第四十三話 命名
◇〝剣の蝕業〟【けん-の-しょくごう】
八種類存在する蝕業の一つ。
蝕業は超常的な能力を、進値の上昇とともに発現させ、
この蝕業は、斬り進むための力を与える。
脅威を打ち払い、己が身を盾として、他者を救う力を。
その痣はこの世にもたらされた力の象徴であり、
人は、そこに掲げられた剣の似姿を見た。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、市場・金床通り、ヨア
カン、カン――と小気味良い律動の音が響く。
それをぼうっと聞きながら、俺は心を遠い場所に飛ばしていた。
最初は……相棒の剣に代わる得物を手に入れようとしていただけなのに……色々な出来事が起きては次々と過ぎ去っていった。
それを思い返していると、まるでどこか遠いところから自分自身を眺めている気分になった。
繰り返し問う――俺の選択は正しかったのか?
詮無い事をしている自覚はあるけれど、考えるのを止められない。
どこか一ヶ所でも違う選択肢を選んでいたならば、誰かが死んだり傷ついたりしなくても済む未来もあったんじゃないか。
もし、魔法や意能に過去に戻るものがあるのなら――
窓際の長椅子に腰かけ、壁にもたれながら、窓硝子の向こう、通りを走り行く馬車を見送る。
「……いつまでそうしているんだぞい」
店の奥からヘカトルさんが現れる。
俺は約束のとおりヘカトルさんの鍛冶工房を訪れ、これから剣を鍛えてもらう。その準備が整うまで、店の中で待たせてもらっていたのだ。
あの後――進化石を持って店にやってきた俺を見て、ヘカトルさんは腰を抜かすほど驚いた。そして、俺が本当に約束を守ったのだと知ると、もう一度金槌を振るうことができると号泣した。
……だが、俺の表情が浮かないことから、何かあったのかと質問された。
尋ねながら、薄々はヘカトルさんも、この進化石を手に入れる過程で好からぬ出来事があったのだと察してはいただろう。
そんな事訊かずにさっさと譲り受けてしまえばいいものを……余計な事を尋ねて俺の気が変わるかもしれないのに……それでも何があったのか知りたいと言ってくれた。
俺はその望みのとおり、今回起きた事を全て話した。いや、そんな上品なものじゃない。
ぶちまけた、と言った方が正しい。
俺自身、自分の中で抱えきれる自信はなかった。
堰を切ったように言葉にならない様々な感情が溢れ出てきた。
最後まで語り終えた俺に、「ワシにこんな事を言う資格はないが……」とヘカトルさんは前置き、
「この世は辛い事ばかりぞい。進値に魔法に意能……人間の理解の及ばない理不尽なものが蔓延っとるぞい。だから予想も出来ない悲劇が生まれ……人はそれに運命と名前を付けて、仕方なかったとやり過ごそうとするぞい。ワシも大した鉱窟族じゃないが、年を食ってきた分、それなりに悲喜交々を味わってきたぞい。だから、お前さんの悩みも欠片ぐらいは分かるつもりぞい。……お前さんの言うとおり、もし、少しでも違う選択をしていたなら、お前さんの身に起きた悲劇はなかったかもしれないぞい」
でも――と、ヘカトルさんは大きな掌で俺の肩に触れて、
「お前さんがワシを助けてくれようと思ったおかげで、ワシはこうして炉の前にまた立つことができたんだぞい。あの、鋼と槌がぶつかり合う心躍る音を聴くことができたんじゃぞい。お前は、ワシ自身が諦めきっていたワシの運命を打ち破ってくれたのだぞい。あのままゆっくりと朽ちていくワシを救ってくれた――それもまた事実なんじゃぞい。自分を責めるな……なんてことを言う資格はワシには無い。それでも、お前さんのお陰で救われた人間がいる事だけは、どうか忘れないでいてほしいぞい」
初めて訪れた時、安楽椅子しかなく伽藍洞としていた店奥の工房は、永い眠りから叩き起こされた道具たちで彩られ、炉で轟々と燃え盛る炎から発せられる熱が充満していた。
「スゴい熱気ですね」
「こっちの炉は武具の鍛造に鋼を熱するためのもので、そもそも今からやる進化鍛錬には要らないのだぞい」
「進化鍛錬? いや、それは……」
武具の鍛錬には二種類あることは教えてもらった。
魔石鍛錬と、進化鍛錬。
魔石鍛錬が武具と素材の融合ならば、進化鍛錬は武器そのものの昇華だ。
だが、それには貴重な進化石を消費する――俺たちが拳の人外を斃して手に入れた進化石は既にヘカトルさんの進値上限の上昇に使われた。
だから進化鍛錬はもう出来ないはずなのに。
「見てもらうのが早いぞい」
そう言って、ヘカトルさんが工房の隅に置かれた重厚な鉄箱を横にずらすと、施錠された扉が出現した。ここで待て、と言い残し、地下へと降りていく。そして戻ってきた時には、布で包まれた何かを抱えていた。大柄なヘカトルさんだから片手で抱えながら梯子を上り下りできたのだろうけど、普通の人間なら持ち上げるのすら難儀する大きさだ。
包みを置かれた木製の机が軋む。重量も相当なようだ。
包みが解かれて姿を現したのは――石のようだった。
透明な物質の中に、靄のような暗黒が封じられていた。風に吹かれているわけでもないのにゆっくりと、だが絶えず形を変え、目が離せない妖しさがあった。
「しん、か、せき……」
なんで。
「最初から……持ってた……?」
しかも――これは――見たこともないほど巨大だ。
人外から手に入る進化石は、その人外が強ければ強いほど大きくなる傾向がある。あの拳の人外ですら、握り拳二つ分ほどの大きさだった。
ならば、この、岩と言っても差し支えないような進化石は、いったいどんな人外が生み出したものなのだ。
「なん、でっ――」
最初からそれを使っていれば、
オルナッツォさんは。
――そう発しかけた口を、下唇を噛んで無理矢理止めた。誤魔化すように手で口を塞ぐ。じんわりと口の中に血の味が広がる。ヘカトルさんが怪訝そうな顔をした。
――その台詞は、言っちゃダメだ。
人外を狩ることを決めたのも、オルナッツォさんを頼ったのも、全部俺が決めた事だ。全て俺のせいなんだ。俺だけが責められるべきだ。
ヘカトルさんに責任があるかのような言い草をしてしまったら、俺はその瞬間に……自分自身を許せなくなる。
「……これはな」ヘカトルさんが進化石の表面を撫でる。「昔、ワシが恩人から預けられた大事な物ぞい。〝いつかきっと出会う、ワシを救ってくれる者のために使え〟――そういって託されたものなんだぞい。ワシが進値上限を迎えても、自分自身のために使う気はなかった。あの人との約束を守るために……」
ヘカトルさんの目には慈しみと、懐古の感情が溢れだしていた。
「……その恩人は、今どこに?」
「さあ……会ったのも短い時間だったから、どこにいるかは知らぬぞい。あるいは――もう死んでいるかもしれんぞい。そう言えばなんとなく、お前さんに似ておったかの……」
もう死んでいるかも……そう言った瞬間のヘカトルさんの表情を見て、きっとその恩人という人は、もう会えないほど遠い所に行ってしまったのだろうと思った。
だが、瞑目し、再び双眸を開けた時、彼は老練の名鍛冶師の目に変わっていた。
「さあ、剣を出すんだぞい。――ワシが最高の〝神器〟を生み出してやるぞい」
炉から漏れる光に照らされた室内。
金槌が振るわれる度、甲高い音に合わせて閃光が迸る。
金床の上に横たわった俺の剣。
その上に置かれた進化石が、鍛冶師の手により剣と合一していく。
金槌で押し込むように、少しずつ、少しずつ、進化石は剣と融け合う。
ヘカトルさんの右腕の痣――長年の行使に伴い、もはや痣を超えて刻印とでも言うべき程に克明な形だ――【鍛冶】の意能が輝いている。
この神秘的な光景は人間の理解を超えた現象であると、見る者に世界と己との隔絶を知らしめてくるようで……。
カン、カン、カン……
カン――――最後の一振りが終わった。
融合を終えた愛剣に激しい変化が生じる。
騎士鋼の諸刃の剣だったそれは、刃の片側には獣毛が生じ、峰へと変化する。
大きさもより長大に、身も肉厚になっていき、重量感が増す。
金属の質感は消失し、代わりに生物の表皮を思わせる漆黒のものへと。
最も大きな変化は、剣の中心を鍔から切っ先近くまで走る溝――後で教えてもらったら樋というらしい――を挟み込むように鋭い牙が列をなして生え揃い、まるで噛み合わせた顎のようだった。
そうして変化は完了した。
獣の大剣……そうとしか言いようがなく、元の姿は一切留めていなかった。
大きさも片手剣を超えて大剣に近い剣身になり、牙という用途の不明な装飾まである。
だが――触れて、持ち上げた瞬間、困惑は残らず吹き飛んでしまった。
まるで、剣を構成する全てが俺のために存在するかのような、世界でただ一人俺のために造られた剣だと錯覚してしまう。剣を持った方の手は、剣の先が指先だと断言できるほど、俺に馴染む。
「これが……」
「ああ、お前さんの〝神器〟じゃぞい」
巨大で強大な身形になった相棒の剣。
〝神器〟は使い込むほどに強くなっていくという――俺はこの剣を血の通った相棒とバラッド爺さんに言ったが、この剣は今まさに生命の鼓動を宿して誕生した。
耳をすませば、獣の唸り声が聞こえてきそうなほど、他の武器とは一線を画す存在感を放っている。
こんなにスゴい剣ならば、それを象徴するような名前を付けたくなった。
「……ヘカトルさん、俺の新しい相棒に名前を付けてくれないか?」
「ワシが、か? よいのか?」
「うん。ヘカトルさんに名付けてほしい」
「……そうかぞい。なら断るのも失礼か。そうじゃのう……」
ヘカトルさんはしばらく剣を矯めつ眇めつした後、その名を口にした。
「その剣の名は――獣噛みの大剣じゃぞい」
拙作をお読みいただきありがとうございます。
第一章前編は第四十三話で完結となります。
拙作を「面白い」「続きが気になる」と思っていただけた方は感想・評価・ブックマークを頂けると嬉しいです。




