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第三十六話 やりたいように

◇副耳【ふく-じ】

学問/生物学/人類種


人類種、とりわけ獣人族に多く見られる器官。


それは獣の耳として備わっており、

特に聴覚を強化する働きがある。


尾と並んで、副耳は人間との外見的差異が大きい器官であり、

亜人差別の原因の一つとなっている。


差別意識が薄れた今においても慣行の刑罰として、

副耳の切断が残る地域もあり、陰惨な歴史を伝えている。

   ◆◆◆◆◆




◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・治療室、ヨア



「……ヨア君」イライザ大隊長は穏やかだけれど、どこか冷たさを含んだような声音で言う。「貴方の思いが間違っているわけではありませんが、グラトナの思いも間違っているわけではありません。そこは汲み取ってください……。大隊長ともなると、どうしても引き締める考え方をせざるをえないですから。それと、オルナッツォ」


 イライザ大隊長はオルナッツォさんに話を振る。


「ナギオンはこの事は知っているのですか?」

「ええ! 勿論! 事前にこの件は話をしました! ダメとは言われませんでした! 良い顔もされませんでしたが!」

「……承知の上ならいいでしょう。これ以上は何も言いません」


 そうしてイライザ大隊長も去っていった。壁際で息を潜めていたミネルヴァとアリサも仕事があるからと退室していった。


 俺とギルとオルナッツォさんが部屋に残される。


「何を湿っぽい空気を出しているんだ! まだ始まっても終わってもいないぞ! 俺たちの探索はここからだ!」


 と、オルナッツォさんは静寂を祓うように豪語する。

 なんだろう、なんとなくその台詞は最期を感じさせる不穏な響きを感じる……。


「お、おで、頑張る。オルナッヅォざん、が、いれ、ば、うれじい」

「でも、三人だけじゃ……」

「誰が三人と言った!」


 俺とギルの不安を笑い飛ばすように、オルナッツォさんは腰に手を当てて胸を張る。


「強力な助っ人を呼んである! ……呼んであるが、遅いな!」


 その時。

 治療室の窓の外、ニュッと伸びてきた拳がコンコンと硝子を叩く。


「来たか! 入ってくれ!」

「はいはい……」


 一番近くにいたギニョルが窓を開いてあげると、なんと、入ってきたのはギル、ニコラ、カレンの三人だった。

 あれ? ここ三階じゃなかったか……?


「何だお前たち! わざわざ窓から入ってくるなんて! 扉があるだろう扉が!」

「いや、グラトナ大隊長がキレまくってるとこに鉢合わしたくねえですって……」


 一般人と比べて、進値が高い探索者なら壁伝いに登るのは造作もないだろうけれど、だからって窓から入るだろうか。


「三人とも、どうして……」

「ここに来る前、俺が声を掛けたのさ!」とオルナッツォさんが言う。


 ここに来る前って……それじゃあ、俺に協力を申し出る前に、もう仲間を集めてくれていたってことか? とても用意が良いというか、性急というか……。


 それにしても、一度は断った三人がどうして力を貸してくれる気になったのか。いや、ニコラはお願いする前に走り去って行ったんだけれども……。

 俺の質問したい雰囲気を感じ取ったのだろうか、各々理由を口走る。


「まあ、オルナッツォさんには色々と恩があるっつーか、頼まれたら断れないっつーか」

「うむ! 日頃の貸しをまとめて清算してもらおう!」


「この人、しつこ過ぎるぞ……凍らせても凍らせてもやってくる……」

「うむ! 君は相変わらず他人に容赦がなかったな!」


「水臭いのじゃ~ヨア! 悩みがあるなら私に相談すればよかったんじゃ」

「うむ! 君が話をちゃんと聞いていなかったからだな!」


 ……ど、動機はなんであれ、六人は六人!

 小隊一つ分と言える人数は揃った。これなら〝外域〟に潜るにも心強い。


「あ……ちなみにウェンブリーは……?」

「普通に断られたぞ! まあ、無理強いは出来ないからな! 仕方ない!」


 うん、そんな気はしていたけど、ウェンブリーはまったくブレないな……。


「……ヨア、グラトナ大隊長は認めていないようだけれど……大丈夫なのか?」

「それは……」


 カレンがボソッと呟く。

 だが、俺が答える前に、目敏く聞き取ったギルは、


「いーや、ここまで来たら行くしかねえ。皆で協力して人外を狩りまくるんだ。俺のオルナッツォさんへの借金をチャラにするためにな」


 そう俺の心の思いを代弁してくれた。借金云々はどうでもいいけれど。


「そうなのじゃ~。狩りが終わったら、皆であやとり大会をする約束じゃからの~!」


 嘘か真か、ニコラがそんな事を言った。

 ああ、あやとりでも何でもするよ。人外を倒せるならば。




 こうして、一時期は挫けかけた望みも、たくさんの人が力を貸してくれたお陰で再挑戦することができるようになった。

 もう無謀な探索はしない。進化石を手に入れて、皆でレアルムに帰ってくる。


 出発は、明日だ。




   ◆◆◆◆◆




◆自由都市グアド・レアルム、酒場『夜の雫』、ナギオン・エルメル



 一人で酒杯を傾けていたら、珍しい奴が入ってきた。


「よう」

「…………ああ」


 声をかけると、新しい客は不機嫌な表情のまま、一つ離れた椅子に座る。


 この酒場は客席数が少ない。奥の方に団体客用の四人掛け仕切り席と、あとは細長い卓に椅子が横並びに五つ置いてあるだけ。

 卓の奥には天井まで高さのある棚に百本以上の酒瓶が並べられている。目の前で店主がその内の数種類を滑らかな手並みで混ぜ合わせ、様々な味わいの酒を供してくれる趣向だ。


 ここは静かな雰囲気なので、物思いに耽りたい時や、逆に何も考えず心を休ませたい時、静かに飲めるここはよく利用させてもらっている。

 前にバビを連れてきたことがあったが、騒々しい大衆酒場の方が性に合ってると言って、それ以来ここで飲んだという話は聞かない。その感想については全面的に賛同する。うるさい奴は、うるさい場所を好むのだろう。


 ――さて、アイツはどうかな。


 店主が熟練の手つきで作り供した酒を、グラトナは香りも味わいも関係なく一息で飲み干しやがった。

 案の定、店主の顔が曇っている。こだわりを持って一杯一杯を作っている身としては、たまったものじゃないだろう。


「おいおい、ここはそういう飲み方をする店じゃないぞ」


 苦笑しながら忠告してやると、


「分かっている。最初の一杯だけ、こうしたかっただけだ」


 なんて拗ねた顔で言うものだから、本当に分かってるのかと、思わず吹き出しそうになってしまった。


「なんだ? 今日はいつにも増して荒れてるじゃないか」

「……まるでいつも荒れてるような言い方だな」

「そうだろう。お前はいつも、誰かのために怒る奴だからな」


 グラトナが目を丸くして、副耳をピンと立てる。

獣人族ってのは人間の耳の他に、獣のような副耳を持っていて、そっちはある程度随意で動かせるらしい。

 だがグラトナのように、ああも感情と素直に直結しているところを見ると、心を読まれる弱点になりそうだと考えさせられる。とりあえず、賭け事には向かないな。


「……! そうだッ、お前……なんでオルナッツォのバカを止めなかった!」

「ああ……?」


 ……なるほど。

 こいつがなんで不機嫌なのか、色々と合点がいった。


「勧めはしないがよ、止めるほどの事じゃないだろ」

「止めるほどの事だろうが。団には何の益もない」

「上手くいけば、凄腕の鍛冶師と縁を持てるじゃないか」

「それがどうした。たとえ凄腕であってもだ、技量や直感なんてものは、魔法や意能の前では無価値だ」熱くなってきたのか、グラトナは二杯目も一瞬で呷る。「どんなに体が細くて心も弛んだ奴だって、【剣術】の意能が発現すればもう一端の戦士になれてしまうような世界だぞ。技を追求したところで……報われない」

「なら、俺たちの日々の訓練は無駄なのか?」

「……私たちが訓練するのは技の使い方だ。技自体の研鑽ではないし、それを目的にするべきじゃない。研鑽の果てには何がある? 極まり過ぎた力は、結局、自分の体を破壊する。そうなれば、進値を上げて体を技に追いつかせるしかない。進化石で一時の時間が稼げたとしても、終わりはすぐにやってくる。それが分からないからアイツらはバカなんだ……ああ喉が渇く」

「どうぞ……」


 卓を滑らせるように店主が静かに差し出した硝子の酒杯を、グラトナは引っ手繰る様に手に取り、水か何かのように感慨もなく腹に流し込んだ。店主が凄まじく渋い顔をしている。


 どの隊で何が起きているかは、その気がなくても勝手に情報が流れてくる。

 あのヨアという小僧が次はどんな騒ぎを起こそうとしているか――女ばかりの姦しい集団だからな、噂が出回る速さは尋常じゃない。皆があの少年の一挙手一投足に注目しているからだろう。

 しかしまあ、利かん坊の部下を持つと大変だが、心配性の隊長を持つのも大変だよな。


「お前さあ」私は酒杯を揺らしながら、グラトナに気づかせてやることにした。「益がないとか、報われないとか、うだうだ言ってるけどよ、本当はそんなこと、たいして気にはしてねえんだろ」

「……そんな事はない。私はただ」

「お前が気に喰わないのは、アイツらが、自分で自分の命を危険に曝そうとしてるからだよ」

「…………」

「ましてや、命を懸ける理由が無意味だったり、少なくともお前にとってはくだらねえ事だから、なおさら怒ってるんだ。お前が烈火のごとく怒ってて、そのくだらねえ理由ってのは、例えるなら火に注ぐ油なんだろうよ。だが、火元そのものじゃねえ。自分が何に怒ってるのか、ちゃんと理解してねえと何をしたかったのか見失うぜ?」


 グラトナは言い返そうと口を震わせるが……喉元までせり上がったものを流し込むように酒を呷る。

 ……コイツ、うるさくはねえが悪い飲み方しやがる。


「お前はッ」卓に杯を叩きつけるように置くグラトナ。「自分の小隊が同じ事をやろうとしたら、どうするんだ」

「別に? 何も。話を聞いて――そうか、気をつけろよ、死ぬなよ――ハイ終わりだ」

「いい加減にも程があるぞ!」

「じゃあ、どの加減が一番良いんだ? 教えてくれよ」

「それは……!」

「お前みたいに隊員一人ひとりに入れ込むぐらいがいい加減なのか?」


 なんて言っちまったが、これは少し意地悪な質問だったな。

 グラトナの唇が歪む。


「…………私のやり方は間違ってると、お前はそう言いたいのか」

「だ~から、違ぇって!」


 俺は、酔いが回ってきた赤ら顔のバカに、指を突きつける。


「つまりだな、団のためだとか意味がねえとかウジウジ言ってねえで、自分がやりたいようにやれ(・・・・・・・・・)ってことだよ」


 グラトナは余計に困惑してるようで、必死に眉間にシワを作っている。


「さっき答えたように、ウチの近撃部隊は自己責任と放任主義の色が強い。俺がそうなんだから、隊の雰囲気もそうだ。やりたいようにやって、その成功も失敗もお前のものだってな。まあ、探索者全体がこういう空気感ではあるから別に珍しくもねえけど」


 こんな時代で、こんな世界だ。

 誰も彼も、人様の世話を焼いてる余裕はありゃしねえ。

 ましてや探索者稼業――今日、戦いを共にした仲間が、明日には地面の下で永眠ってことは日常茶飯事だ。他人との関係性は、広く浅くが自然になる。


「でも、お前の斬込部隊を見てるとよ、部隊っつーより、家族みたいじゃねえか?」

「家族……?」

「そうさ。隊員の痛みは自分の痛み、悩みは全員の悩み……部隊を纏めるお前がそう思いながら前に立ってるからこそ、下の奴らもお前の理念に感化されて共感するんだ。案外ヨアが頑ななのは、お前の頑固なところを見て、無意識に影響されてたりしてな」


 そう言ってやると、グラトナは複雑な表情をしやがった。

 多分、「あんな考えなしのバカと一緒にするな!」とでも思ってるんだろう。


「どの部隊の在り方が優れてるって話じゃなくて、どっちも正しいのさ。だから、グラトナの考えは別に間違ってねえし、俺の考えも間違ってない」


 こんなのは主義の話であって、存在しない優劣をつけようとするから袋小路をさまよう羽目になる。


 しっかしなぁ……家族みたいな部隊、か。


 隊員とその距離感で、よくもまあ心を病まずにいられる。

 グラトナのそういう強い(・・)ところは一目を置いてるつもりだ。

 俺は、仲間がさよならも言えずに死んでく痛みから距離を取る方を選んだ人間だからな。

 同じ大隊長としての自負があるから、面と向かっては間違っても褒めてやらねえけど。


「心配でしかたねえんだろ? だったら、お前らしく、やりたいことをやればいい」


 グラトナは、酒杯を片手にしばらく黙考していた。

 だが、今度は迷いを振り切るようにグイと杯の中身を飲み干すと席から立ち上がった。

 飲み方について、店主は諦めた遠い目をしていた。


「参考にはする」

「おう」


 退店するグラトナに俺は顔を向けることなく、手だけひらひらと振って見送った。素直じゃないねえ。

 アイツも大隊長として肩肘張ってるが、同じ立場から見ていれば、まだまだ手のかかる後輩だ。

 だが、今の一幕のやり取りが悩みの解決に繋がったなら、たまには柄じゃない助言もしてみるもんだな。


「さて、俺もそろそろ帰ると……」

「お客様」

「…………あ」


 店主がススッと紙を滑らせてくる。

 それは二人分の飲み代の会計だった。

 ……まあ先輩風吹かしたなら、先輩らしいことしてやらねえとな。

◇夜の雫【よる-の-しずく】

地名/都市/酒場


自由都市グアド・レアルムにある酒場。

探索者の社交場の一つ。


大衆店より価格は高めであり、静かな雰囲気を好む客向けである。

店主の技量により生み出される、趣向を凝らした一杯は、

飲みなれた通をも唸らせる妙味。


ギルド幹部も足繁く通うため、荒事は、殊の外厳禁である。

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