第四十九話 模擬戦
◇模擬戦【もぎ-せん】
組織/探索者組合/制度
ギルド施設内で行われる、実践を想定した戦闘訓練。
模擬戦が可能なのは、進値20未満の者までと制限されている。
探索者である以上、戦いと無縁ではいられず、
そのための訓練が必要なのは言うまでもない。
ギルドが提供する模擬戦のための施設は、
幾重の手段によって訓練者の生命の安全が図られている。
また、大きな探索団も模擬戦のための環境を自前で構築している。
しかし、事故の発生、私闘・私刑の温床等になるとして、
建前上、ギルド以外の私有は推奨されていない。
先手必勝――俺は合図とともに全力で駆けだした。姿勢は低く、地を這う獣のように。
勝利条件は相手を範囲外に押し出すこと。必ずしも相手を倒す必要はない。
だから、まずは足を狙う。体勢を崩したところを外に投げ飛ばして、決める!
迫る俺に、グランドリオはその場で片足を蹴り上げた。
突如、途轍もない量の砂埃が生じる。
「うップ……⁉」
俺は反射的に目を閉じてしまった。直後に皮膚をザラザラとした感触が襲ってくる。
目潰し……だが、地面を蹴っただけで煙幕みたいな量の砂が舞い上がるのか?
だとしたらこれは魔法か意能の――
「――ぐあッ⁉」
腹部に叩き込まれた衝撃。
堪らず薄く開いた視界には、俺に拳打を叩き込んだグランドリオの姿が。
奴をピッタリ取り巻くように微弱な風が流れて、空気中の粉塵から守っている。
「ごっ……あアア‼」
一発二発と顔面を殴られながら、俺も右の拳を振るうが何も捉えることができず空を切る。
「素人が」
「ッ――‼」
下から掬い上げる一撃が俺の顎を打ち抜いた。揺れる世界。消失する足の感覚。
――負ける。
俺はその瞬間……模擬戦だとか、加減だとか、ここがどこだとか、一切合切を忘れて拳を地面に叩きつけた。
今度は激しく土塊が舞い上がり、風圧が砂を遠ざけ、弾かれた小石が周囲を穿つ。
気配が遠ざかったのを感じてから目を開いた。こっちが土に塗れているのに対し、アイツは汚れ一つなく実に涼しげな顔で離れた位置から俺を見下している。
「…………」
「…………?」
互いに睨み合いながら静止する時間が流れる。俺は次に何が飛び出てくるのかと身構えているのに対し、グランドリオは……一切身動きしない?
いや、それどころか――グランドリオの姿が次第に薄らいでいく……!
「――‼」
「吹っ飛べ、ザコ」
声が飛んできた方角で、絡繰りを悟った。
――俺の真後ろ、景色が破れるように姿を現した虚像ではないグランドリオが、既に準備を整えていた巨大な水弾を発射した。
当然避ける間もなく水弾が直撃――
「ガアアアアアアアアアア‼」
全身が飲み込まれる前、肺に貯めておいた空気を【咆哮】で吐き出し、強引に水弾を吹き散らした。土と水が泥となり、全身をさらに汚していく。
「――ヅ⁉ ゥウウウウッッッ⁉⁉⁉」
状況を理解する間もなく、今度は刺し貫くような激痛と麻痺が全身を通り抜けた。
瞼の裏で火花が飛び散る。意志に反して体の所々で痙攣が収まらない。
俺は耐えきれず地面に四つん這いになった。ゼエゼエと荒い呼吸を繰り返すことしか出来ない。
「……意外と頑丈じゃねえか。【粉塵】から【電撃】まで、この初手をキレイにくらって意識がある奴は初めてだ」
グランドリオの声がする。少し遅れてからようやく、何を言っているのか脳が言葉を噛み砕き始める。それぐらい、何もかも今は余裕がない……!
「……つっても、もうフラフラか。後はコイツを外に蹴り出せばいいわけだ」
靴裏が砂利を踏み締める音が近づいてくる、マズい。
肉体は既に治癒を始めている。【自然回復強化】意能のお陰だ。
だが……この体の痺れがどうしても抜けない。体が治りきっていない兆候なのか、それともグランドリオが行使した意能にそういった効果があったのかは分からないが、奴に触れられる前に何とかしなければ負ける。
動け、動け、動け、動け、動け、動け。
動け!
「――ッ‼」
側頭部目がけて振り抜かれた蹴り――をギリギリのところで倒れ込むように回避した。崩れた体勢のまま無様に地面を転がり距離を取る。
……危機一髪だった。服の下に隠れた右腕が熱を持っている。おそらくギリギリのところで痺れに対して耐性を獲得する意能が発現したんだろう。
「ああ……? テメエ、なんで動ける?」
警戒を強めるグランドリオに俺は叫んだ。
「――お前! 能力多すぎだろ!」
奴は、ポカン……、と何を言われたか分からないような顔をしていたが、知ったことか。
「なんなんだよ、目潰しとか幻とか、水を出す魔法に雷の魔法まで! 俺、魔法なんて一個も使えないのに……ズルいぞ!」
それどころか〝剣の蝕業〟持ちが覚えやすいっていう、武器を使った強力な攻撃意能だって持ってないのに。俺が習得するのは何とか耐性とか補助的な意能ばかりだ。
場外からナナセさんの楽し気な声が飛んでくる。
「グランドリオさんの蝕業は鍵ですからね~。〝鍵の蝕業〟は魔法と意能、両方手広く習得できるのが特徴なんですよ」
なるほど〝鍵の蝕業〟にはそんな強みが――と思いつつ、他人の蝕業を勝手にバラすのはどうなんですか……? と脳裏にメリジュナ教官の厳しい教えが過る。
当のグランドリオを窺うと、自分の蝕業を言いふらされたことに特に反応していない。もしかしたら既に広く知られているのかもしれない。
〝鍵の蝕業〟――
魔法、意能を幅広く習得できる蝕業。
「…………羨ましい」
真剣勝負の最中ではあるけれど、他意のない純粋な羨望の呟きが口をついた。
だが、それが聞こえた――聞こえてしまったグランドリオの変化は劇的だった。
「――――」
余裕綽々の、悪く言えば相手を舐めた雰囲気が消失し、
「ブッ殺す」
両手の指一本一本に火を生じ纏わりつかせたアイツが突進してくる……!
急になぜ、と思う間もなく熱を帯びた攻撃が襲い来る。
目の前で踊り狂う火に堪らず後退してしまう。それがグランドリオの狙いどおりなのだとしても、火に対する恐怖が、燃え盛る鉤爪のような手を回避するよう訴える。
そうして場外の線まであと一歩まで追い詰められる。
グランドリオは両指の火を消し、右手を突き出すように構えた。
――俺は本能が命ずるままに【咆哮】した。
直後、グランドリオの掌から生じた暴風と、【咆哮】の衝撃波が相打つ。
結果は、どちらも決め手とはならず、相殺。際まで追い詰めて風で押し出す狙いを打ち破ることに俺は成功し――
「――」
俺が無意識にわずかばかりの安堵に浸っている間にも、グランドリオは既に動き出していた。まるで暴風が防がれるのを見越していたとしか思えない、切れ目のない動き。
……いや、そうじゃない。
グランドリオは初めから、どちらに結果が転んでもいいように戦術を組み終えていただけなのだろう。
模擬戦の開始直後、自分がまんまと術中にはめられた一連の流れるような攻撃のように、相手の反応を予想し逃げ道をことごとく潰し攻め立てる、必中必勝の戦法を考え、実践に使用できる領域まで練磨する。
アイツの自信に満ちた見下す態度は、自身が磨き上げてきた戦いの技術に確と裏打ちされたものだったのだと理解する。今までの俺のような場当たり的に行動する手合いなんて、戯れのように翻弄できるのだろう。
ああ、そうか。
――この模擬戦は、戦うとっくの前から、勝ち負けが決まっていたのか。
グランドリオの延びた手が俺に触れるその瞬間まで、そんなことを考えていた――
……グルルッ
「え」
己の敗北を確信した時、背中から何か大きな気配が生じるのを感じた。
グイッと体が大きく捻じれるように引っ張られ、背中をグランドリオに曝すような恰好となった。
首を回して――視界の端にようやく捉えたソレを見た。
毛むくじゃらで鋭い鉤爪を持つ巨碗。
獣の腕……のような異物が、俺の剣から生えていた。
グランドリオが声もなく驚愕する気配が伝わってくる。
だが、駆け抜けて攻撃を繰り出す動作を止めることはできず、そのまま突っ込むことを選択したようだ。
雷撃を纏った拳の一撃――を、獣の腕がその攻撃ごとグランドリオを弾き飛ばす。
広げられた手は人間を優に掴めるほど巨大で、繰り出された薙ぎ払いは容易くグランドリオを打ち払ったのだった。
「がっ……テ、メエ!」
衝撃で地面を滑りながらも、素早く立ち上がったグランドリオは、駆け寄ろうと一歩を踏み出したところで愕然と足を止めた。
――なぜならアイツの体は、この勝負の敗北条件である、四角の中から外へ出ていたのだから。
その事実に誰もが口を開けたまま言葉を発することができなかった。
「――はいヨアさんの勝ち~!」
恐ろしいくらい無音の空間に、ナナセさんの場違いなほど朗らかな声が響き渡る。
「それじゃあ依頼は請けていただくということで……」
「ちょっと待てオイッ‼」怒号を上げるのは勿論グランドリオだ。「こんな決まり方なんざ認めねえぞ!」
「えーなんでですかぁ?」
「アイツは武器を使いやがったんだぞ!」
「私が言ったのは、先に四角の中から外に出た方が負けというだけであって、どうやって相手を外に出すかなんて指定していませんよ? まあ確かに? ヨアさんの剣には吃驚ですけど、模擬戦の条件を逸脱するほどのものでもないと思いますし~……何よりも」
そこでナナセさんは言葉を切って、
「実際の戦闘で同じような目に遭って、死んでから文句でも言うつもり、で・す・か?」
「――――――――――」
――ブチンッ!
何かが切れる幻聴を聞いたのは俺だけではないはずだ。
ああ、忍耐の限界を超えると、こんな音が鳴るのかなあ……なんて現実逃避じみた妄想が頭を過る。
せせら笑うようなナナセさんの挑発にこれ以上なく乗ったグランドリオ。もはや言葉もなく、怒りが命じるままにナナセさんに掌を向けて、そして――
――だがその前に、蛇のごとくのたうつ軌道をした雷の束が、ナナセさんとグランドリオの間を遮るように駆け抜けた。
まるで一線を引くように。
「止めなさい、みっともない。何はどうあれ、負けは負けでしょう」
パリパリと空中に音を響かせる雷の残滓を追った先に、魔法を放って牽制したキャリカさんがいた。
「ギルド職員に、理由にもならない理由で危害を加えるのは貴方の探索団の看板へ泥を塗る行為では? まったく……頭は悪くないはずなのに、怒りの導火線の短さは昔から変わらない……」
「だっ、ダメだよグランドリオ君! 暴力は、いけない……!」
メルくんもグランドリオに後ろからしがみ付いて「う、う、う」と怯えながら離れることはない。
ネメさんは壁にもたれかかりながら、事の成り行きをじっと見定めている。
「……………………」
果たして、
グランドリオは俺を殺しそうな目で一度射抜いた後、メルくんの拘束を解いて地上への階段を肩を怒らせながら昇っていった。
「あの、いぅ、ごっ、ごめんなさい! グランドリオ君は絶対に当日までに連れてきますんで……しっ、失礼します!」
メルくんもペコリと頭を下げてから階段の方へ走っていった。
……俺はもう何だか色々と疲れてしまって、足を放り出してその場に腰を下ろすしかなかった。
「いやいやいや~ありがとうございますヨアさん。皆さんがこの依頼を請けてくれなかったら私はどうしようかと」
「……さっきの、挑発なんてやめてくれませんか。ナナセさんが危ないですよ」
ジト目と共にそう抗議する。
「心配して下さってありがとうございます。でもギルド職員たるもの、軟な研修は受けていませんので、あれくらい何てことないのです。むしろ、この経験を発条にして高みを目指すくらいですよ!」
うんうんと頷くナナセさん。グランドリオに動じていなかったあたり、その言葉に偽りはないのだろう。
性別や年齢が異なろうと、大抵は進値が高い方が強い。
一見普通に見えるナナセさんでも、実際に戦うまでその実力は分からない。
それほどに進値の恩恵は無差別で、圧倒的なものだ。
「面白い武器ね」
今まで一言も発さずに傍観していたネメさんが興味深げに俺の背中の剣に視線を注いでいた。
「それが〝神器〟というものかしら? 噂に聞くとおり、意志を持つかのごとく振る舞う武具というのは本当らしいわね」
「は、はは……はい」
本当らしいわね、と確認するように視線を送られても答えようがない。
俺自身が〝神器〟の性質も、この大剣のことも全然理解していないのだから。
だが幸いにも追撃の質問はなく、ネメさんは話の矛先をキャリカさんに向けたようだ。
俺は気配を殺すように退散して、戦闘の跡を魔法で補修するナナセさんの傍に寄った。
ナナセさんが手をかざすと抉れた地面が盛り上り勝手に均されていく。おそらく魔法の力なのだろう。杖を持っている様子はないので、カレンの言葉を借りるなら、補助具無しに魔法を行使できるのは優秀な証だという。
薄々感じていたことだけれど、ギルドの職員は全員、熟練の探索者と遜色ない強さを持っているのかもしれない。現役バリバリの探索者と関わり合うのだから、それに釣り合う力がないと万が一の時に対応できないのだろう。
うん、グランドリオと違って俺はお行儀よくしておこう……。
俺はナナセさんに声をかける。
「後片付けしてもらってすみません」
「いえいえ、模擬戦を提案したのは私ですからね~。それに気にすることはないですよ、ここの使用料には修繕代もちゃんと含まれてますから。今回の指名依頼の報酬から引いておきますんで!」
――いやお金取るのかよ!
声にこそ出さなかったが俺の表情で筒抜けだったらしく、「アハハ、冗談ですよ! 今回はこちらからの提案なので無料です」とナナセさんは笑っていた。
「いやー、それにしても」
そしてナナセさんは朗らかな笑顔を浮かべて言う。
「ヨアさんとグランドリオさんは良好な関係を築けそうですねえ」
「は?」
どこが? と口に出す余裕もないほどの困惑に襲われる。
この人、模擬戦の時にちゃんといたよな……?
一体さっきまでの何を見てそう言えるのだろうか。
「あ、説明が足りませんでしたね。所謂、好敵手。良き競争相手ってやつですよ」
「好敵手……」
「はい! 最初の出会いこそ最悪なんですけど、その後何度も衝突を繰り返して友情を深めていくんですよ~! 胸が熱くなりますよね」
「……えー……と……新人の探索者はそういう傾向がある、んですか?」
「昨日読んだ画本ではそんな展開になってました!」
「…………」
グッと拳を握り込み力説するナナセさんに、俺は脱力を禁じえなかったのだった。
◇のたうつ雷撃【のたうつ-らいげき】
魔法/戦闘魔法
蛇がのたうつかの如き雷撃を放つ魔法。
通常の【雷撃】と異なり、非直線の動きを取ることが可能。
ゆえにこの魔法は、複雑な位置関係にある複数の標的を
同時に攻撃することが可能である。
また、僅かな時間ながら滞留し、雷撃の軌跡を残す。
慢心し踏み込んだ者に、二度目の牙を剥くのだ。




