第五十四話 調べる権利、黙る権利
◇断絶時宮【だんぜつ-じ-きゅう】
魔法/戦闘魔法
時の流れから自身と周囲を隔離する結界を敷く魔法。
防御に用いられる魔法の中でも最上位の一つ。
自身を覆う球状の結界は、内部の時の流れを
停止させることにより、あらゆる干渉を防ぐ。
ゆえに、この防御を貫く手段はそう多くない。
しかし、自らの時の流れも止めてしまうため、
発動前後の意識の断絶も防ぎえない欠点がある。
◆ ――???、ギル・ラーゴット
「何を……やってるんだ……お前ら」
曇天の空、止まらない汗、冷たい霧、滴る血。
「仕方ない――仕方なかったんだ!」
仕方なかった――と、壊れたように呟き続け、蹲る男たち。
服の裾を掴まれる。
見下ろすと、一人が縋るような……許しを請うような目で俺を見る。
掴まれた裾は、真っ赤に濡れていた。
「ケイヴ……」
「ギル、やめてくれ! そんな目で俺たちを見るな! あの✕✕✕✕✕✕✕✕たお前が!」
ケイヴが喚き立てる。その言葉の外で訴える、俺の目が気に喰わないと。
教えてくれ。俺は今どんな目をしてるんだ?
それを知らないと、俺は今、どっち側に立っているか分からない。
目の前の惨たらしい事実から目を背ける卑怯者なのか。
同じ罪を塗りたくり仲間と慰め合う滑稽な存在なのか。
どっちなのか、分からない。
「お前だって……お前だってそうするだろう! こうするしかなかったんだよ……!」
〝――お前なら分かってくれるだろう〟
その言葉が、呪いのように髄まで染み込んでくる。
淀んだ瞳たちが俺を見る。俺を待っている。
口を開く。
「俺は――」
「――――あ、ぁ」
俺の意識は、霧深い澱んだ場所から、探索団拠点の自室の寝台の上に戻っていた。
また、あの夢を見ていたのだとすぐに理解した。
「…………」
夢を見るのが怖くて、酒場で潰れるまで飲んだり、一人寝をしないよう娼館に足繁く通ったこともあった。
でも――結局のところ、逃げることはできねえと悟ってからは、思い出したように訪れる恐怖を味わっては夜中に目を覚ますことを繰り返す。
逃げ場なんてものは、端から存在しなかった。逃げ出したい、目を背けたい事実は自分の中にあるんだから、どこに行こうが何をしようが、意味はない。どんなに慎重に歩こうが足の裾に泥が跳ねるみてえに、気を付けていたところで無駄な徒労に終わる。
それでも、どうしても逃避したいなら……恐怖を忘れるくらい別の何かに没頭するか、いっそのこと狂う他には無え。
俺はそのどっちもやりきれず、選べなかった臆病者だ。
「……寝るか」
瞼を閉じた。暗闇がやって来る。
人は眠りから逃れられない。つまりそれは、夢からも逃げられないってことだ。
今寝ればきっと、さっきの続きを見るだろう。
そんな確信を抱きながら、俺は裁きを待つ罪人のように眠りが訪れるのをじっと待った。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・取調室、ヨア
「お前には黙秘する権利がある」
薄暗い室内。
机が一台に椅子が二脚、豆のように小さい魔石灯が天井から一本吊るされているだけの簡素な部屋。
「非常に遺憾ながら、俺はその権利を認めざるをえない。喋る喋らないは人類に平等に与えられた権利であり、こと犯罪捜査において――たとえ殺人事件においても、尊重されるべき事柄だ」
台詞とは真反対に、洗いざらい白状しろという空気が充満している。
「ちなみに喋らないを選んだ場合、お前の頭の中の隅から隅まで魔法なり意能なりで調べ尽くさにゃならん。へそくりの隠し場所から秘めた性癖に至るまで、知りたくもねえどうでもいい事に辟易としながら、捜査に繋がる有力情報を絞り出すんだ。大変で面倒臭い仕事だと思わないか?」
ここに、喋らない権利の事実上の崩壊を確認した。
喋らないのは自由だけど魔法とか使って頭の中覗くね……って権利の意味ないじゃん! 尊重してるようで認めてないじゃん!
机の向かい側に座るこの人……パリオ・ルッシウスと名乗ったギルド職員は、今日、俺たちが依頼で訪れた地下水路での一幕を隠し立てることなく話せと言う。
これまで既に、パリオさん以外の人にも同じ話を延々と報告し続けた。その際は淡々と相槌があっただけだが、このパリオさんは一味違う。
揺さぶる様に手を変え品を変え、言葉巧みに俺から証言を引き出そうとしてくる。
お生憎だが空の箱を揺すったところで何かが出てくるわけもないのだけれど、目の前のお方はどうしてもそれを理解していただけないのだ。
「だから、俺は……俺たちは本当にたまたまあの死体を見つけただけで、何も疚しい事はしていませんってば!」
「ああ、俺もそう思ってる」
絶対思ってない。
「ただ、捜査課はあらゆる可能性を考慮して、疑いたくない人物を疑いを持って接する必要のある因果な仕事なのだよ。特に第一発見者というのは貴重な証言者であり――事件の犯人にもなりうる存在だ。だから君にとって私が友好的な隣人に見えがたいだろうが、それはある種の必然であると諦めてほしいのだ。そしてお互いに好ましからないこの時間を終わらせるためにも……君の知っていることを私に教えてほしい」
「知ってる事って、起きた事は全部――」
「ああ、それは重々に承知しているさ。だから……例えばだ、君がどんな魔法や意能が使えるか。これらはどうしても犯罪に付き纏うからね。君だって施錠された建物に侵入した盗人を探す時に、開錠の効果がある魔法や意能を持っている人間を優先的に疑いたくなるだろう?」
それはまあ、実際に行ったかの証明は出来ずとも、そう言う能力を持っているだけで疑惑の目を向けてしまう心情は理解できる。
疑わる方はたまったものじゃないけれど……。
「だろう? 君が捜査に協力的になってくれるほど、この嫌な時間は早く終わるのさ。簡単な事だ。両の袖を捲って腕を見せてくれるだけでいい。一瞬で終わる」
そう言ってパリオさんはさっきよりは軟化した雰囲気で俺を待ってくれている。
嫌な時間を終わらせたいというのは俺も同意だった。
「……まあ」
それぐらいなら。
ちょっと腕を見せて終わるのならば……と袖に手をかける。
〝――他人に蝕業、意能、魔法の情報をみだりに明かしてはいけません〟
あれ……そう教えてくれたのはメリジュナ教官で、でもパリオさんも同じギルド職員で、だったら話すのは別にいい? しかも捜査に協力するわけだから……。
纏まらない思考のまま、俺は右腕の袖から捲り上げようと、
「――うちの団員を言葉で弄するのはやめてもらおうかな」
――袖ごと俺の手首を握りしめた腕に止められる。
いつの間にか部屋の中にいたのは、
「ユサーフィさん⁉」
「待たせちゃってごめんね、ヨア君」
柔和な笑みを浮かべたユサーフィさんがパリオさんに向き直る。
「これ以上の不当な拘禁は正式にギルドへ抗議することになるけど、いいかな?」
「良いわけがないし、不当な拘禁でもない」眉間にシワを寄せたパリオさんの空気が一変する。「規則に定める取り調べ時間は超えていないし、部屋の鍵は開いているから自由に出入りできる――この少年がそれを認識しなかっただけでな」
「捜査課のやり口について今更突くことはしないわ。貴方たちが探索者を陥れようとしてやってるわけじゃないのは知っているから。――でも、魔法と意能を覗き見しようとするのはいただけないかな」
「任意での協力を求めている」
「こっそり暗示系の意能を行使しながら?」
俺は驚いてパリオさんを見る。が、こちらを見ようともせず、悪びれている様子も無かった。
「ヨア君、ギルドの職員と付き合う時は、信用も信頼もしていいけれど、油断はしないようにね。気づかないうちに情報を抜かれていることが普通だから」
「見解の相違だな。探索者の隠したがりは誰のためにもならない。ありもしない恐怖を想像させて、必要のない争いを生み出してきた。嘆かわしいことだ」
「知らなくてもいい事がこの世にあるのを知らない人の、傲慢な物言いね」
「傲慢と言うならお前さんも大して違わないな、ユサーフィ。いくら一等級探索者だろうが、横紙破りも度が過ぎれば看過できんぞ」
「なら、私と殺し合いますか?」
部屋の中に一瞬にして緊張が走る。
言い様の無い重圧がひっそりと忍び寄り、体を満たしていくような異常感。
舌戦を繰り広げていたパリオさんは、むしろ落ち着き払った様子でジッとユサーフィさんを見つめていた。
「……なるほど。お前にそこまで言わせるとは、この小僧、何者だ?」
「今はまだ、何者でも」
ユサーフィさんに手を引かれるまま立ち上がる。
パリオさんは何も言わなかった。
「私の発言、ちゃんと調書に記録しておいてくださいね」
「今回は災難だったね」
「あの、ありがとうございます。お陰で取り調べが終わりました」
「ううん、むしろヨア君は怒ってもいいよ。来るのが遅かったって」
お礼を言う俺にユサーフィさんは頭を振った。
「メリジュナは君に、無暗に蝕業と魔法と意能を言うなって教えたようだけど、それは相手がギルドでも同じだよ。そもそもギルド職員だからって開示する義務もないし」
「……意能を使ってまで聞き出そうとしてくるのは普通なんですか?」
「うん、あれでも規則に基づいてやってるんだよ。精神力次第で抵抗が難しくない程度の意能なら、公的利用に限って認められてるの。される方は理不尽だろうけど」
……言外に、その程度の意能に引っ掛かっているようじゃ自己責任だ、と自分の弱さを指摘されているようで、無意識に顔が俯く。
「そんな顔しないで」
俺の頬にそっと手が添えられる。
温もりに導かれるままに顔を上げると、微笑んだユサーフィさんが。
「君はまだ何者でもないけれど、これから皆があっと驚くような事をやっちゃうんだから。今は成長の時期。一つ一つ、覚えていこうね」
「……はい」
そうだ、力と経験が足りないというなら、今は地道に少しずつ、それを身に着けていくしかない。
ユサーフィさんの隣に並び立てる想像は全然できないけれど、昔の自分に比べたら着実に成長はしているんだから。
〝――王たちの人外を殺してほしい〟
花園で交わした誓い、ユサーフィさんの願い。
王たちの人外とやらを殺すために、どれだけの力が必要かは正直分かっていない。
でも、ユサーフィさんの笑顔を見ていると、決して無理な事ではないと思えてしまうんだ。
「とりあえず今日のところは帰ろうか。もう指名依頼どころじゃないと思うし」
「そういえば今回の依頼ってどう判断されるんしょうか……?」
地下水路に巣食う洞肥鰐という魔物を排除したとはいえ、本来の目的は水流を操作する魔道具の点検なのだ。その観点から言えば、依頼は未達成と見做されても……。
「さすがにそれはないよ。〝外域〟ならまだしもレアルムの地下にあんな魔物がいたことまではギルドも想定外でしょう。事前に告知されてない、等級よりも強い敵と相対して全員生きて帰ってきたのに、依頼失敗だって責めるなら所属する探索団が黙ってはいないよ。それに――」
「すいません横通ります!」
俺たちの横を、書類を抱えたギルドの職員が何やら慌てた様子で走り抜けていく。
その後ろ姿を目で追っていくと……
「あ……」
廊下の突き当りには複数の職員がいて、なにやら深刻に話し込んでいる。
その集団の中にはメリジュナ教官もいた。
教官たちは駆け込んできた職員と二言三言話すと、足早に歩き去って行った。
「どうやらそれどころじゃない厄介事が転がり込んできたみたいだしね」
◇唆し【そそのか-し】
意能/共通意能
相手をその気になるよう仕向ける意能。
蝕業を問わず習得しうる共通意能。
名のとおり、そうするよう誘い入れやすくするのみ。
効果はささやかで、意志の固き者は微風にも感じないだろう。
唆しとは元より、そういうものだ。
答えを出しながらなおも悩める者に、
最後の一歩を勧める希望の追い風なのである。




