第三十五話 教えて
◇騎士【きし】
騎士
傷つき伸びきった鎧を纏い、世界をさすらう剣の化身。
区別なく強者を殺す恐怖の存在。
剣宮の剣士は、修練の果て、ただ独り旅に出る。
全身を鎧で覆い隠し、それは死後も脱ぐことはない。
安息なき過酷な旅路は、全て己を鍛えるため。
やがて騎士は、因果を斬るための、一振りの剣となる。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟中層、ヨア
――――――――――バチィッ!
俺と大剣の間に割り込むように、一筋の雷が走った。
視界を覆うように、淡紅色の長髪が翻る。
金属同士が衝突する音、衝撃波。周囲の枝が激しく揺れた。
叩きつける大剣の一撃は、今にも折れそうな女のか細い手に握られた剣で受け止められていた。
「――〝励起〟」
女が何かを呟く。
それを合図に、女から放たれる圧力が跳ね上がった。
目に見える変化はない。まるで不可視の力が女を取り巻いたかのようだ。
女が、鍔迫り合いを押し込むように剣を薙ぐ。
信じがたいことに、女の何倍もの重量をほこるだろう騎士の体が宙を舞った。
騎士は軽やかに、深く膝を曲げて着地する。剣を逆手に地へ突き立て、もう片方の徒手を前方に伸ばし、五指で地面を掴む。今にも跳びかからんとする、地を這う獣のような前傾姿勢。
女と騎士が睨み合う。
片や、女性らしい流麗な意匠の鎧と、鮮やかな紅に染め抜かれた外套。
片や、歴戦を潜り抜け摩耗した鎧と、元の模様すら失った老朽の外套。
似たようで対照的な個が対峙する。
「君、生きてる⁉」――いつの間にか俺の傍に、知らない女が血相を変えて膝を突いていた。「私たちと騎士がいる、運が良いのか悪いのか……!」
その人が翳した手から暖かい光が放たれ、俺の傷口に吸い込まれていく。すると嘘のように痛みと寒さが消えていく。回復魔法だ。それも、これほどの大ケガにすぐ効果があるほど高位の。
ギニョルの方にも、守るように三人が取り囲んで、治療を行っている。皆、女の探索者だった。
「――退きなさい……ここに、貴方が狩るべきものはいない」
薄紅色の髪の女が騎士に告げる。
言ってどうにかなる相手なのか、問答無用で殺されそうになったのは、たった今だというのに。……治療により思考する力が戻ってきたお陰で、そんな言葉が口を突いて出そうになる。
警告を理解したのか定かではないが、しかし――騎士はこちらではなく、真横へと跳躍し、
突然現れた時と同じように、呆気なく森の奥へ姿を消した。
「ひとまず危機は脱したようですね――副団長」
俺はその後ろ姿を呆然と見つめていた。
ああ、この人が……。
噂と二つ名だけは聞いていた、未だ会ったことのない、ユサーフィさんと対をなす、もう一人の副団長。
仲間から呼ばれ振り返った、薄紅色の髪をした探索者……〝雷塵〟のエルマキナ副団長は口元に微笑を浮かべた。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索団『終の黄昏』拠点・治療室、ヨア
左頬に衝撃。
「こ――の――大バカ者がッッッ‼」
グラトナ大隊長に殴り飛ばされた体が宙を舞い、寝台にぶつかって止まった。
目の前の有様にアリサが小さく悲鳴を上げる。その手を握るミネルヴァは黙って一言も発しない。いや、よく見れば小さく震えていた。
こんな時に、俺は、そういう事を気にしている場合じゃないのに。
「今回は! 偶然! エルマキナ副団長が近くにいたから助けられた! こんなのは奇跡中の奇跡だ! そうじゃなければお前らは今頃……!」
「……でも、俺は……」
「でも何だ⁉ 言え! 命を守るより大義のある事を私に吐いてみろ!」
グラトナ大隊長が振りかざした拳を、イライザ大隊長が後ろから掴んで止めていた。
「グラトナ、一発は見過ごしましたが、彼はケガ人で、ここは治療室です。貴方の怒りは理解できますが、時と場所を弁えてください」
「――フン!」
グラトナ大隊長は鼻息荒く、空いている寝台の上で、こちらに背を向けて胡坐をかく。尻尾だけが心中の苛立ちを表すように、ビタン、ビタンと敷布を叩いていた。
「だいだいぢょう……」ギニョルが弱々しい声を発する。もう傷は治っていて、けれど横たわれる寝台が無いから、治療室の一角に布を敷いた上に横臥している。「ごめんなざい……おで、ヨアの力、に、なりだぐ、で。おでも、反対じながっだ、がら、おでも一緒、に、怒っで」
「うるさい! お前はさっさと寝ろ! 傷を治せ!」
「傷ば、もう、なおっだ」
「じゃあ私が寝る!」
と言って本当に横になったグラトナ大隊長。
俺が言える事じゃないけど、怒り過ぎて訳が分からなくなっているのだろうか……。
「失礼するわ」
と。
治療室の扉を開けて入ってきた人物に、グラトナ大隊長を除く皆が居住まいを正した。
ミネルヴァとアリサは緊張の色を濃くし、イライザ大隊長はぴしりと引き締まった表情に。
入室してきたその人は、俺とギニョルを間一髪で助けてくれたエルマキナ副団長だ。
改めて冷静に見ると、明らかに若い。
探索団を纏める次席の地位にあって、七人いる大隊長の誰よりも年下なんじゃないだろうか。見た目で比べるなら、俺より数歳程度しか変わらないように思えた。
そんな人が、あの騎士という化物を退けたのだから、今更になってその凄味を実感する。
エルマキナ副団長は、寝台のグラトナ大隊長を一瞥するも、何も触れずに続ける。
「ヨア、だっけ。ケガは、どう?」
「えと、助けてもらったおかげで、はい、大丈夫です」
「そう」
「……」
「……」
……………………会話、終了。
あ、あれ? これがエルマキナ副団長との初めての会話なのに、こんな感じで良いのだろうか?
無言で見つめ合う時間が過ぎても、副団長は薄ら微笑んでいるような表情から変化がない。俺も、何か言わなければと焦りが募ってくるものの、あの微笑を前にすると、どの話題を切り出せば正解なのかまったく分からなくなる。
「あー……ンン!」場の空気に耐えかねたようにイライザ大隊長が口火を切る。「ヨア、誤解しないでほしいのだけど、副団長は少しだけ、少しだけ不思議な方で――」
「進化石を」
イライザ大隊長が出した助け舟を、エルマキナ副団長はぶった切って言う。
「鍛冶師のために、求めているって?」
「……はい」
副団長は表情を変えず、そう問いかける。
それは俺たちが死にかけた理由であり、助けてくれた副団長は当然気になるだろう。
「……どうして、一度会っただけの人のために、そこまで一生懸命になれるの?」
けれど、副団長の口から飛び出したのは、俺の愚行を糾弾する言葉ではなく、その動機を問うものだった。
「教えて」
薄紅色の髪の奥、好奇心を湛えた瞳が俺を貫く。
どうして――改めて自分の心に問う。
「それは……」
考えて。
「それは――」
考えて、考えて、考えて。
――人知れぬように佇む救貧院。
――子供たちの笑顔。
――イムリの独白。
――ヘカトルさんの涙。
「――助けたいって思ったから」
数多の感情を掻き分けて、
心の奥底から拾い上げたこれこそが、本当の気持ち。
人を助けることに、力になりたいと思うことに、複雑な理由はなかった。
――どうしてを考える前に、俺の心が動いてしまったんだから、
「――それだけじゃダメ、なんでしょう、か……?」
俺の自信なさげな、でも偽らざる答えを聞いて、
エルマキナ副団長はわずかに瞼を伏せると、ゆっくりと首を横に振った。
「そう」
そしてポツリと儚げに呟くと、目的を果たしたのだろうか、治療室を退室していった。
「……残念」
俺に向けて言ったのか、それとも、思わず漏れ出た独り言だったのか。
その言葉が治療室の中に広がり、溶けるように消えていった。
エルマキナ副団長が去った後、
「……とにかく、今回の件に懲りて、グラトナの言うとおり、もうバカな真似は慎むことですね」
「そうだそうだ、ちゃんと身の丈に合った探索をしろ、バカ者が」
俺の心が、まだ諦めきれていないことを悟ったのだろうか、二人の大隊長から、すかさず牽制と叱咤が飛んできた。
反論できず、唇を噛みしめることしかできない。
「……私は、偉そうなことは言えないけれど――」
壁際でアリサと共に成り行きを見守っていたミネルヴァが口を開いた。
「アンタの言った、その鍛冶師さんと同じ境遇の人はたくさんいる、と思う。じゃあ、その人たちも同じように助けるの……? 大勢いる内の、たった一人を救うことに意味が無いなんて言わない。でも、救うことを繰り返すアンタは一人しかいないのよ。こんな事繰り返してたら、いつか……。……嫌な事を言うけど、現実にはどうしても、一区切りをしなきゃいけないようなことがあるんだと思う。今回の事も、多分そう……」
隣にいるアリサも心配そうな表情だ。俺に良い印象を持っていないだろう彼女まで気を遣うほど、今の俺は酷い顔をしているんだろう。
分かってる。
進値を上げ続ければ、人はいつか必ず人外に成り果てる。それは世界の摂理で、抗い様のない仕組みだってことは。
どんなに勇敢な戦士だって、老いが来て、かつてのように体が動かなくなれば、自然と武器を置く。
進値はそれと同じことなんだ。
進値の上限が訪れたなら、止めなければならない。
誰も、世界の決まりを無視することはできない。
「――――そんなことはないぞッ、少年ッ‼」
――静寂をぶち破る大声が轟く。
「君の熱い思いは間違っていないぞ!」
エルマキナ副団長が出て行った扉が開いている。
「この俺! 近撃部隊のオルナッツォが保証する!」
堂々と、精悍な顔立ちの男が告げた。
部屋を震わせんばかりの声量で、俺のことを正しいと。
屈託なく笑った歯の白さが眩しい。
「ヨア君! 君の進化石入手への道行き、この俺が協力しよう!」
「――‼」
俺は興奮を抑えきれず立ち上がる。
そして、オルナッツォと名乗った男に歩み寄ろうとして、
「なんで……」心の中の、暗い部分を司るところが、何故と疑えと、唇を震わせる。「俺、アンタと会うのは初めてだと思うし、助けてくれるようなことなんて……」
「してくれたんだよ! 君は、俺に!」
そういってオルナッツォさんは厚い胸板をどんと拳で叩く。
「君が譲ってくれた進化石のおかけで、俺は探索者として生き続けることができるようになったんだから!」
あ……。
あの時の。
レアルムに辿り着くまで、朦朧と歩き続けた最中に出会い、倒した蛙の人外。
厳密には俺が倒したというよりは、探索団が狩ろうとしていた人外を、俺が掻っ攫う形になってしまったわけだが、そういう経緯もあって、俺は人外の進化石を受け取らず黄昏に渡した。
つまりは、このオルナッツォさんにその進化石は使用され、進値上限を上昇させたのだろう。
「あれは……俺がしたことなんて、ほとんどなくて……進化石を貰わなかったのも気紛れみたいなものだったし……」
「その気紛れがなかったら、俺は探索者の道を断たれていたんだ!」俺はオルナッツォさんに肩を力強く掴まれる。「それの何を謙遜する必要があるんだ! 気づいたら人を助けていたなんて、最高じゃないか!」
オルナッツォさんは、もう一度ニカッと笑う。
「君が初めて会った人を助けるというのなら! 俺も今、初めて会った君を助けよう!」
「オルナッツォ、さん――」
「――話の途中で済まないが」
オルナッツォさんの後ろ。
言葉では表現できないほどの怒気を迸らせたグラトナ大隊長がこちらを睥睨していた。
「その目論見は、誰の許しを得て行うというのか、説明してもらおう。このバカの後見を任されている、この私に」
産毛の先まで震えそうな恐怖が総身を貫く。
「魔物と違って、魔法や意能に近しい異常の力を持つ人外の狩りは、危険度の予想すら困難だぞ。進化石欲しさに無理攻めして死ぬ奴は数えきれん。だから、人外の狩りは入念に準備し、大勢で狩る。……お前らはどうだ? 少人数、衝動的。無償の愛が真実だと信じ込んでいる救いようの無さ」
しかし、オルナッツォさんは怯むことなく、振り返って大隊長と面と向かう。
「このバカ一人を抑えれば済む話を、オルナッツォ、お前は蒸し返して悲劇を招こうとしている」
「俺が目指すのは感動の喜劇だ! 皆が喜びの大団円を迎えるために力を貸すのだ!」
「お前は酔っぱらってるんだ。恩返しをする自分の姿に。しかも質の悪いことに、酒場で詩人が吟じる誇大な英雄にでもなったように錯覚している」大隊長も、さらに強く眦を裂いて応じる。「人外の狩りに畏れを失うな。アレらが元は何だったか、お前たちは軽く考えすぎている」
「いいや! 真剣に捉えているからこそ! 狩ることに躊躇いを見せてはならないだろう! あの姿で永遠を彷徨わせることが畏敬なのか! いいや違う! 俺たちの手で醜悪な姿に押し込められた魂を解放することこそが〝ウィゼラの教え〟! そのために我らは武器を取り、〝外域〟を往くのだ!」
「……もういい黙れ。宗教談義なんて私は真っ平ごめんだ」
グラトナ大隊長は怒りを表明するように足音を立てながら、治療室の出入口へ歩いていく。
俺は思わず呟く。
「グラトナ大隊長……」
「勝手にやってろ」
そう言い放つと、荒々しく扉を閉めて出て行った。
◇近撃部隊【きんげき-ぶたい】
組織/探索団/終の黄昏
探索団『終の黄昏』を構成する部隊の一つ。
主に近接戦闘を得意とする者が配属され、
斬込部隊が穿った風穴をこじ開けるのを役割とする。
大隊長であるナギオン・エルメルの気性に似て、
所属する団員は、細かい事には執着が薄いが、
戦いとなると好戦的な性格が多い。




