第六十二話 襲撃 2
◇一度きりの追跡【いちど-きり-の-ついせき】
意能/武器奥技系
投擲した武器に一度だけ、相手を追尾させる意能。
〝羽の蝕業〟が特に習得しやすい。
相手に命中するまで追随するが、
かする、受け止めるでも命中判定となるため、
強力と呼べるほどの性能ではない。
この意能の真価は不意打ちにあり、
回避したと確信した心の隙を狙い穿つのである。
「――立ち向かうその意気は良いけれど、力が伴わなければ意味がないね」
「……ッ⁉」
突然の背後からの声。
弾かれたように振り向く。
若い男がいた。爽やかな面立ちに、深い蒼海のような双眸を併せ持った男が。
刺繍の施された、ゆったりとした法衣。手には上端に水晶を嵌め込んだ長杖。
恐るべき凶行の現場を面前にして一切の動揺、恐懼は無く、まるで凪のような心象がこちらにまで伝わってくるようだった。
「誰かしら?」「招いた覚えは」「ないのだけれど」「死にたくないなら」「回れ右して」「帰りなさい」「綺麗な顔のお兄さん」
男はフッと微笑む。
「顔を褒めてもらうのは光栄だね。〝殺し屋〟ごときでも他人を美しいと思える感性はあるらしい。一人で二人の〝殺し屋〟――〝双星〟メアリーサリー、でいいかな? 僕の知っている特徴と君たちの容姿は非常に合致するから、まず間違いないとは思うんだけど、違っていたら教えてほしい。まあ、その可能性は非常に低いと思うけどね。君たちは大分派手に活動してるらしいから目ぼしい情報を集めるのはそれほど苦労しなかったよ。さて、掲げる〝誓約〟は〝相反〟という気狂いとしか思えないものと聞いている。僕は〝殺し屋〟界隈に明るくはないけど、その素人の僕でも、君たちの行動方針はどうかと思うよ。あれはまさに快楽殺人者の所業じゃないか。稼業と名乗るのはおこがましいと思うし、他の同業者に失礼じゃないのかい? きっと〝殺し屋〟の中ですら浮いているのでは? まあ世間様の澱を啜ることでしか生きられない〝殺し屋〟たちの事情なんて、本当はこれっぽっちも興味はないんだけど。ああ、一気に僕だけ喋ってすなまない。どうも僕は話が長くなる癖があるようで、仲間からもよく怒られる。さあ、何か言いたいことがあれば言ってくれ」
――急激に張り詰める空気。
男の長々とした独白にも思える語りに対し、少女たちから発せられる殺気のせいだ。
少女たちを擁護するわけじゃないけれど、怒るのも無理はないと思う。完全に煽っているとしか思えない話の内容だったからだ。
「……殺す」「絶対に殺す」
案の定、目に見えそうなほど殺気を昂らせる〝殺し屋〟の少女たち。
だが、その殺気を前にしてなお、男はどこ吹く風と気にした様子は見られない。
むしろ……
「プッ……あ、いや失礼。でも……フフッ、自分たちはえらく余裕ぶっていたのに他人から煽られるとすぐキレるのは耐性が低すぎなんじゃないのかい? それに殺すって! そりゃ君らは〝殺し屋〟なんだから殺すのは分かるんだけど、わざわざ口に出して言うかい普通? 普通の人が言う分には脅しっぽいけど、本業にしてる人間が言うとなんだかね。そんなの分かってるよというか。逆に弱く見える不思議な感覚だ。自分たちの商品価値を高めるなら、あまりそういう……そう! 弱そうな台詞は吐かないほうが――」
長々とした男の言葉の途中、少女たちの姿が掻き消え――
――その背後から針を振り下ろしていた。
「――極地異界召喚」
世界が水に包まれた。
「ガ、ボ、ボ……⁉」
息ができない。
苦しい。
体が重い。
全方向から圧し潰される。
上下左右の感覚を失う。
全身を襲う激流に俺はただ為すすべもなく翻弄されることしかできなかった。
なんとか状況を把握しようと目を見開く。
そして、見た。
周囲の建物まで全てが水に沈みこんだ世界の中で――あの男だけが変わらず地面に立ち続けている姿を。
水流渦巻く最中にあって、彼だけは衣服どころか髪の一本すら揺れず、まるで地上の頃と同じように平然としている。
「ふむ……やはり範囲を抑えても、これだけ飲み込むか」
男がやれやれと肩を竦める。不思議と彼の声だけははっきりと聞こえた。
そこに命を狙われている緊迫感は無く、事実、彼を手にかけようとした少女たちは遠く離れた場所へ流されていた。怒りの形相で近づかんと泳いでいるものの、その努力を嘲笑うかのように水流が〝殺し屋〟を玩弄する。
「まったく、忸怩たるものがあるね。未だに発声する一工程を踏まなければ出力の制御もままならないとは。魔法使いとして少なからず尊敬を集めるこの身としては、引き続き精進仕るばかりだよ。……さて」
男が空中に浮かぶ少女たちを見据えた。
「せっかくだから普段呼ばないものの虫干しでもしておこうか」
男の傍で大量の泡が出現し、その向こうから巨大な魚が姿を現した。
銛のように鋭く伸びる凶悪な頭部。獲物を噛み砕く惨たらしい歯列。触れるだけで引き裂かれそうな刃の鱗。
捕食ではなく加虐のために生まれたような極悪の造形としか言いようがない巨魚。
「人目があったら【悪魚】を使うのは憚るけど、うん、〝殺し屋〟が相手なら顰蹙も買わないだろう」
男が手を一振りし、魚は獲物へ向かっていく。
「精々、早く殺してくれるのを祈ってくれ」
――蒼々の世界に、赤色が混じる。
巨大な魚は白い髪の少女へと迫ると、瞬く間に蹂躙を成し遂げた。
擦れ違いざま、全身の鱗で切り刻み、頭部の突起で幾度も突き刺し、体の端からじわりじわりと噛み千切っていく。
熟練の屠殺者の手並みを思わせる鮮やかな仕事が、より恐怖を掻き立てた。
「ん?」
だが、どこからか伸びた黒い糸の束のようなものが少女たちを絡め取り、猛烈な速さでどこかへと引っ張っていく。
当然、獲物が逃げるのを許す魚ではないが――
「……異界から出たようだね。他に仲間がいたようだ。やれやれ、取り逃がしてしまうとは」
その言葉が合図ではないだろうが、全ての水が力を失ったように、あるいは重力を思い出したように落下し、俺は地面へと叩きつけられた。
「かはッ……⁉」
空気を求め喘ぐ。
久方ぶりに肺が満たされ、歓喜に打ち震えるように体の感覚が明瞭になっていく。
肉体は凄まじい倦怠感を訴えてくるが、俺は襲撃に備えるべく気力を振り絞り、立ち上がる。
だが幸いにも、どれだけ待っても攻撃はなかった。どうやら少女たちと、その仲間と思われる存在は撤退したようだ。
俺は緊張の糸が切れ、その場にへたり込んだ。ようやく、濡れた衣服の重さを思い出す程度には余裕が戻ってくる。
ふと前方に目をやると、水溜りに何か紙の燃え滓のようなものが浮かんでいるのを見つけた。
焦げた部分と、わずかに燃え残った部分。ちょうど燃焼している途中に水を掛ければこうなるだろうか。
普段なら気にも留めないだろうそれを……この時ばかりは理由は分からないが、俺は摘まみ上げると適当なところへ仕舞った。
ぱしゃりぱしゃりと鳴る水音に顔を上げると、例の男がこちらに歩いてくるところだった。
「やあやあ、僕はテンペスタ・ラインボルト。僕がいる以上、もうこの場では奴らに好き勝手はさせないから安心してくれ、ヨア君。……と言っても、駆け付けるには遅かったとしか言い訳のしようがないけれど、ね」
俺たちを助けてくれた男は、離れた場所で転がっているギルと……物言わぬ骸となったレイモンさんを見つめていた。
「……ッ」
止められなかった。
二度もその場にいることができたにも関わらず、俺は何もできなかった。
一度目はオルナッツォさんを。
二度目はレイモンさんを。
〝――本当に〝殺し屋〟って!〟
〝――最高の職業よね!〟
「くっ……!」
目の前の地面を殴りつける。破れた皮膚から血が滴る。
「何なんだよ、いったいッ……‼」
人を殺して、誰かの日常を破壊して、その行為で報酬を得る。
理解も共感も到底できないし許せない。そして何より、
――それを止められなかった事が……悔しい。
だけど、俺に悲しみに浸る暇はなかった。
水に濡れた地面が一斉に光を反射して輝いたことに顔を上げる。
俺の目に飛び込んできたのは、分厚い雲を貫いて、光の柱が地に落ちる光景だった。
***
◆自由都市グアド・レアルム、倉庫区画、グラトナ・グストーナ
「はっ、はっ……‼」
荒い呼吸を必死で整える――ことは不可能だった。
全身から止めどなく吹き上がる汗を感じながら、私は投げ出した足の爪先に広がる地獄を見た。
立ち込める白煙。
想像を絶する高熱により一部が硝子と化した焦土。
範囲内の建築物は悉く燃え尽き、唯一、鉄製の建材だけが融解し、赤熱した姿を晒すのみ。
そして――共に警邏の任に携わっていた探索者たちの残骸たる人型の炭。
あの瞬間、自分の勘に従い、咄嗟に飛び退いていなければ――。
その末路を否応なく想起してしまい、未だに体の震えが止まらない。
何事も起こりようのない合同警邏。上の特権だと隊員から突かれ、これでも監督役を押し付けられて大変なんだぞ、と反論しながら、いつものように恙なく予定を終えるはずだった。
最後の区画の警邏が終了し、集合地点に居合わせた他の二班と一緒にギルドへ報告に帰還しようというまさにその時だった。
倉庫の上から、私たちが屯する所へ飛び降りてきた女と黒い靄。
〝――やれ‼〟
〝――あうあー!〟
全力で飛び退いた直後に上空から降り注いだ極大の光に、私以外の全員が巻き込まれた。
その結果は今、私の眼前に広がっている。
あの光に焼き尽くされ、生き永らえる生物はいない。
――そのはずであるのに。
白煙に目を凝らすと、焦土の中心部には、謎の黒い球体が鎮座していた。
そして、無傷のユサーフィ副団長がそれを眺めている。
間違いなくあの光に飲まれたはずなのに、一切の傷を負った様子がない。
いったい如何なる方法でもってあの場に立ち続けているのか。完全に無効化したのか、それとも喰らったうえで回復したのか、あるいは転移して回避したのか……。
無数の手札、得体の知れなさ。
〝千貌〟……あの人がそう呼び恐れられる片鱗を改めて味わった。
私が混乱から立ち直りつつあると同時に事態は進んでいく。
謎の黒い球体が音を立ててひび割れる。
「――……マジかよ、生き残ってんじゃねえか……!」
中から現れたのは、ヨアより少し年上ぐらいの少女、そして黒い人型の靄としか表現のしようのない何かの組み合わせだった。
少女には首輪が嵌められており、鎖の先は黒い靄の中に飲み込まれている。
あの靄は、中にいる人間の正体を隠す魔法か意能か。響いてくる声も男女の判別ができない。
ユサーフィ副団長は驚いた様子も何もなく、「んー」と呟きながら右手の拳を顎に沿えて唸った。
「〝相反〟……」
「……‼」
「いや、〝秘匿〟かな、今の手口から察するに」
靄の中から驚いた気配が伝わってくる。
「となると、貴方たちの〝誓約〟と照らし合わせるに、私とグラトナはここで殺しておかないといけないことになるね、うん」
〝誓約〟。
〝殺し屋〟が他人を、あるいは自身を戒めるために掲げる十種の誓い。
襲撃に動転を余儀なくされた私と違い、このわずかな時間で看破した副団長の、異常ともいえる洞察力に感嘆を禁じ得ない。
そしてユサーフィ副団長が口にした〝秘匿〟の意味は――
だが、私がそれを思い出すよりも先に、
「チッ……‼」
人型の靄は右手で懐中から取り出した何かを握り締め、その拳の中から炎が迸ったかと思えば、靄の姿も、首輪の少女も、その場から消失していた。
「転移か……周到な」
魔法によるもの、意能によるもの、そのどちらに属していようとも、距離を超越して瞬時に移動する転移系の力はかなり高い進値でないと習得が確認されていないと聞き及ぶ。
あの男自身の持ち前の力かは不明だが、追跡するのは相当厄介になった。
「副団長」
「逃げた……? 彼らにとって目撃者は必ず消さなければいけないはずなのに……? それが出来なかった場合の戒めを知らないわけじゃないでしょうに」
「――副団長っ!」
「ん? ああ、ごめんなさい。少し考え事をしていて」
「急ぎギルドに戻って、この事を報告する必要があります。都市に〝殺し屋〟が現れたことをギルドから警報を発してもらって、それから――」
「それは大丈夫。ギルドにはもう第一報は届いてると思うよ。そっちより、この現場に人が立ち入らないように手当しておこうか」
「第一報が届いている? それはいったいどういう……」
私がこの言葉の意味を知ったのは、現場保存をギルド職員に引き継いだ際、この日、グアド・レアルムに三つの〝殺し屋〟が同時に現れ、衆目の中、堂々と殺人を行ったと聞かされた時だった。
◇異界召喚【いかい-しょうかん】
蝕業/極意
〝門の蝕業〟の凝縮にして究極の顕現。
異界より特定の領域を召喚する。
召喚される異界は様々で、それは習得者の
内面世界に影響を受けると言われているが、
ゆえにだろうか、現れた世界に
彼らは皆、納得を覚えるのだという。
召喚範囲や条件の編纂には、他の召喚魔法と
同様に、意能【召喚術】の習得が必須である。




