第三十四話 騎士
◇〝烙印〟【らくいん】
用語/人外
人外の体表に必ず生じる、かつての蝕業の名残り。
かつて人であった証、その残滓たる徴。
〝烙印〟の皮膚の直下には進化石が眠っており、
人外は、それを奪われると肉体を保てず死に至る。
徴の理由を、もはや伝える者はいない。
途絶えたのは、知ることに意味がないからだろうか。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟浅層、ヨア
「ギニョル、どうだ。いそうな感じはするか?」
「……見づが、らない……」
小高い岩山の頂上で周囲を索敵するギニョルから帰ってきたのは、芳しくない返事だった。
俺とギニョルは朝飯をかっ食らうと、早々に〝外域〟へ繰り出した。目当ては勿論、人外の討伐だ。
特殊任務小隊は普段、連携力の向上が主だから、あまり深い場所まで〝外域〟には入らないようにしている。だが、人外は〝外域〟の奥にまで行かないと姿を見ることが難しい。
考えてみればそれも当然だ。
人外は、進値上限を突破して進値を上げてしまった人間の成れの果て。
だが同時に、人外のみから獲れる進化石は、進値上限を上昇させる効果がある。危険を冒してでも皆が競い合って狩るとならば、自然と近場にいる個体に目をつける。
そうして人間の生息圏に近い人外は見つかり次第討伐され、〝外域〟の奥にいる人外を探すことになる。
今はギルドで貰ったレアルム近辺の地図を見ながら、今は中層と呼ばれる場所に入る手前で索敵をしていた。
ここに至るまで、魔物とは一切戦っていない。戦いにならないよう慎重に歩みを進めたのだ。
人外との戦いは激戦が予想される。どんなに弱い魔物であっても、交戦による消耗は避けたかった。
「お……」
――ギニョルの声と、木々が裂ける悲鳴のような音が耳を打つ。
「あれは……」
見下ろした視界の先の森、青々と葉を茂らせた大木が倒壊して粉塵が舞う光景が繰り広げられていた。
あの木の根元には何かいる。大木を破壊できるほどの力を持った何かが。
「行こう」
「ゔん」
急速に緊張感が増していくのを感じながら、俺とギニョルは岩山を駆け下り、森へと飛び込んだ。
「これは……どっちだ……?」
「分がらない」
俺は茂みから慎重に様子を窺う。
森の中で見つけたのは、えらく気の立った巨大な人型だった。
たるんだ皮膚、二対四本の腕、森の木々にも劣らない巨体、植物の蔓で動物の死体を腰に巻いている。首から上は蛇に似ていて、特徴を活かし広範囲を隙間なく警戒している。尻尾は虫のように節があり、先端には湾曲した針のような器官もある。
腕のうち、一本は肘のあたりで断たれていて、手負いだ。気が立っているのもそのせいだろうか。だが傷口の断面に瑞々しさはなく、塞がってそれなりの時間は経過していると見る……。
俺たちが頭を悩ませているのは、この人型が人外なのか、それとも魔物の一種なのかという点だ。
人外と魔物を見極める方法は、主に二つある。
一つは、体的特徴から判別すること。これはギルドで受けた講義の受け売りだが、生物と言うのは永い時間をかけて生きる環境に適した姿に変化していく……らしい。そして、収斂した姿は非常に合理的であると。
暑い環境では体の熱を発散できるよう体毛が薄くなったり、寒い場所では熱を逃がさないように脂肪が厚くなったりと、変化には必ず理由がある。人間の体もそうだという。理由もなく尻尾が生えたり、角が生えたりはしない。
人外は違う。まるで命が爆発したように、非常識な形態になることが多い。
どういう環境で生き続ければ、そんな姿形になってしまうのか……理解に苦しむような形態ならば、人外と見て間違いないという。
だが、この方法はあくまで可能性の域を超えず、確実な判別はできない。
もう一つの方法は、体表に残る蝕業の痕跡――〝烙印〟を見つけることだ。
元は人間だった人外の体には、必ずどこかに〝烙印〟を残している。この方法ならば確実に人外だと見分けることができる。さらに〝烙印〟の奥、体内のそこには進化石が眠っている。
しかも、しかもだ――人外は、体内から進化石を奪われると、即座に体を崩壊させて絶命する。どれだけ元気に暴れ回っていようが、途端に糸の切れた人形のように動かなくなり、死ぬ。
つまり〝烙印〟を探し出すことは、人外である確認と同時に、致命的な弱点の発見を意味するのだ。
……まあ、人外によっては体のどこにあるとも分からない、たかだか人間の腹部に収まる程度の大きさの〝烙印〟を見つけ出すのは実際困難だろう。
加えて、〝烙印〟は見て分かる場所にあるとは限らない。毛に覆われていたり、殻や膜のような器官で守られていたりと、一筋縄ではいかない。
「人外……の気もするし、なんだか魔物っぽい気もするしなあ……」
思わず唸り声が漏れる。
ギルドで魔物の図鑑は色々と眺めたけれど、こんなに特徴的な姿の魔物は見かけなかったと思う。
図鑑に載っていないなら人外ではないのか、と言われれば……少し違和感を覚える。
奴の……蛇頭の巨人の腰には、ぐるりと囲むように動物の死骸が何体も括りつけられている。わざわざそんな真似をするのは、餌に恵まれなかった際の非常食が思いつく。
何が言いたいかというと、蛇頭の巨人からは非常に生き物臭さを感じずにはいられないのだ。けれども、その異形さは魔物の範疇から逸脱している気もする。
魔物なのか、はたまた人外なのか……。
「ヨア、どうずる?」
ギニョルが端的に問うてくる。
「……一当てしてみよう」
幸い、蛇頭の巨人が暴れたせいか、他の魔物の姿はない。木という遮蔽物があるから、いざという時に身を隠すのにも、逃亡にも好都合だ。
「俺が気を引くように立ち回るから、ギニョルは隙を射抜いて攻撃してくれ。俺が守ってやれないかもしれないから、一回射ったら場所を変えるんだ」
魔物が怖いという弱点があるギニョルには位置を攪乱するように加勢してもらおう。
「行くぞ……!」
俺は茂みから飛び出し、蛇頭の巨人へと駆け抜けた。
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟中層
川辺で女が涼んでいる。
脚部の金属鎧を外し、下の着衣も膝上まで捲り上げて、川に足を浸していた。
ちゃぷちゃぷ……、と足で水面を叩きながらも、女には楽しんでいる雰囲気は感じられない。だが、つまらなさそうにしている様子もない。
どこか無機質で……涼めと言われたからそうしている、とでもいうような印象さえ受ける。
「…………?」
女の元に、小さな生物が一匹、近寄って来た。枝の上で木の実でも食んでいそうな、無害で可愛らしい動物だ。
それは女と目が合うと、機敏な動きで離れていき、途中で止まっては振り返り女を見る……そんな事を繰り返しながら、誘うように、森の奥に消えて行こうとする。
――少し後、水の飛沫を立てながら女は立ち上がった。
「皆――」
◆◆◆◆◆
◆〝外域〟中層、ヨア
鋭利な爪と、騎士鋼の剣が打ち合い、空中に火花を散らす。
蛇頭の巨人は矢継ぎ早に四本ある腕を繰り出してくるが、俺を捉えきれずにいる。攻めに転じ切れていないからだ。
俺に伸ばしかけた腕を咄嗟に引いた直後、空間を大矢が通り抜ける。
「シュルルアッ……」
苛立たし気に奴が鳴く。
「余所見してる場合かな!」
その一瞬の隙を突いて、俺の剣が鱗に包まれた太腿を裂く。
さらなる怒りの鳴き声を上げる蛇頭の巨人を横目に、俺は己の剣に確かな手ごたえを感じていた。
――やっぱり……この剣じゃないとダメだ。
〝神器〟と呼び称される業物でもなければ、特殊な力ですらも持っていない。他人から見ればありふれた剣なのだろう。
けれども、まるでの体の延長のように、切っ先に触れた感触を、自分の指の先のように感じることができるのは、この剣以外にないと確信した。いや、余計な疑念が消え去ったと言うべきか。
これで益々、ヘカトルさんのために進化石を持ち帰る気持ちが強くなった。
なんとしても、あの人に俺の剣を鍛えてもらわなければ。
しかし……戦闘は膠着状態に陥っていた。
少しずつ傷を与えてはいるものの、形勢を決するほどではない。ギニョルの放つ大矢の威力なら致命打になりえるだろうが……。
――この蛇頭の巨人、凄まじく勘が良い……!
森の中からの攻撃を事前に察知できているとしか考えられないほど、ギニョルの矢は見もせずに躱す。何らかの別の感覚でも持っているのかと思う精度でだ。
加えて、四肢の方も、蛇らしく柔らかく、可動域が広い。
守りにおいては柔軟に危機を躱し、攻めにおいては変幻自在に敵を翻弄する。俺も、ギニョルの牽制が無かったら、無傷ではいられなかっただろう。
〝烙印〟探しも捗々しくない。ぐるりと奴の全身を見渡した感じでは、それらしき徴はなかった。
気になるのは腰に巻き付けた動物の死骸の裏。そこさえ見ることができれば……。
一瞬の思考に沈んだ瞬間、蛇頭の巨人族が思いもよらぬ行動に出た。
長い首を後ろにたわめたかと思えば――上下に大きく裂けた口から火炎を吐いたのだ!
「ギニョルッ‼」
最後に大矢が飛んできた方角から違う場所を焼き払っている……つまり、そこに敵がいると確信しての行動だ。
轟々と燃え盛る炎。
――その赤い壁を切り裂いて、大矢が翔け貫ける。
まったく予期していない攻撃に蛇頭の巨人は反応できず、腕の一本を根元から千切り飛ばされる。
ギニョルは無傷とはいかなかったようで体から煙を上げていたが、矢を射れる程度には健在だ。回復効果のある魔効液を飲めば大丈夫だろう。
「シュルル、ル……」
蛇頭の巨人が一歩、二歩と後ずさる。
奴が何を考えているか分かる――逃走だ。
「逃がすか!」
蛇の頭部を後ろに引き、一瞬の溜め。
先程の、放射される火炎の光景が甦る。
――だが、
「シュルル――ゲェア……⁉」
蛇頭の巨人の胸を突き破って剣が生える。
剣。大剣だった。
蛇頭の巨人が手にしても違和感がないほど大きい剣。その切っ先が奴の体から生えるように突き出ている。
胸の傷口の穴と大剣の隙間から、口から吐くはずだった火炎が噴き上がった。
「ゲェ、ゲェ、ェ……」
蛇頭の巨人は、びくり、びくり、と数度痙攣して、力なく脱力した。事切れたのだ。
その巨体が大地に崩れ落ちず、ゆっくりと浮き上がっていく。
ここで俺はようやく、蛇頭の巨人をあの大剣で背後から刺し貫いた何者かがいることを認識する。
大剣の主は、今しがた殺し、突き刺さったままの死骸を、剣を振り払って森の奥へゴミのように投げ捨てた。
――一振りの、騎士が立っていた。
初めて出会う、自分のどの記憶にも登場しない存在のはずなのに、あれは騎士だと、脳に直接焼きつけられたかのように分かった。
大人の男の二倍はあろうかという背丈。
その全身を一分の隙もなく包むのは、歪み、罅割れ、伸びきった、鎧。
数え切れぬ血を浴び、幾夜の雨風に濡れ続け、襤褸布のように成り果てた外套。
それが、夕焼けに伸ばされた細長い影のように立ち尽くしている。
「騎士……」
いつか、熟練の探索者たちが言っていた。
〝外域〟で最も出会いたくない存在。
剣の宮が生んだ、さまよう兵器。
静かに現れ、激しく殺し、去りゆくもの。
――騎士!
「……? ……ぁ?」
――俺は、
気づいたら、本当にいつの間にか、空中を吹っ飛んで木の幹に叩きつけられていた。木が衝撃に耐えきれず半ばから圧し折れていく。
あの大剣が閃いた……気がして。
そうだ。それで、咄嗟に、右手の剣を構えたんだった。
俺の、剣は……。
ゆっくりと首を傾ける。
そこに剣はなかった。
肘の先がなかった。
腕がないんだから、そりゃあ剣もないよな……、なんてことを、ぼんやり思った。
「――ヨアァァァァアッ‼」
ギニョルの声が聞こえる。
生きてるよ――と言おうとしても、体に力が入らない。何かの線がぷつんと切れたように、指先一つ動かせない。激しい悲鳴を上げる体をぼんやりと感じるだけだ。
ああ、けど。
何となく分かる。
これは、もうすぐ死ぬ。
何度も死んできたから、自分が死ぬのが分かる……っていうのも、おかしな話だけど。
辛うじて動く目。視線を下げると、胸から腹にかけてばっさりと裂けて、血がどくどくと流れ出ている。
まるで、命が流れ出しているようだ。
今まで死ぬときはすぐ死んでいたはずだから、こうやってじわりじわりと死にゆくのは初めての感覚だった。
右半分の視界が真っ赤に染まる。
切り捨てられたギニョルの血が、俺の顔を染め上げた。
魔物が怖いはずなのに、そんなのより恐ろしそう化物を相手に、俺を庇うために立ちはだかって。
――ごめん、ギニョル……。
――俺が、バカな事を言い出したばっかりに。
振り上げられた大剣を見上げながら、それが俺を切り裂く瞬間を想った。
◇魔物図鑑【まもの-ずかん】
学問/生物学/魔物
魔物の生態について詳細に整理、記載された図鑑。
分類に応じて様々に出版されている。
薬草図鑑と並ぶ探索者必読の書物。
一部、高等研究に踏み込んだ内容のものもあるため、
まずは探索者にお勧めの一冊を見習い生は選ぼう。
……あるいは、研究の沼にどっぷり沈んでもよいですよ?
研究者は常に人手不足ゆえ。




