第五十六話 教会
◇ウィゼラ教愛信派【うぃぜら-きょう-あいしん-は】
宗教
過酷な世界に生きる探索者の営みを説いたウィゼラの教え。
その中でも〝愛信〟を信仰する分流の一つ。
愛信とは、疑うことなく信じあうことこそが
無上の愛を生むという真実真理であり、
この黄昏の時代において、まこと得難き価値なのだと。
ゆえに彼らは、開かれた腕を象徴に掲げた。
友を受け入れるために、愛を求めるために。
***
◆自由都市グアド・レアルム、開かれた腕の教会
「――今日において、ウィゼラの御言葉は、三つの真理に集約され、人々に広く信仰されています。
〝殺しを請負うなかれ〟
〝戦争を起こすなかれ〟
〝世界の果てを知るなかれ〟
本日、私の説教ではこの第一の真理、殺しを請け負うことの禁忌を取り上げます。
この殺しという箇所の解釈ですが、これはウィゼラと同時代を生きた人物の書簡『チェルブリテの手紙』の中で明確に〝人間を殺害する意である〟と記されています。
この教義を拡大解釈し、あらゆる殺傷行為を禁忌と定めたグダン派が異端と認定されたことは、ウィゼラが命を奪う行為の状況的必然性を極めて現実的に捉えていたことの興味深い立証となりましょう。
第一の真理も含め、ウィゼラの教え全体は、教えが成立した時代背景を併せて理解していなければ、正統の解釈に至ることは困難と言えます。
現代において我々は殺人という行為を忌避します。
それは殺人によって進値が上昇するためというのが共通した認識でありましょう。……勿論、生命というものは同族を愛し育み、種を保存する本能が備わっているからだという反論は当然のもので一つの正しさでもあります。
しかし、ここで理解し受け入れる必要があるのは、人は種の本能を超えた利己的行為を実行する生物であるという点です。動物が食糧不足から子供を間引く行為とは根本的に理由が違うのです。
そう言った意味で、進値が上昇するから人を殺さないというのは、自らの利益に立脚した観点であり、それが抑止力の多くを占める結果となっているのは注目すべき点ですが、今日の説教の主旨からは外れるのでまた別の機会に……。
……さて、古代のある一時期においては人間同士の大規模な戦闘が繰り広げられ、それは〝戦争〟と呼ばれて私たちの世代まで伝わっています。
人間が人間と殺し合うことを忌避する意識が希薄だった時代があったのです。
当時では〝人と殺すための仕事〟……今ではとても信じがたい事ですが、それを専業として行う人々がいたのです。
人と人が公然と戦い殺し合う末法の世。
まさしくウィゼラの教えはこのような時代に見出された真理なのです。
そして……時代が下るにつれ、ウィゼラの教えは人々を救済する唯一つの導きの光明となりましたが――まるで光から滲み出た影の如く人類の歴史に出現した存在がいます。
――〝殺し屋〟です」
開かれた腕の教会。
そこではいつものように、司祭ミラルフォによる信徒に向けた説教が行われていた。
だが、今日の法話は普段と毛色が違った。
信徒たちは表面上、敬虔に話に聞き入っているが、内心ではそのことを敏感に悟っていた。
「……ミラルフォ司祭様」
壇上、ミラルフォの後方に控えていた助祭が近づき耳打ちする。
「多分に憚る内容です。法話とはいえ、あまりみだりに口にすることでは……」
「私は不用心な好奇から言葉を紡いでいるのではありませんよ、ピカロ。それに……」ミラルフォは壇上の下、規則正しく並べられた長椅子に座り、一心に聞き入る信徒たちをぐるりと見渡す。「彼らは皆、探索者。いくらレアルムであるとはいえ、いつ〝殺し屋〟に遭遇する事態が起きないとも限りません。特に最近は、ね」
大々的に触れられているわけではないが、レアルム近郊の〝外域〟に〝死神〟が出現したという噂は、公然の事実として受け止められている。
探索者の聖地、ギルドの膝元であるレアルムにすら今、〝殺し屋〟の脅威は迫っている。
ゆえに知識として触れておくべきと判断されたか――そう得心したピカロは「御心のままに」と、納得し恭しく引き下がった。
ウィゼラの教えは、探索者の心を救うための信仰。
暗闇の中に唯一光る灯明たらんとして、ウィゼラは探索者の導となった。
即ち、進値の上昇を伴う生業を〝忌み仕事〟と蔑む人間たちに対し、探索者とは誇りと信念を持つ生き方であると肯定する。
その中でも愛信派とは、探索者同士が競い合うのではなく、助け合い信じ合う世界こそを至上とする教義。
この殺伐とした理不尽な世界であるからこそ、愛信は、信じ続けなければいけない真実であると説くのだ。
そのためには教義を脅かす恐ろしい外敵のことも、勇気をもって知らなければならない。
ミラルフォは信徒たちに告げたいのだ。
「そう――邪悪なる戒律を誓う〝殺し屋〟に、我ら信仰の徒は震えてはならないのです」
司祭ミラルフォの説教が響く中、
長椅子の一番後ろの列に腰かけていた二人が音もなく立ち上がり、教会を後にした。
「――なんだか」「あんまり」「面白くなかったわ」
教会からすぐ、人気のない路地を選んで歩く彼女らは、一つの文章を分割し交互に喋るという特異な話法で会話する。
片方は黒い服に赤色の髪、もう片方は白い服に緑色の髪。
どちらも少女の域を出ない齢であった。
「それはそうよお姉ちゃん」「私たちの仕事以上に」「面白い事なんて」「ないんだもの」
「あら」「言われてみれば」「そうだったわ」「大事なことを」「忘れていたわ」
お姉ちゃん、と呼んだことから、少なくともこの二人は姉妹関係にあると推測できる。
だが、見た目的にも会話の内容にしても、傍目にはどちらが姉で妹なのか判別は不可能であった。
人気のない道を、年端も行かない少女たちだけで歩く。
ただそれだけで様々な良からぬ事を呼び込みそうな予感は的中する。
道の向こう側から駆けてきたのは人相の悪い悪漢――ではなく、片目を包帯で覆った、少女たちよりも幼い子供だ。
脇目もふらず走っていますと言わんばかりで、自然、道を横並びで歩く少女たちにぶつかる。
転んだ子供は急いで立ち上がり走り去ろうとして、
「「待って」」
――右の足首を鋭い針で刺し貫かれる。
子供は一瞬、何をされたか分からず、次いで地面に縫い留められた自分の足を見て、ようやく苦痛の声を上げた。
「いぃ⁉ あああああ――ぅ……、……⁉」
「あれ?」「外しちゃった」「最近大人ばかり殺してたから」「子供だと点の位置が」「微妙に違うのよね」「これでもう」「痛くないでしょう?」「これでお話」「できるよね」
人生で感じた二番目に強い苦痛に絶叫を上げかけた時、唐突にその苦痛が消失する。その代わりに生じた、腰の違和感。
恐る恐る、ゆっくりと見やると、腰に……正確には背骨のあたりに別の針が突き立てられ、この針によって足首の激痛が取り除かれたのだと幼い頭でも本能的に理解した。
いや、消えたのは足首の痛みだけではない。
腰から下の感覚、全てだった。
「よく見ると可愛いお顔」「特にお目々が可愛い」「一個だけ残った」「可愛い左目が」
少女たちはそれぞれ片手を差し伸べて少女の両頬を包み込む。
今、決して痛みは無く、苦しみも無い。
そのはずだというのに、子供は声も出せないほどの恐怖に襲われていた。
その子供にとって、痛いと怖いは一緒だった。
怖いの次には痛いがやってきて、痛いの次には怖いが必ずやってくる。
だから、痛みの無い恐怖というのは未知の体験であり、指一本でも動かせばもっと大きな恐怖がやってくる気がして、ただただ震え続ける。
「こんなに可愛いのに」「あなたはなんで私から」「お財布を取ろうとしたのかしら?」「可愛い子にはおねだりされたら」「私たちはきっと恵んであげたのに」
「喋られないのかしら?」「口が動かないのかしら?」「|上半身は止めてないのだけれど」
「気になるわ」「可愛い子がスリをする理由」「可愛いなら誰からだって」「守られるはずなのに」「私たちと違って」「うらやましいわ」
「どうしても気になるから」「喋れるように」「してあげよっか」
少女の片割れが針をもう一本取り出すのを見て、子供は戦慄く唇で必死に言葉を紡ぐ。
「わ、わた、私、火事で、お父さん、お母さん、あ、しっ、死んじゃって――」
子供は言葉に詰まりながら、今までの過去を語った。
家が商家だったこと。
周りと比べてそれなりに裕福だったこと。
母親譲りの綺麗な目が密かな自慢だったこと。
家が火事で無くなったこと。両親が亡くなったこと。
その時の火傷で片目になったこと。
イサンというものを知らない大人が取り合って自分には何も無くなったこと。
孤児になったこと。
母親との唯一の繋がりを感じられる目を治したいこと。
回復魔法をかけてもらうためにスリでお金を貯めようとしていることを。
この年齢なら仕方のないことかもしれない、纏まりがなく要領の悪い話し方であったが、それでも少女たちはジッと黙って聞き続けてくれていた。子供はその事実にわずかばかり安堵する。
だが、もっと人生経験を積んでいたならば、そんな勘違いはしなかっただろう。
少女たちのそれは優しさでも辛抱強さでもなく、獲物を値踏みするために必要な時間でしかなかったからだ。
「嗚呼……」「可愛そうな、可愛い子」
少女たちはまったく同時に溜息を漏らす。
「気が変わったわ」「本当はスリの罰として」「あなたの綺麗なお目々を」「貰おうと思ったのだけれど」
「え……えっ、え?」
「お母さんから貰った」「大事な可愛いお目々を」「私たちが貰うわけには」「いかないものね……」
一瞬恐ろしい言葉が耳を震わせたものの、手酷く痛めつけられることを覚悟していた子供は、遠ざかっていく暴力の気配に無意識に胸を撫でおろした。
まだ、足は貫かれたままだというのに。
「だから」「目だけ残して」
「視力は」「貰っちゃうね」
少女の極細の針が一瞬で子供の頭部を刺し、同じ速さで引き抜かれる。
子供のたった一つ残った目から、光が失われた。
「え……えっ、えっ、えっ――⁉」
何が起きたのか理解できない。
当たり前のように見えていた景色が突然、黒一色に、無に塗り潰された。
目を凝らす。眼球がごろごろと動いている感覚はある。瞼が忙しなく動く実感がある。涙が溢れだした水気は疑いようもない。
でも、見えない。
何も、見えない。
「これからは」「人からお金を盗んじゃ」「ダメなんだからね」
「潰れた方の目は」「まっとうにお金を稼いで」「治してもらったほうが」「良いと思うよ」
「後ろめたいより」「胸を張れた方が」「死んじゃったお母さんも」「きっと喜んでくれるよ」
「あ、ああああああああああ⁉⁉⁉」
きゃっきゃ うふふ
善い事をしたと……道を踏み外そうとした子供を正せて、本当に善い事をしたと、心底から疑わない笑い声を残して、二人の少女は仲良くその場を後にする。子供の慟哭などまるで聞こえてないかのように。
身寄りも後ろ盾もない、生活の基盤すら吹けば飛ぶような、綱渡りの日々を生きる子供が両目の視力を失う意味を、それがもたらす結末を、容易に想像できようはずなのに。
少女たちはご機嫌なまま、やがて旧区画と呼ばれる人の営みの輪から閉め出された場所に侵入すると、そこではありふれた何の特徴も無い二階建ての家屋に入った。
――その後姿を追っていた男たち……本当の強盗三人組が建物の入口に向かっていく。
先ほどの片目の少女への行いを見ていれば、決して手は出さなかったであろうが、選んではいけない相手を選んでしまった代償は、命で払うことになる。
そのことを理解しないまま、彼らは下卑た欲望を押し隠しながら入口の扉に手を、
「――あら」「ごめんなさい」
――掛けようとした瞬間、扉は向こうから開き、中から黒い服に金色の髪、白い服に紫色の髪の少女たちが飛び出てきた。
「おっ、お……⁉」
――おかしい、自分たちが見たのは赤色と緑色の髪の少女二人組だったはず。
――だが髪色だけじゃなく、顔も全然違う。
その混乱のあまり、早足でスタスタと歩き去っていく少女たちを止めることもできず。
「お姉ちゃんってば」「お優しいのね「彼らは見逃して」「あげるなんて」「ウフフ、だって」「これ以上はモーサンパッションが」「うるさいだろうからね」
そうして少女二人は別の路地を曲がって消える。
「……! オイ、待て……!」
慌てて男たちは追いかけるも――彼らが目にしたのは、誰一人としていない寂れた路地と、何かが燃えたような臭いが残り香として漂っていただけであった。
◇長針【ちょうしん】
武器/その他
一般的な大きさよりも長く作られた針。
……ただそれだけでしかなく、およそ用途に困る代物。
ましてや武器にするなど、考えもつかないだろう。
しかし、それは常人の中の理論であり、
狂人には狂人の理論があることをこれは知らしめる。
得物とは、使い心地ではない。それで殺せるかだ。




