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LEVELING FOR DEATH ―殺し、死に、蘇り、殺せ―  作者: 鹿紅 順
第一章後編 殺し屋たちの狂宴
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第五十一話 鰐さんこちら、音の鳴る方へ

◇村落【そんらく】

社会/共同体


同じ地域に居住し、様々な要素で結びついた人類の集まり。

その最大たる「都市」に対し、最も小さい共同体。


襲い来る魔物と人外に抗するため、黄昏の時代において、

人類の居住地は都市に移行した。

人は群れ集まるほど力を(いや)増すから。


それでもなお、先祖伝来の土地を選ぶ者もいる。

捨てがたき郷愁が心を繋ぎ止め離さない。

たとえ共に滅びゆこうとも、故郷は、帰るべき場所だから。

   ***




◆自由都市グアド・レアルム、地下水路、キャリカ・ポップヴァーン



「――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 私は地下水路の壁に背を預けて頭を抱えながら、古木が軋むような異音を口から吐き出し続けていた。


 やってしまった。


 やってしまった。


 や っ て し ま っ た。


 虫が極めて苦手なことは充分自覚していた。いつかはああいう状況に直面することを覚悟していた。

 なのに、私の矮小な覚悟など、風に舞う砂埃のようにあっけなく吹き飛ばされてしまった。


 ……いや、私だって何もしてこなかったわけじゃない。探索団の仲間に協力してもらい、虫と触れ合う特訓は行ってきた……具体的には私を椅子に縛り付けてもらい、鑷子(せっし)で摘まんだ百足を顔面に近づけるという訓練。苦手の克服を決意した私はこんなことに長い時間を費やしたくはないので、手段の中でも結構な荒療治を選んだ。


 結果――私は涙と涎でグショグショになりながら気絶したらしいことを人伝(ひとづて)に聞いて、私は私が思っている以上に虫が苦手なのだと思い知った。


 普通の虫……昆虫のような形状ならまだなんとか直視はできる。けど、足が六本より多かったり、ウネウネしてたり、動きがカサカサと俊敏だったり、もしもそれが集団で来ようものなら……あ、想像しただけでクラッときた。


 だけど、泣き言を聞き入れてくれるほど現実は甘くも優しくもない。


 そもそも〝外域〟という野外で活動する以上、虫との遭遇は切っても切れない関係であるのに、克服の努力を怠ってきた私が悪い。

 あとでグランドリオにどれだけの罵声を浴びせられようと抗弁できない失態を犯してしまったのだから。


 ――あとで?


 ――そんな機会すら訪れないとしたら?


 そんな未来が自然に連想された。


 つまり、私が死ぬ未来。

 グランドリオたちが死ぬ未来。


 洞肥鰐に殺される未来――


「……っ」


 今頃になって震えが来る。

 私たちが対峙した洞肥鰐は第七等級――本来であれば七等級探索者の徒党に比肩する強さと脅威度の魔物。つまり、私より等級が上の探索者が複数で(・・・)囲んでようやく安全に倒せる魔物なのだ。さらに単独で狩ろうというのならば、最低でも魔物より上の等級の強さを持っていないと話にならない。

 それは即ち、今の私が洞肥鰐と遭遇すれば、死は免れないと言うこと。


 それとも――洞肥鰐を倒すというの? 九等級の私が? あるいは九等級の集まりでしかない徒党が?


「無理だ……」


 現状を再認識した私は抱えた膝の上に額を乗せて、キツく目を(つむ)ることしか現実への抵抗の仕方を知らなかった。


 ……ああ、そう言えば。

 なんで、こんな差し迫った時に限って、まったく無関係な事を思い出すのか。

 子供の頃。

 幼い私は些細な事でもよく泣いて、こうして誰も来ないはずの場所で一人、涙を吐き出して気が落ち着くのを待っていた。

 恐怖も悲しみも全て洗い流して、疲れてうとうとした頃合に、


〝――キャル、ここにいたのかよ〟


 村で唯一同い年の少年、グアン……グランドリオが決まって私を一番に見つける。

 小さい頃はお互いに名前を覚えるのが難しく、キャルとグアン、渾名(あだな)のように呼び合っていた。今ではそんな事は、もうないけれど。


 魔物の襲撃で村が壊滅し、レアルムに移住した私たちは生きるために探索者になった後、別々の探索団で活動を始めた。

 (しのぎ)を削り合う過酷な環境において、幼馴染というだけの姿の見えない相手を気遣う余裕も、馴れ合う甘さも、気づけば捨て去っていたから。


 ――ああ。

 私は粗暴なグアンのことが苦手で、外で遊ぶより家の中で本を読んでいる方が好きだった。

 グアンも多分、本ばかり読んでいる私のことが面白くなくて、家の中でじっとしているより外で遊ぶ方が好きだった。

 だけど、私は本で得た知識を誰かにひけらかしたくて、グアンは一人で遊んでいてもつまらないから、なんだかんだ二人でいつも一緒にいたのだった。

 よく続いたものだと思うけど、今なら分かる。

 お互いに悪口を言い合いながらも、誰かと隣り合う関係が心地よかったのだ。


 グアンの無茶を私が諫め、恐怖で隠れた私をグアンが連れ出す。

 私が怖がるものの前にグアンは立ちはだかって下らないと笑い飛ばし、私はグアンが知らない知識を披露してふんぞり返る。


 その関係性を恋かと言われれば、絶対に違うと反論できるものの、正体はいったいなんなのだろう。


 ……なんで今に限って、本当に関係ないことばかりが思い出されるのか。

 何のため一心不乱に知識を得たのか。

 努力して努力して探索者の基礎を身に着けた結末がコレなのか。

 結局は頭でっかちの鈍重な餌と化しただけじゃない。


 ――――ィ……


 ああ、あの懐かしい音すら脳裏によみがえる。

 小さい時、いつものように一人で泣いていた時。


 ――ィィーー……


 私を見つけかねたグアンが、「泣くのに()きたら、そっちから探しに来い」といつも吹いていた、

 あの指笛の音が。




 ――ピィィィーーーー‼




「グアン……?」


 幻聴……じゃない。確かに聞こえた。

 もう一度耳を澄ます。――また聞こえた!

 ただの指笛じゃない。ずっと昔、二人の間だけで取り決めた、私たちだけが知っている特徴的な律動。


 グアンが、私を呼んでいる。


 辛うじて、本当に辛うじて、私の足は動き出した。

 よろよろと頼りなく、けれど、あの音色の近くに……という思いだけが、私を衝き動かした。

 一歩を踏み出すだけで、目の前にまた虫が現れるかもしれない。

 右足、左足と、片足を前へ押し出すその度に、勇気を絞り出す必要があった。

 私だけだったなら、確実に心が折れてへたり込んでいただろう。


 でも、あの指笛が、あの懐かしい音色が。

 穏やかで幸せだった、今はない故郷の村の記憶だけが私を衝き動かす。


「でも……」


 踏み出して、歩いて、進んで――――――それから?

 進むことが終わりじゃない。辿り着いたその先で、私は何を為せるのだろうか。

 虫ごときに怯え、竦み、逃げ出した私ができることって?


 ――怖い。


 その疑問に答えが出てしまうことが、怖い。


「今の私じゃ……」


 繰り返し繰り返し、私を呼び続ける指笛の音。


 ……ザリザリ、ザリザリ、ザリザリ


 その中に、別の音が混ざり始めたことに私は気づく。

 それが何かが這う音(・・・・・・)なのだと思い至った瞬間、顔を上げた視界に飛び込んできたのは――




   ◆◆◆◆◆




◆自由都市グアド・レアルム、地下水路、ヨア



 メルくんとネメさんが助けを呼ぶため安全に脱出できるようにしながら、キャリカさんと合流しつつ洞肥鰐を倒す。

 全ての条件を満たしたその都合の良い方法とは――


 ――ピィィィーーーー‼


 指笛を吹きながら地下水路を駆けていくことだった。


「ぜぇ、はぁ、はぁ……」

「オイとろとろしてんじゃねえぞ。作戦が成功するかはテメエにかかってるんだ。死に物狂いで吹きまくって注意を引け」


 ピィィィーーーー‼ ピィィィーーーー‼


 くそっ……! 好き勝手言いやがって! 走りながら指笛って、滅茶苦茶大変なんだぞ。しかも決まった回数、間隔を維持しながらだとか!

 ……そう反論したいところだが、グランドリオの言うとおり、この作戦の要は俺――正確には俺の意能だ――というのも事実だから、全力で吹き鳴らしながら地下水路を疾駆する。


 なぜこんな意味の分からない、滑稽とも言うべき行動を取っているのか――これにはちゃんと理由がある。

 まず、こうして盛大に音を立てながら走り回ることで、洞肥鰐の注意を俺たちに引き付ける。地下水路内に鳴り響く甲高い音なら、いくら耳が悪かろうと気づくはず。

 奴が音の発生源を目指して這いよってきたならば、逆に言うと俺たち以外の存在――メルくん、ネメさん、キャリカさんからは気を逸らしているということ。


 さらに、この指笛の独特の律動。

 キャリカさんだけは、この意味を知っているらしい。これを聞けば絶対……まず間違いなく……いや多分……おそらく……指笛を頼りに合流しようとするはず、だという。

 ……そう述べたグランドリオの表情はとても頼りなかったが。


 しかし、狙いどおり合流できた暁には、俺とグランドリオで前衛を務めつつ、キャリカさんの強力な魔法で洞肥鰐を倒すという作戦だ。


 ピィィィーーーー‼


「……なあ⁉ これ本当に上手くいくのか⁉ 今のコレ、スゴく格好悪くないか⁉  だんだん恥ずかしくなってきたんだけど‼」

「うるせえ‼ じゃあ代案を出せ、代案を‼ 思いつかねえなら黙って吹いてろ‼」


 不承不承、俺が指笛役を担っているのは、習得している意能の違いゆえに他ならない。

 指笛で地下水路に音を送る度に、右腕で【咆哮】の意能が熱を帯びているのを感じる。


 俺の持つ意能【咆哮】は最初、叫び声を出す能力だと思っていたが、本質的には〝口から出す音を増幅する能力〟であることが分かった。かなり過去、意能の効果を確かめる実験が行われた記録がギルドにあったのだと。

 ただし咆哮という名のとおり、叫び声以外に対して増幅効果はグッと落ちるが、できないよりは戦い方の幅が大きく変わる。


〝――名前に反して変則的な使い方ができる魔法や意能は意外と多いわ。だから能力を完全に使いこなすには、深い理解と柔軟性、多くの修練が必要よ〟


 その時のウェンブリーの話を覚えていた俺は、試しに【咆哮】を使用しながら指笛を吹いたところ、見事に(やかま)しい大音量を出すことに成功した。


 そうして指笛を吹きながら走るという奇行に至るのだった。


「ていうかさあ! これ本当に聞こえてるのか⁉ これだけ吹いて走り回ってるのに、何にも反応がないってことはさ! もしかしてキャリカさんも洞肥鰐もかなり遠い所に行っちゃったんじゃ――」

「だからごちゃごちゃうるせえんだよ! あえて考えないようにしてたによォ! バカはバカなりにバカらしくバカみたいに吹いてろ‼」


 ――プチン

 頭の中で何かが切れる音が確かに聞こえた。


「模擬戦で俺に負けた分際で偉そうにするなよ! ちょっと魔法と意能が多く使えるだけのくせに! 結局あっさり逆転されてるじゃないか!」

「――言っちゃいけねえ事を言っちまったなア! お前なんざ〝神器〟が本体で人間の方が付属品だろうが、調子乗ンな!」

「俺の武器はヘカトル爺さんが作ったんだからスゴいのは当たり前だ! 舐めるなよッ‼」

「どこに怒ってんだテメエ‼」


 気づけば俺たちは足を止めて、相手の顔面を掴み合いながら罵り合っていた。

 もし近くに誰か通りかかったならば非常に(やかま)しかっただろう。

 近くに寄って何事か確かめるくらいには。


 ――グオオオオオッ!


「…………」「…………」


 通路の影から膨れ上がるように、洞肥鰐の体が姿を現す。

 骨の無い体が通路の奥を埋め尽くし、圧力に耐えかねた壁がピシリと音を立ててひび割れた。


「――釣れたっ!」


 反転、俺たちは脱兎の如く走り出す。洞肥鰐は当然、目前に捉えた餌を追ってきた。


 先にキャリカさんと合流こそできなかったものの、洞肥鰐の注意を引き続けるという次善の目標へ切り替えだ。


「それでっ、ここからどうするんだった⁉」

「奴が俺らを見失わないよう付かず離れずの距離感を保ったまま逃げるだけだ!」


 なるほど、いつ終わるかもしれないまま、休みなく、逃げるしかない無力な獲物役をやり続けるわけか。


 死ぬほどキツいだろうけど――誰も死なせないためなら、やるしかない。


 洞肥鰐に姿をちらつかせながらの逃走劇。

 時に追いつかれそうになりながら、時に曲がり角を巧みに使いながら、逃げ続ける。指笛を途切れさせることなく、キャリカさんと合流できるまで。

 その時間は相当長いように感じたけれど、実際にはさして経過していなかったのかもしれない。

 時間の感覚はあやふやとなり、(よう)として知れないが――いずれ終わりは訪れる。


「――ここは……」


 それまでの通路とは一転して広い空間に、俺とグランドリオは躍り出た。


 部屋は円形。通路と比べて天井が倍以上高くなっている。

 俺たちが通って来たのとは別の通路が複数、この空間に接続していた。道と道を結ぶ中継地点のような場所なのだろうか。

 部屋の中心には池のように水が張り、床面積の大部分を占領している。


「浄化槽だ」グランドリオが俺の疑問に答えた。「地下水路を巡った汚水はここに集積して、部屋の中央の浄化槽を経由して街の外に排水される」

「詳しいんだな。あんなに嫌がってたのに」

「やると決めたからには手は抜かねえ。……ッ!」


 迫り来る気配に、俺たちは左右別々の方向に飛んだ。

 直後、その間を巨躯が駆け抜けていく。押し退けられた浄化槽の水が盛大な飛沫とともに波を立てる。

 地面に体を投げ出すように伏せていた俺は立ち上がろうとして、手を着いた床の感触に違和感を覚える。滑った(・・・)ような触り心地に不快を訴えてくる触覚。


 魔石灯の明かりを頼りに目を凝らせば――足場部分だけじゃない、水面それ自体も粘液のようなものが漂っている。不思議と臭いはしない。

 グランドリオが腰の革帯から短杖を引き抜き、天井に向ける。杖の先端から光線のようなものが放たれ、それは天井に命中すると広がり、不思議なことに部屋の中を薄く照らし出した。俺は魔石灯を部屋の隅に放り投げる。部屋の明かりが確保された、塞がれていた片手がこれで自由に使えるようになる。


 改めて部屋の中を見渡すと、隅には白くてブヨブヨした楕円形の塊が粘液に絡まて床に引っ付いていた。形的には、そう――


「卵……?」


 それが一つ、二つ、三つ……。


「――――」


 辺りを見渡す。四つ、五つ……十……二十……数えきれない。


「これは……全部こいつの……」


 俺の言葉を理解したわけじゃないだろうが、洞肥鰐は正解だと言わんばかりに勢いよく(いなな)く。


 ここは洞肥鰐の()だ。


 地下水路は今や、数えきれないほどの幼体を孕み、レアルムの脅威と化していた。

 立ち上がった俺の肩を、グランドリオが掴む。


奴ら(・・)は、絶対にここで殺さなきゃならねえ――命に懸けても」


 俺は唾を飲み下し、静かに頷いた。


 だが……どうやって?

 洞肥鰐の、その軟らかい独特の体構造は物理的な攻撃を著しく減衰させる。滅するには強力な魔法が必要になるが、俺たち二人は持ち合わせていない。


 必至に活路を探す俺たちを余所に、洞肥鰐の喉のあたりがボコボコと膨れ上がった。

 そして開門した顎から、粘つく球体のようなものが勢いよく発射された。


 一瞬、こちらへの攻撃と身構えたが、その狙いは大きく外れ、球体はまるで見当違いの方向へ飛んでいく。

 球体は着弾すると大きく弾け、内部に詰まっていた粘液を一面にぶちまける。

 ――それはちょうど、部屋の入口の一つを完全に塞いだ。


「ヤバい」「やべえ」


 間を置かず、連続で発射された粘液の球が全ての入口を封じ込めた。

 逃がす気が無いのはお互い様らしい。


 壁が迫ってきたのかと錯覚するほどの巨体の突進を、掠めるようにギリギリで回避する。

 だが、常識を凌駕する可動域から突き出された洞肥鰐の脚が、俺の体を蹴り飛ばした。宙を舞いながら、俺を呼ぶグランドリオの声が聞こえた気がした。

 幸い、卵の密集地帯に落ちたお陰で落下によるケガは無いものの、破裂した卵の中身を全身に浴びてしまう。

 その俺を見て、洞肥鰐は金切り声を上げた。大事な卵を潰されたからだろうが、お前の攻撃のせいでこうなったんだ、理不尽にも程がある。


 気の逸れた洞肥鰐に、グランドリオは手に持った短杖から火球を連続して発射するが、奴は何の痛痒も感じていないようだ。あの弛んだ皮膚に加え、体表に纏わりついた粘液が熱を防いでいるように見える。


「チッ! やっぱこの程度じゃ効かねえか……! オイ、ヨア! テメエの〝神器〟でなんとかならねえのか!」

「…………」


 俺は背後へと手を伸ばし、冷たくなった柄を掴む。

 確かに能力がまだ未知数の〝神器〟なら、物理的な攻撃がほとんど効かないという洞肥鰐に有効な能力があるかもしれないが、でも――


「……ちょっとは考えさせてくれよ」


 迫りくる奴に対して思考を中断し、俺は大剣を抜き放って正眼に構える。


 ぶっつけ本番、一か八かだ。


 グランドリオと模擬戦の時のように、想像もしなかった力が現れるかもしれない。


 突進してくる洞肥鰐に合わせて、奴の鼻っ面に叩き込むように俺は〝神器〟を振り下ろし











「――――――――が、ぁ」


 酷い耳鳴り、と、全身の痛み。


 一瞬、気をやっていた。

 俺の渾身と期待を込めた一撃は、洞肥鰐に何の手傷も与えず、あの巨体の重量が乗った突進に跳ね飛ばされ、襤褸(ぼろ)布のように宙を飛んだ記憶がある。

 背中が痛むのは天井か壁に衝突したせいだろう。それ以外にも激痛が走っているが……正しく痛みを感じることができる程度には体が壊れていない。

まだ、いける。


 ――だというのに、まだ動けるはずなのに、どれだけ力を込めても起き上がることができない。

少し、ほんの一瞬でいい、呼吸を落ち着ける猶予があれば、この腕と足は再起する。その確信がある。


 けれど、その一瞬が致命的だった。


 大口を開け、周りの水ごと吸い込みながら迫る洞肥鰐が見える。

グランドリオが何度も魔法を放っていたが、それを意に介した様子もなく、あるいは確実に喰える餌を優先したのか。

 どちらにせよ俺が体勢を整えるより、あの顎に丸呑みにされ噛み砕かれるが早い。

 嗚呼、これは間違いなく、死――






「ギリギリ間に合ったってところかしら」

◇天使の瀉血【てんし-の-しゃけつ】

魔法/回復魔法


体内に存在する有害物を除去する回復魔法。


瀉血とは、症状を改善させると信じられ、

古に盛んに行われた治療法の一つである。

ほとんどの場合において効果はないと、今でこそ知れ渡っている。


だが、この回復魔法は流血を求める。


それは、流血により本当に有害物が排出されるからではなく、

〝自ら切開し血を流すという行為〟こそが、

この回復魔法の発動条件だからである。

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