第五十三話 終わりを告げる輝き
◇極意【ごくい】
蝕業/極意
人類に刻まれた蝕業、その凝縮にして究極の顕現。
極意とは、魔法とも意能とも異なる超常の力であり、
蝕業が八つ存在するのと同じく、その発露も八つ存在する。
魔を錬成し、空間を統べ、儀式を成し、死を排除し、
複製を許し、裘を羽織り、異界を招き、瞳を開いた。
八つの蝕み、八つの虚空。
空いた孔から、何が見える?
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、地下水路、ヨア
絶え間ない戦いによって加熱された精神が、視界の端に映る尾を目敏く捉える。
それを最小限の動きで回避すると、反撃に大剣の斬り上げ叩き込む――が、尾の軌道を弾いただけで終わる。
見た目からして打撃に強そうな皮膚だとは思ったけれど、斬撃に対してもある程度耐性がある……要するに、ギルが言うクソッタレってやつだ。
そして……これだけ振るい続けても、獣噛みの大剣は沈黙したまま。
あの模擬戦で一度見せた獣の腕は出る気配も無い。〝神器〟と大層な名前を冠するからには期待せざるをえないが、これだと普通の大剣と変わりはしない。
初めて触れた瞬間から、まるで長年使い込んだかのように手になぜか馴染んだけれど、だからといって大剣を扱う技術が身に付くかはまた違う話のようだ。今までの剣……騎士剣より長さも重さも激変したせいで、未だ扱い慣れていないのも辛い。本職の大剣使いには程遠く、一応、近撃部隊で大剣を武器にしてる団員に色々コツを訊いてはいるが、上達は捗々しくない。
だからこそ、長期戦になるのはマズい。戦いが長引くほど、技術の未熟さが露呈する。それが致命的な隙を生む。
「まだなのか、魔法……っ!」
「うるせェ! 黙って戦え!」
頭部から血を流しながらグランドリオが叫ぶ。洞肥鰐の爪を避け損ねた傷痕が痛々しい。俺もアイツも直撃こそないけれど、幾多の傷は確実に体力を奪っていっている。ネメさんは俺たちより危なげなく戦っているが、魔法の連続行使で息が上がっているのが見えた。俺たち全員、このままではジリ貧なのは明らかだ。
対する洞肥鰐は、多少の手傷を負わせることに成功したものの、死に至る程ではない。戦いの最中、自分の卵を気づかずに踏み潰すほど暴れ狂い、怒りは頂点に達している。
――グルルル……
だが唐突に、洞肥鰐は動きを止めた。
今まで無秩序に放射していた力を、怒りを、身に纏う様に収束させていく。
「なんだ……?」
目の前で、恐るべき変化が生じていく。
だらしなく弛んでいた体が引き締まり、絞られ、見る者に俊敏さを感じさせる鋭い形状へと変貌を遂げる。
鱗の無いツルりとした肌はそのままに、皮膚下に凝集した筋繊維の筋を浮かび上がらせ、光沢を放つ鎧と化した。
埒が明かないと思っていたのはヤツも同じらしい。
適当に力を振るうだけでは目の前の獲物を仕留められない――そう悟った洞肥鰐が本気になった形態。
絶望が心を襲う。今でさえ持ちこたえるだけで必死なのに、ここからの速さは今までの比ではないだろう。
殺戮のための変態を完了させた洞肥鰐が前脚を叩きつける。その衝撃だけで水飛沫が跳ね狂い、部屋全体が激しく揺れる。
その隆々と盛り上がった筋肉から生み出される力を目の当たりにし、それでも心を奮い立たせる――が。
おかしい、揺れがまだ続いている。洞肥鰐も小刻みに頭部を左右に振って、様子を窺っている。
「――きたッ‼」
グランドリオが吼える。
「お前ら、こっちに来い!」
「……っ!」
俺は反転し、背を向けて走り出した。それに反応し、蠢動する気配。
地面の揺れは、これで終わりではなく、来る何かの前兆を思わせた。
その中に混ざる衝撃波。振り向かなくても分かった。背中を見せた獲物に、放たれた矢の如く跳躍する洞肥鰐――足下を蹴りだした力がそのまま瞬発力に変換され、彼我の距離を一瞬で零に近づけていく。
先に追いついたネメさんとグランドリオが腕を伸ばす。
俺は身を投げ出すように前へ跳び、差し出された手に向かって限界まで腕を伸ばした。
指先が二人の手に触れ、同時に洞肥鰐の顎が俺を口腔内の射程に捉えた。
人と、魔物と、戦いも、何もかも全て。
光輝なる白色に包まれていく世界の中。
グランドリオの呟きが、最後に虚空へと溶けていった。
「――【断絶時宮】!」
◆◆◆◆◆
自由都市グアド・レアルム、その打ち捨てられた旧区画。
かつて〝皇帝〟と呼ばれる人外と、その軍勢の襲来により被害を受けた昔の貧民窟は、凄惨な被害の記憶ゆえに復興もままならず、やがてならず者も普段は寄り付かない存在しない地と化していた。
――だが、そこから突如として立ち昇った光り輝く柱に、人々は空を仰ぎ見る。
その足下で行われていた生死を懸けた死闘など知る由もないが……彼らは一人、また一人と、歩みを再開した。
しかし、それは決して慣れではない。人々はこの恐れを抱いたまま、進み続けなければならないことを知っていた。
大した努力を必要とせず、超越した能力を手に入れることが可能な世界では、時に理解不能な力による理不尽な死に巻き込まれる未来が傍に佇んでいる。
だから、〝私は巻き込まれなかった〟と胸を撫でおろし、ギルドというささやかな秩序が事態を収拾することを無自覚に期待する。
それが最も利口で、省力的であるから。
日常とは、全てを孕みながら回り続けるもの、と、そう知った風に生きていくために。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、地下水路跡地、グランドリオ・ジルガ
断絶を挟み、意識が再覚醒した瞬間、全身の濡れた感覚が甦る。
次いで頭の上から遠慮なく差してくる日の光に目をすぼめた。
耳に流れ込んでくるのは、山間の激しい渓流を思わせる飛沫の跳ねる音。途切れた水路から放り出された水が、地の底を求めるように落ちていく声。
「生きた……」
息を吐くように呟いた。
生き残った、でも、死ぬかと思った、でもねえ。
その言葉を選んだ動機はもう、自分でも辿れねえ意識の奥底に沈んでいた。
俺の傍にはヨアの野郎とネメが倒れ伏している。でも気絶してるわけじゃねえ。一瞬のうちに景色が様変わりしたことに驚いて呆けてるだけだろう。
キャリカが使った【光展光条絶輝砲】……話には聞いてたが、まさかここまでバカげた威力だとはな。
〝杖の蝕業〟持ちが低進値のうちに習得する魔法の中じゃ、威力だけは間違いなく最強。
光条を放ち、射程内のものを焼き尽くし破壊する。
発動までの集中時間も短く、精神力の消費も少ない。
良い事尽くめに思えるが、唯一にして最大の欠点は、この魔法は使うだけで進値が上がる。
さらに、この魔法で殺した命の数だけ進値が上がる。
そりゃ覚える時期も頷ける――こんなモン、進値の上限に余裕がある時にしか使えねえ。
使ったら使ったで、探索者としての寿命を一気に縮める、罠みてえな魔法だった。
今回の使用でキャリカは1、洞肥鰐を殺して1、合計で進値が2つ、最低でも上昇したはずだ。
そんな魔法を使うことを、自分が唆したことに何も思わねえわけでもねえが……。
だが、俺も生き残るために、秘中の切り札を切った。
一時的に外界から、自分と自分が触れている者を遮断する魔法【断絶時宮】。
遮断した時間の倍の時間、意識もなく一切動けねえ代償はあるが、それは使い所さえ気を付ければいい。
最大の問題は、これも〝杖の蝕業〟持ちしか習得できない魔法ってことだ。
未だ底の見えない蝕業の深み、深奥の領域にある必殺の能力、その発露たる極意。
――〝鍵の蝕業〟の極意は、他人の魔法、意能を写し取る。
俺が所属してる『鉄血一座』とは別の探索団の人間からこの魔法を密かに写させてもらった。
対価は少なくなかったが……一座にも知られてねえ能力を持つことは、いつか俺の力になると思ったからだ。
それを開陳したことは、仕方なかったとはいえ複雑な気持ちだ。あの時魔法を使わずにキャリカの魔法で消し飛ばされる方がありえねえっつうのに、気持ちは儘ならねえもンだ。
「……おい、せっかく勝ったってのに死ぬ気か」
痛みと疲労でどうにかなりそうな体に鞭打ち、空いた穴から下層に降りた俺は、俯せに気絶して水溜りで窒息しかけているキャリカを引き起こす。だが足腰に上手く力が入らず、俺は後ろに転倒しちまった。
なんとなく起きる気になれねえと、そのまま穴の先に広がる空を見つめていた。
「――ああ、思い出しました」
仰向けに横たわる俺の上に、折り重なるように倒れたキャリカは、起き抜けに言った。
「私が虫嫌いになったのは、貴方のせいでした、グアン」
「……あア?」
「村が襲われた時、虫の魔物の群から私を守って傷だらけになる貴方を見て、私は虫が怖くて嫌いになったんです。私の友達を傷つける虫のことが」
村……か、随分懐かしい話をしやがる。
そんな昔の記憶はもう朧気だが、頭だけはいいコイツが言うなら、そういう事があったんだろう。
どっちかつうと当時の俺は……今もそうだが……動かなきゃいけねえ時にグズグズしてる奴を見ると、居ても立っても居られねえだけなんだがよ。
「別にお前を守ったわけじゃねえ。死にたくねえから戦っただけだ」
「私は、勇敢な貴方が探索者の道を選んだから、貴方に憧れて同じ探索者の道を選んだんです」
ハッ、それは知らなかったな。
学も縁故も無え俺は生きるために探索者を選んだが、お前なら身寄りが無かろうと、その才覚を発揮すればどこぞの店で重用される道も選べただろうに。
そう言うと絶対調子に乗るから言わねえが。
「けれど、同じ道を選んだはずなのに、生きるのに必死過ぎて、貴方とはますます距離が開いたように感じました。……もう、あの時のような関係には戻れないのでしょうか?」
「…………」
村にいた頃は明日に不安を覚えるようなことはなかった。
今は、今日を生きることすらも覚束ない危険な毎日になった。
お互いに甘さと温さを失って……これが大人になるって言うんなら、きっと失っていくことは正しいんだろう。
いつの間にか、村にいた稚いキャリカ・ポップヴァーンと、グアド・レアルムの探索者キャリカ・ポップヴァーンは、俺の中では別々の存在になっていた。
だが……そうじゃなかった。
才能の力で高く飛んでいって、気づけば遠く離れた所に行ったと思っていた友達は、良くも悪くも昔のままだった。
いつも俺が探し出して、連れて帰ってやらねえといけなかった頃のように――俺の方から探しに行ける場所にいたのか。
「ハッ――キャル、そんなとこにいたのかよ」
ピクリ、と俺に覆い被さった体が跳ねる、隠しきれないように。
「グアン……」
俺たちの視線は重なり合う。
「……あの二人ってやっぱり仲良いんじゃないか……?」
「……仲が良いどころじゃないですよっ。あ、あわわわ、探索団の壁を越えた熱愛……! ウチの団長になんて説明すれば……っ!」
「……あら、深刻に考えることもないんじゃないかしら。愛し合うのはとても良い事よ……」
「……オイ、そこのカスども。こっちに来い」
瓦礫に隠れてコソコソと聞き耳を立てる野次馬を呼びつける。
「カス⁉ 言うに事欠いてカスって言いやがったぞアイツ!」
「さっさと来い、カス筆頭」
ぶつくさ言いながらやって来たヨアの手を借りて俺たちは起き上がる。
……おいキャリカ、何恥ずかしそうに顔を逸らしながら距離取ってんだテメエ。見ろ、メルとネメの興味津々な顔を。こういう時は堂々としてればいいんだよ。自分から餌を与えるな。
「ありがとう、グランドリオ。正直お前には思うところたくさんあるしムカつくけど、お前が協力してくれなかったら洞肥鰐は倒せなかった」
ヨアがやりきったような表情で言う。
「……フン、礼だけ言っときゃいいんだよ。思うところあるけど、とか正直に言うからバカなんだよテメエは」
「はあ⁉」
「でもまあ――この未来を選び取れたのは、ヨア、テメエのお陰かもな」
洞肥鰐を倒し、全員生きて帰還する。不測の事態に遭遇した割には、次点ぐらいの結果を出せたとは思う。
洞肥鰐の幼体が生き残っちゃいねえか調査する必要はあるが、それは俺たちみたいな新人の寄せ集めじゃなく、これからギルドが手練れを編成して送り込むだろうよ。些細な話だ。
それもこれも――
「テメエが最初に依頼を請けようっつって引っ張ってきてくれなきゃ、俺たちはここまで来なかっただろうよ。その功績はテメエにあると俺は思うぜ」
「グランドリオ……」
「だから、地下水路を天井までぶち抜いて壊した責任、ちゃんと取ってくれよな」
「……………………は?」
ヨアの野郎は一瞬腑抜けた表情をしてから、ようやく状況を正確に認識して小刻みに震えだした。
――そうだ、俺たちは洞肥鰐を倒したことに間違いはねえが、地下水路とその上の構造物まで吹っ飛ばしたことも間違いねえ。
生還するために必要な行為だったとギルドが情状酌量してくれたとしても確実に問題になる。所属する探索団にも迷惑をかけることになる。
となりゃあ、後は責任の分配の話になるが。
この五人の誰かだけ無罪ってわけにはいかねえものの、責任の多寡は論じる必要があるだろう。
そう……この中から生贄を差し出さなきゃならねえんだ。
「頼りにしてるぜ、隊長よォ」
「え、あ、え、でもこれやったのって……」
ヨアがキャリカを見る。
「……わ、私も、魔法を使用した責任があるからして……で、でも、やはり、その状況までもっていった発起人はグアンがおっしゃるとおり、ヨアさんだと、お、思うところが少なからずあるからして……」
滅茶苦茶キョドりながら上擦った声で見解を述べるキャリカ。きっと、罪悪感と逃避願望の板挟みで忙しいんだろう。
「え、ええっとー、僕も直接的には戦闘に関与してるかはそのー……でもキャリカさんが魔法を使う手助けしちゃってるから……どっどどどどうしよう!」
「私は隊長たちが立案した作戦の全容を知らされていなかったので」
メルはあわあわと落ち着きなく、ネメは大仰に肩を竦めて卒なく答えた。
味方がいないことを悟ったヨアは、俺たちと貫通した頭上の穴を交互に何度も見比べて、
「ええええええええええーーーーーー⁉⁉⁉」
青空まで吹き抜けるような悲鳴を上げた。
「……クハッ、冗談に決まってんだろ。いくらギルドでも責任を一人におっ被せて――」
そうネタばらしを俺がしようとした時、穴の縁の一部が音を立てて崩れる気配がする。さっきのヨアの声の反響が最後の一押しになったんだろう。
メル以外は落ち着いて瓦礫を回避するが――その後が問題だった。
「これ、って……」
瓦礫で舞い上がった粉塵が落ち着くと、そこに横たわるものが露わになる。
死体。
人間の死体。
全身を――頭部から爪先まで、余すことなく――小さな穴を穿たれ、赤い斑点の集合体と化した正視に耐えない肉塊。
キャリカの魔法の範囲にギリギリ引っ掛からず、だが破壊の余波で脆くなって崩れた場所に打ち捨てられていた……ということなんだろう。
明らかに誰かの手で殺されている事実を目の当たりにし、俺を含め誰もが声を出せず。早々にメルは卒倒していた。
「お――」
とりあえず何か動き出さなきゃいけねえと、口火を切ろうとした時、
「君たち大丈夫か⁉ ここで何があった!」
騒ぎを聞きつけた戦闘準備万全の探索者たちが到着した。
都市の中で魔法、それもあんな目立つものを行使したんだから当然だが――その時の俺の感情は、最悪の場面を見られた、だった。
この破壊の痕もそうだが、死体のことをどう説明したものか。
俺たちが一息吐くには、まだ早いらしい。
◇光展光条絶輝砲【こう-てん-こう-じょう-ぜっき-ほう】
魔法/戦闘魔法
射程内に存在するものを焼却し破壊する光条を放つ魔法。
魔法使いを幾人も人外に堕とした、悪名高い魔法。
〝杖の蝕業〟を持つ者が低い進値で習得しやすく、
進値に見合わぬ絶大な威力を有する。
その代わりのように、行使するだけで進値が上昇し、
また、この魔法で殺害した生命の数と同じだけ上昇する。
恐ろしき代償を求める魔法だが、使用者は後を絶たない。
力無き者にとって抗いがたいのだ。
このどうしようもない輝きは。




