第三話 顎
◇双剣【そう-けん】
武器/剣系統/双剣
一対を前提として造られた剣。
盾の守りを捨てた攻めの武器であり、反撃を許さぬ圧倒的な手数が特徴。
ただし、使いこなすには技量と慣れが必要である。
その見栄えする戦い方から、素人が手を出し、早々に心折れる武器種でもある。
君よ、まずは一本の剣から振りたまえ。
もしくは【双剣術】の習得を祈りたまえ。
***
◆〝はぐれ街〟、ヨア
「――ァあああああ‼」
「ど、どうしただなヨア⁉」
ライカが心配そうに顔を覗き込んでくる。
家の外壁となっている獣の皮を捲った隙間からは、昇ったばかりの太陽が輝いていた。
「きっと悪い夢でも見ただな。だからビックリして起きちゃったんだな?」
「夢……」
だんだん目が覚めてくる。俺は寝台で上半身だけを起こしている状態だった。
そうか……怖い夢を見ていたらしい。着ている服が汗に濡れて気持ち悪い。さっさと着替えを済ます。
今日は大規模な狩りがある。ここ最近、狩りに出る魔物狩りの人数が増えている。〝はぐれ街〟の近くを徘徊する魔物の数がなぜか異様に多いからだ。だからある程度一掃しようということらしい。
一瞬、風が強く吹きつけて、家が激しく揺れた。
空はどんよりと曇っていて……なぜか胸がざわついて、心臓の鼓動が耳の奥でうるさいぐらい鳴っている。
「ヨア……?」
ライカが傍で心配そうな表情をしている。
「……もし行きたくないなら、行かなくていいだな」
「狩りにか? ……ダメだよ」
「でも、行きたくないんだな?」
「別にそういうわけじゃ……」
「分かるだな。嫌な予感がするだな? 私もそういう時があるだな。嫌な予感の後はきまって悪い事が起きるだな……」
俯いたライカに、俺はわざと明るい声で言う。
「……大丈夫だよ。気のせいだって。それに今日の狩りは報酬が良いんだ」
――結局、俺は行くことを決めた。
ライカはずっと、やめた方がいいと言っていたけれど、俺は強引に家を出る。
「いってらっしゃいだな!」
途中、一度振り返る。
ライカは不安そうな表情だけど、それでも手を振って送り出してくれた。
俺も手を振り返して、集合場所へと走り出した。
胸騒ぎは消えなかった。
***
◆無辺の荒野、ヨア
「こいつで最後か?」「結構殺したな……」「もう夕方じゃねえかよ」
大地が点々と真っ赤に染まっている。そこだけ陽の光を反射して、てらてらと輝いている。
今回集まった魔物狩りは何組かに分かれて〝はぐれ街〟近郊の魔物を殺して回った。
生け捕りにする余裕もないほど多くの魔物と遭遇した。しかも、普段滅多に見ない魔物が〝はぐれ街〟の近くをうろうろしていたことが気になった。
さらに、どの魔物もその場を離れようとしなかったのだ。
弱い魔物なら俺たちから逃げ出すことも珍しくないけれど、今日の魔物たちは〝はぐれ街〟から離れはせずに、街の周辺をぐるぐる回るように逃げようとした。
魔物の動きに合わせて俺たちも〝はぐれ街〟を中心に円を描くように進んだから挟撃に持ち込みやすく、結果として狩りの効率は良かったけれども。
「おいヨア、そろそろ引き上げだとよ」
「……ああ」
「魔物の死骸は放っとけってさ。後から解体屋が来るからよぉ。……こりゃ報酬は全員均等割りか。誰がどれ殺したとか分かんねえしな――」
同じ組にいた男がそう呟いたとき、
――ア ア ア ア
――アアアアアアアアアア‼
叫びが聞こえた。
世界全てを揺らすような、悲しみの色に染まった咆哮が。
周りを見渡す。他の連中は手柄の話ばかりで、あの叫びに気づいた様子はない。
「――――」
戦い終えたというのに、バクバクと心臓がうるさい。
周囲の音が遠のいて、耳鳴りが強くなっていく。
何かの訪れを知らせるように、太陽が雲間に隠れて薄闇が訪れる。
――自分が一番最初に気づけた理由は分からない。
「地鳴りだ」
足下の小石が左右にゆらゆら……やがて激しく震えだして、それは大地そのものが揺れているからだと気づいた。
「おい!」
誰かが叫んだ。
叫んだまま口をぽっかり開けて、呆けたようにある方向を見ていた。
俺も、皆も、導かれるように視線を動かす。
地平線を埋め尽くすように土煙が立ち上っていた。
――大量の魔物が大地を蹴って疾走してくる。
何匹いるのかも分からない。様々な種類の魔物が群れを成していた。
「こっちに来るぞ!」「おいどうする⁉」「どうって、この先は」
そうだ、この先にあるのは――
「戦うんだ!」俺は叫んでいた。「ここで止めないとアレが街に入る!」
俺の檄に彼らは言葉を返さなかったが、各々手に武器を構えることで応える。今逃げ延びたところで意味が無いことを悟ったからだ。
だけど、魔物が近づいてくるにつれ、
圧倒的物量を目の当たりにして、一人また一人、じりじりと後ずさる。
「来るぞ――‼」
――衝突。
魔物は止まらない。
人間は武器を振り下ろす。
切り裂かれ、射抜かれ、叩き潰され、疾走の勢いのまま派手に転げ回る魔物。
跳ね飛ばされ、踏み潰され、噛み砕かれ、命を散らしていく人間。
「ぎゃあああ!」「怯むな――」「おい、これッ何匹」「ああああああああああ⁉」「回復! 回復できる奴を連れてこい! 回、ゲ、ェッ」「死ねッ、死ね死ね死ね死ね死ね!」「はっ、ハハハハハハハハハハ!」
誰かが泣き叫ぶ声、魔物の咆哮、駆け抜ける足音。
全てが混ざり合う。混沌の坩堝に叩き落される。
目の前の魔物を必死に斬りまくった。でも、取りこぼして抜けていく数の方が圧倒的に……。
周りの状況はどうなっている? 分からない。
今、誰が生き残っていて、誰が死んだのか。
斬って、斬って、斬って斬って斬って斬って――ようやく群れの最後尾が近づいたのか、魔物の密度がまばらになってきた。
もう、腕も、足も、頭も、疲労困憊だった。しかし、逃げ隠れて休むという選択肢はない。すぐにでも反転して、魔物を追いかけて殺さないと。
――街にはライカが……!
俺は踵を返そうとして――わずかな風切り音を頼りに剣を振るった。
辛うじて剣は飛来した風の刃を打ち落とした。
「ちっ。今ので死んどけよ」
声がする方を向くと、魔物の死骸の上で俺を見下ろすように立つ人間が二人。
「お前ら……何のつもりだ」
奴らの名前は確か……双剣を使うマゼラン、そして火の魔法を使えるクインス、だったはずだ。
「何のつもりって、そりゃ死んでもらうつもりさ」
「都合良く魔物に殺されたように、ね」
マゼランが嘲るように、クインスが冷徹に言う。
「ふざけるなよ……今はそんな場合じゃッ」
言葉を紡ごうとして途中、違和感に気づく。
――マゼラン、クインス、
――こいつらまるで傷を負っていない……。
「……お前ら、さっきの群を戦わずに見逃したのか」自分でも制御できない怒りが湧き上がる。「それがどういう意味か分かってるのか!」
「バカがよ。あんなの俺らが束になったって敵うわけねえだろ。隠れ潜んでやり過ごすのは当然だろうが」
「それに、今〝はぐれ街〟にいるのは役に立たない女子供や病人ぐらいです。魔物に襲撃されたからなんだというのです」
「――ッッッ……‼」
剣の柄を握る手に力が入る。
「前々から貴方は気に食わなかったんです。狙い澄ましたように人外を殺し、手柄を奪っていく。いい迷惑ですよ。――だから今、始末するには絶好の機会です。さすがに貴方でも二対一は分が悪いでしょう」
「お前は手足を切り落としてから魔物の巣に捨ててやるよ。――俺たちが殺すと進値が上がっちまうからなァ!」
マゼランが駆け出し、クインスが手を前に構える。
――その動作の起こりと同時に、俺も疾走する。
「ッ⁉」「速いっ――⁉」
マゼランの双剣が風を纏っている。あれを刃のように飛ばすことができるのだろうが、その猶予は与えない。
衝突するようにマゼランと切り結ぶ。
相手は双剣、手数は俺より多い。位置取りに気をつけながら防御に徹する。
「クッ、マゼランを盾にして……ッ!」
俺はクインスとの間にマゼランを挟むように立ち回る。
マゼランもそれに気づいているが、ピタリと張り付き逃げを許さない。
「ええいっ、避けてくださいよ!」
「おまっ……⁉ クソがァ!」
後先考えず無理矢理隙を作ったマゼランが飛び退く。
槍の形をした炎が飛来する。
俺は――マゼランを追わず、魔法に向かって地を蹴り、高く跳躍する。
いつ飛んで来るかならまだしも、分かりやすい合図の後なら機を合わせ易い――!
空中、俺は炎の槍が届く直前で、その先端を剣の腹で叩いた。
軌道の反れた魔法が遠くに着弾し、炎を上げる。
「そんなバカなぁ⁉」「なんだあの剣は……!」
「――ッラァ‼」
落下の勢いのまま、俺は拳をクインスの鳩尾に叩き込んだ。奴は血反吐を撒き散らしながら吹き飛んでいく。死なないよう加減はしたが、しばらくは動けないだろう。
「シャアアアッ‼」
背後から風の刃が複数迫り来る。
振り返りながら一閃、まとめて薙ぎ払う。
呆けたマゼランの顔が視界に飛び込んでくる。
「何なんだよ……これが進値の差だってのか……!」
「おおおおおおおおおおッ‼」
マゼランは双剣を交差させ、俺の上段からの振り下ろしを受け止めた。
足下の地面がヒビ割れるほどの衝撃。
マゼランは硬直せざるを得ず――俺は既に剣を手放し、拳を引き絞って次の攻撃へと移っていた。
「まっ」
言葉を吐く時間すら与えず、俺はマゼランの顎を下から上に打ち抜いた。
「ゲ、ガ……」
空を飛んだマゼランは魔物の死体の上に落下する。
「――ッ、ハア……ハア……‼」
激闘の疲労が一気に押し寄せてくる。
正直危なかった。
あの二人が普段から連携する経験を積んでいたら、俺に勝機はなかっただろう。それにクインスの不意を突いて倒せたのが大きかった。
全身が重い。疲労が蓄積している。この状態で行けるか……?
いや、行けるかじゃない。
早く〝はぐれ街〟に戻ってライカを助けて――
――視界に巨大な影が立ちはだかる。
「……人、外ッ!」
魔物とは異なる黒を基調とした体色。四つん這いの巨躯。
体と同じ大きさの頭は、全体が顎になっていた。人間なんて二、三人を軽く飲み込めそうな顎の門。
少し前にトロスが成った人外……あれはただの黒い肉の塊に、出来損ないの頭がついているだけだった。
だが、こいつは違う。これは意味のある形をしている。ドロドロに溶けていた鉄が、鋳型に流し込まれ剣の形になったように。
――狩りじゃない。
――今から始まるのは闘いだ。
人外の意識は既に俺に向いている。
本当はすぐにでも〝はぐれ街〟に戻りたい。
でも、背を向けた瞬間に絶命させられると確信できるぐらい、この人外が放つ威圧感は凄まじい。一瞬たりとも目を離すことはできない。
――そこへ突如、撃ち込まれた炎の槍。
無防備な人外の横っ腹に命中、炸裂する。
ガ、オ、ォ、オ、オ、ォ、オ、オ、オ、オ――‼
人外が苦悶の声を上げる。
「……また、手柄の独り占めは……ゲホッ! ……許しませんよ」
「グ、ハハ――やっぱり運は、俺を見放しちゃいねえってことだなァ……」
ゆらゆらと立ち上がる人影。
――マゼラン、クインス!
与えた傷は致命傷ではないとはいえ、もう立ち上がるか……!
「お前らいい加減にしろ! こっちじゃなくて街に行った魔物を追ってくれよ!」
「知るかっつてんだろ……こんな旨い機会を逃すわけねえじゃねえか」
「貴方ばかり人外を狩るのは……不公平というものですよ」
マゼランの双剣が再び風を纏う。
クインスも燃え盛る魔法の槍を新しく生み出す。
……クソ! こうなったら仕方ない。
本当は一人でも多く〝はぐれ街〟の方に行ってほしいけれど、今は協力してこの人外を倒すのが先決だ。
オ、オ、ォ、オ
「セァッ‼」
疾駆するマゼランが擦れ違い様に人外を切りつけ、真っ黒な血が噴き出る。
振り向こうとした人外の顔面に、再度放たれた炎の槍が炸裂する。苦しそうな呻き声が響く。
生じた隙、俺は顎の下に滑り込んで、剣を上に思いきり振り上げる。
マゼランにそうしたように、巨大で禍々しい頭をかち上げてやった。
「ルゥアアアア――ッ‼」
空中に跳び上がったマゼラン、その双剣から一層の激しい風が吹き荒れた。
交差するように振り抜けば、重なり肥大した風の刃が放たれ、人外の体に深い傷を刻み込む。そこへ傷口を広げるように狙い澄ました炎の槍が突き立った。
凄まじい攻撃――通常の魔物の狩りならば魔法と意能を温存するところを、人外相手にはまるで出し惜しみしない。絶対に殺し切る覚悟の攻めだ。
……だが、
ォ、オ、ォ、オ、オ、オ、オ――‼
これだけの傷を負わせたにも関わらず、人外は機敏に動き続けている。
しかも……傷の表面が波打ち、黒い肉が盛り上がり塞がっていく。
この人外は……今まで自分たちが相手にしてきたものとは、根本的に格が違う。
「二人とも攻め過ぎだ! 一旦下がれ!」
だがマゼランとクインスは聞く耳を持たず、苛烈に攻撃を加え続ける。
このまま加勢するか、無理にでも引きずって離れるか。
その迷いが足を鈍らせる。
「ハッハァ!」
マゼランが人外の死角に入り、再び風の刃を連続で放つ。
体表が切り刻まれ、血飛沫が宙に乱舞する。
これがマゼラン本来の強さ。
双剣の手数による圧倒的な攻撃力に、風の刃で拡張された剣の間合い。
一対一で負ける気はないが、本気で戦わざるをえないほどの――
――マゼランの下半身が千切れ飛ぶ。
「は――?」
人外が後ろ蹴りを繰り出した。
たったそれだけで、マゼランの――進値が上がって強化されているはずの肉体が破壊され吹っ飛んだ。
上半身、半分だけになったマゼランが、ボトっと、湿った音を立てて落ちる。
「え、え、ェ?」
――人外が叩きつけた前脚の下で、マゼランは粉々に砕け散った。
最後まで何が起こったか分からないまま、死んだ。
地面と前脚の間で糸を引く、赤色の粘ついた血肉がマゼランだった生き物の名残だった。
人外が、巨大な頭部をクインスに向ける。
「ひッ……ひいぃぃぃぃいいいいい――‼」
クインスは額に汗を滲ませながら、これまでで最も巨大な炎の槍を作り出し、一直線に射出した。
槍は人外の開いた顎に吸い込まれていき――バクン、と閉じられる。
不思議なことに槍が命中した音も、弾けた振動もなかった。
まるであの顎が炎の槍を喰ってしまったように。
「あ」
横薙ぎに振るわれた爪が、クインスの体を等分に切り裂く。
人外が歓喜するかのごとく顎をガチンガチンと打ち鳴らし――俺を見た。
「はっ、はっ、はっ、はっ――」
汗が噴き出して、恐怖で息の仕方を忘れそうになる。
マゼランもクインスも決して弱い魔物狩りじゃなかった。攻撃に向いた魔法と意能を習得していた。
でも、それが命を守ることに何の役に立ったのか。あの物を言わない肉の塊が無言で訴えかけてくる。
もしかして、あの大量の魔物はこの人外から逃げてきたんじゃないか……そう思わせるほど圧倒的。
圧倒的な、強さ。
今から、こんな敵と、一人で、戦わないといけないのか。
〝――いってらっしゃいだな!〟
「――そうだ」
俺は、生きて帰らなければいけない。
今、こうして足が竦んでいる間にも〝はぐれ街〟が襲われているんだ。
ライカのことを考える。固まっていた足に力が戻ってくる。
こんなところで立ち止まっている場合じゃないんだ。
この命はライカに救われた。
だから命に代えてでも、ライカを守る。
「邪魔だァアアアアアアアアアッ‼」
オ、オ、オ、オ、オ――‼
死そのものと言うべき攻撃があらゆる方向から迫り来る。
極限まで集中した世界の中、体が命じるままに剣を振るう。
赤と黒、二つの飛沫がこの戦いを彩った。
人間のものとは思えない、獣のような咆哮が俺の口から飛び出す。
体は熱を帯び、傷口からどんどんと零れ流れ出ていく。
感覚だけが鮮明で、時間の長さは曖昧に。
血に塗れた巨大な爪がゆっくり、ゆっくりと迫ってくる。
俺は
あの子に
生きて――
◇火槍葬【かそうそう】
魔法/戦闘魔法
火の槍を作り出し射出する魔法。
〝呪文〟の中において、かなり進値が低い段階でも習得する傾向がある。
槍は、現実の槍投げ同様、山なりに飛ぶ。
威力もそれなりであり、非常に使い勝手の良い魔法である。
ただし、軌道が読まれやすいため、慣れれば避けやすく、ゆえに注意が必要。