第七十話 復讐に滾る凶爪
◇癒せ【いや-せ】
魔法/回復魔法
肉体の傷を治療する最も初歩的な回復魔法。
〝像の蝕業〟を持つ者のほとんどが
一番最初に習得するだろう回復魔法である。
この魔法がそうであるように、回復魔法の
名称はどこか命令するものが多い。
しかし痣を見て、脳裏に浮かぶ言葉に間違いはない。
***
◆自由都市グアド・レアルム、???、ギル・ラーゴット
「…………なあ‼ ギル・ラーゴット‼」
パリオ・ルッシウスが懇願するように叫ぶ。
なあ、俺の過去なんざ、頭下げて泣きそうな顔で話してくれて頼むほどの価値は無えんだよ。こっちが申し訳ない気分になる。本当にどうしようもなく終わってるだけなんだ。今話してやるからそんな態度はやめてくれ。
……なのに、なんで俺の口は動かねえ。
なんで言葉を吐きださねえ。
〝――そんな目で俺たちを見るな〟
〝――あの時ここにいなかったお前が!〟
あの日を思い返したからか、ケイヴの言葉が何度も頭の中で鳴っている。
――ああそうだ
あの時、何も選択できなかった俺に、お前らを汚らわしいように見る資格はない。
俺は嫌悪する側の人間じゃなく、間違いなく批難される側の人間だ。
「……………………俺は、あの日」
やっと口が動いた。
そう、あの日だ。
さあ、その続きを言えよ俺。
昔何があったかを口にしろ。そうすれば、後は堰を切ったように言葉は出てくるはずだ。
「…………………………」
そして、
――俺は今更になって、全身が震えていることに気づいた。
覚悟はできているはずだった。
消えない痛みをもう過ぎた事だと割り切って、むしろ痛みに慣れることで自分が成長したと勘違いして、挙句に分かち合えない辛い経験が自分にはあるんだと孤高を気取ってみたりした。そうしていないと耐えられなかった。
……だってそうじゃなけりゃ、俺はいつ許されるんだ?
いつまで痛みに苦しめば、過去を贖ったと認められるんだ? 痛みに慣れないなら、ずっと苦しんでうなされろってことか? 俺がヨアに講釈垂れた言葉は、そんなに間違ってる事なのか?
だから今こうやって――消えない過去が俺へ復讐に来ることは正しいんだ。
復讐まで含めて、俺は覚悟していたはずなんだ。
今日、レイモンの狼狽えようを見た時――俺は、アイツを軽蔑しちまった……。
来るべき時が来た。だから、静かに受け入れろと、心の中で詰っていた。
ああはなりたくないと我が事のように恥じた。
ああはならねえと自分に誓った。
その結果がこのざまか?
本当に見苦しいのはどっちなんだ。
〝――それに慣れることって、良いことなのか……?〟
甦る、ヨアとの治療室でやり取り。
……ヨアには悪い事を言っちまったな。
ついアイツが口にした言葉にムキになっちまった。
ヨアはそこまで深く考えて言ったつもりなんてねえだろうが、俺にはまるで……ギル・ラーゴットが過去を忘れてのうのうと生きていると、そう思われちまったと感じて、怖くなったから――
「……ああ、そうか」
拘束されて、首に手を掛けられて、そこまで追い詰められて、ようやく俺は自分の感情に気づいた。
――なんて身勝手で救いようのねえ奴なんだ俺は。
俺は、分かってほしかったんだ。
俺も――あの日何も選ばなかった俺も、レイモンたちと同じぐらい傷ついて、傷を抱えているんだって。
誰かに俺の過去を話して、お前の苦しみなんてあの六人に比べたら無いも一緒だ、なんて言われるのが嫌だったんだ。
小さな傷を大ケガのように騒ぎ立て、拗ねるように哀れみを乞うていると見放されることが怖かったんだ。
いつの間にか俺は笑っていた。乾いた笑い声が陰気な空間に反響する。
俺の口を閉ざさせる何かの正体が分かったから。
――そりゃ、言わねえと殺す、って脅されようが言えねえよ。
――こんなみっともなくて、醜くて、度し難い欲求が、自分の裡に眠ってやがるんだから。
「言えねえな、お前には」
パリオの双眸が瞬時に怒りに染まる。
……悪いな、おっさん。アンタの気持ちは良く分かるよ。
でもな、もし俺が誰かに過去を語って聞かせるなら……一番最初に聞いてほしい奴ができちまった。
そいつはバカなうえに、口から出る言葉はまるで子供みてえに真っ直ぐで。
聞いてるこっちが若い頃を思い出して苦々しくなるぐらいなのに、不思議と他人を動かしちまう。
「ヨアにだけ話す。ヨア以外の奴にはまだ教えてやらねえ」
常々、お前はモノを知らねえと口にして悪かったよ。
でも、そんなお前なら。
誰もが血眼になって奪い合う進化石を、他人のために手に入れてやりたいって、グラトナ大隊長に啖呵を切ったお前に、この俺の過去の苦しみを否定されたなら、やっぱりなって思って納得できる気がした。自分はそういう人間だって諦めがつけられる。
「ヨア…………あの小僧か」パリオのおっさんは底冷えするような声で言った。「やはり奴には何か秘さねばならない事情とやらが……、……いや、全部お前に語らせれば済むことだ」
「――ッッ⁉」
激痛――パキリ、と枝を折るような音。
「指の使い方は枚挙に暇がない。摘まむ、押す、引っかける、撫でる……折る、剥ぐ、刻む、炙る、潰す。しかもそれが二十本だ。退屈させてくれないな?」
手の指の一本が激しい痛みを訴える。拘束されているから見えねえが、おそらく曲がらねえ方向に曲がっているだろう。
「回復魔法はお前が全て語り終えたら手配する。それまで二人きりだが、死なないように世話は見てやるから安心しろ」
「……こんな陰気臭え場所でおっさんと二人きりとか、死んだほうがましだぜ……がぁ⁉」
「二本目だ。さあ言え、お前が〝殺し屋〟に狙われることになった切っ掛けを!」
額に脂汗が浮かぶ。
探索者になってからは骨折どころじゃないケガはたくさんしてきた。だからいろんな痛みは知っていても、痛み自体に強いってわけじゃねえから辛いぜ。俺は進値も30を超えてる……ちょっとやそっと、体を削ぎ落されたくらいじゃ死ぬこともできない。拷問は過酷を極めるだろう。
でも、不思議と恐怖はなかった。
悪夢にうなされるだけのクソみたいな夜が、別のクソに変わっただけだ。
パリオが三本目に手を掛けようとした時――
「――ッ‼」
パリオは俺の胸倉を掴むと、自分も一緒に大きくその場から飛び退った。
直後、俺が押し付けれていた壁に、いくつもの細い斬撃が走る。
続けて暗闇の奥から、破壊音が轟いた。
粉塵を切り裂いて現れたのは、縫い目から中身の……髪の毛? がはみ出た気色悪い人形としか言い様のない物体だった。
「報告にあったシャルル・ウォルターを殺害した〝殺し屋〟か」
「は……⁉ お前今何て……!」
パリオからさらりと告げられた事実に動揺を隠せない。
「シャルルが殺された、だと……」
「そして次の標的はお前らしいな」
この不気味な〝殺し屋〟も俺のことを殺そうとしているなら――依頼者はつまり、あの時のことを知る人物だってのか……?
「ああ、まったく……幸いというべきか、無駄骨になったというべきか」獰猛な笑みを浮かべるパリオ。「居所の手掛かりを吐かせる前にそっちから出向いてきてくれるとは。……少女二人組の〝殺し屋〟はどこにいる」
「………………」
「どうした。昼前は殺す前に大層な御託を並べていたそうだが、ここに来てだんまりか?」
問いかけに〝殺し屋〟が口を開く気配はねえ。
まるで本当の人形のように佇んでやがるが、体から溢れた髪の毛が絡まり合い丸太みてえな腕を形成していく様は、口以上に雄弁に殺意を物語っている。
「なるほど、吐かせる相手がコイツに変わっただけか」
〝殺し屋〟を前にしてパリオに恐れる気概は感じられねえ。
両腕の袖を肘まで捲り上げ、手の指を鉤爪のように湾曲させた構えを取る。
対する〝殺し屋〟も体から出た髪の毛を束ねて大きな拳を編み上げた。
ピチャン……、と水滴が落ちる音。
――まるでそれが合図かのように二者は衝突する。
〝殺し屋〟が振り下ろした髪の拳をパリオが真っ向から迎え撃った。
悲鳴すら聞こえてきそうなほどギチギチに固められた〝殺し屋〟の拳は一瞬の拮抗の後――大きく弾き飛ばされる。
「フ――ッ‼」
その隙を見逃さず、パリオが掌底を胸に打ち込む。さしもの〝殺し屋〟も吹っ飛ばされるが、全身の髪の毛で周囲の壁や地面を掴み踏みとどまった。
今の立ち合い、身のこなしだけで分かる。パリオのおっさん、かなり強え。
〝殺し屋〟相手にまるで怯んだ様子もなく、今も残心を解かねえで油断なく構えをとっている。
――その両腕は肘から先が、鱗が折り重なったような甲殻と、一本一本が針のように鋭い体毛、そして禍々しい爪に彩られていた。
「久方ぶりにこれを使うな」
その異形の腕の小指の付け根から肘にかけて、肉に埋もれるように隠されていた天然の刃がバツンッと音を立てて抜き放たれる。まるで剣を逆手に握ったような格好だ。
「机仕事で鈍った体の慣らしにしては荷が重いが――」
パリオの目は獲物を狙う捕食者のソレとまるで違わねえ狂猛な輝きを宿す。
俺を痛めつけて吐かせようとした男は、なるほど、なかなかヤベえ意能をお持ちのようだ。
八つある蝕業、そのうちの一つ。
〝像の蝕業〟――よりも希少な存在。
自分の肉体を直接変形させて、様々な生物を模した力で相手を蹂躙する、超肉弾戦・接近戦型の蝕業――
「ちょうど、理性を捨てて本能のままに暴れたかったところだ」
――〝獣の蝕業〟。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、ヨア
「どこ行ったんだよギルの奴……ッ!」
夜闇と街灯の明りがせめぎ合う通りを俺は駆け抜けていた。
治療室、寝台にギルの姿が無いことを認識した俺は、傍の開け放たれていた窓の枠に手をかけて、迷うことなく飛び降りた。
「ヨア、待て――!」
上からナギオン大隊長の声が飛んでくる。だが待ってなどいられない。
ギルは今〝殺し屋〟に命を狙われているんだ。一人でいるのが一番危ない。
いや……そもそも一人なのか? まだ気を失っていたところを誰かに誘拐された可能性は?
考え続けながら足を動かす。闇雲に探すのは非効率であることは理解しているけれど、時間が経てば経つほど取り返しのつかない事態になる恐怖が俺に立ち止まることを許さない。
とりあえずギルがよく行くところはどうだ。酒場、賭博場、鍛冶屋……いや、こんな状況で向かうとも思えない。他には……
「ギル……!」
――俺はギルのことを何も知らない。
グラトナ大隊長の計らいで特殊任務小隊を組んでからそれなりに時間が経ったってのに、俺はギルの本音に触れたことはあったんだろうか。
〝――じゃあ俺から発表してくぜ〟
〝――俺の戦いの邪魔をしないこと。支援することも加勢することもダメだ〟
ギルの譲れない条件……その真意を問いただすことを今までしなかった。いや、しなかったんじゃない。避けていたんだ。
他の皆に対してもそうだ。理由を訊こうと俺はしなかった。
理由を知っていなくても小隊はうまく回るようになったから……理由を知ることで何かが変わることが怖かったから。
でももし、ギルの心の奥底を知っていたら、知ろうとしていたら――今回の事件で少しでもギルの力になることが出来たんじゃないのか。
レアルムに来てから理解した。相手を知ることの、理解することの難しさを。
〝はぐれ街〟でライカとだけ一緒に居た頃は考えすらしなかったことにたくさん悩んだ。
本当の意味で相手を知るならば触れてしまうかもしれない――言いたくない事、知られたくない事、知る必要のない事、知ってもどうしようもない事。
それに触れて拒絶されるっていう、今まで知らなかった新しい恐怖がずっと付き纏うようになった。
そして、知ることは別の恐怖も運んできた。
〝――コイツを殺して俺を助けろ!〟
〝――誰が今までテメエらみたいな落ちこぼれをの欠陥品の面倒を見てやったと思ってやがる!〟
……死の直前になって曝け出されたオルナッツォさんの心の叫びは、今もずっと頭の中に残っている。
俺が接してきたのは上っ面でしかなくて、彼の本当の姿があれだったというなら――知りたくなかったと思ってしまう。そんな酷いこと思いたくなくても、心が言うことを聞いてくれない。知らなければよかったと後悔が襲ってくる。
心が傷つき、悲鳴を上げる。
本性を知るという恐怖。
「……だとしても……俺は……」
コツン――……
「ッ!」
前方から足音。
切れかかった街灯の奥、そこはちょうど旧区画との境目になる場所だった。
闇の向こうから石を踏む規則正しい音。それはどんどん近くなっていく。
俺は口の中の唾を飲み下し、背負った獣噛みの大剣の柄に手をかけた。白昼堂々〝殺し屋〟が襲ってきたんだ、今は何が起きても不思議じゃない。
そうして、暗がりからゆっくりと姿を現した人物。
「貴方は――」
***
◆自由都市グアド・レアルム、???、ギル・ラーゴット
それはまさしく、獣というべき戦い方だった。
放たれた矢のように飛び出し、地を這うように迫り、
張り巡らされた髪の毛の包囲網を、体勢をしなやかに変えながら潜り抜け、
「――――」
一つ一つが短刀に匹敵する大きさの爪で敵を切り裂く。
対峙する〝殺し屋〟も負けちゃいない。
髪の毛を束ねて形成した二対四本の腕による連続打撃は、一発一発が侮れない威力を秘めていると確信させる。
だが、有利不利を語るなら――
パリオが獣の腕を繰り出す。
それを防いだ〝殺し屋〟の髪の腕が解れる。切り裂かれた髪の毛が宙を舞った。
武器の性能の違いで、勝勢はややパリオに傾いてるってところか。
確かに〝殺し屋〟の多腕による連続攻撃は恐ろしいが、パリオのおっさんは全部躱したうえで反撃の爪の鋭さで髪の腕そのものを削りつつある。
蜘蛛の糸のように獲物を絡め取ろうとする髪の毛も、逆手の剣のように生やした刃で切断しながら攻め立てる。奴にとっちゃ相性は悪いんじゃないだろうか。
攻撃はあくまで腕の届く範囲。向こうもそれを理解して距離を取ろうとする。だが、そんなこと、パリオは百も承知と離れた分だけ詰め、決して逃がすことはない。
そして〝殺し屋〟の背が壁にぶち当たり、逃走に終焉を告げる。
当然その機会を見過ごさない。パリオが吶喊する。
逃げることを封じられた人形野郎は二対の髪の腕を全て解き、巨大な盾を展開した。
「フゥ――ッ‼」
放たれたのは目にも留まらねえ凶爪の乱舞。
驚異的な速さの連撃が見る見るうちに盾の表面を削り取っていく。
その光景に魅せられ、目を奪われながら、頭の端で考えている――俺ならパリオとどう戦うかを。
俺の槍と、獣の腕。
攻撃を届かせる範囲なら槍に分があるが、一旦懐に潜り込まれたら一瞬で決着する。槍を手放して格闘戦を挑んでも、あっちは徒手空拳が本職だ。あっという間に蹂躙されるだろう。それぐらい爆発的な攻撃力が獣の蝕業には秘められている。今まさに目の当たりにしているように。
――こりゃあ、ちょっと、勝てねえかもな。
そういう泣き言じみた言葉が喉から出かかるほど圧倒的な暴力。
もう少しで髪の盾が削り切れる。
だが直前で盾は左右に解け――その奥から髪の巨大な大槍が出現した。
「ちっ!」
パリオは槍の先端を両手で掴むが、突撃の勢いまでは止めきれず、靴底を床に擦りながら凄まじい速度で押し込まれていく。
「おおおおおおおおおおッ‼」
雄叫び。呼応するようにパリオの両足は靴と脛から下の衣服が裂け、腕と同じように甲殻と獣毛と爪に鎧われた異形に変化する。
そして跳躍。蹴った反動で床が砕ける。
槍を掴んだまま跳び上がったことで、その穂先が天井を向いた。
蛇が巻き付くがごとくパリオは槍の周囲を回転しながら滑り降り、〝殺し屋〟の髪の腕、その二本を一撃で切り裂いた。
「この程度か〝殺し屋〟!」
パリオがけたたましく咆哮する。
だが人形野郎はボトリと落ちた腕を気にする様子もなく、今度は大槍を分解して何かを編み込み始める。
させるものかと接近するパリオにそれを発射した――投網だ。髪を何本も撚り合わせて作った縄は易々と切断できないだろう。
「――【螺旋の舞】ッ‼」
だが、意能の力を受けた回転の斬撃は、その網すら孔を開けて喰い破った。
復讐に燃える爪が〝殺し屋〟に届く――
「――――‼」
網が破られるその前に、〝殺し屋〟は本来の腕を腹部の継ぎ接ぎの縫い目に突っ込んでいた。ボコボコと蠢き膨れ上がる体。
そしてパリオに向けて腹を開いた。
――途端溢れだし、空間を埋め尽くす、髪を束ねた触手の暴力。
人形の中に到底収まりきらないほどの髪の束が群れとなって、その鋭利な先端で四方八方を穿ちまくる。――威力から考えても必殺級の切り札。あんなの目の前で喰らったらひとたまりも……ッ!
パリオは……⁉
***
◆四年前――自由都市グアド・レアルム、探索者組合、パリオ・ルッシウス
限界だった。
肉体とか精神とかが、ではない。
俺に人間としての進値の限界が到来してしまった。
それだけの話だった。
◇螺旋の舞【らせん-の-まい】
意能/格闘奥技系
自分自身に強烈な回転力を付与する意能。
〝剣の蝕業〟や〝獣の蝕業〟が習得しやすい。
回転は、頭頂から足裏を貫くよう軸を作り、
通常は手に武器を持った状態で使用する。
鋭利な刃を手に、舞うように回り躍る。
さすれば赤い血飛沫が戦いに華を添えるだろう。




