第四十五話 体の傷、心の傷
◇応急手当【おうきゅう-てあて】
学問/医学/外科学
治療を受けるまでに傷病を悪化させないよう施す一時的な措置。
ケガや病気が魔法、意能、魔効液によって簡単に治るようになり、
爾来医に関する勉学は軽んじられる傾向にある。
しかし、それらを用いない治療方法は、故にこそ価値があり、
知恵者は習得に労を惜しまないのだ。
◆◆◆◆◆
◆探索団拠点・治療室、ヨア
完成だ……!
「違う。全然できてない。やり直し」
……俺は渋々と自分の腕に巻いた包帯を外し、教わったことを思い出しながら再び巻き始める。
何をしているのかというと、グラトナ際隊長曰く「お前は近頃ケガが多すぎる」とのことで、治療部隊のミネルヴァから手当の方法を教えてもらっているのだった。
どうやら俺がケガをしないという解決案は最初から検討もされていないようで……まあ自分でも今の戦い方では無理だと思う。
ならば、いざ負傷した時、自分で応急手当ぐらいはできるようにと、こうしてせっせと包帯の巻き方を覚えようとしていた。
「ダメね。やり直し」
……最初、あのミネルヴァが先生と聞いて、俺は内心不安を抱えていた。
あのと言ったのは、別に変な風評が流れているというわけじゃなく――はっきり言えば、俺とミネルヴァの出会いは最悪だったからだ。
ミネルヴァは俺を暴漢だと思って斬りかかり、俺は理由もなく襲われたと思った。結果として、俺たちは僅かな間だが戦い、隙を突いた俺がミネルヴァを窓の外に蹴り飛ばした。
双方に誤解があり、最終的にイライザ大隊長の取り成しで仲直りしたものの、心の凝りがそれで消えるかは心の持ちよう次第。俺は美味い物を食べて寝れば大体の嫌な事は忘れられるが、ミネルヴァも同じとは限らない。
「だからもっとしっかり巻かないと傷口の保護にならないわよ。やり直し」
……そのあたり、彼女がどう思っているのか。きっと、色々と何かを言われるんだろうなあと予想していた――のだけれど、こちらが拍子抜けするほど淡々と事は進んでいる。まるでそんな過去などなかったかのように。
でもそれは本当に気にしていないだけなのか、それとも大隊長から命令されたので嫌々従っているのをおくびにも出さないだけなのか、窺い知ることはできない。こうして隣り合わせに座っているのに、相手の心の内はまるで見えない。
気になる。とても気になる……。
「ちょっと! さっきからだんだん出来が悪くなってるわ! 集中しなさいよ」
「あ、ああ」
「……なに? 何か集中できないことでもあるっていうの?」
ジトッとした目で問い詰めてくるミネルヴァ。
「……いや、実は――」
その視線に耐え切れず、俺はさっきから考え込んでいる事について吐露してしまった。
一通り聞き終えたミネルヴァは、
「アンタって意外と繊細なのね。良くも悪くもさっぱりした性格かと思ってたけど」
そう溜息と共に呟いた。
でも、俺にはその言葉が信じられず、「でも、治療室に来る度に怒るじゃないか」と彼女に反論した。
「それはアンタが嫌いだからじゃなくて、アンタが何回もケガして治療室に来るから怒ってるのよ!」
「だって治療室はケガしたら来るところだし……」
「そういう事じゃなくて!」ミネルヴァは手に持っていた包帯を机に叩きつける。「ここに運び込まれるってことは、ケガをするような危ない真似をしてるってことでしょ! アンタの場合は何回も! そういう無茶をするような探索はしないようにって言ってるの!」
「……気をつけては、いるよ」
「いいえ、全然できてない。探索者はやっぱり心のどこかで、回復魔法や魔効液に頼ればいいと思ってる。だから多少の無理も通して頑張るけど、そんな事を繰り返していたら、いつか必ず取り返しのつかない目に遭うことになるわ。探索に華々しさはいらないの。臆病って笑われるぐらい慎重な人が最後に生き残るんだから。そこのところちゃんと理解してるの?」
……ミネルヴァの主張に、だが俺は頷きかねるものがあった。
腕が潰れようと足が千切れようと、魔法一発で治るのだとしたら。薬を飲んで一日で回復するとしたら。
そして、腕一本差し出すことで勝利を掴むことができる絶好の瞬間が訪れたならば……。
ましてや俺の場合は【捧命】の意能があるのだ。
たとえ四肢の欠損どころか落命すらしても、進値を消費して蘇生する。
今の俺の戦い方は【捧命】で蘇ることが可能という事実を前提にしている。が、それについては誰にも喋ってはいけないとユサーフィさんと約束した以上、ミネルヴァの追及に対してははぐらかす他なかった。
俺は曖昧な笑みを浮かべて、咄嗟に誤魔化すように口にした。
「でもさ、俺がどんなにケガしても、ミネルヴァがまた元通り治してくれると思えば安心して戦え――」
バチンッ!
――痛みと、後からやってきた頬の熱さの意味を理解できず、ゆっくりと首を元の方向に戻すと、
俺の頬を張ったミネルヴァの顔は、叩かれたこちらが心配になるくらい青褪めていた。
「ごめんなさい」
俺が言葉を発するよりも早く、頭を下げて謝罪するミネルヴァ。
謝られているのはずなのに、俺の方が悪事をしでかした気分だった。
「私にそう言い残して死んだ団員がいたの。その人のことが頭の中に蘇って……ごめんなさい。今日はもう……。明日からはちゃんと……するから」
一切視線を合わせず治療室を出ていくミネルヴァに、俺は終始呆けたように固まっていることしかできなかった。
最悪だ。こんな目に遭って当然の事をしでかした自分が。
何が相手を刺激してしまうのか知らなかったのだとしても、もっと上手くやる方法はなかったのだろうか。一人になった部屋の中で自問する。
「……あっ……あっ……!」
いや、一人じゃなかった。というか見られていたらしい。
ミネルヴァが開け放ったままの出入口の扉から、涙目でプルプル震えるアリサが、まるで罪を告解するかのように捲し立てた。
「あの、ちょうど中に入ろうとしたら、声が聞こえてきて、たまたま、たまたま聞こえちゃって……」
「う、うん、分かってるから。大丈夫だから。お願いだから泣かないで……」
目の縁ギリギリまで貯めた涙をなんとか零すことなく歩いてきたアリサは一通の手紙を渡してくる。差出人の名前はなく、ただ簡素に『指名』とだけ書かれている。赤い封蝋が捺されているものの、それが何の紋章なのか分からなかった。
俺が内心首を捻っているのを感じたのか、アリサが手紙について補足してくれた。
「これはギルドからの通知なんです。……おめでとうございます。ヨアさんへの指名依頼です」
***
◆自由都市グアド・レアルム、路地裏、パリオ・ルッシウス
現場に到着した時、緊張が肌を刺すような空気を感じた。
縄を張って通行を規制した一帯。日常と非日常の境界線を守るように若いギルド職員たちが警備として配置されているが、誰も彼も横一線に唇を引き結び、まるで〝外域〟にいるかの如く気を張っていた。
「お疲れさん。あまり気張るな。バテるぞ」
「あ、ありがとうございます。お気遣い感謝いたします」
規制の縄を潜り抜けるときに肩を叩いて声をかければ、絞り出したような堅苦しい返事が。気を抜けと言いたかったんだが……ううむ、逆効果か。
狭い路地裏の角を曲がるとすぐに、凶行の現場が目に入った。――地面に這い蹲って鼻唄を轟かす部下の姿も。
「ふんふんふふ~ん、ンンンン~ンン~たららら~ら~」
「――お前は気を抜き過ぎだ」
「ふギャッ⁉」
拳骨を落とした頭から奇怪な悲鳴を上げた女――ギルド本部・捜査課所属の職員、ヒュリメラルダは跳び上がると慌てて敬礼をした。
「パリオ課長にあっては、あー、ご機嫌麗しゅう……今日も制服が、えー、パリッとキまっていて、男らしい顎髭がー、何とも言えないような色気をー――」
「使えもしないおべっかなんぞいらん。さっさと現状分かっている情報をくれ」
挨拶もそこそこ、現況の報告を促す。
ヒュリメラルダは「にひっ」と笑うと、
「そうですねえ、まず被害者はマクミラン・マーガス、六等級の探索者でした。探索者歴は結構長い割にパッとしない実績ですね。特定の徒党に所属せず、人員不足のところに臨時的に参加する〝渡り鳥〟なので人物評の証言はすぐ取れましたが、まあどこにでもいる探索者って感じですね。殺される恨みを買うほどの何かも無いようで。……そんで、ウチの職員で写生ができる意能持ちが犯行現場を描いたのがコレです。めっちゃ酸鼻ですよね。書いた奴も朝ご飯吐いてましたよ~。遺体はもう片づけられちゃったから直接見れなかったのが残念ですけど、この絵だけでも色々と分かるところはありますね。まず凶器は糸状のもの、それをたくさん束ねたやつで間違いないです。遺体の損傷の仕方が、握り潰された箇所と輪切りになってたところと混ざってるんですけど、糸が密集してた部分は潰れて、そうじゃないところは肉に食い込んで斬った感じですね。服とか剣も巻き込んで破壊してたので相当な強度の糸ですよコレ。あとは本部での検死で、胃の内容物の消化具合から、被害者が酒場を出た時間から考えて犯行は深夜。周辺住民が悲鳴を聞き取った頃と同じなので辻褄は合います。死亡時間は魔法とか意能とかで誤魔化されている可能性は低いと見ていいでしょう。さらに、犯人は二人以上の複数人と思われます。被害者のものと思われる足音を追跡すると、どうやら移動しているところを真横から攻撃されたみたいです。足跡の方向と死亡場所が一致しないですからねえ。まあさっき来て見ただけなんで、今はこれくらいですね」
……と、最初から最後まで捲し立てる調子で己の所見を述べた。
――曲がりなりにも捜査課長なんざ務めていると、平職員よりは他部署の情報が入ってくるもので、その中には問題児と言うべき職員の事も含まれる。
ヒュリメラルダ・シスは、確かに鑑識としては非常に優秀だ。誰も見つけられなかった新しい事実を見出すというよりは、時間をかければいずれ辿り着く事実を途中の手順を吹っ飛ばして手中にする才能を持っている。
だが問題なのは、どうしようもないほどに……好奇心の強すぎる変態だということだ。殺人事件記録を蒐集するほどに。
一般的な感性ならば目を背けるような惨状にも、それが事件であるならば目を爛々と輝かせて舐らんばかりに調べ続ける。
捜査課は、殺人という人間の禁忌に接する機会のある仕事ゆえに精神を病む人間も多いが、ヒュリメラルダに限っては「殺人事件には犯人の個性が出るんです。それを証拠から一つ一つ読み解いていくのってワクワクしませんか?」と平気で宣うような変態だ。心の均衡を崩して病床に臥せる姿が想像できない。
こんな奴が、もとはギルドの短期雇いで、元々はまったく捜査課と関係ない場所で働いていたというのだから、人間どんな才能と本性を秘めているか分からないもんだ。
「……で、下手人の予想は出来るか?」
「私の勘でいいならば」
「聞かせてくれ」
「〝殺し屋〟じゃないですかね? 多分」
胃がどっしりと重くなるような事を、ヒュリメラルダは物のついでの如くさらりと言い放った。
ここ最近、都市の探索者たちがピリついている。弛緩した空気の中に、張り詰めた糸のような緊張感が混ざるようになった。その気を放っているのは、主に中堅以上の手練れの探索者だ。
その原因は、探索団『終の黄昏』が遭遇し、彼らの仲間の一人を屠ったという〝殺し屋〟……通称〝死神〟。
都市を超えて悪名を轟かす、正体不明の殺人者。全身を黒い服装で包み、巨大な鎌を獲物とし、草を刈るかの如く首を奪っていく殺人方法だけが知れ渡っている。
そんな存在がこのレアルムに留まっているかもしれない――実際に目撃されたのは〝外域〟でだが、レアルムにいないという証明ができない以上、可能性を完全に否定することは不可能だ。因果な生業を選択した狂人が隣にいるかもしれない恐怖は、この自由都市を黙々と蝕みつつある。
「お前の言うとおり〝殺し屋〟だとして」俺は一縷の希望を探すように反論する。「犯行の手口が荒過ぎると思うが。叫び声が通る屋外で、こんなに派手な痕跡を残すのは、連中にとって足を引っ張ることにしかならないだろう。標的の警戒心を高めるのは〝殺し屋〟にとって不利益以外の何者でもない」
「であれば、そこに何らかの意図があると見てもいいんじゃないでしょうか?」
変態はグリグリと、こめかみを捏ねるように押さえる。これは確か、頭の中から記憶を引っ張り出している仕草だ。
「普通の思考ならば……殺人に踏み切るような頭を持つ人を普通と言うのかは別として……殺したことは、なるたけバレたくないですよね。犯行の大多数は見つからないように、自分が殺ったんだと分からないように。ですが、それをあえて曝すってことは、布告なのかもしれません」
「布告……」
「伝言と言い換えてもいいかもしれません、〝殺し屋〟からの。『俺はここにいるぞ』『俺の存在に恐怖しろ』……あるいは『首を洗って待っていろ』?」
「この犯行が続く可能性があるってことか……!」
「いや、まだそうだとは……私の勘ってだけで」
だが、その勘というものの正体は、積み上げられた膨大な経験を元に本能が瞬時に弾き出した解答なのだ。
事件に関する事柄で、この変態の変態性を侮るべからず。
「なんか失礼な事を思われている気が……」
「気のせいだ。――お前は即刻ギルドに戻り、今述べた現況を報告し、検死班に加われ。俺は今聞いた内容をギルド長に報告する」
「にひっ。了解でーす!」
今回の事件はギルドとして都市に警戒を促す必要性がある。
犯人の狙いは不明であり、今後も犯行が続く可能性がある以上、呑気に事を構えることは許されない。
ギルドへ帰還しようとした俺だが、視界に奇妙な物が写り込む。
それは石で舗装された路地の隙間から生えた雑草に引っ掛かって揺れる黒いもの。
無意識に拾い上げたそれは、掌に収まる程の紙の燃え残りだった。熱で縮こまっているが、普通の紙と違い、手で強く揉んでようやくボロボロと崩れるぐらいには強度がある。何かの形を模しているようだが、燃えた後ではよく分からない。
これが事件に関係しているとは露とも思っていなかったが、俺はそれを懐中にしまい込むと、今度こそギルドを目指して駆け出した。
◇捜査課【そうさ-か】
組織/探索者組合/部署
魔法、意能が用いられた犯罪の捜査、犯人の逮捕を担う部署。
なお、犯人逮捕については捜査課のみではなく、
高位等級探索者などと連携して事にあたる。
従来の常識を超越した超常的手段による犯罪行為に対し、
同じく超常的な捜査・取締りを行う組織の発生は必然であった。
都市長が管轄する憲兵団は、別組織のため指揮系統が異なり、
時に縄張りを争うような微妙な関係性である。




