第七十二話 主催者
◇恐怖の象鳥【きょうふ-の-しょう-ちょう】
魔法/召喚魔法
見る者の恐怖を喚起する鳥を召喚する魔法。
針のような毛を纏った、黄色い眼の鳥。
戦闘能力は無いに等しいが、その姿を
視界に収めると理由なき恐怖に襲われる。
心弱き者の悲鳴を啄み、育つのだという。
象とは、形無きものに与えられた形であり、
恐怖とはきっと、こんな形をしているのだろう。
***
◆自由都市グアド・レアルム、???、ギル・ラーゴット
「……が、ふ」
飛び散る鮮血。
肉が破壊される瑞々しい音。
貫かれるパリオの胸。
「冗談、だろ……」
〝殺し屋〟の切り札を防ぐ間もなく受けたパリオ。
直後、右腕の全てが獣の形に侵食されると同時に肥大化し、それが一撃で〝殺し屋〟の腰から上と下を泣き別れにしたのだ。
勝負はそこで決まったと思った。
だが、最後の一手を残していたのは〝殺し屋〟の方だった。
切断された人形の下半身……その断面から生えた髪の触手がパリオを刺し貫いた。
予想だにしない反撃に、パリオは目を瞠って驚愕を隠せないでいる。
その胸から触手が引き抜かれ――栓を抜いたように赤い血が零れ落ちる。
血濡れの触手は、両断された上半身を探り当てると、その断面に取り付き、結合を始めた。細かな髪が針と糸を兼ねて布地も縫い合わせていく。
やがて……傷跡を縫合し終えた〝殺し屋〟が何事もなかったように平然と屹立する。
奴は……不死身なのか……?
〝殺し屋〟ってのはここまで滅茶苦茶だっていうのかよ。
「ま、だだ……」
パリオは戦意を喪失していなかった。
自分の血溜まりをゆっくりと這いながら〝殺し屋〟に腕を伸ばす。もはや持ち上げる力もない異形の巨腕を。
「ヒュリ、メ……ダの……仇、を、取る、まで……は……」
その腕を〝殺し屋〟は無慈悲に踏みつける。
奴は相変わらず無言のまま、ただ作業のように髪を今度は大槌に形成させる。
振り下ろす先は頭。心臓が止まってもすぐには死ねない高進値者を確実に仕留めるには、頭部を潰してしまうのが効果的だからだ……って考えてる場合じゃねえ!
「おいッ! 人形野郎!」俺は奴の気を引くように声を張り上げる。「テメエ、俺を殺しに来たんだろうが! そんなおっさんに浮気してねえで俺を殺れよ!」
「…………」
「なんとか言いやがれ! まさか身動きできねえ相手にビビってんのか⁉ 〝殺し屋〟ってのも大したことねえなあ!」
「…………」
クソッ……! ピクリとも反応しやがらねえ。マズいどうする……⁉
焦る俺を嘲笑うかのように、〝殺し屋〟がゆっくりと大槌を振り上げる――
「やめろおおおおおおおおおお!」
「――――おおおおおおおおおおッ‼」
俺の叫び声に重なる咆哮。
「さ、せ、る、かアアアアアッ‼」
〝殺し屋〟は咄嗟に振り上げたままの大槌で、上空から振り下ろされた剣を防御した。
衝撃で大気が震える。
現れるはずのない侵入者に対し、さすがの人形野郎も後ろに跳んで大きく距離を取った。
「何がどうなってるんだよ、いったい……!」
そいつぁ俺が聞きたいぜ……、と言いたくなる台詞をぼやいたソイツは、
「ヨア⁉」
白黒女の〝殺し屋〟に襲われて以来ぶりに会うヨアだった。
「ギル‼ お前こんなところに――って、ここどこ⁉」
今更気づいたようにヨアが辺りをキョロキョロと見渡した。
お前、俺を探し当てて、ここにたどり着いたんじゃねえのか……?
「……つーか、俺もここどこだか分かんねえわ」
「――貯水槽。大雨の時だけ雨水がここに流れ込むことで地下水路の氾濫を防ぐための、グアド・レアルムの地下に広がる場所よ」
俺、ヨア、〝殺し屋〟――――その誰とも違う声。
だが、始めて聞いた気は不思議としなかった。
思い出せるほどでもなく、だが、なぜか忘れることもなかった声。
「俺、ギルが治療室からいなくなって、とにかく探さなきゃって思ってたら、偶然この人に会ったんだ」
闇の中から滲むように姿が現れていく。
「なんでか分からないけど、ギルのところに行く手段があるっていうから、なりふり構ってられないって。……いきなり高い所に放り出されたのは吃驚したけど」
その全貌が目に入った瞬間、記憶が、懐かしい記憶が蘇っていく。
俺は知っている。
この女を知っている。
「――ネメさんが俺をここに飛ばしてくれたんだ」
違う。
その女の名前は――
〝――俺は知ってるんだぜ。お前が最近一人でこそこそどこかに出かけてるのは〟
〝――最初はお前の恋人のところかとも思ったが……〟
〝マルク、お前最近、依頼が終わったらすぐ帰りまくるじゃねえかよ。前はあんなに飲みに行きたがってたのに。女は男を変えるねえ〟
〝ははは、ギルもいつか大事な女性ができたら分かるよ。彼女はとても優しくて愛情深くて……そうだ今度君にも紹介するよ。ぜひ会ってほしいんだ――〟
「――ネメジスカ……」
忘れていたはずの名前。もう戻らない日々の欠片。
俺の呟きに、ネメジスカは音もなく微笑んだ。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、地下貯水槽、ヨア
ネメジスカ。
ギルは今はっきりとそう口にした。
俺の知っているネメ・カシアではなく。
ギルの顔は強張り、唇は何か言葉を紡ごうとして震えている。その様子を見るだけで、二人には尋常じゃない関係性があると察した。
「久しぶりね、ギル。と言っても、そこまで気安く挨拶するほどの仲ではなかったし、もう会うこともないと思っていたわ。……かつて私たちを結び付けた存在はもう、この世にはいないから」
「……ああ。マルク、だな」
「ええ。そして今度は、彼が私たちを出会わせた」
そう言ってネメさんは俺を見た。
まるで立役者のように彼女は語るけど、俺が実際何かをしたかと言われれば首を横に振らざるをえない。
事実、俺自身もこの状況の激変を飲み込めずにいた。
――ギルのもとに辿り着く、その少し前。
「貴方は――……………………ネメさん?」
突如として目の目に現れたその人の名前を思い出すのに、俺は随分と時間を使った。
たった数日前に会ったばかり、それも共に死線を潜り抜けるという濃い体験をした間柄だというのにだ。それぐらい俺はギルのことで切羽詰まっていたのか。
「ギル・ラーゴットを探しているのでしょう?」
「なんで……それをネメさんが知っているんですか?」
「それを知ってしまったら、貴方は後悔するかもしれないわよ」
「……どいてください。今はこんな問答をしている時間が……」
「私ならギルの居場所に連れていってあげられるわ」
なっ……⁉
「じゃあ、貴方がギルを――!」
「勘違いしないで。攫ったのは私じゃない。……事態が予想から外れて困っているのは私も同じよ」
ネメさんは手にあるものを握っていた。
俺はそれに見覚えがある。
指名依頼で地下水路の魔道具を点検した際、ネメさんが確認を終えた魔道具に目印として貼り付けていた紙だ。特徴的だったからよく覚えている。
「ここにあるのは鍵よ。貴方が今探し求めているものへの近道を開く鍵。もし使わないというのなら、貴方は当てどなく彷徨うほかないわ」
「……それを使えば、ギルのところに行けるんですね?」
そう言いながら、それ以上の何かを目の当たりにする確信が、俺に手を伸ばすのを躊躇させていた。
けれど、このままレアルムを走り回ったとしても無駄に終わるという恐怖の方が勝る。
結局、俺はその紙を掴み取る。背に腹は代えられないとはこのことだろう。
「心構えが出来たら、その紙を破いてちょうだい」
「それだけでいいんですか」
「ええ」
ネメさんはそれ以上語ることなく、ジッと俺の選択を待っている。その姿は上の空のような、どこか別の場所に心があるような雰囲気だった。
「ギル……」
俺は仲間の名前を口にすることで勇気を貰い、意を決して紙を破いた。
――その後はあっという間だ。
直後、高い場所に放り出されていて、手足がなんだかとんでもない状態になっているパリオさんがいて、パリオさんに武器を振りかざしている化物がいて――
咄嗟に動けたのはメリジュナ教官の訓練の賜物だろう。本能のままに獣噛みの大剣を抜き放ち、化物の前に割って入ったのだった。
改めて周囲の状況に目を凝らす。
巨大な円柱が規則正しく続く広大な空間。
円柱には俺の目線の高さ位に魔石灯が埋め込んであって、一定の明るさをもたらしてくれている。だけどそれは充分ではなく、奥の方や天井は暗闇に覆われてどこまで続いているか見当もつかない。まるで大きな怪物の腹に飲まれたような気分だった。
……いや、今はそんな事よりも、
「ギル、ネメさんを知っているのか?」
「…………………………」
ギルは耐えるように無言を貫く。
「答えられないわよね、ギル」代わりに言葉を紡ぐのはネメさんだった。「私たちの因縁を語ろうとすれば、知られたくないことも詳らかにしないといけない。そうよね?」
「……お前が俺を殺そうとする理由も、な」
……どういうことだ? ネメさんが、ギルを、殺す?
問いただそうとするも、その時、離れた場所で事態を傍観していた化物がのそりと動く。
「ギル、あれは⁉」
「〝殺し屋〟だ。今日の昼間にレアルムで暴れた奴らの一人らしい」
出来損ないの人形に人間の髪を詰めた呪物のような〝殺し屋〟は、ネメさんの方へ歩いていく。マズい!
「ネメさ――」
「ヨア、心配する必要はねえぜ」
「なんでだよ!」
「つまりはだ――」
〝殺し屋〟はネメさんの背後に到達する。
「――アイツらは初めからグルだったってことだ」
まるで主人に仕える従者のごとく、一歩後ろの控えた位置に。
「俺を……俺たちの殺害を依頼したのは、ネメジスカ。お前だな」
「…………‼」
「そうするだけの動機が、お前にはある」
殺す権利がお前にはある――ギルはそう付け加えた。
「ようやくここまで来れたの、ギル」ネメさんは目を細め、吐息を漏らす。「どれだけ時間が経とうと……中身のないマルクの棺に縋りついて涙した日を、昨日のことのように覚えているわ。貴方たち七人がどんな顔を引っ提げて埋葬に立ち会ったのかはまるで思い出せないのに」
「…………」
「あら、言い返さないのね。ケイヴは顔を真っ赤にして反論してきたのよ。マルクは死んで当然だって。ヨア君のような若い子にはとても聞かせられないような口汚い言葉で罵ってくれたわ。うるさかったから、ちょっと痛みを与えたら今度は子犬のように泣き叫んじゃって。ころころと表情が変わって楽しかったわ! ……ごめんなさい、急に大きな声出したりして。私は心のどこかが壊れちゃったみたいだから、面白いとか悲しいの気持ちが上手く制御できないの」
「……そうかい。お前がブッ壊れちまったのはマルクにも責任がある。もちろん俺にもな。俺たちに謝られる資格はねえ」
「ええ。だから、十年前の責任を取ってもらわないと――」
俺は戦いが再開すると身構えたが、襲ってくる様子はない。
ネメさんは緊張を高めた俺にクスリと微笑むと、
「――明日、太陽が中天に差しかかった時……ギル、貴方ととミラルフォ・クリストフを殺す」
標的を前にして堂々と殺害を宣言した。
なぜ、今じゃなく明日……?
それにミラルフォという名前はどこかで……
「――‼ ウィゼラ教愛信派……!」
思い出した、あの孤児院に布教に来ていた三人の内の一人。
「ネメジスカ、ウィゼラ教の信者とお前の復讐に何の関係がある」
「それはミラルフォに訊ねてみなさい。まあ、話を聞いたところで理由は分からないと思うけれど。彼ですら理解はしていないでしょうから」
「チッ、いちいち迂遠な言い回しをしまくりやがる女だぜ」
今の口調、昔の貴方みたいで懐かしいわ……、と言いながらネメさんは紙を取り出した。俺をここまで移動させたあの紙だ。
「ギル、貴方がもし明日生き残ることができたら、最後にその紙、転移符を破いてほしいの。そうすれば、とある場所に転移……瞬間的に移動することができるわ。余計な人は連れてこないでね。それは一枚につき一人しか転移できないよう特別に作ってあるから問題ないけれど、関係のない人間がやってくる可能性はできるだけ排除したい」
「お前の言うとおりにしたら、奈落の上にでも転移しますってか? 俺を殺しまくろうとする女を信用できるかよ」
「それでもいい。でも、もし立ち会ってくれるというのなら……マルクの死の瞬間に立ち会わなかった貴方に見届けてほしい」
そう言われ、ギルが苛立たしそうに唇を噛んだのが見えた。
……多分、ギルは行くんだろう。この戦いを生き残ることができたのなら、数え切れない葛藤を抱えたまま。
まるで呪いに囚われたように、ネメさんの言葉から逃げられない。そういう反応だった。
立ち会わなかった貴方に見届けてほしい――おそらくそれこそが……。
「ネメさん!」踵を返したその背中に問いかける。「どうしてこんなことをするんですか!」
彼女は振り返ることなく、ただ一瞬だけ立ち止まり、
「それはギルに教えてもらいなさい。そうすれば貴方も納得できるはずよ。この人は殺されても仕方が――」
「俺は、ネメさんから理由を聞きたいんだ!」
「…………」
「あの時、洞肥鰐から俺を助けてくれたのはなぜなんですか。殺したいほど憎い人がいるのに、ほとんど関係のない他人の俺を見捨てなかったのは……」
「――なら逆に質問するけれど、貴方は関係のない他人を助けに行けるの? そのせいで仲間の命を危険に曝すことになっても」
「――他人も仲間も、俺の命を使って絶対に助ける。もう誰も目の前で死なせたくないから」
考えるまでもなく、言葉は口を突いて溢れ出た。
絵空事。綺麗事。そんなことは分かっている。
でも、嘲笑われたって関係ない。
守りたかった大事な人を目の前で救えなかった後悔は、もう二度としたくないから。
「――ッ」
ネメさんは今まで見たこともない怒りの形相を浮かべ――すぐに無表情に変わる。
「――そう。そこまで言うのなら、貴方にも見届けてもらおうかしら。もう一枚同じ転移符を置いていくわ。全てが終わったその後に、生きていたならまた会いましょう、ヨア」
今度こそネメさんと〝殺し屋〟は去っていった。
後には二枚の紙が残された。
◇名刀「祝」【めいとう-はふり】
武器/刀系統/小太刀
遥か東の地、東荒の名工の手による小太刀。
名刀五十一本のうちの一振り。
所有する者に降りかかる災いを退けるのだという。
しかし、所有者がその力を実感することはない。
それは、この世の何物も斬ることは能わぬ代わりに、
主に忍び寄る厄災の因縁を人知れず断つからだ。
歴代の所有者は皆、そう信じている。
苦難もないが栄華もない、そんな己が人生を振り返って。




