に探索者の手を借りねばならない時期だからね。ギルド職員の醜聞などもってのほかだ。特に悪質な探索者を取り締まる部署の長である君がやらかしたのは最悪だ。揉み消すために『終の黄昏』に借りができてしまった。――ギル・ラーゴットも納得済みだから安心したまえ。おかげで妙な条件を呑むことになったが、問題はない」
語られた内容は予想どおりと言って差し支えない。
だからこそ疑問だった。
「なおさら、俺は適当に閑職に追いやってから、ゆっくりと消した方が都合が良いのでは? 真実を知る人間は少ない方が良い」
「その発想は理解できるが、私を血も涙もない人間のように言わないでくれたまえ。ここからは情だよ」
ギルド長は少し茶目っ気を感じさせる笑い方をした。
それがなんとも以外で、俺は目を丸くする。
「捜査課の仕事、君ほどの適任はいない。成果報酬の探索者と違って給金は固定、おまけに嫌われ役を買って出る仕事を志高く携われるのは才能だよ。部下の仇討ちに先走れるぐらいが適正としてちょうどいい。……ローリー、そんな目で私を見るな。最後のは冗談だ」
「フンッ、どうだか」とローリー婆さんは鼻で笑った。
「まあ要するに、私は君に居続けてほしい。多少汚い手を使ってもと思うくらいには買っているのだよ。君の疑問への回答は、これが全部だ」
全てを言い終えたギルド長は治療室を後にしようとする。忙しい方だ、今の時間も無理をして作ってくれたのだろう。
俺が起きるドンピシャで部屋にいたのは超常的なものを感じずにはいられないが……。
「ああ、そうそう。彼らともじっくり話しておきたまえ」
ギルド長と入れ替わりに入ってきたのは、
「お前たち……」
「酷いですよパリオ課長、俺たちの誰にも声をかけてくれなかったなんて」
捜査課職員のほぼ全員、俺の部下たちだった。
「っていうかホント意外ですよ! 課長がヒュリのことをそんなに思っていたなんて」「もしかして課長の隠し子だったとか?」「いや、こんな堅物からあんな適当女が生まれるわきゃないっしょ」「失礼でしょ……って言う前に分かると思っちゃった」
……憎まれ口を叩きながら、全員が泣いていた。
冗談を飛ばしながら、涙の粒をポロポロと零して。
「お前たち、なんで泣く。怒るところだろう。余計な迷惑をかけて、と」
「迷惑だなんて思っちゃいませんよッ!」
部下の一人、ピナージャが叫んだ。
「迷惑なら……私がずっとかけています。ずっと課長に頼りきりで、だから、課長は誰も連れて行かずに一人で……」
それは違う。
これは俺のただの我儘だ。誰かを巻き込むわけにはいかなかった。
「巻き込んでください。課長一人で背負わないでください」ギルベルトの言葉に俺以外の全員が頷く。「俺たちはまだまだ頼りないけれど、皆で力を合わせれば、課長一人分ぐらいの能力に追いついてみせます」
「俺たちは探索者組合捜査課の職員です。レアルムの治安を守る思いは誰にも負けていません」
「今度は俺が課長を支えます!」「お前はその前に報告書の書き方を覚えるのが先だけどな」「いや、文法を覚えるのが先だろう」「報告書、添削で真っ赤だったもんね……『やがて〝外域〟を来る魔物が一匹で探索者に傷つけた』って、ヤバすぎでしょ」「ちょ、それは言わないで――‼」
寝台を取り囲んで笑い合う部下たち。
……俺のしでかした事は間違いなく許されることじゃない。
でも。
本当はもっと別の選択肢があったかもしれないことに今更ながら気づかされる。
俺は本当にバカだ。
年のせいで弱くなった涙腺に気づかれないよう、俺は目をつむって詫びた。
――ヒュリメラルダ、もう少しだけ待っていてくれ。
*****
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・取調室、ヨア
「パリオさん、一命は取り留めたって」
「そうか」
「でも、こってり怒られてるみたいだ。あんな事したらね……」
「この俺を拉致拷問しようとしたのを怒られるですまさねえでほしいが……」
俺にとっては因縁深い……というか良い思い出がない取調室。
どういうことか、今度は俺が調べる側の立場になっていた。数日前は、まるで乾いた布から水を搾りださんと凄んでいたパリオさんに根掘り葉掘り調べられていたことを考えると、人生ってのは何が起こるか分からない。
……さて。
俺とギルが今こんな状況にいるのは、ひとえにギルが望んだからだ。
あの後、瀕死のパリオさんを担いだ俺は、心ここにあらずなギルを急き立てて地下水路をなんとか脱出し、ギルド本部に駆け込んだ。
ちょうどギルの捜索隊が結成され出発の直前だったギルドは、当の本人と死にかけのパリオさんが現れたことで混迷を極めたが、それもなんとか事情を説明して、ようやく落ち着く頃には、もう少しで太陽が顔を覗かせようとしていた。
ここまで休む間もなかったせいで酷く疲れているが、どうしても眠る気にはなれなかった。
「ギル……それじゃあ話してくれないか」
机の向こう側、今にも死にそうなほど思い詰めたその顔に呼びかける。
〝――……俺の、俺たちの、過去の因縁を、最初に話すのはヨアだ〟
〝――その後は……好きにしてくれ〟
治療もそこそこに、今回の〝殺し屋〟襲撃の重要な関係者としてギルに詰め寄るギルド。
だが、ギルはなぜか俺に一番最初に話すという。
そして俺から誰かに伝えるのは構わないのだと。
不思議な条件だが、ユサーフィさんが間に入って取引してくれたようで、話が通ったのだ。――ただし、会話には一切口を挟まず、姿も見せない状態で、ギルドも傍聴する条件が追加された。
お互い合意済みの盗聴……と言えばいいのか。今も部屋の外側で無数の気配が蠢いているのが感じ取れる。
俺はじっと、ギルが口を開くのを待つ。しばしの静寂。傍聴する人たちは焦れているだろうが、約束は守ってくれている。
「……一つだけ、知っておいてほしい」
やがてギルの口を突いたのは、そんな前置きだった。
「お前が普段見てるギルって奴は、お前が期待するような男じゃねえんだ。本当の俺は、誰からも唾を吐かれて然るべきな奴かもしれねえ。周りが許しても、ヨア、世界でお前だけは俺を許せねえって思いまくるかもしれねえ。今から話す内容は、そういうことだ」
俺の全部を知るってのは、そういうことだ――と。
「お前は、それが怖いか?」
ギルは俺に問いかけてきた。
「…………怖いよ」
怖い。
そう口にすることの、どれだけ勇気が必要なことか。
「ギルの言うとおりかもしれない。本当のことを知って、どうしてもギルを許せなくなるかもしれない……ギルを許せない自分になることが怖くなった」
そう。
人間は一皮剥けば中に何が詰まっているか分からない。レアルムに来てから、その恐怖を知ることになった。
表でどんなに着飾って美しく見えても、薄皮一枚下には邪悪が潜んでいるかもしれない。
それを醜いと思ってしまうことも、仕方ないのかもしれない。
だから――
「だから俺は、ギルの全部を知って、それでもギルを信じられる俺になりたいんだ」
「それでも、信じられる……」
「うん。俺は小隊の隊長だから、誰がなんて言ったって仲間のことは一番信じられるようになりたい。……それが正しい事かは分からないし、本当は正しい事なんて一つもないかもしれないけど……弱くてちっぽけな俺にできることは信じることだけだから。正しくなくて、強くなくても、心には届くように……」
――他人も仲間も、俺の命を使って絶対に助ける。
――もう誰も目の前で死なせたくないから。
「それが、頼りない隊長なりの、俺の生き方って思ったんだ」
「……ヨア」
ギルは憑き物が落ちたように……諦めたように、笑った。
「お前は、俺がなりたかった俺なんだな」
昔、かけがえのない仲間を、俺たちは殺した――
その第一声からギルの物語は始まった。
そして――長い夜は明け、澄みきった朝がやってくる。
◇鉄の重騎兵【てつ-の-じゅう-きへい】
魔物/無生物目/働像科
魔法によって作り出された命なき兵士。働像の一種。
鉄の硬さと重さを活かした突撃は恐るべき威力をほこる。
石や木などの自然物を素材とした第一期の働像は、
安価であり大量生産が容易なことが特徴であった。
しかし、精錬した金属を用いた特注の働像の登場により、
働像製作は第二期の黄金時代へと突入した。
働像工房という概念の誕生もこの頃からである。




