第二十八話 未知を知りに
◇墓標丘陵【ぼひょう-きゅうりょう】
地名/外域
〝外域〟中層の領域に存在する、なだらかな丘陵。
浅層に近いため、中層の中でも危険度は比較的低い。
障害物が存在せず、ある程度の広さがあることから、
古来より、大きな戦いの戦場に選ばれ、
数多の戦士、無数の兵、夥しい魔物たちの骸が横たわる。
ゆえに、この地は墓である。
数え切れぬ命の、安息の丘である。
◆◆◆◆◆
〝◆外域〟浅層、ヨア
「……これが全ての真実です」
メリジュナ教官は枝で薪を掻き混ぜる。
舞い上がった火の粉が宙を踊り、夜の闇へ消えていく。
「それからの私は、教え子を持つ度に恐怖しました。教え子の本性を知ってしまう恐怖。もし、その本性が悪だったとしたならば、それを正すことができるのかという恐怖。本証を見抜けないまま送り出してしまう恐怖……。その恐怖から逃れるために過剰なほど厳しい訓練を課しました。……探索者なんて因果な職業ではなく、目を覚まして別の道を進んでほしい、なんて独り善がりな願いも込めながら」
長い時間をかけて語られたメリジュナ教官の過去の出来事。
それは俺の想像や今までの経験などでは、その傷の深さすら理解できないほど壮絶なものだった。
……メリジュナ教官が一年前に亡くした教え子。
彼らが迎えた最後が相応しいものだったのか、俺には分からない。語る資格もない。
でも、彼らの行いが、存在が、メリジュナ教官の心に大きな影を落としたのは間違いなかった。
「……今の話が、なんでユサーフィさんへの借りに繋がるんですか?」
普通なら怒りを覚えこそすれ、貸し借りの話になる流れではないと思うけれど……。
「それは……ユサーフィがルリィの死の真相を明かさなかったからです。『青の盾』の殺人も、『黒い刃』の脅迫行為を発端とする争いとして処理されました」
「つまり……ルリィさんは探索中に魔物に殺され、『青の盾』は弾みで殺人を犯してしまった。ユサーフィさんがそうしたと?」
「ギルドとユサーフィの間でどんな話し合いがあったかは分かりませんが」メリジュナ教官は憑かれたように焚火だけを見つめる。「結果として事件はユサーフィが描いた画のとおりに落着しました。あの子たちは加害者でありながら被害者としても見なされ、私は真実を隠蔽した卑怯者になった」
「…………」
「たとえどんな教え子であろうとも……私は……死後に彼らに悪名が残ることを本心では望んでいなかった。ラペルたちに傷つけられた人たちがいることを知っていながら……」
「……その話を、なんで俺にしてくれたんですか? 今の話の内容は、その……メリジュナ教官にとって知られたくないものじゃないんですか?」
今日の夜、メリジュナ教官は初めて俺と視線を合わせた。
「――裁かれる日が来たのです」
俺のその瞳から目を離すことができなかった。
「あんなことがありながら、私はギルドの教官を辞めることができなかった。そして、教え子と深く関わることが怖くなった。深く入れ込むほど、あるかも分からない、彼らの中の本当の顔を想像して恐怖したのです。だから私は突き放すように冷徹に、厳しい訓練を課すようにした。それが間違っていると本当は気づきながら……」
「……はい」
「ヨア、貴方と出会う今まで私に師事した訓練生は皆、心が折れてレアルムから去っていきました。探索者を目指した彼らには悪い事をしましたが、私の元を去っていく後ろ姿を見る度、胸を撫でおろす気持ちを捨てることはできなかった……こんな辛い世界より、どこかの都市で平穏に生きて、進値1のまま人生を全うする方が幸せなのだから。教えの傍ら、その思う心が必ずどこかにあったのです」
ヨア、とメリジュナ教官は俺を呼んだ。
俺はメリジュナ教官に近づいた。膝を突いて目線を合わせると、メリジュナ教官は無事な右腕で俺の頭の後ろに手を回すと、自分の胸元に抱き寄せた。
「貴方に私の過去を伝えたのは、高尚な理由などではありません。貴方を見て、間違い続けてきた自分に向き合う覚悟が出来たからです。教育者の資格も無いのに教鞭を執り続けた私への罰。だから……この話を誰に伝えるのもヨアの自由です。ああ、でもユサーフィが事件を隠蔽したのは私が依頼したということにしておいてください。正直あの女は嫌いですが、これで迷惑をかけるのは筋違いですから」
「……しませんよ、そんなこと」
「そう……。……ごめんなさい、この前は。貴方の気持ちを侮辱するようなことを言って」
それは――俺の復讐のことだろうか。
見上げようとした俺のわずかな動きだけで、メリジュナ教官は俺の問わんとしたことを察してくれた。
「かつて私は真相を知ることに恐怖し、目を逸らして逃げてきました。私は、貴方が復讐の感情を抱くに至った経緯は知りません。だけど、だけれども――そこに何らかの真相が隠れているとしたら、目を逸らさずに見届けてください。そして復讐が本当に正しいのか、立ち返って考えてほしい。復讐を止められないとしても、私の言葉を覚えていてくれたなら……」
何らかの、真相――
――押し寄せる魔物と人外。
――燃え盛る〝はぐれ街〟。
――降り注いだ業火。
――俺が殺した、大切な人。
あの光景が脳裏に蘇る。
見定めろと、あの残酷な一日を。
でも。
そこに真相があったのだとしても、俺は――
朝の日差しに瞼を開ける。
すぐ横にメリジュナ教官の顔があった。昨日、話をした時のまま俺たちは眠ってしまったようだ。教官の胸を枕にして寝ていたらしい。
俺が起きたことに合わせてメリジュナ教官も目覚めた。自分の上に乗る俺の頭。ぱちりと目が合った。
教官は俺の頭を掴むと、勢いよく引き剥がした。首がぁっ!
「おはようございます。よく眠れたようですね」
「いだだだだッ⁉」
「ああすみません。放しますよ」
俺はべちゃりと地面に投げ出された。
メリジュナ教官は顔を背けている。
「あの、メリジュナ教官、昨日の夜の――」
「さっさと出発の準備をしなさい。レアルムに帰るまでが訓練です。私の指導はまだ終わっていませんよ」
そう言われて俺は慌てて荷物を纏めた。といっても、元より野営を想定していなかった身軽な装備だ。準備はすぐに完了した。
こうして朝日を背に浴びながら、俺は色々とあった遺跡群を後にすることになった。さすがに帰りは疾走するということはなかった。二人とも大きなケガを負っているのだから当然と言えば当然だ。
森の斜面を登りながら、ほぅ……っ、と息を吐く。
――〝エゴンの声痕〟か……。
この世界には俺の知らない事がたくさんある。
それは……俺の体に刻まれている蝕業もそうなのだろう。
蝕業、進値、魔法、意能。
当たり前のように存在するこれのことを、俺は、俺たちは、何も知らない。
探索の果てに、その答えを得ることはできるのだろうか。
「ヨア、振り返ってみなさい」
「え――」
いつの間にかメリジュナ教官が立ち止まっていた。その視線の先を知りたくて、俺も振り返って後ろを見る。
――視界に飛び込んでくる朝陽。
目が慣れると、眼下には自然の中、光に照らされ複雑な陰影を作り出す遺跡群の姿が。
「思い出したました。ずっと、ずっと昔、私が初めてギルドから教官をやってみないかと、見習い生を受け持ったとき。あえて危険な〝外域〟を訓練の場所に選んだ理由……」
それは、探索者という危険な夢から覚めてほしいという昏い願いよりも、ずっと前に抱いた気持ちなのだと――
「――貴方に、探索することの、この美しい世界を知ることの喜びを知ってほしかったから」
今度こそ、俺とメリジュナ教官はレアルムに向けて歩き出した。
未来のことは何一つ分からない。こうして今日を生きていても、明日の朝陽を迎えることはできないかもしれない。心が耐えられないような辛い現実が襲い来るかもしれない。
そうだとしても。
メリジュナ教官が言う通り、苦しみながら前に進んでいくしかないのだろう。
目の前に広がる未知の世界に向かって。
この記憶に焼き付いた美しい朝陽を、また見たいと思うから。
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合・教官室、ヨア
「これが九等級の探索者証になります」
後日、ギルドの教官室を訪れた俺は、待ち構えていたメリジュナ教官から一枚の金属板を貰った。
今日はメリジュナ教官の訓練から帰還して初めての外出だ。
あの後、レアルム西の大門で別れてから黄昏に戻った俺は、有無を言わさず治療室にぶち込まれ回復魔法をかけられながら、駆け付けたグラトナ大隊長にこっぴどく叱られた。
どうやら俺が戻ってこないことが騒ぎになって、俺が事の一部始終を報告すると、
「ギルドに抗議に行く! 見習い生になんて訓練を……ッ!」
と憤慨するグラトナ大隊長を俺が必死に宥めて……とにかくちょっとした騒ぎになったのだ。
そんなことを思い出しながら、貰った探索者証を眺める。
大きさはちょうど掌と同じぐらい。革の包みに収められた金属板には俺の名前を始めとした基本情報と、九等級探索者に値する旨が刻印されていた。九等級からようやくギルドの仕事を請け負うことが許されるのだ。
……ただ、実際の探索者証を見るのはこれが初めてだけれど、少し拍子抜けだ。
この作りなら自分で文字を削ればいくらでも偽造――
「ちなみに、探索者証を勝手に刻んだり削ったりすればすぐバレますから。勿論、探索者の資格も剥奪されるので心得るよう」
「す、するわけないじゃないですか。いやだなあ」
俺は隠すように探索者証を懐にしまった。
しかし……これで俺も正式な探索者か。
「? どうしました、ヨア?」
「あ、いやあ……なんだか感慨深いなと」
探索者証を手に入れて、急激に達成感と寂寥感が押し寄せてきた。
今日までの訓練の日々を思い返す。……、……ほとんど走ってる記憶しかないが、間違いなく俺を成長させてくれる経験になった。
色々あったけれど、やっぱりメリジュナ教官はスゴい人だと思う。
そんな人に指導してもらったのだから、俺も教官に恥じないよう立派な探索者になろう。
俺は万感の思いを込めてお礼を言った。
「メリジュナ教官……今まで本当にありがとうございました。俺、もっと上の等級を目指して、教官みたいになれるように頑張ります」
「ヨア……」
俺は踵を返して、教官室の出口へと歩き出した。
振り返りはしない。次に会う時は、今よりもっと成長した俺を見てもらいたいから――
「――指導はまだ終わっていませんよ?」
「……えっ?」
思わず振り返った瞬間、大量の教科書が俺の両腕に落とされる。
「確かに、貴方の戦闘面における実力は認めました。でも、座学の成績は今も壊滅的です。ありえません。だから責任をもって最後まで私が指導します」
「えっ、で、でもっ、探索者証、九等級の……!」
「ええ、私が推薦し、その資格有りと認められました。でも――探索者になったからといって指導を止めるとは言っていません。ユサーフィとの約束にも反しません」
へ、屁理屈だ……‼
「……プ、アハハハハ!」
よっぽど俺が間抜けな顔だったのか、メリジュナ教官が堪らずという風に笑いだす。
「アハハハ……ハア…………、……何ですか?」
メリジュナ教官は、部屋の中にいた他の教官たちを見回す。全員が無言で視線を逸らした。
メリジュナ教官……それは多分、冷静沈着な教官があんな風に明るく笑ったものだから皆吃驚したんでしょう。俺も吃驚しています。
「さて、時間を無駄にする余裕はありません。ヨア、今日この後の予定は? ……よろしい、次の昇級試験に備えて、今から魔物の特徴と有用な素材について骨の髄まで叩き込んであげます」
……俺はゲトリクスと対峙した時以上の震えに襲われていた。
ただでさえ苦手な座学の授業をメリジュナ教官が……それも骨の髄までだって……⁉
出入口の扉を開きながら、メリジュナ教官が微笑んだ。
「――さあ、私と一緒に、未知を知りに行きましょうか」
◆◆◆◆◆
◆自由都市グアド・レアルム、探索者組合、メリジュナ・レイン
今から始まる特別講義に、げんなりした表情でついてくるヨアを微笑ましく見ながら、私は昨日のユサーフィとの会話を思い出す。
「――ヨア君からも話は聞いてるよ。今回の件は礼を言うね」
話があると誘われ、日中、人通りの多い道に面した店を指定した。
「メリジュナも、私に色々訊きたいことがあるから今日来てくれたんでしょう? いいよ、答えられることなら答えるから」
私が切り出そうとしたことを、心を読んだかのように先手を打って話題を振られた。
「……私に知られるとマズい事があるような言い方ですね」
「それはそうでしょう。だって、貴方は『終の黄昏』の仲間ではないのだし。全てを話しはしないのです」
この店の洒落た茶碗に注がれた飲み物を、実に澄ました顔で口にするユサーフィ。上手く躱そうとしたのか、それとも知られてしまってもどうでもいいと思っているのか。
分からないことに拘泥しても仕方ないので、私は訊きたかったことを口にする。
「ヨアのあの力は、いったい何なのですか」
「あの力とは?」
「しらばっくれないで下さい」
「そういうつもりじゃなくて。ヨア君は可能性の塊だから、何をするか分からないのよ。だからメリジュナが何について言っているのか、本当に分からなくて」
可能性の塊。
そう言ってしまえば展望のあるような好ましい言い方ですが、私が見たものは、そんな生やさしいものではない。
「魔法や意能は、普通、進値が上昇した時にだけ習得します。戦闘中に、他人の意能を見て習得することはありえない」
進値を上げることで人外に近づく恐怖感がある一方、新しい力は進値を上げることでしか手に入れることができない。
ヨアは、その大原則を無視している。超越と言い換えてもいい。
「彼は私が使った【足蹴】の意能を見ただけで己が力にしてしまいました。あんな事は……」
「でも、現実にそれを成し遂げてしまった。いったいなぜなんだ。……貴方が知りたいのはそういうことでしょう? けど、それを知ってどうするの?」
「それは」
「それは貴方に関係のある事なのかしら? 知っていないとメリジュナに危険が及んだり、メリジュナの大切なものに危害が及ぶようなことなのかしら?」
「……いえ。ですが」
「じゃあ今の質問は意味がないよね。だったらギルドの耳に入れる? ……それも貴方は出来ない。貴方はもう、新しい教え子に幾分か情が移っているから」
「…………」
「それとも、また私に教え子を殺されたいの?」
――目の前が憤怒で真っ赤に染まる。
私は目の前の冷水の入った硝子の杯を掴んでユサーフィに、
「勘違いしないで」
私の手はユサーフィの掌に容易に押さえつけられ、動かすこともできなかった。
「私はメリジュナの事が嫌いじゃないの。貴方になら――見届けてほしい」
「見届ける……?」
「そう」
――あの時のユサーフィの目。
初めて会ってから今まで、常に余裕ぶって微笑を絶やさなかったあの女の、逆に言えば人形のように貼り付いた表情の中に……本当の感情が垣間見えた気がした。
そんな女が言うのだ。
いったい何を。
見届けろと。
「もうすぐ黄昏の時代が終わる日がやってくる。いつまでも終わらない劇の幕を引く人がついに現れたの。だから、今回の件程度で目を丸くしていたら身が持たないよ?」
――もっと凄いことが、これから巻き起こっていくのだから。
◇メリジュナ・レイン【めりじゅな・れいん】
人物/現代/ギルド
探索者組合で教官を務める、元四等級探索者。
〝悪蹴〟のメリジュナと聞けば、熟練の探索者で知らぬ者はいない。
探索者時代は、徒手空拳ながら、自在に〝外域〟を駆け抜け、
【弧月狩り】を始めとした足技の意能で魔物を討伐し、
〝剣より切れ味の鋭い足〟と呼び恐れられた。
引退した今は鬼教官として、新人探索者たちに恐れられている。
しかし、根は優しく、世話焼きで、他人想いな性格であり、
舌鋒の鋭さは、不器用の裏返しである。
冗談が好きでたまに口走ってみるが、普段が真面目で几帳面なせいか、
冗談として認識されないことが密かな悩み。




