第六十三話 双星
◇悪魚【あく-ぎょ】
魔法/召喚魔法
残忍な狩りを行う巨大な魚を召喚する魔法。
召喚場所に制限はないが、活動は水中に限られる。
鎧を纏ったかの如く全身は鋭利かつ硬質。
擦れ違うだけで、肉が削ぎ落されていくほど。
生きる糧を得る狩りではなく、憎悪による復讐でもない。
ただ傷つき壊れ、泣き叫ぶ様を見たいがために。
悪魚は今日も、犠牲者を求め、海原を征く。
***
◆自由都市グアド・レアルム、???
「あああああ、ああああああああああ――ッ‼」
慟哭が反響する。
「ねえ、起きてっ、いやっ、死んじゃう! 嫌あああ!」
床へ力なく横たわる紅い塊に縋りつく黒髪の少女。
紅い塊――全身を残酷に喰い尽くされ、刻み込まれ、見るも無残に様変わりした、白い片割れ。
辛うじて息はあった。無慈悲にも、まだ生きている。実におぞましき高進値者の生命力。
だが、それも風前の灯火であるのは間違いなかった。
「…………」
その悲劇的光景を、距離を離して見つめるヴァルガ。
木箱に腰かけ、全身のほつれを整えているモーサンパッション。
またしても寝ているツェラ。
「……旦那、いったい何があった」
ヴァルガは、まるで状況を理解できずにいた。
今回の襲撃は三人が一人ずつ、別々の標的を狙いに行った。
ヴァルガの担当はホーエン・アパッチという男だ〝鍵の蝕業〟持ちで探知系の魔法に優れているぐらいの特徴しかない相手だ。
いつものように、いつもの戦法で、周りの人間も含めて殺し、早々に仕事を終わらせて一足早くこの無駄に広い隠れ家に潜伏していたところ、血塗れになったメアリーサリーを抱えて合流したモーサンパッションを見て、飛び上がりそうになるほど驚いた。
「さあな。だが、相当な強者の横槍を受けたようだ。俺も、こいつらを回収して早々に撤退したから詳細は分からん」
相当な強者……そう表現したモーサンパッションの言葉にヴァルガは息を呑む。
戦闘場所を厳選したり奇襲を行えば、万が一勝ちの目はあるかも――そんな野暮ったい発想すら湧かないほど、この同業者たちは強い。
だから心情的にはメアリーサリーを不気味に思っても、彼女らが頭を張ること、作戦立案を行うことに否やはなかった。
モーサンパッションに至っては長い経歴を有する練達の〝殺し屋〟。この生業を長く続けられていること、それ自体が敬意を払うに値する。
――そのメアリーサリーの肉体を蹂躙し、モーサンパッションが飾りなく強いと評する存在とはいかなる者か。
絶対に会いたくないとヴァルガは思った。
ヴァルガは自覚している。この中で最も弱いのは自分であると。
しかし、現実はそうもいかない。既に賽は投げ終えたのだ。
名うての探索者たちが血眼になって自分たちを狩りに来る。
都市中の警戒度は跳ね上がり、もう奇襲は通用しないか、あっさりと対処されると考えた方がいい。
監視の目が張り巡らされた脱出すら困難な状況だというのに、最悪なのは、やり残した仕事があるということだ。
「……一人やり損ねたらしいな」
話題を変えようと、ヴァルガはモーサンパッションに問いかける。
「ああ、ギル・ラーゴットだ。メアリーサリーがつまみ食いを図ったが失敗に終わった。今頃はギルド本部に収容され、厳重に守られているだろうよ」
ヴァルガは思わず溜息を漏らした。
「……旦那、俺たちは手練れの探索者が屯してる施設の中にいる人間を殺さなきゃならないってことだよな?」
「あまり気負うな。ここからはもう消化試合だ。目的のほとんどは達成したと言えるだろう」
「は……?」
「メアリーサリーは今回みたいに騒ぎを起こすには使えるが、決め事を守らせるには元々無理があった。しかし、横やりが入ったのは幸いだった。お陰で危うくギル・ラーゴットを今殺すところだったからな」
「……旦那、何を言って……」
明らかに自分の知りうる何かを独白するモーサンパッション。
――この依頼、俺の知らない何かがあるのか?
――そもそもこの殺しはメアリーサリーが元々請け負って、旦那と俺はそれを回してもらったに過ぎねえ。
――だったらなんで旦那のほうが核心的な事を知ってるかのような……。
狼狽えるヴァルガに「気にする必要はない」と、呪物の如く不気味な人形は努めて優しく声をかけた。
「さっきの話の続きだが……侵入が難しい状況こそお前たちの召喚魔法……【光の壁の塔】は便利だろう。俺が観測、誘導した場所で発動すれば、どれだけ分厚い障壁でも貫通できる。それで死んでいなければ、後は俺が侵入して仕事を仕上げるだけだ」
確かにその方法なら不可能な話ではないだろう。その場合、敵地に単独潜入するモーサンパッションの負担が尋常ではないが。
〝――コイツと……ギル・ラーゴットは俺が殺す〟
先の襲撃を仕掛ける少し前、モーサンパッションはそう宣言していた。
この標的と〝殺し屋〟にどのような因縁があるのか……。
興味本位からくる疑問が鎌首をもたげるが、ヴァルガは意識してそれを忘却の彼方に追いやる。厄介事に首を突っ込んでいては命がいくつあっても足りないゆえに。
「メアリーサリーには生憎だが、以降の出番はないだろう」
「あ、ああ……そりゃ、あんな襤褸布みてえにされたらな」
そうだ――とヴァルガは今更になって思い至る。
「死んだのは、どっちだ?」
「ん?」
「だから、メアリーとサリー、死んだのはどっちだって話さ」
そう問いかけるヴァルガに対し、モーサンパッションは始め困惑した空気を纏っていたが――やがて得心いったのか、クツクツと巨体を揺らして笑った。
「……ああ、ククク……いや、すまんな。そうか、お前たちはまだ〝殺し屋〟になって日が浅いからな。知らないのも無理はない」
「……? いったいどういう――」
その言葉の真意を問いかけようとした時、絶叫と称するに相応しい声が耳朶を打った。
黒髪の少女――メアリーかサリーのどちらか――が片割れの胸に顔を埋めて泣き叫んでいる。
おそらくは……今、息を引き取ったのだろう。
悲劇的光景であるが、ヴァルガとしては音が漏れて潜伏場所を知られるのではと気が気でならない。一応モーサンパッションが消音の手段を講じてくれてはいるらしいが、それが不安になるほど狂ったように遺された少女は悲鳴を上げる。
「――始まるぞ」
少女が慟哭する有様に対し、モーサンパッションの声はどこか期待するような喜色を含んでいるようにヴァルガは感じた。
「あアァアァアアああア――‼」
最初は見間違いかと思った。
しかし目を凝らすほど、ヴァルガの視界は異常を映し続けていた。
天井を向いて金切り声を上げる黒髪の少女の足元で――白髪の少女の死体が色を失っていく。
それは床に伸びた血の跡すらもそうだった。
まるで幻であったかのように少女の死体は透明になり、最後には消えたのだ。
「何が……」
もう一つの変化が起きる。
「メアリぃ! 違う、サリぃ? 死んだ? どっち、ワタシ? わた、ワタ、あ、あ、あ、あ、めっメア、サリ、え、えら、え、ら、ら、ら、ら、ら、ら、ら、ら……」
ずりゅ ずりゅ、りゅ
白目を向き狂いだした黒髪の少女の頭部から、生物的嫌悪感を掻き立てる音と共に、半透明な腕が突き出る。
「…………‼」
半透明の腕はうなじに手をつき、引っ張り上げるように頭が、胴体が、下半身がずるずると現れる。ヴァルガは、繭から這い出る虫を想起した。
「テンペスタ・ラインボルトは失敗した――倒す順番という賭けに。まあ、無理もないが」
モーサンパッションの声をどこか遠くの出来事のように聞きつつ、ヴァルガは瞬きも忘れて目の前の光景に見入る。
おぞましくも、目が離せない。
滑るように床に落ちたのは、今さっき幻のごとく消失した白髪の少女だった。ズタズタにされた服もまったく同じだ。
「あ――お姉ちゃん!」
黒髪の少女がソレを抱き起す。
「よかった……! 私、お姉ちゃんが死んじゃったかと思って……! 無事だったんだね!」
「なんだ、これは……」
ヴァルガは、そう言葉を搾りだすのがやっとだった。
いつの間にか握りしめていた拳は汗で湿っている。
「あれがメアリーサリーの意能、【双星】だ」
それは、
確かこの〝殺し屋〟の通り名ではなかったか。
「自分自身とまったく同じ分身を作り出す。血も肉も熱も痛みもある分身を」
モーサンパッションが語る内容は恐るべきものだった。
「他の分身系能力より分身の質が高く、存在に期限も無い。分身が死んでも本体が生き残っていれば、連発は無理だが何度でも造り出せる。同時に一体までな」
「…………詳しいんだな、旦那」
「お前も知ってのとおりメアリーサリーはお喋りだからな。〝秘匿〟を誓うお前とは正反対だ」
「そうかい……。だが……もう一人の自分、か……」
ヴァルガは想像する。
自分とまったく同じ価値観、思考、容姿、癖、強さ、好き嫌い、声、体格、性格を持つ他人を。
「……ゾッとするぜ」
それは双子の……生物の範疇を外れた存在としか言えない。
自然ならざる生物だからこそ、心では制御できない恐怖を覚えるのだろうか。
「この世にもう一人自分がいるなんて、気持ち悪くて殺したくなるが、メアリーサリーの場合は問題ない。――あの娘は多重人格者とやらでな、頭の中に妄想の姉妹がいるらしい。無意識的に本体と分身でそれぞれ別の人格を表出させることで、自分自身に対する嫌悪感や攻撃性を回避している」
それは問題ないでいいのか……? と、ヴァルガは内心で首を傾げるのを禁じえなかった。どちらにしろ、本業に支障ないなら悩むことでもないと無理矢理納得した。
だが、これ以上の見物は気分を害する確信があったので、ヴァルガは踵を返して離れようとする。
「……大事なことを聞き忘れたが、結局、どっちがメアリーでサリーなんだ?」
この場を後にする前にまだ晴らされていない疑問を口にする。
モーサンパッションは愉快そうに言った。
「本人ですら分からなくなったことを、他人が知るわけないだろう?」
だからこそ、メアリーサリー。
〝メアリー〟でも〝サリー〟でもなく。
二人で一つの〝殺し屋〟なのだ。
「俺も大事なことを聞き忘れていた」
モーサンパッションは顔――人形の顔にあたる部位――をずいとヴァルガの横顔に近づける。
「わざわざ聞くことでもないが……見られていないだろうな?」
「……ああ。本当に、わざわざ聞くことでもねえな」
「俺とメアリーサリーには関係のない話だが、お前の〝秘匿〟にとってはそうじゃない――」
その感情の読めないままモーサンパッションは顔を離し、去り行くヴァルガの背に言葉を投げかけた。
「――俺に〝報復〟以外の殺しはさせてくれるなよ」
――そいつぁどうも難しそうだぜ、旦那。
ツェラの首輪の鎖を引きながら歩くヴァルガは心の中で独り言ちた。
周囲にはモーサンパッションの髪の結界が張り巡らされている。同業といえど迂闊なことは口にできない。
「あー」
何に惹かれたのかツェラがあの場所に戻ろうとするのが鎖の抵抗として伝わってくる。
「おい、そっちじゃねえ」
「あー……あー……」
やがて諦めたツェラは大人しく追従を再開した。
「フン……ブッ壊れたモン同士、感じるものがあるってか。だが、あんな得体の知れねえ奴がいるとは、世界は――」
〝――世界は広いんだよ〟
〝――私たちが想像もできないくらい、すっごく広大なの〟
〝――たぶん私は、その最果てを皆に伝えるために、この世に生まれてきたんだ〟
ダンッ――と柱を殴りつけることで去来した感情を振り払う。
「ツェラ。お前は、ただの道具だ」
おそらくもう言葉も理解できないだろう少女へヴァルガは告げる。
少女に言い聞かせるように、自分に言い聞かせるように。
「道具は最後まで道具らしくしてろ」
命令というよりは、まるで願いのようであった。
「……明日で全てが終わる。成功しようが失敗しようが」
差し迫った決着にヴァルガは胸の高鳴りを覚える。
不安、昂奮――そして、安堵。
「最後に……そうだな。お前に語ったところで意味はねえが」
気を紛らわすため、ヴァルガはとうとうと自分の話を語る。
今回の仕事を受けた理由、今回の仕事が終わった後の期待。何を思い、何を感じたのか。会話ではなく独白であるせいか、話に脈絡はなく、思いつくままに吐き出すだけだ。
理解できるわけもない相手に向かって、それでもヴァルガは飽きが来るまで口を開いていた。
ツェラは珍しいことに大人しくジッとしていた。
◇双星【そう-せい】
意能/行動強化系
精巧過ぎるほどに似通った分身を生み出す意能。
同時に生み出せる分身は一体までである。
本体と分身が明確に分かれるものの
外見上の差異は一切なく、
同じように喜び、同じように傷み、
同じように憎悪する。
この世の中にもう一人。
まったく同じ自分自身。
果たしてそれは、善いことなのだろうか。




