第四十八話 洞肥鰐
◇閃光【せんこう】
魔法/阻害魔法
名のとおり、瞬間的な光を発生させる魔法。
明かりにしては眩く、また儚い。
阻害魔法とは、対象に負の影響を与えるものとして
人間が分類した魔法の一分野であり、
この魔法はその最も軽微なものの一つである。
強い光は、一時の目眩ましにしかならない。
強者には、それで充分であった。
謎の咆哮は、虫が這い出てきた方から響いてきた。
そちらへと振り向いた瞬間――長く巨大な舌が大量の虫を舐めとる光景が視界に飛び込んできた。
舌はそのまま暗闇へと消えていき、バリバリと咀嚼する音が響き渡る。
「う……」
そうして、魔石灯の明かりが届く範囲まで近づいてきた存在に、俺は呻き声を漏らした。それほどまでに奴の姿は醜悪に尽きていた。
誰かが呟く。
「洞肥鰐……!」
弛んだ白い皮膚、真っ黒で大きい双眸、黄ばんだ爪。
全身から分泌されているであろう粘液が触れた場所に糸を引き、魔石灯の明かりを反射した皮膚がヌラヌラした質感を余すことなく伝えてくる。
地下水路の横幅を埋め尽くす壁の如く、巨大な怪物が目の前に立ちはだかった。
「ああ! そうか、だから臭いが……。入った時点で気付くべきだった……!」
メルくんが何か心当たりがあるのか、顔を青褪めさせる。
それが切っ掛けでもないだろうが、洞肥鰐は新たな獲物に舌なめずりした。
地下水路を縦横に埋め尽くす巨体が迫り来る。
開口した大口の中には人間と同様、嚙み切るための前歯と磨り潰すための奥歯が並んでいる。
獲物を絡め取るためであろう、全体に細かな突起や襞のある舌が発射された。
その狙いは――
「メル……! チィ!」
間に合わないと踏んだのか、グランドリオがメルくんを蹴飛ばす。その先にはネメさんがいて、上手く彼を受け止めた。
だが、代わりにグランドリオの足が捕らえられてしまう。
舌が引き戻される。
あの歯列に命を嚙み潰される未来が頭をよぎった。
「――目ェ閉じてろ!」
なぜという疑問を無視して、咄嗟に目をつぶった。
――瞼越しでも感じた一瞬の光。
続く重低音にゆっくり目を開けると、洞肥鰐がのたうち回り叫び声を上げながら、グランドリオを掴んでいたはずの舌でしきりに目の辺りを舐めている。
目をつぶりそこなったのか、メルくんも「んあああああ‼」と転げ回っていた。あの光は目潰しだったのか。
「二人とも、早く逃げるわよ!」
メルくんの服の襟を引っ掴んで引き摺りながら、ネメさんは奥へと駆けだしている。
「逃げるだァ? ざけんじゃねえ! こんなのをレアルムの地下に放って――」
グランドリオが反駁しようとするが、洞肥鰐がそれを許さない。
まだ視力は回復していないにも関わらず、巨体を左右の壁にぶつけながら突進してくる。早い! このままじゃネメさんに追いつく前に洞肥鰐に喰らいつかれる。
「グランドリオ、こっちだ!」
「くっ……! チィ!」
俺たちは手近な横道へ飛び込んだ。
洞肥鰐は、ネメさんたちより手近にいる俺たちへと標的を変えたようだ。
狭い横道にも関わらず、あの大きな体からは想像できない柔軟性で器用に体を折り畳みながら侵入してくる様は、まるで全身から骨を抜きとったかのようで、潰れたかの如く変形しながら平然と動く姿は……ああ、まったくこんな気持ちの悪い生物がこの世に存在するなんて!
「二人とも!」洞肥鰐の巨体の向こう側からネメさんの声が響く。「キャリカちゃんは私とメルくんで捜索するわ! だからまず逃げることを考えて! どこかの出口に辿り着いたらギルドにこの事を――」
遠ざかる声を最後まで聞くことは叶わなかった。
俺とグランドリオは一心不乱に複雑な地下水路を地図も無しに駆け回った。
「はあ……」
頼もしかったはずの魔石灯の明かりをか細く感じ、俺は知らず溜息を吐いていた。
洞肥鰐から逃げ回ること、どれくらい経過しただろうか。
あいつ……どれだけ狭い場所や曲がり角の多い道にでも構わず追いかけてくる。全身が液体かのように一定の隙間があれば入ることができるようだ。
では、どうすればいいか。
……結論、選択肢は一つしかなかった。
俺たちは洞肥鰐が諦めるまで逃げ続けるしかなかったのだった。
「…………」
俺と同じく壁に背を預け座り込むグランドリオは一切喋らず、ただ圧倒的不機嫌の雰囲気を醸し出している。
俺の視線を感じ取ったのか、目が合った。
「…………」
無言のまま、ジッと見つめられる。
「な、何だよ」
「……癪に障るから言いたかねえが、テメエの〝神器〟の得体の知れねえ力なら洞肥鰐を何とかできたんじゃねえのか? あの時みてえに」
「あの時……」おそらく模擬戦の事を言っているのだろう。「……出来るかどうかは、分からない。俺が操れてるわけじゃないから」
「……使えねえ」
「⁉」
コイツ……!
「お前だって俺と一緒に逃げてただろ! どうにかできる手が無かったのは同じじゃないか!」
「……チッ。イラつくぜ――」
「この……ッ!」
「――しょうもねえ蝕業を持って生まれちまったことによォ」
ポツリ、と、力なく呟かれた悪態が、俺に対する言葉ではないことに気づき、思わず眉を顰める。
「しょうもない蝕業……?」
「テメエの蝕業は多分、剣だろ。羨ましいぜ。なんで俺じゃなくてテメエに……って思っちまうくらいにはな」
「……別に蝕業に良いも悪いもないだろ。それぞれ得意になる事が違うだけで――」
「本気で言ってんのかテメエ? 〝眼の蝕業〟持ち相手に同じ事言えンのか」
〝眼の蝕業〟……?
その蝕業だと何か不都合でもあるのだろうか。
本気で首を捻っている俺を見て、「……実技だけで認められた噂は本当ってわけか」とグランドリオは言った。
うん、バカにされていることは分かる。
「生まれ持った蝕業は変えられねえ。母親の腹ン中から出て来る前から、自分の蝕業は決まってるからな。極稀に、二重に蝕業を持って生まれる場合もあるが、蝕業が変わったって話は聞いたことはねえ。つまり、生まれる前から自分の運命も決まってやがる」
「どんな蝕業だって、それを活かして頑張ればいいだろ」
「ダメだ。その程度じゃ、上には行けねえんだよ。〝鍵の蝕業〟じゃあな……」
多分、グランドリオが言いたいのは、強力な破壊力のある魔法や意能がなければ……って事を言いたいんだろうけど、別に戦うためだけのものが魔法と意能じゃないだろう。
バラッド爺さんやヘカトルさんの物作りの意能、イライザ大隊長の傷を回復する魔法のように、なくてはならないものはたくさんあるんだ。フェルム大隊長の魔効液みたいに魔法や意能によらない知識だってある。
そう言う俺に、グランドリオは若干怖いものを見る眼差しを向けてくる。
「……お前、蝕業のこと、ちゃんと理解って言ってんのか?」
蝕業のこと? そりゃあ――
「色々種類があって、それぞれ得意な事が違う……じゃ、ないのか?」
グランドリオが両目を大きく見開いた。
かと思えば、がっくりと項垂れ、「俺はなんでこんな奴に模擬戦で……」と呟いた。
「とにかく、蝕業がどうこうだなんて言ってないでさ、進値を上げて強くなれば色んな魔法や意能だって覚えられるだろ。そのうち回復魔法とか召喚魔法だって――」
「覚えらんねえよ」
「え?」
「回復魔法は〝像の蝕業〟だけ、召喚魔法も〝門の蝕業〟持ちだけが習得できる。それぞれの蝕業だけが特化した力は、他の蝕業じゃ覚えられねえ。常識だろうが」
――グランドリオから告げられた衝撃の事実に、俺は硬直せざるをえなかった。
思い当たる節がある……探索団の拠点の食堂でご飯を食べながら、進値が上がる時にどういう魔法や意能を覚えたいのかが話題になったことがある。
俺は臆面もなく「カレンみたいに格好良くて強力な魔法を覚えたい」とか「ギニョルみたいに弓も使えたら便利だよなあ」とか「ウェンブリーの召喚魔法があれば魔物との戦いも楽になりそう」とか……今にしても思えば子供の無邪気な夢想のように己の願望を語りまくっていた。
皆はそれを痛い子を見るような生温かい視線で見守ってくれていた。
――あれは、そういう訳だったのか……。
「……マジで知らなかったのか。お前は何なんだよ一体」
立ち上がったグランドリオが、俺の襟首を掴んで引き寄せてくる。
「知識の無え、ド素人同然のくせに、ほぼ最速で等級を上げやがった。しかも〝神器〟持ちだと? ふざけてんのか、それとも実力を隠してんのか。もしそうなら、探索者を舐めた真似は俺が許さねえ。洞肥鰐の前に、今ここで模擬戦の続きをしてやるよ」
グランドリオの台詞に想起され、俺は二日前の記憶を思い返す――。
◆◆◆◆◆
◆二日前――自由都市グアド・レアルム、探索者組合・地下訓練場、ヨア
一言で説明するなら、明かりがあるだけの頑丈そうな空間だった。
天井から吊られた魔石灯が、金属の板を壁面に貼り付けただけの無機質な内部を照らしていた。
「ここはギルドの地下に設けられた訓練場です。……とは言っても明かりがあるだけの頑丈な空間ってだけですので、こういう模擬戦に使っています。だから、ほどほどに暴れちゃっていいですよ~ッ!」
ギルド職員のナナセさんも地下訓練場をそう言い表し、戦いたまえと言わんばかりにシュシュシュと両拳を交互に突き出す。
「勿論、ヤバい魔法とか意能とかその他諸々は自重してくださいね。脆い造りではないですけど、万が一にもここが崩れたら上の建物まで崩落しちゃうんで」
試しに近くの壁を軽く叩いてみる……金属板は初めて見る材質だけれど、直感的に相当の硬さがあるように感じる。それにこの板の奥もきっと、さらに何重の防護が張り巡らされているのだろう。その証拠に、さっきのナナセさんの口振りはまるで、「壊せるものならやってみろ」と、口調の端々に自信を感じた。
「で、模擬戦ってのはどういうやり方で決着つけンだ?」
「んー……そうですね。こうしましょう」
グランドリオに問われ、しばし考えを巡らせたナナセさんは、唐突に右腕をさっと振るった。直後、一瞬にして旋風が吹き荒れる。
旋風は地面の床を削って線を引き、あっという間に四角形の舞台が整えられた。
「どちらかが倒れるまで……は戦いが大きくなりそうなので、先にこの四角の中から外に出ちゃった方が負け! ということでお願いします」
どうぞどうぞ、と手振りで四角の中に入るよう促すナナセさん。
俺がおずおずと確かめるように入った後、フンと鼻を鳴らしたグランドリオは気負った様子も無く堂々と足を踏み入れ――俺たちは対峙する。
「それじゃあ私が合図したら始めてくださいね~! 念のために確認しますけど、ヨアさんが勝ったらギルドの指名依頼を請けてもらう、グランドリオさんが勝ったら請けない。これでいいですね?」
「はい」「ああ」
俺と奴の視線が交錯する。肌を刺すような緊張感。
グランドリオは無手……パッと見では武器を携帯している様子はない。
俺は背中に獣噛みの大剣を携えているが、未だこの〝神器〟の性能がはっきりしていない以上、軽々に抜くつもりはなかった。
ゴクリ、と唾を飲みくだす音が耳の奥に響く。
「それじゃあ――――はじめっ!」
◇洞肥鰐【ぼすぺら】
魔物/魔鰐目/無鱗科
魔鰐目に属する魔物。〝外域〟浅層から中層に生息する。
洞穴の中でも特に深いものを縄張りに選ぶ。
推奨討伐等級は七等級以上(※閉所交戦条件、六等級)。
住処に堆積した腐敗物や苔を舐めとる習性があり、
また、全身の皮膚から分泌される粘性の体液には、
消臭の効果があることが知られている。
これは、自身の体臭で獲物が危険を察知し
逃げ去ってしまうのを防ぐためと思われる。
縄張りである洞穴の中においては無類の強さを発揮し、
〝外域〟浅層の頂点捕食者の一角を占める魔物である。




